響け!ユーフォニアム〜北宇治のスーパー自由人〜 作:キングコングマン
関西大会が終わり、夏休みももうすぐ終わる。
残暑と言うにはまだ早すぎる時期ではあり、茹だる様な暑さは変わらないが、それでも北宇治高校の校舎には楽器の音が響き渡っていた。
「うん、今のはいいんじゃ無いかな?」
「そう?けっこー苦戦した部分だからねー」
トランペットのパート練では、互いに音を聴かせ合う練習をしている。五月蝿い蝉の音に混じり、吉川と加部がそんなやり取りをしていた。
「……どう、かな?高坂さん?」
「テンポがズレない様に意識しすぎていて、音が単調になりすぎてます。もっと強弱を付けてください」
「……相変わらず辛口……」
一方こちらは、高坂と滝野。無表情で淡々とそう言う高坂に対し、滝野は苦笑いでそう返す。
教室には、1、2年生しかいない。中世古と笠野が居ないトランペットのパート教室は、何故だかやけに広く感じる。
しかし、部屋が広く感じる理由は、もう一つあるのだが……
「…………忍」
思い切り顔を顰めて、吉川は顔を教室の端に向け、鬱陶しそうな声でそいつの名前を呼ぶ。
「…………」
しかし、教室の端っこで縮こまる様に座っているそいつは無言を返す。皆に顔を見られない様に壁に向かって体育座りをしていた。
そんな男を見て、わざとらしく吉川は大きなため息を吐く。
「ハァ………何やってんのよ?」
「………人間辞めて、ゴミ箱になれないかなと思って」
消え入りそうな情けない声を出してその男、忍はそう言う。
「………なれそう?」
「………たぶん」
どうやら重症の様だ。吉川はもう一度大きなため息を吐くと、忍の方へと近付いていく。
「もう3日も経ってんじゃない。いつまで落ち込んでんのよ?」
「だって……」
「だってもクソも無いでしょ?いつまでもそんなんじゃ、香織先輩が気を悪くするじゃない?」
「………」
吉川の問い掛けに、忍は無言を返す。
「しょ、しょうがないですよ!誰だってミスする事はありますし!私だって何回もミスしますし!!」
すると、フォローをする様に、吉沢がそう言う。本来なら今日は吉沢と忍のペアで練習をする予定だったのだが、ご覧の有り様なので吉沢は困り果てていた。
「もう!アンタがそんな調子でどうすんのよ!ホラ!練習するわよ!!」
「い、嫌だ!!俺はもう少しでゴミ箱になれるんだ!!」
無理矢理教室の隅から引っぺがそうとする吉川に対し、忍は頑固にもその場を離れようとしない。
「もう!ほんっとに頑固なんだから!!」
梃子でも動かない忍に対し、困り果てた表情でそう言う吉川。
もう朝からずっとこの調子だ。
落ち込む気持ちも分からないではないが、それにしても異様な落ち込み様だった。
「ただいまー」
すると、教室に2人の生徒が入って来た。
「あ、香織先輩、沙奈先輩」
それに加部が反応する。教室に入って来たのは、3年生の中世古と笠野だった。
「3年生だけでって、何話してたんですか?」
滝野が2人に向かってそう聞く。今まで中世古と笠野は3年生だけで会議をやると言う事で、席を外していたのだ。
「うん、私たち、これから受験もあるしね。このまま"部活を続けるか"どうかの話し合い」
滝野の問いかけに。笠野がそう答える。
「え、このタイミングで辞める人なんて居るんですか?」
そして今度は、吉沢が心配そうに尋ねる。
しかし中世古は、すぐさま首を振った。……と言う事は……
「もちろん居ないよ。せっかく"全国"に行ったんだから。全員、全国大会が終わるまで部活は続けるって事になったよ」
中世古がそう言うと、ホッとした様に、皆胸を撫で下ろす。
北宇治高校吹奏楽部の結果は、金賞。そして全国大会出場。
結果だけ見れば素晴らしい成績だが、そこには少々"運"も絡んでいた。
