響け!ユーフォニアム〜北宇治のスーパー自由人〜 作:キングコングマン
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早朝、忍が階段を登っていると、聞き慣れたオーボエの音が聞こえてくる。朝が弱くとも慣れれば早起きも出来ると言うもので、忍は足取り軽く、その繊細な音を聴きながら音楽室へと向かっていた。
「ここの辺り、もう少したっぷり目で吹いてみたら?」
「……それが、感情って事?」
忍が音楽室に入ると、先客が居た。同じ楽譜を見合わせながら、吉川と鎧塚はソロパートの部分を試行錯誤している。
「おーっす」
「あ、おはよ」
忍が挨拶をすると、吉川も挨拶を返して来た。
「苦労してる感じですかい?」
楽譜の用意をしながら、忍は2人に対してそう聞く。
「苦労って言うか……」
吉川は考える様にそう呟く。悩んでいるのは十中八九、橋本先生に指摘された、オーボエのソロパートの部分だろう。
感情を音に乗せる。
技術を求めれば、この壁に当たる事は幾らでもある。どの部分を、どの様に吹きたいのか。その答えを見つけ出すのは、演奏者本人が自分で見つけ出すしか無いのだ。
「………アッキーは、感情って何か分かる?」
すると、鎧塚の口から随分と抽象的な質問が飛んできた。吉川が微妙な顔つきになっている。
「感情……感情ねぇ……楽しいとか、悲しいとか、その時の感情が音に出るとはよく言うけどねぇ……」
対して忍も、考え込む様にしてそう呟く。
「案外そう言うのって、自分よりも周りから見て貰った方が気付かされることもあるんよな」
「……そうなの?」
忍の答えに、こてんと首を傾げる鎧塚。
「客観的に聴いてくれる人も大事って事。例えば……優子は俺の音を聴いてどう思う?」
「え?、うーん、そうねぇ……アンタ、気分で音が変わる時があるから、なんとも言えないけど、楽しそうってのは何となく分かるかな?」
いきなり忍に振られ、思った事をそのまま口に出す吉川。
「おー、そりゃ光栄なこって。……まあこんな感じで、自分自身で納得するより、周りからの意見も受け入れながら感情を理解して行くってのも一つのやり方かな?音楽は人に聴いてもらって初めて成り立つからねぇ。その聴いてもらう人の声ってのは重要だよ?」
客観的に自分を見つめられる人間というのは、案外少ない。だからこそ、周りの声が必要となってくる。そこから気付かされる事なんて、幾らでもあるのだ。
「………じゃあ、私の音は、アッキーにはどう聴こえる?」
すると鎧塚は、顔を楽譜から忍の方に向けて、そう聞いてきた。その質問に、吉川は何処か心配そうな表情をしている。
忍は、絶対に音に嘘をつかない。そんな彼が感じる鎧塚の音とは……
「……橋もっちゃんはもっと感情を乗せろって言ってたけど、俺もそれは間違って無いと思う。……でもそれ以上に、なんだか迷ってる様な、ちょっと悲しげな演奏に、俺は聴こえるかな?」
真っ直ぐ、鎧塚の目を見据えて、忍はそう言い放つ。それを聞いて吉川は、少し顔を顰めた。
「……取り敢えず、みぞれの吹きたい様にやってみよ?……ちょっとアタシ達はちょっと外で吹いてくるから。……ホラ、行くわよ」
すると、吉川は忍に催促する様に、楽譜台と椅子を持たせる。
「……うん、分かった」
一言、鎧塚はそれだけ返すと、再びソロの部分を吹き始める。
やはりその音は何処か空虚で、悲しげを纏った音のように聴こえた。
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「………みぞれ、希美の事ダメなの」
「………え?」
渡り廊下。楽譜の準備をしながら、唐突に吉川はそんな事を言ってきた。あまりにも突然の言葉に、忍の表情は驚きに染まり切っている。
「アンタにはもう伝えておこうと思ってね。……あの子、希美に依存してる感じだったでしょ?」
「えっと、ケンカでもしたの?」
未だ驚きを隠せていない表情で、忍はそう聞く。去年、まだ傘木が部活に所属していた頃は、かなり仲が良かった様に見えたのだが……
「……違うわ。寧ろ逆。何も希美はしなかったの」
「何もしなかったんなら、なんでよろみーは……」
ここまで聞いて、何故鎧塚が傘木の事がダメなのか、忍には全く分からなかった。すると吉川は一つ大きな溜息をつき、観念した様に口を開く。
「……何もしなかったから、あの子は希美の事がダメになったの。希美が辞めて行った時、みぞれは何も聞かされて無かった。あの子にとって、希美は………」
その先を言おうとして、吉川は口籠ってしまう。
「おはよー」
すると、聞き慣れた声が聞こえる。2人とも咄嗟にその方向へと顔を向けると、中世古と部長の小笠原の姿があった。
