響け!ユーフォニアム〜北宇治のスーパー自由人〜 作:キングコングマン
「もう一度、オーボエソロ前まで」
今日も合奏練習。滝先生がそう言うと、「「「はい」」」と、部員たちの返事が返ってくる。
「1、2、さん…」
滝先生が掛け声と共に手を振ると、ゆったりとした演奏が流れる。そして数秒演奏した後、滝先生はたんたんと、楽譜立てを叩いて演奏を止める。
「粒が粗いです。もっと滑らかに音を繋げられませんか?そして、穏やかにオーボエを迎え入れて下さい」
「「「はい」」」
滝先生がそう注意すると、再び部員の返事が返ってくる。
「テナーサックス。出だしがブレてます。一人づつ、斎藤さんから」
「……はい」
滝先生がそう言うと、斎藤から一言返事が返ってくる。そして、「さん、はい……」と滝先生が合図すると、テナーサックス特有の、低く響く音が教室に鳴り響く。
この一人一人吹かせる練習は、実力が思いっきり露わになる。他の楽器に紛れて音を誤魔化す事が出来ないからだ。
出来ていれば、えもいわれぬ達成感を味わえるし、出来ていなかったら、自分の拙い演奏を周りに聴かれ、とてつもなく恥ずかしい思いをする。
「……もう一度」
演奏が終わると、滝先生からそう告げられる。どうやら彼の求める音ではなかった様だ。
しかし、斎藤は一向に吹こうとしない。
「……どうしました?」
「………」
滝先生が吹こうとしない斎藤にそう問い掛けるも、返って来たのは無言だった。
「……分かりました。斎藤葵さん、今のところ、いつまでに出来る様になりますか?」
「………」
滝先生に直接的な言葉を投げかけられ、斎藤は口籠る。
「……残念ながら、コンクールは待ってくれません。"いつまでに"と目標を決めて課題をクリアして行く。そうやってレベルを高めて行かないと、良い演奏は出来ません。分かりますか?」
「……はい」
皆、心配そうに斎藤を見つめている。彼女が受験勉強も頑張っている事を、ここにいる全員が知っているからだ。
しかし、田中と秋川。その二人だけは、真剣な眼差しで斎藤を見つめていた。
「ここは、美しいハーモニーで旋律を支えなければいけません。今テナーサックスのあなただけが音を濁しています。受験勉強が忙しいのは分かります。が、同時にあなたは、コンクールを控えた吹奏楽部員でもあるのです。……もう一度聞きます。いつまでに出来る様になりますか?」
「……先生」
滝先生の問い掛けに、思い詰めた様な顔で斎藤はそう返す。
「なんですか?」
そして、無言。言おうか言わまいか、そんな葛藤をしている様だった。黙る事数秒。意を決した様に斎藤は顔を上げた。
「私、部活辞めます」
斎藤がそう宣言すると、音楽室が少しざわつく。
「……理由はありますか?」
「今のまま部活を続けたら、志望校には行けないと思うからです」
滝先生がそう聞くと、斎藤は憮然と返す。
「前から悩んでいたんですが、これからもっと練習が長くなる事を考えると、続けるのは無理です」
「……そうですか、分かりました。後で職員室に来て下さい」
「……はい」
それは機械的で、全く感情のこもってないやり取りだった。
「斎藤先輩!辞めないでください!」
「葵!待ちなよ!」
周りから、そんな声が聞こえる。しかし、それに斎藤は反応する事なく、音楽室から出て行った。
_____ガタッ_______
すると、勢い良く椅子から立ち上がる音が聞こえ、一人の生徒が斎藤の方を追って行った。
「……タッキー。あの子は?」
「えっと、確か一年の黄前さんって子」
秋川が小声でそう聞くと、滝野も同じく小声で返す。
「ちょっと!、晴香!?」
するともう一人、小笠原が立ち上がって、同じく斎藤と黄前の後を追って行った。
いきなりの出来事に、音楽室は唖然とした空気になる。
それを見て滝先生は「ふぅ……」と、軽く溜息をついた。
