響け!ユーフォニアム〜北宇治のスーパー自由人〜 作:キングコングマン
「…………秋川君」
「………はい」
合奏練習。音楽室、もうこれで何回目だろうか、演奏を止めた滝先生は忍を射抜くように見つめる。
「……さっきと同じ箇所です。これで3回目ですよ?貴方の実力はこんなものでは無いはずです」
「………」
滝先生の淡々とした問い掛けに、忍は無言を貫く。音楽室では、視線が忍一点に集まっている。驚きや、心配がる様な眼差しを向ける者ばかりだ。
忍の状態は、最悪と言って良かった。下手なのでは無い。集中し切れてないのである。吹けば吹く度に音の荒さが目立ち、その度に滝先生が演奏を止める。
こんなにも演奏を止められるのは、コンクールに向けての練習をし始めた頃以来では無いかと言うほどであった。
合奏練習で名指しで注意されるのは、割と屈辱的な事だ。それがプライドの高い者となると、その悔しさは人一倍強くなる。
俯き気味で滝先生の注意を聞く忍の表情は、無表情ではあるが必死にその顔を作っている様にも見えた。
「もう一度、前の小節からです。全国に行けたからと言って、ここで終わりではありません。ここで気を抜けば、全国の舞台で北宇治は恥を晒す事になります。そうならないためにも、「先生」
すると、滝先生の言葉を遮る様に、忍が声を上げる。
「……はい、なんでしょう?」
「……個人練、行ってきて良いですか?」
忍のその言葉に、音楽室が少々騒つく。よく自由人と言われる忍ではあるが、滝先生が赴任してきてからは合奏練習に出ない事などなかったからだ。
「……理由は、ありますか?」
「今のままだと合奏練習にならないからです。集中出来てないメンバーが居ても邪魔なだけでしょ?……少し、頭でも冷やして来ようかと」
冗談めいて忍はそう言うが、表情は暗いままだった。それを見て、滝先生は少し考える様に黙り込む。
「………分かりました。落ち着いたらで良いので、自分が良いと判断したら合奏練習に合流して下さい」
「ありがとうございます。……じゃあ、ちょっくら外で吹いてきます」
いつも通りを装って、忍は楽譜台を持って逃げる様に音楽室から出て行く。そんな背中を、部員達はじっと見つめている。
「やっぱあんときミスしたからかなー?」
「まあ、ちょっとしたら元通りになるんじゃ無い?アッキーだし」
アッキーの事だ。いつかはひょこっといつも通りに吹いている事だろうと。そんな楽観的な空気が、音楽室には流れていた。
ただ1人、吉川優子を除いて。
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「……ただいまー……」
いつもより勢いの無い弱々しい声で、忍は家の扉を開ける。見るからに調子は良くないが、無理も無い。
今日は一日中あんな調子だったので、演奏どころでは無かった。合奏練習でもミスを連発し、滝先生にも何度も注意された。
個人練なら誰も居ないから集中出来るだろうと思ったが、それもダメ。まさに八方塞がりと言った感じであった。
「あー………」
トランペットケースを置き、学生バッグを放り投げ、それと同じ様に自身の身もベッドに放り投げる忍。
こうも上手くいかないのがストレスになるものかと。
うつ伏せの状態でズボンのポケットから取り出したスマホの画面をなんとなしに見てみると、自転車に乗ってる間に掛かって来たのか、着信履歴が一件あった。
「……うっわ、まさっちじゃん」
こう言う時はメールで済ませてくれないだろうか?そんな内心も含まれているかの様に、忍はそう呟く。
しかし無視するわけにもいかないので、すぐさま忍は折り返し篠田に電話を掛ける。
「……もしもし?まさっち?」
『あー、忍?良かった。ショックで電話に出れんレベルになっとると思うたわ』
開口一番、突き刺さる様な篠田の物言いに、苦笑いになる忍。
『とりあえずはおめでとうや。関西大会。途中からしか北宇治の演奏聴けんかったんやけどな』
「……聴いてくれない方が嬉しかったんだけどなぁ」
『だはは!そんな事を返せる余裕があんならまだ大丈夫や!」
電話越しの篠田は明るい口調だ。しかし、彼なりの励ましだと思うと、忍の口元も少し緩んだ。
『ああ言うのは何処の高校でもあり得る。もちろん、
「……でも、ミスしたのは俺で……『まあ聞けや』
忍が弱音を吐く前に、篠田は言葉を被せる。
『……忍がそない落ち込んどる言うんは、その分練習しよったっちゅう事や。……俺も本番でミスった事があるさかい、気持ちは分かる。でもそればっか思い出しよると、音が出んようになるんや』
「………」
篠田の言葉に、忍は黙って耳を傾ける。今日一日、集中とは程遠いコンディションで忍は演奏した。分かっている。忘れたくても、頭の何処かではあのミスがチラついて来るのだ。
『……忘れろとは言わん。でも、忘れるぐらい目の前の音楽に集中せんと、沼にハマって抜け出せんようになるで』
電話越しに聞こえる篠田の声は、いつの間にか真剣なものへと変わっていた。それに忍も「……うん」と、一言だけ返す。
『言いたい事はそれだけや!ほいなら、電話切るで!』
「あ、ちょ!まさっ!……切れた……」
忍が礼を言う前に、篠田からの通話が途切れる。相変わらず嵐の様な彼に、忍も困った様に微笑んだ。
