響け!ユーフォニアム〜北宇治のスーパー自由人〜 作:キングコングマン
「おー、走ってら走ってら」
翌日、秋川が渡り廊下からグラウンドを覗くと、体操着姿に着替えた哀れな吹奏楽部員達が、まるで運動部かの様にグラウンドを走っていた。
走り終えたであろう部員は、そのヘロヘロの状態で楽器を吹く。特に肺活量の必要なホルンやトロンボーンには地獄の様で、誰しもが顔を真っ赤にして必死に音を出そうとしている。
あれは、体力を付けるとか肺活量を鍛えるとか、そう言う目的では無い。
走れば、息が上がり、呼吸が乱れる。そしてその状態で楽器を吹けば、当然まともに音は出ない。すると、奏者はどうにか音を出そうと工夫をするのだ。散々いじめ抜いた肺を、極力使わない様に音を出すにはどうしたら良いのか?
結果的に、効率の良い吹き方を覚えるわけである。……少々強引な手法ではあるが。
「……なんだ、楽しそうじゃん」
一言、秋川はその光景を見ながら羨む様にそう呟く。去年はあんな練習、するはずも無かった。と言うか、案さえ出なかった筈である。
見てみると、負けず嫌いな奴はオーバースピードで息が上がり、楽器を死にそうな顔で吹いている。
吉川が良い例だ。
対して、頭の良い人は自分のペースを考えて走り、息も切れず何食わぬ顔で吹いている。
中世古が良い例だ。
目的通りであるなら前者の方が良いのだが、それぞれの個性も見れて面白い。
「あはっ、タッキーとか倒れちゃってんじゃん」
そんな吹奏楽部とは思えない様な練習風景を、秋川も面白がる様に見つめていた。
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「タッキー、昨日は面白い事やってたな」
翌朝、秋川が学校に登校すると、机に突っ伏している滝野に対し、楽しそうな声色を隠さずに話し掛ける。
「……話し掛けるな。全身筋肉痛なんだ」
全力疾走なんて久しぶりだった滝野が、突っ伏したままそう返す。しかし、秋川にはそんな事などどうでも良く、気にする事なく会話を続ける。
「遂に練習始めたのか?、どう?滝先生の練習」
秋川が興味津々にそう聞くと、滝野は突っ伏した状態からゆっくりと上半身を起こした。
「長い。そしてしんどい」
短く一言。だがそこには数え切れない程の恨み節が込められてる様にも思えた。
「おー、そんなにか。なら、そろそろ反発の声も出てくるか?」
いきなり環境が変わったら、反発するものが必ず出て来るだろう。それにあの部活の事だ。そのまま黙って指導を受ける人間は寧ろ少数派な筈だ。
「……それが、そうでも無いんだよ。この前アッキーに話した海兵隊の合奏、つい最近滝先生に聴いてもらったんだよ」
「え?、そうなの?」
滝野の発言に、秋川は驚きの声を上げる。確か合奏は来週の水曜日だった筈だ。
「そこでボロカスに言われたんだよ。『聞くに耐えない』とか、『合奏として成り立って無い』とか」
「ふーん、まあ、全国を目指してるならねぇ?」
秋川がそう言うと、滝野は痛い所を突かれたのか、苦虫を噛み潰したような渋い顔になった。
「……そこなんだよ。『これが、全国大会を目指してる演奏なのか』って、先生自身に言われたんだ。それが起爆剤になったんだろうな。今は何がなんでもあの先生を見返してやろうって、来週水曜日にある合奏に向けて、皆んなムキになってる」
「……ははー、成る程」
滝先生が水曜日にやると言ったのは、この事だったのかと、秋川は納得する。一度合奏させて酷評し、部員達に発破を掛けたのだ。
自分達で決めた全国大会出場と言う目的がある為に、逃げることも出来ない。
既成事実を作り、やるべき事を一つに絞り込ませる事が絶妙に上手い先生なのだろう。中々な性格をしている。
「……まあ、頑張りなさいな」
「はぁ、……アッキーは気楽で良いよなー」
秋川が適当に激励の言葉を投げ掛けると、滝野がゲンナリとした顔でそう返して来る。
まだ、判断しないと言うのが、秋川の心中だった。
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「………で、今日はロングトーンですかい」
放課後、意図的に家に帰らなかった秋川は、吹奏楽部員に見つからない様に、校舎をぶらぶら歩く。すると、一つの音を真っ直ぐに出し続ける練習、ロングトーンの音が、校舎のあちこちから聴こえ始めた。
この練習は、基礎中の基礎。これが出来なければ、自分の出す音が安定する事はまず無いし、音も掠れたものしか出ない。
「低音はまだマシだけど、壊滅的なのはホルンとトロンボーンだな。2秒もしない内に音が乱れてる」
ある程度聞き分け、そんな評価を下す秋川。改めてこの部活のレベルの低さを実感する。……本当にこの調子で来週の合奏に間に合うのだろうか?そんな感情が湧くほどだ。
「……ペットは、……うん、まあ合格にしとこうかな?」
そして。最後に秋川は、自分の担当楽器パートに、渋い顔でそんな評価を下した。
「……ああ、ムズムズするっ!」
楽器の音が戻ってきた校舎。それを聴いてると、秋川の心の中で新たな感情が生まれた。
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「はい、ではもう一度」
そのまた次の日、ここはトランペットパートの教室。滝先生の掛け声に、またかと、パートの面々はうんざりした様な顔になる。
そして始まるのは、海兵隊の最初のフレーズ。もうこれを、両手では数え切れないくらい程吹いている。
「はいやめ、……加部さん、また音がズレてます」
「っ!………すみません」
