響け!ユーフォニアム〜北宇治のスーパー自由人〜 作:キングコングマン
「……どう?」
「……良くなって来たけど、まだまだダメ。ピッチが安定してない」
吹き終えた忍がそう聞くと、吉川からズバッと斬られる様な言葉が返ってくる。
パート練では、吉川が付きっきりで忍の様子を見るような形になっていた。1対1の聴き比べの練習も、吉川と忍のペアは固定されている。
何故なら、この様に忍の演奏に対して本心で評価を下すのは、吉川しか居なかったからだ。
他のパートメンバーも、忍の本来の実力が高い事は知っている。だからこそか、スランプに陥った忍の前で遠慮して本心を言えないのだ。
「忍、吹いてる時って、やっぱり関西大会の事思い出すの?」
しかし、吉川には遠慮が無い。それは忍のスランプを本気でどうにかしようと考えてるからだろうか、自らの本心をぶつける様に忍と接している。
だが、忍としてはそれは一番ありがたい事だった。
「……そうなのかな?……分かんないけど、最初は大丈夫なんだけど、難しいところになってくると、……なんて言うか、『ミスしちゃいけない』って思う様になるのかな?すごい緊張すんだよね」
悩みを共有してくれる人間が居ると言うのは、当事者からすればかなり心強い。変に気を遣われるよりも、一緒に解決に向かおうとしてくれている人が居るだけで、忍も本心を曝け出す事が出来た。
「……そっか……じゃあ、気分転換に他の曲でも吹いてみる?」
「……吹けるかな?」
少し不安そうな表情を見せる忍に対し、吉川は忍の肩をポンと叩く。
「吹く前から弱気になってどうすんのよ?ダメだったらまた別の方法探せば良いでしょ?」
真っ直ぐ忍の顔を見据えて、吉川はそう言う。
この言葉は、最近の吉川の口癖にもなっていた。スランプ脱出の糸口はまだ模索中だが、それを悲観的に捉えまいと、自分自身も奮い立たせる様な言葉だ。
「……うん、やってみる」
そんな気持ちに充てられてか、忍も再びマウスピースに口を付ける。
まだまだ暗いトンネルから抜け出すのには、時間がかかりそうだ。
_____________
「……はい、音合わせはこれくらいにしとこっか?午後から合奏練習だから、今からお昼ごはんまで個人練にしようと思うんだけど、いいかな?」
中世古の問い掛けに、パートメンバーは一様に「はい」と返事を返す。
今日は休日。朝一番からパート練で吹き続け、今は午前10時を周ったところだ。ここから昼飯の時間まで個人練習と言うのが、今日の練習プログラムだ。
「俺、外で吹いて来ます」
「うん、頑張ってね」
忍がそう言うと、中世古はそれだけ返す。すぐさま忍は楽譜台とトランペットを持って、パート練の教室から出て行こうとする。
そしてそれを追う様に、吉川も立ち上がるが……
「あ、優子ちゃん。ちょっと良い?」
中世古に呼び止められた。
「はい?何でしょうか?」
何か伝達事項でもあるのだろうか?中世古は吉川を手招きする。それに従う様に吉川が近づくと、周りに聞こえない様にする為か、吉川の耳に顔を近づけた。
「今日は、秋川君一人で吹いてもらった方が良いかも」
小声で中世古がそう言うと、吉川は「え?」と言う素っ頓狂な言葉を返す。
「……優子ちゃんが秋川君を心配するのは分かるけど、偶には一人で吹かせてあげても良いんじゃないかな?……最近優子ちゃん、ずっと秋川君に付きっきりでしょ?」
「そ、そんなんじゃ……」
中世古の言葉に自覚が無かったのか、少し恥ずかしそうな表情を浮かべる吉川。
ここ最近、吉川が忍のスランプをどうにかしようと奔走しているのは、中世古も見ている。
しかし、それも行き過ぎると、今度は逆に忍にプレッシャーを掛ける事になりかねないと、中世古は危惧していた。
スランプ時のメンタリティと言うのは本当に複雑で、絶妙なバランスを保たないと、途端に悪化する。
________これだけ親身になってくれているのに、自分のスランプは一向に良くならない。これでは申し訳が立たない。
そんな自己嫌悪に忍は陥るのではないかと、中世古は心配しているのだ。
