響け!ユーフォニアム〜北宇治のスーパー自由人〜 作:キングコングマン
「では、明日はホール練習です。本番を想定して、良い練習をしましょう」
「「「はい!」」」
滝先生がそう声をかけると、今日の練習が終わる。
「パートリーダーと楽器運搬係は残ってください。明日の段取りを話します」
「「はい」」
続けて小笠原がそう声をかける。そして、各々音楽室の片付けを始める。
「ありがとうございました」
「あ、……うん」
そんな中一言、高坂が軽く会釈して吉川にそう言うと、その横を通り過ぎて行く。吉川は、そんな通り過ぎた高坂の背中を、ジッと見つめていた。
「………」
そしてその光景を、忍はバッチリと見ていた。
"だからもう、一年生や秋川君を無視するのは、辞めてあげて下さい!お願いします!"
吉川は、思い出していた。それは中世古が去年、当時の3年生に対して必死に頭を下げていた光景。
亀裂が決定的になっていた当時の3年生と1年生の間を、何とか取り持とうとしていた彼女の姿。そんな光景を、思い出していた。
下駄箱の前、ボーッと吉川は突っ立っている。練習が終わってからこの様に気の抜けた様な、何か考え込む様な状態のままだ。
「……吉川、何ボーッとしてんの?」
そんな吉川に、声を掛ける人物が一人。その声の方向に、ゆっくりと彼女も顔を向ける。
「……なんだ、秋川か……」
そこには同じく下校しようとしていた、忍の姿があった。
「明日ホール練なのに、ボーッとしてるコンクールメンバーが居たもんでね。……どうせ、明日の再オーディションの事でしょ?」
忍がそう言うと、吉川は一瞬肩を震わせる。しかしその反応で充分だったのか、忍は困った様に笑った。
「吉川、今日は一緒に帰るべや」
そして、優しく問いかける様に忍はそう提案して来た。
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「何飲む?」
「……炭酸以外」
「あいよ」
近くの公園、そこに併設された自販機で忍が2本、飲み物を買う。彼はオレンジジュース。
「……何でブラックコーヒーなのよ……」
そして吉川には高校生にはまだ早いであろう、ブラックコーヒーを買って渡した。
「良いじゃん、ブラックコーヒー。大人っぽくて」
不服そうな吉川に対し、揶揄う様に笑って忍はそう言い放つ。
「……大人じゃないわよ。アタシ」
しかしと言うべきか、やはりと言うべきか、吉川にはいつものキレが無い。何か考え込む様に、そう返した。
そして、そのまま近場のベンチに二人して腰掛ける。
公園では先ほどの子供たちが遊具で遊び、その光景を忍はぼんやりと見ている。対して吉川は、暗く俯いたままだ。
「……ねぇ、秋川。アンタは高坂と香織先輩、どっちが吹くべきだと思う?」
すると、最初にその話題に触れたのは、意外にも吉川の方だった。
「そうだね、……やっぱり高坂さんかな?ここ最近でさらに音に磨きがかかった」
忍は少し考えた後、そう答える。それに対し、吉川はさらに表情に影を落とした。
「………やっぱそっか」
変わらない。やはり何処までも素直。答えがわかっていても、吉川は複雑な気分だった。
「吉川は、まだ香織先輩?」
すると今度は逆に忍からそう聞かれた。
それに吉川はコクリと、一つ頷く。
それを見て、今度は忍が少し悲しそうな表情になった。
「……香織先輩って、良い先輩だよね」
「………」
忍の問い掛けに、吉川はだんまりを決め込む。
「去年あんな事があって、俺もお世話になった。普通の人じゃ、あんなこと出来ないよ」
「……そうね」
続けての忍の問い掛けに、今度はそれだけ返した。
「誰だって、香織先輩に吹いてほしいと思うだろうね」
「………だったら」
「でも、それだけでソロパートが決まったら、香織先輩が納得しないと思う」
吉川の言葉を上から被せる様に、忍はそう言い放った。それに吉川は再び黙ってしまう。