「「おはようございます」」
慌てて忍と吉川も挨拶を返す。
「早いねー、まだ2人だけ?」
「いえ、中にみぞれがいるはずです」
小笠原の問い掛けに、吉川がそう返す。落ち着いた表情を見る限り、どうやら話は聞かれていなかった様だ。
「そっか、関西大会まであと少し、お互い頑張ろうね」
「「はい!」」
忍と吉川が返事を返すと、小笠原と中世古の2人は音楽室へと向かって行った。
「………ともかく、今みぞれと希美を合わせるのはまずいの」
2人が行ったことを確認すると、吉川は再び話を戻す。
「……もしかして、あすか先輩がかさみーの部活復帰に反対なのも……」
「うん、あすか先輩も気付いてるんだと思う」
そんな理由だったとは、忍は全く予想していなかった。それと同時に、あることを思い出していた。
『……それって、誰か1人の為に吹くだけでも良いの?』
合宿の時、救いを求める様な瞳でそう言って来た鎧塚。ならば、彼女にとってその相手とは……
「……複雑だねー。あの2人」
「………ほんと、そうね」
そう言う2人の表情は、明るいと呼べるものでは無かった。
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朝練が終わり、午前はパート練習や個人練に入る。忍は中庭の方で個人練をしていた。
鎧塚の事情を吉川から聞いたが、その事に構っている暇は無い。自分の課題もまだ残っている。その一つ一つを完璧に、自分の理想に近づく為に集中して吹く。
しかし、タイミング悪く、その少女はやって来てしまった。
「……やっぱ上手いね。アッキーは」
トランペットを吹く手を止め、忍はその声の方向へと顔を向ける。
「かさみー……」
少女、傘木希美は、少し悲しそうな表情をしていた。
「あすか先輩?」
「うん。でも、もう関西大会だから、今日で終わり。本番前に来ると、邪魔かなーって、夏紀とも話したんだ」
忍がそう聞くと、困った様に笑って傘木はそう返す。
「……そっか」
吉川から話を聞いたからか、忍は何処かやりにくそうにしていた。
「……えっとね、だから、アッキーにもお礼言おうかと思って……」
「お礼?」
傘木の言葉に、首を傾げる忍。
「うん、アッキーに『フルートが好きなら戻れば良いじゃん』って言われて、アタシ本当に気が楽になったの。……あすか先輩には認めて貰えなかったけど、アッキーに認めて貰えたってだけでも、良かったなって思ってんだ」
「そんな大層な……」
恩人の様な扱いをされているのが居心地が悪いのか、何処かやりにくそうにする忍。
「ううん、嬉しかったの。だってアタシにとって、アッキーは"憧れ"だから」
真っ直ぐ、忍を見据えて恥ずかしげもなくそう言い放つ傘木。
傘木希美にとって秋川忍は、"憧れ"だ。上手くて、自由で、あったかくて、寄り添う様な、そんな演奏。
何より心の底から音楽を楽しんでいる。そんな姿勢に、傘木は憧れたのだ。
「だから、最後にお礼だけ言っとこうかなって。……迷惑だったかな?」
「迷惑じゃ無いけど……」
尚もやりにくそうにする忍。普段なら調子に乗って天狗になるところなのだが、色々な感情が渦巻いている様だ。
「そう、良かった!ありがとね!それだけ言いたかったんだ」
そう言ってニコリと笑う傘木。その表情に、忍は何も返せなかった。
「あ、そう言えばみぞれ」
すると、悲しげな表情から一転、明るい表情に変わって傘木から続けてそんな言葉が出る。
「え、よろみー?」
「うん、あの子唯一のオーボエだから。今個人練してるのかな?」
「……多分ね」
「じゃあ、様子見てこよっかな?」
すると、軽い感じで傘木がそう言い放つ。
「え、今?」
「うん、なんか、感情込めて吹く様に言われてて悩んでるって。おかしいでしょ?あの子、性格は淡々としてるけど演奏はすごい情熱的で、感情爆発って感じだったでしょ?」
「……そうだね」
傘木がそう言うと、忍も同意する様に頷く。去年、傘木がまだ部活に居た頃は、鎧塚の演奏は上手い以上に魅力的な演奏をしていた。
それが、傘木が居なくなった途端、音に色が無くなった。淡白で、悲しげな音。理由は、明確だ。
なら、その殻を破るのは、この傘木希美と言う少女しか居ない。
「…………よろみー、多分2階の廊下で演奏してると思うよ?」
鎧塚が傘木の事がダメなのは、忍も理解している。しかし、それでもこの2人は会って、話をした方がいい。
直感的に、忍はそう感じたのだ。
「そうなの?じゃあ、ちょっと行ってみるね!」
最後にそれだけ言って、傘木はその場を離れる。そしてそれを追う様に、忍はトランペットを置いて傘木の後をついて行った。