関西大会の全プログラムを終え、関西大会に進めるのは2校は確定。あと1校は評価が割れると言った感じだった。
確定は明静工科と大阪東照。どちらも大阪の名門で、ほぼ完璧に近い演奏を披露した。この2校が、頭抜けて関西大会を突破したと言っても良いだろう。
そして問題はあと一校。秀塔大附属と、箕輪仰星。そして、我が北宇治高校。前の2校がミスなく演奏し切れていれば、北宇治の全国出場は無かっただろう。と言う事は、その2校が北宇治と同じくミスを犯したと言う事だ。
そしてここから、運が絡んでくる。
ミスを犯したタイミングだ。
12分間の演奏において、序盤の演奏と言うのは非常に重要となる。完璧に演奏すれば、そのまま流れに乗って行けるし、そこで一つでもミスを犯そうならば、その後の演奏がズルズルと崩れる事も大いにあり得る。
そして秀塔大附属と箕輪仰星の両校は、不運にも序盤でミスが出てしまった。
秀塔大附属はその後なんとか持ち堪えたが、箕輪仰星の方はその後演奏が崩れてしまった。
一つの演奏ミスで全体が崩れる事は、吹奏楽をやっていれば良くある。『ミスをした』と言う事実が演奏中に頭に重くのし掛かり、その後の演奏に集中出来ないのだ。一つの楽器だけがミスをしたとしても、それが連鎖の様に連なり、全体が崩れる。それが吹奏楽、しいては団体演奏での怖いところでもある。不運にも、それが関西大会で起こるとは誰にも予想が出来ない訳だが。
しかし、北宇治にとってはそれが幸運であった。
忍が音を飛ばしたのは、後半もクライマックスの部分。それまでは、完璧な演奏をしていた。もうあと少しで終わりかと言う部分でミスをしても、その後に崩れる事は無い。その前に曲が終わるからだ。
結果、大崩れになる前に北宇治の演奏は終了した。それが北宇治にとっての最大の幸運だっただろう。
「えっと……秋川君は何してるの?」
「ゴミ箱になるらしいです」
しかし、ミスを犯したと言う事実が消える事は無い。中世古が心配そうに尋ねると、呆れた声で吉川がそう返す。
中世古も最後の最後で忍が大ポカをかました事は知っている。パートリーダーであるからか、はたまた元来の性格からなのか、中世古はすぐさま忍に近寄る。
「なーにしてるの?秋川君?」
明るく、そして優しい声で中世古は忍に問い掛ける。流石北宇治1の人格者と言ったところであろうか、普通の人間ならその可憐な容姿と菩薩の様な性格に絆される筈なのだが……
「……香織先輩、俺はもうダメです。トランペットを吹く、いや、持つ資格すらありません……」
なんともネガティブな発言。壁に話し掛けている様だ。
いつもの様子とはかけ離れている忍の姿に吉川は心底呆れた様な表情になり、中世古は困った様な笑顔を浮かべる。
「誰だってミスはするよ。秋川君が上手いのは部員全員が知ってるんだから、次に向けて気持ちを切り替えれないかな?」
「……だって、一番いいところで音飛ばしたし……」
中世古は優しく問い掛けるが、忍の落ち込み様は変わらない。ここまでネガティブになっている忍を見るのも初めてなので、パートメンバーもどう対応していいのか分からない様だった。
「……俺、もうコンクールメンバーから外れます」
するといきなりの忍の発言に、その場に居た全員がギョッとする。
「そ、それは極端過ぎじゃないかな?内容はどうあれ全国大会に行けたんだから、もっと自信持とうよ?」
慌てた様子で、中世古がそう言うも、
「あそこでやらかした人間にどうやって自信持てって言うんですかー!!」
何を言ってもネガティブな返事が返って来る。なんだか拗ねている子供をあやしているかの様だ。
そんな忍に対し、遂に吉川のイライラは頂点に達してしまった。