「皆さん、今日の合奏練習はここで終わりにします。後は、パート練や個人練。好きにやって下さい。では、失礼します」
そう言い放つと、滝先生は楽譜を纏めて音楽室から出て行く。
音楽室は、未だ騒めきに包まれていた。
___________
斎藤葵が吹奏楽部を辞めても、コンクールに向けての練習は滞り無く進む。
それはここ、トランペットパートも例外では無い。
今日のパート練は6名。残りの2人、中世古と秋川は、個人練に行っている。
今日は珍しく、高坂がパート練に居た。
「はあ、葵先輩、辞めちゃったなー」
2年の加部が、どこか上の空でそう呟いた。
「……そうね」
それに吉川が、譜面を見て指運びを確認しながらそう返す。
「受験勉強って言ってたけど、なんで今なのかなぁ?」
「分かんないわよ。まあ、人生の分岐点でもあるんだし、ああ言うのも一つの手なんじゃ無い?」
「うっわ、優子ドライー」
淡々とそう言う吉川に対し、加部はひょうきんにそう返す。
「……負い目も、あるんじゃないかな?」
すると、3年の笠野がそう呟いた。
吉川と加部、滝野の2年生組は、バツの悪そうな顔になる。
「負い目?」
その言葉の意味を汲み取れないのか、吉沢が首を傾げてそう聞く。
「……ああ、負い目って言うのはね」
「滝野、アンタちょっと黙ってなさいよ」
滝野が説明しようとすると、釘を刺す様に吉川が上から声を被せる。まるで臭い物に蓋をするかの様に。
「……もう何ヶ月もはぐらかしてるだろ?アッキーだってあの事はもう何とも思ってないって言ってたし、このまま隠し通せる筈も無いだろ?」
滝野がそう言うと、眉間に皺を寄せて吉川は「……ッチ」と、一つ舌打ちをした。
「……去年、一年生。今の二年が大量に辞めて行った事件って、知ってる?」
そしてその話題に触れたのは、またしても笠野だった。只事ではない雰囲気に、吉沢も生唾を呑む。
「……はい。噂だけは」
ポツリと、笠野の問いかけに吉沢はそう返した。
「当時の北宇治は……もう秋子ちゃんも知ってると思うけど、真面目な部活とは程遠かったの。……特に当時の三年生。その人達はあまり部活に真剣に取り組んで無くてね?それを見た一年生の一部が、反発しちゃったんだ」
笠野と説明に、吉沢はコクリと頷く。ここまでは噂通り、しかし、それが斎藤葵が辞めた理由と何があるのだろうか?
「それで、私たち2年生は、不真面目な3年生と、部の雰囲気を変えようとする1年の子達との板挟みに遭っちゃってね?今でも辞めて行った当時の子達に対して、負い目を感じてる子もいるんだ」
それを聞いて、吉沢は納得行った様な顔になる。確かにその立場になったら、辛い事になるのは確実だ。
怖い3年生と、いつ暴走するか分からない1年生。それが混ざって爆発しない様に、当時の2年生は奔走していたのだ。
しかし、それなら一つ疑問があった。
「でも、それは昔の話で、アッキー先輩は戻ってきたじゃ無いですか?」
吉沢は納得行かない様な顔で、笠野に対しそう言った。その渦中にもし秋川がいたならば、戻って来た彼に負い目を感じる事は無い筈なのだが。対して笠野は、困った様に笑う。
「……そうだね。でも、アッキーは"特別"だから」
笠野の"特別"と言う言葉に、高坂が一瞬反応する。
「お疲れー。やっぱ外は良いですなー。俺の演奏に野球部も釘付けだったわ」
すると、計ったかの様なタイミングで、秋川が個人練から帰ってきた。
「ん?、あれ、どしたの?みんなして変な顔して」
「……アンタより変な奴なんて居ないわよ」
そして、吉川がいつも通り秋川に突っ掛かる。反応を見る限り、どうやら話は聞かれていなかった様だ。
「何でも無いよ。さあ、休憩終わり。オーディションも近付いてるんだから、練習に戻るよ」
そして、笠野がそう告げると、何事もなかったかの様に各々練習に戻って行った。
「「………」」
ただ二人。一年の吉沢と高坂は、何処かその光景に違和感を覚えていた。