名指しでミスを指摘され、項垂れる加部。そんな彼女に、吉川や中世古から、「ドンマイ」やら「落ち込むことは無いよ」など、励ましの言葉が掛けられる。
「もう何回もこの部分を繰り返してます。そろそろ出来て貰わないと困りますよ?」
しかし、それを踏み潰すかの様な、滝先生の一言。それに、吉川が険しい顔を向けて反論した。
「友恵はちゃんと練習しています!滝先生が他のパートに行っているときもずっと!そんな言い方しないで下さい!」
「ですが、出来て無いものは出来てません。本来ならここは、基礎中の基礎。こんなところで躓かれては困るのですが」
「っ!!それは、友恵は高校から始めた初心者だから……!!!」
「吹奏楽を始めてから1年も経って、まだ初心者を名乗るのですか?」
核心を突く滝先生の発言に、言葉を失ってしまう吉川。対して加部は、ポロポロと涙を溢していた。
そして、滝先生は左手首に巻いた腕時計を確認し、「そろそろですね」と呟く。
「他パートのチェックに行ってきます。今のフレーズが完璧に吹けるまで、"絶対"に次のパートには移らないで下さい。では、失礼します」
淡々と言い放ち、楽譜を纏めると滝先生はそのまま教室を後にする。強烈すぎる指導を目の当たりにし、シンと、重い沈黙が教室を支配する。
「なんなのよ!!アイツ!!!」
怒り心頭。ダンッ、と、右足を地面に叩き付ける様に踏み込み、そんな事を叫ぶ吉川。
昨日から始まった、滝先生による各パートの見廻り指導。その厳しさは、誰の想像をも超えていた。
先程の加部に対する、冷徹な物言いが良い例だ。始まってから2日目で、すでに何人もの部員が泣かされていた。
そんな指導を目の当たりにし、このトランペットパートにも、不穏な空気が流れている。
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しかし、そんな空気を無視する様に、先程何回も滝先生にやり直させられた部分を、これ見よがしに吹く人物が一人。
その音色は、文句を言う暇があったら練習でもしたらどうだ?と言わんばかりの、挑発的なものだった。
「………高坂さん。それは嫌味のつもり?」
「……何がでしょうか?」
そんな吹き方を感じ取ったのか、吉川が高坂に突っ掛かる。対して高坂は憮然と、自分より身長の低い吉川を見下ろしてそう返す。
吉川が嫌味と感じた理由。それは、先程の滝先生による指導で唯一、高坂だけが注意を受けなかったのである。
なのにも関わらず、一人こうしてそのフレーズを吹いている。挑発と取られても仕方が無い。
「……今、友恵がアイツに悪口を言われたばかりでしょ!?なのになんでそんな事が出来るのよ!?」
「別に、私は私の練習をしてただけですが」
「だから!!友恵の事も少しは考えなさいって言ってんのよ!!」
「なら、練習をして克服すれば良いだけの話じゃないですか?」
「っ!!、こんのっ……!!!」
「ストップ!!!」
すると、ヒートアップして来た二人を黙らせるかの様に、中世古がそう叫ぶ。正に鶴の一声。我に返った吉川は、一瞬にして大人しくなった。
そして、中世古は困った様に微笑む。
「……とりあえず、休憩しよっか?もうずっと吹きっぱなしだし」
頭を冷やせと言う事なのだろう。諭す様に中世古がそう言うと、吉川はシュンと項垂れて「……ハイ」と、聞こえるか聞こえないかぐらいの声量で返事をした。
「高坂さんも、それで良いかな?」
「………ハイ」
高坂も、中世古の問いにそう返す。相変わらずの鉄仮面だが、その声色には、明らかに呆れが含まれている様に思えた。
______パァーーーーーーー_______
すると、窓の外からまた別の金管の音が聞こえて来た。トランペットの音だ。今は全員集まってのパート練習。いつもは個人練ばかりしている高坂も、この教室にいる。
では、いったい誰が?
一通りロングトーンを終えると、続けてそのトランペットの音は、とあるメロディを奏で始めた。
「………アッキーだ………」
そう呟いたのは、滝野だった。
聞こえてくるメロディは、"ムーンリバー"と言う曲。
元々はかの名女優、オードリー・ヘップバーンのバラードで、その歌を、トランペットに落とし込んだものだった。
「……綺麗………」
3年の笠野が、そう呟く。バラードらしく、ゆったりとした曲調。この歌が主題歌になった、"ティファニーで朝食を"と言う映画作品は、ニューヨークの、ゆったりと流れる日常を舞台としたラブロマンスだ。
その雰囲気に寄り添う様に、問い掛ける様に秋川のトランペットが響く。
音のズレがなく、完璧なロングトーン。海兵隊の曲もこのロングトーンは重要だが、この教室に聞こえて来る秋川のムーンリバーは、次元が違った。
しかし、それよりも……
「「「………」」」
誰しも、演奏に黙って耳を傾ける。上手い以上に、人を惹き付ける演奏だった。
まるで歌っているかの様な音色。語り掛ける様な自然な音の強弱。
技術の上にある、才能の部類。それを感じさせる、圧倒的なパフォーマンスだ。
そして演奏が始まってから2分。最後のフレーズを吹き終わり、教室に静寂が訪れる。
先程の嫌な空気など、どこかに吹き飛んでいた。
「……練習、再開しよっか?」
中世古の掛け声と共に、トランペットパートの面々は黙ってマウスピースに口を付ける。
あれほどの演奏を聞いて、皆、黙って居られるはずも無かった。
https://m.youtube.com/watch?v=OJ9q5MJEQQ0
取り敢えず、このエピソードを書こうと思い立ったキッカケである、《Moon River トランペットver》のURLを載せておきます。
問題がある様でしたら、削除します。