「あーもー!!ウザい!!!つべこべ言わず吹きなさいよ!!!いつまでもウジウジされると気持ち悪いのよ!!!」
無理矢理に腕を掴み、強引に吉川は練習させようと忍を引っ張ろうとする。
「だから俺辞めるんだって!!!」
「じゃあなんで今日部活来てんのよ!!!」
「無理矢理連れて来させたの優子だろ!!!!」
そして喧嘩が始まる。そんな光景を、高坂は死んだ目で見つめていた。
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「ぷっ、ははははは!!」
「笑い事じゃ無いんだけど……」
夕方。駅のホームには、2人の少女が会話をしている。話を聞いた黄前が大きく笑うと、不服そうな顔で高坂がそう返す。
「あはは……あー、でもごめん、……ぷふっ、面白くって……」
まだ笑いが止まらないのか、黄前はただ口を抑えながら必死に笑いを堪える仕草をしている。
「でも、思ったより深刻じゃなくて良かったなーって」
少し楽観的とも取れる黄前の発言に対し、高坂はさらに不服そうな表情になる。
「……そう?アッキー先輩、辞めるとか言ってたけど」
「優子先輩が辞めさせないでしょ。と言うか、本当に辞める気だったらそもそも部活に顔を出さないと思うけどなぁ」
「そりゃ、そうだけど……」
黄前はそう言うが、高坂の表情は依然として険しいままだ。そんな彼女を見て、優しい口調で黄前は問い掛ける。
「麗奈はさー、アッキー先輩があの時ミスしたのを怒ってんの?」
自分が不機嫌な事をズバリ当てられて少し面を喰らうが、直ぐに高坂はいつも通りの無表情に戻る。
「……ミスした事には怒ってない。いつまでも引き摺ってるのが気に入らないだけ」
高坂麗奈は、まっすぐな人間だ。自分が高みに登るためには、後ろを振り返っている暇なんて無い。ミスをしても、その次に行くために前を向けばいいでは無いか。
そんな理路整然とした、彼女らしい考え方。しかし黄前は薄く笑う。
「……麗奈らしいね。……でも、アッキー先輩の気持ちも、よく分かるかも」
「久美子まで……」
どちらの味方にも付かない黄前に対し、高坂は少々眉間に皺を寄せる。
「アッキー先輩て、何故かみんなから人気なんだよね」
「……それが何?私とは正反対って言いたい訳?」
忍の部内の評価を持ち出す黄前に対し、高坂は少々顔を顰める。
「違うって。……アッキー先輩って、そういう意味ではすごい"人間っぽい"んだと思う。麗奈とかはちょっと浮世離れしてる感じで、"強い女性"って感じでしょ?だから"憧れ"とかは抱きやすいんだけど、身近には感じないんだよね」
「……悪かったわね。無愛想で」
黄前のなんとも直接的な物言いに、さらに不機嫌になる高坂。
「そうじゃ無いって。でも麗奈と比べてアッキー先輩って、どっか庶民的って言うか、なんか"共感"しやすいんだよね。ミスしてそんだけ落ち込んでるのもそうだし、そう言う"弱い"ところを曝け出せる人って、結構私は魅力的だと思うな?」
部室内での出来事を思い出す様に、黄前は呟く様にそう言う。
忍の本質は、"自然体"と言えば良いだろうか。基本的に自分を取り繕う事が無いので、リーダーシップが無くとも周りから信頼を集めやすいのだ。
『この人には裏が無いんだろうな』と思わせる自然体の魅力。それが秋川忍と言う1人の人間性だった。
「……そうかな?」
しかし高坂はそれが理解できないのか、微妙な顔つきでそう返す。
「うん、だからアッキー先輩が嫌いって言う人は居ないし、あの時皆の前で優子先輩をビンタしても、受け入れられてるんじゃないかな?」
この物事を俯瞰から見れる能力は、黄前の特徴と言って良いだろう。同じユーフォにそう言う先輩が居るからか、結構的を射た分析であった。