「……優子ちゃんが色々やってくれてるのは、秋川君が一番分かってると思う。実際、それで秋川君が助けられてる部分はかなりあると思うよ。……でも、偶には秋川君自身の事も信じてあげないと」
中世古香織は、トランペットのパートリーダーだ。一番パートの状況を俯瞰的に見れるのも彼女だ。
そんな中世古の言う言葉には、説得力があった。
「………分かりました」
渋々と言った様子だが、中世古の言いたい事がちゃんと伝わったのか、素直に吉川は頷いた。
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屋上では、忍があーでもないこーでもないと、難しい顔をしてトランペットを吹いていた。
1フレーズ吹いては納得いかず吹き直し、また納得いかず吹き直し……そんな事を繰り返していた。
「悩んでるねー!青少年よ!!」
すると、真後ろから声が掛けられる。いきなりの大声で少し驚くも、忍は声の方向へと顔を向ける。
「橋もっさん……」
再会で言えば、半月ぶりぐらいだろうか、相変わらずラフな格好をした橋本先生がそこに居た。
「滝君に聞いたよー。スランプだってねー」
「……ええ、絶賛スランプ中です」
相変わらずの橋本先生に対し、困った様に笑って忍も返す。
「今日は午後から合奏練習を見る予定だったんだけどね。早めに来れそうだったから来てみたんだけど、どうやら正解だったみたいだねー」
「?、なんでですか?」
「滝君に頼まれたんだよ。秋川君の様子を見てくれって。丁度個人練をやってる様だったから、本当に良かった」
あの時吉川と話した後、滝先生はすぐさま橋本先生に連絡していた。
橋本先生自身、忍に早々と音大を薦める程には彼の事を気に掛けている。ならばと休日に空いた時間を見つけて、こうして忍の前にまで来てくれたのだ。
「秋川君は、何がスランプの原因だって、自分自身で分かってる?」
真剣な顔で、橋本先生はそう聞く。対して忍は難しい顔をして、考える様に少し俯く。
「………キッカケは、多分関西大会です。あの時盛大にミスをしましたから。……でも、今は演奏してる時にその事がチラつく事は無いんです。だから何でこんなに上手く吹けないのか、自分でもあまり分かってないんです」
素直に、忍は橋本先生に対してそう答える。
橋本先生も腕を組んで、考え込む様に「うーん……」と唸る。
原因。それをどうにかしない限り、スランプからは抜け出せないと橋本先生は考えていた。
しかしスランプの原因になった出来事は、忍の頭の中にはもう無いと言う。忍自身が自覚してないだけとも捉えられるが、彼の様子を見る限り、そうでは無い様に橋本先生は感じた。
なので、橋本先生は一つの提案をする。
「……分かった。取り敢えず、今から吹いてもらう事って、出来るかな?」
スランプ中の人間に人前で吹かせる。
本来ならあまり良い事では無いが、それを見る事で、何か解決策があるかも知れないと橋本先生は考えたからだ。
「あ、はい。良いですよ?」
対して忍は、なんともない様に軽く返事を返す。それに橋本先生は意外そうな反応を見せるも、すぐに元の表情に戻った。
「じゃあ、……そうだね。辛いかも知れないけど、今自分が一番上手く出来てないと思う部分を、吹いてもらえるかい?」
「……はい」
橋本先生の提案に少し間を置くも、返事を返す忍。そしてマウスピースに口をつけると、そのまま演奏を始めた。
________♪ー♪ー、♪♪ー♪________
出だしは、悪くない。
それが橋本先生が聴いた、忍の演奏の第一印象。ピッチも安定しているし、リズムも悪くない。
しかし、何かが足りない。
合宿に聞いた時の様な、心に来る何かが全く感じられない。そんな違和感を抱きながら、橋本先生は忍の演奏に耳を傾ける。
________♪、♪♪♪ー♪♪_________
そして、演奏は連符の、難しいパートに入って行く。ここから、徐々に徐々に、音が乱れ始めて来た。
それを聞いて、橋本先生は段々と顔を歪ませる。