「………兄ちゃん?」
すると、部屋の入り口から声が掛かる。忍が振り向くと、少し心配そうな顔をした凛花が居た。
「あー、ごめん凛花。今日俺が飯の当番だったな」
すぐさまスマホをポケットにしまい、忍はベッドから立ち上がろうとする。
「あー……いいよ。今日アタシが作っといてあげるから」
すると、少し照れも混ざった様な、何とも言えない声で凛花はそう言う。
「……気い遣ってくれてんの?」
「そのとーり。兄ちゃん、昔からトチると凹むでしょ?だから、妹であるアタシがフォローするのだ」
そんな照れを隠す様に、凛花はひょうきんに、冗談っぽく腰に手を当ててそう言う。
「……うっせ。凹んでねーし」
吐き捨てるように忍はそう言うも、表情にはちゃんと出ていた。それを見て、凛花はニンマリと笑顔になる。
「顔に出てんの。ともかく、今日はアタシが作るから、兄ちゃんはベッドで泣いてていいよ?」
「今ここで泣いてやろーか?」
いつも通りの会話。そんなやり取りを交わし、凛花は少し安心するのだった。
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「………なんでアンタが居んのよ?」
「いいでしょ?アタシもポテト食べたかったんだし、それに、アンタに聞きたい事もあったしねー」
一方、こちらは学校からほど近いファーストフード店。そこでは、珍しい組み合わせが見られた。
いや、いつも会話はしているのだが、この様に学校帰りに友達の様な事をしているのが珍しいだけである。
互いに席に座ると、会話を切り出したのは頭に大きなリボンを付けた少女だった。
「で、聞きたい事って何よ?」
その少女、吉川が面倒臭そうにそう言う。
そしてもう1人、少女は気怠そうな手つきでポテトを一つ口に頬張ると、吉川に目を向ける。
「……アッキー、ダメそう?」
その少女、中川夏紀の問い掛けに、少し吉川の顔が強張る。
「……ダメって、何よ?」
「そのまんまの意味。……あんなに外すアッキー。アンタも見た事ないでしょ?パート練ではどうだったのかなーって」
「……なんでそんな事アンタに言わなきゃいけないのよ?」
こんなこと言われる筋合いは無いと、吉川は顔を顰めてそう返す。しかし、中川は更に視線を強くした。
「アッキーの手綱握れんの、アンタだけでしょ?アンタがフォローしてやんなきゃ、誰がアッキーを立ち直らせんのよ?」
「………」
中川の問い掛けに、吉川は少し考える。
分かっている。と言うか、そうであるべきだと、吉川自身も思っている。
秋川忍を立ち直らせるのは、自分しか居ないと。
だが吉川の中には、一つの懸念があった。
「……分かってる。分かってるけど、正直私もどうしたら良いのかあまり分かって無いのよ」
「はぁ?」
珍しく弱気な事を言う吉川に対し、中川は呆けた様にそう返す。
「……どっかで私も楽観視してたんだろーね。"あの秋川忍が壁に当たる筈が無い"って」
「……だからアンタが…「だから分かんないのよ」
中川が皆まで言う前に、吉川は声を被せる。
「アイツが落ち込んだところなんて見た事無いから、どんな声を掛ければいいのか分かんない。優しい言葉を掛ければいいのか、それともケツを叩いて無理矢理立ち上がらせればいいのか。どっちもやってみたけど、どれも違う様な気がしてね」
「………」
独白の様にそう語る吉川に対し、中川は何も言えなくなってしまう。
「アイツの事一番知ってるのはアタシだと思ったけど、まだまだ知らないことばかりね」
そして、自虐する様に吉川がそう言う。しかし、表情を見るとそんなに悲観的でも無かった。普通なら自分の好きな人が悩んでいると悲観的になるものだが、吉川の様子を見る限りどうもそんな感じでは無い様に中川は感じた。
「……あまり、ショックじゃ無さそうだけど?」
恐る恐るだが、中川はそう聞く。
しかし、次の吉川の言葉でその理由を知る事となる。
「え?だって今まで知らない一面が見れたじゃない。どっちかっていうと、私は嬉しいかな?」
当たり前かの様に、吉川はそう言い放つ。知らない一面が見れて、嬉しいというのは分からないでもないのだが……
「うっわ、彼氏が悩んでるのにそういう事言う?」
状況が状況だ。好きな人が苦しんでるのを見て喜ぶとはこれいかにと、中川はそう返す。
「それとこれとは話が別。もちろん立ち直らせるわよ。今はどうすればいいか分かんないけど、絶対に忍には立ち直ってもらう。……それが私の役目って訳じゃ無いけど、私にしかそれは出来ないと思ってるから」
「……出来るの?」
「出来るじゃくて、するの。私の全部を懸けてでも、忍には立ち直ってもらうわ」
決意を持った眼差しで、吉川はそう言い切る。
その言葉を聞いて、中川は遂に理解した。
吉川優子にとって、秋川忍は自分の全てを捧げてもいいと思える程の存在なのだろうと。
そして、忍は絶対に立ち直ると確信に満ちた"信頼"を寄せているからこそ、この状況でも彼女は悲観的になっていないのだ。
「……アンタ達って、何か互いに重いよね」
「はぁー!?なによそれ!?」
『全てを懸ける』なんて言葉がスラリと出て来る辺り、この言葉がピッタリなのだろう。しかしそれ程信頼し合える関係だと思うと、
少しだけ羨ましく感じる中川であった。