「だって、俺たちは全国目指してるんでしょ?じゃあ、実力主義で行かなきゃいけない。もしソロだけ贔屓があって香織先輩に決まったとしたら、一番納得しないのは絶対香織先輩だと思う。……それは、吉川が1番知ってるでしょ?」
「………」
優しく問いかける様にそう言う忍に対し、吉川は何も返せない。
そして、忍は、真っ直ぐと吉川の顔を見る。次に彼が発した言葉に、遂に吉川は気付かされる事となる。
「………吉川のそれはさ、本当に香織先輩を思っての事?」
正に心臓を鷲掴みにされた様な、そんな感覚。口から『そうだ』と言う言葉が出ない。
分かっている。何処かで理解している。
"香織先輩にソロパートを吹いて欲しい"と言うこの気持ちは、エゴなのだろうと。
優しい先輩。憧れの先輩。そんな先輩のソロパートが見たいと言う気持ちが強すぎて、本人の気持ちを考えていない。
忍のその言葉によって、吉川は遂に受け入れてしまった。理解してしまった。
この感情は香織先輩の為では無く、彼女に憧れた自分の我儘なのだろうと。
「……じゃあ、………って、……のよ」
すると、吉川は震える声でそう呟く。聞き取れなかった忍が「ん?」と返すと、勢いよく顔を上げて忍を睨みつけた。
「じゃあどうしろって言うのよ!!アンタだって、去年の香織先輩を知ってるでしょ!?」
そして、自分のエゴを受け入れた事が引き金になってしまったのか、感情を爆発させる様に声を荒げる吉川。
「香織先輩はあんなに頑張って!あんなに素敵な音が出せるのに!!何でこんな事になんなきゃいけないのよ!!!」
涙を流して、吉川は悲痛の叫びを上げる。しかし、忍はそれを真っ直ぐに、目を逸らさず彼女の言葉を受け止めていた。
「絶対香織先輩が吹くべきなのに!!香織先輩だってソロパートを吹きたがってたのに!!なんで!なんでアンタはそんな事が言えるのよ!!!」
そして、吉川は忍の両肩を掴み、縋るように、救いを求める様に、大粒の涙を流しながらそう叫ぶ。
「分かってる!!分かってるわよ!……この気持ちが、香織先輩の為になんない事なんて……」
憧れが強すぎるが故、思い入れが深すぎるが故、そこに"私情"が入る。エゴだけでは無い。それは、紛れもなく吉川の中世古に対する"愛"から来るものだ。
でも、それは中世古の為にはならない。
全て吐き出した吉川は、肩を掴んでいた両手をそのまま忍の胸に当て、忍の胸に顔を埋めた。まるで涙を隠す様に。
忍は、そんな吉川の手を優しく握る。
「言いたい事、全部言えた?」
そして優しく吉川に対してそう問い掛ける。吉川は啜り泣きながら、忍の胸に顔を埋めたまま一つ頷いた。
そして忍が握った手に少し力を入れて離そうとすると
「……今はダメ。もうちょっと、このままでいさせて」
吉川がそれより力を強めてそう言って来た。そんな彼女に、忍は「……うん」と一つだけ頷く。
そして忍の胸に顔を埋めたまま、再び啜り泣く声が聞こえて来る。
その後は、結局吉川が落ち着くまでこの状態のままだった。
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「………落ち着いた?」
「……うん、ありがと」
どれくらい経っただろうか。吉川が忍の胸から離れると、ようやくぶりに彼女の顔が露わになる。
やはり泣き腫らした様で、目は真っ赤になっていて、鼻先も少し赤みを帯びていた。
「公園なんかで泣いちゃうから、いろんな人に見られちゃったよ」
「ここ選んだのはアンタでしょ?」
そして、いつも通りの会話も戻って来た。吉川の顔は泣いた後でひどいものだが、何処か晴れ晴れとした表情に見えた。
「泣いたら喉乾いちゃった。コーヒーは趣味じゃ無いけど、しょうがないわね」
そして、まだ開けてない夏の気温でぬるくなったコーヒーを、吉川は開ける。
それをグイッと一気飲みする様に、口の中に流し込んだ。
「あー……苦っ………」
一言、どこか悲しげに、吉川はそれだけ言い放った。