音が乱れるだけなら、まだ良かったのかも知れない。しかしそれ以上の問題を、橋本先生は見つけてしまった。
______♪、♪……♪……♪♪♪……______
音に、全く自信が感じられない。
合宿所で聴いた様な堂々とした音が、見る影も無くなっている。
今の忍の演奏に感じるのは、"自信"では無く、"不安"と"緊張"。恐る恐る吹いてる様な、そんな演奏。
関西大会前からのあまりの豹変ぶりに、橋本先生は手を前に出して忍の演奏を途中で止めさせる。
「………ありがとう。……辛い思いをさせたね」
「……いえいえ、ここ最近はずっとこんな感じですから」
自虐的な笑みを浮かべて、忍は橋本先生にそう返す。
予想以上。と言うのが、橋本先生の正直な感想だった。プロとして活動して来て、何人かのスランプを見て来たが、ここまで調子を崩す人間は本当に珍しい。
しかし同時に、忍に対する"共感"も橋本先生の中に芽生えていた。
「………僕もね、ある時期にスランプになった事があるんだ」
「え、橋もっさんがですか?」
意外そうな表情で忍がそう言うと、橋本先生は感慨深く頷く。
「自分の思った通りに叩けないんだよ。……頭の中では完璧なんだけどね」
「………」
橋本先生の言葉は正に自身に当てはまるのか、忍は考え込む様に俯いて無言を返す。
症状としては、忍も同じだ。頭の中でのイメージでは完璧なラインを描いているのに、それに指や息が付いて行かなくなる。結果、指や息づかいばかりに意識が行ってしまい、さらに演奏が乱れる。
「……橋本先生は、どうやって克服したんですか?」
そんな状態から、どうやってスランプを克服したのか。忍は真剣な表情でそう聞く。
「……僕の場合は、ひたすら叩いたよ。……もちろん苦しかったけど、本当にそれしか方法が無かったからね。……でも、一つキッカケはあったかな?」
「……キッカケ?」
思い出を語る様に、橋本先生は呟く様にそう言う。そして、続けて先生が発した言葉に、忍の心臓が一つ、大きく跳ねる。
「……秋川君は、"原点"って意識した事ある?」
「原点……」
原点。
それは、何故トランペットを始めたのか。何故始めようと思ったのか。
『……かあちゃん、それなにしてんの?』
『んー、これ?これはね、トランペットって言うの』
記憶の片隅にある、母親とのやり取り。そんな事を、忍は思い出していた。
そして、橋本先生は言葉を続ける。
「うん。僕がパーカス始めた理由って、情け無いけど"なんとなく"だったんだよね。でもスネアやティンパニ叩いてると、どうも気分が良くなってさ、気付いたらハマってたって感じ。そんな事を思い出しながら叩いたら、いつの間にかスランプじゃ無くなってたかな?」
誰でも最初は楽しく、面白そうに楽器に触れる。それが幾ら下手であってもだ。
その時を思い出せるかどうか。それが、橋本先生にとってのスランプ脱出の糸口だったのだ。
「……そうですか……」
忍は考える。確かに、吹き始めた最初は忍もその気持ちだったのかも知れない。でも、それはもう10年以上も前の出来事だ。その時と比べて、心は随分と大人になっている。自分が5歳の時の感情を思い出せと言うのは、案外難しいのだ。
「忍ーー!!お昼ーー!!」
すると、屋上の入り口から名前を呼ぶ声が聞こえる。二人してその方向へ顔を向けると、吉川が片手を上げてこちらに手を振っていた。
どうやらもうそんな時間だったらしい。
「……ありがとうございます。参考になりました」
忍はそう言って橋本先生に対し一礼する。それに対し橋本先生はポンポンっと2度、忍の肩を叩いた。
「また何か聞きたい事があったら、いつでも聞いて来ていいよ。……一応、これ僕の電話番号」
そう言って、橋本先生はポケットから自身の電話番号が記されたメモ用紙を出して、忍に渡す。
「……ありがとうございます。また相談します」
そう言って、忍は再び橋本先生に頭を下げる。
"原点"。橋本先生から言われたこの言葉が、今後の忍に大きく影響される事となる。