響け!ユーフォニアム〜北宇治のスーパー自由人〜 作:キングコングマン
9月。夏風邪、と言うには時期的に過ぎているのだが、それでも人間。いつ体調を崩すかは分からない。
ましてや前日に大雨を大量に浴びたのならば、そのリスクは高くなって然りだろう。
「けほっ、けほっ………」
ベッドの上、1人の男がへばっている。
顔は紅潮して額には冷えピタのシートが貼ってあり、正に病人ですと言った様子だ。
「とりあえずアタシ学校行くけど、今日は安静にしときなよ?」
飲み物やゼリーをベットの前に置いて、凛花はベッドで寝ている男、忍にそう伝える。対して忍は「うん……」と、力無く一言だけ返した。
「トランペットは学校の帰りに交番に寄って聞いてみるから」
「うん」
「おとーさん今日半勤だから、多分2時くらいには帰って来るから」
「うん」
ボーッとする頭で、凛花の説明に適当に返事を返す忍。
あからさまに元気がない姿を見る限り、本当に体調が悪そうだ。
「じゃあ、ちゃんと寝てなよ?」
最後にそう言って、凛花は忍の部屋から出て行く。
風邪を引いた時の一人きりと言うのは、どうにも心細いものだ。シンと静まり返った部屋の中は、弱った体に追い討ちを掛けるように不安も覚える。
「けほっ、けほっ……あー……しんど……」
一言呟いて、そんな不安を紛らわせるように忍は布団の中に潜り込んで行く。
スランプに風邪っ引き。ここ最近は正に踏んだり蹴ったりの忍だった。
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月曜日と言うのは、どうにも心が沈んで行く。
これから5日間、社会の一員として会社、はたまた学校へと赴かなければならないからだ。
「ふぁ〜……」
そんな月曜朝の通学路。校門の前では、気怠そうに中川が大きな欠伸をかましながら歩いていた。
ここ最近は全国大会に出場が決定したからか、部内でもどこか緩い雰囲気が漂っている。御多分に洩れず、中川自身もどこか気が緩んでいた。
「んお?あれって……」
そんな中川の前に、見知った少女の後ろ姿が目に入る。そこまで背は大きくないが、頭にデカデカと飾られているリボンは存在感を出すには十分過ぎるものだ。
悪どい笑みを浮かべると、中川は気付かれないようにその少女の背後に忍び寄る。そして背後から少女の耳に口を近づけると……
「………フッ」
耳元に、軽く息を吹きかけた。
「…………あれ?」
しかし、全く反応がない。
普通の人間、ましてや目の前の少女ならいつも良いリアクションをしてくれるのだが、今日は全くの無反応。
「ちょ、ちょっとー?挨拶してんだけどー?」
困惑気味に中川は少女に話し掛ける。その声でようやく気付いたのか、少女はゆっくりと中川の方へと顔を向けた。
「!?、ちょっとアンタ!なんなのその顔!?」
少女の顔を見た中川はギョッとする。
目の前には目元にくっきりとクマが残り、明らかに顔色が悪い吉川の姿があった。
「あぁ、アンタか……」
「アンタか、じゃなくて!!」
いつもなら絶対に聞くことのない低い声で応える吉川。
……いつも気丈な吉川がこんな状態になる原因なんて、一つしか思い当たらない。
「……アッキーと、なんかあったの?」
「………関係ないでしょ?」
「……とりあえず、こっち来な」
本当に顔に出やすくて助かる。一瞬で察した中川は吉川の手を引っ張って、校舎裏の方まで歩みを進めた。
「………なによ?」
「なによじゃないよ。……アンタ、昨日何かやらかしたの?」
校舎裏、中川は真剣に吉川を見つめ、事情を聞こうとする。
「………何もないわよ」
「嘘。アンタの顔見たら誰だってなんかあったって分かるよ」
「……………」
突き刺すような中川の言葉に、吉川は無言を返す。
本当にいつもと違い過ぎる。この前『絶対に立ち直させる』と息巻いていたあの気概は何処へ行ったのか。
落ち込みようとしては、ソロパート事件で忍がビンタした時以上に中川は感じた。
「……黙ってちゃ分かんないでしょ?いつもの威勢は何処に行ったの?」
「…………」
優しく問いかけるも、吉川は俯いたままだ。
本当に何があったのか。遂には中川まで困惑の表情を浮かべた。
________キーン、コーン、カーン、コーン_________
「ああもう!なんてタイミング!」
中川としてはまだまだ聞きたい事が山ほどあるのだが、それを嘲笑うかのようにHRのチャイムが鳴る。
「………とにかく、昼休みになったらまたアンタの教室行くから!」
それだけ言い残すと、中川は吉川に背を向けて教室の方へ歩いて行った。
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「………え?、来ないって、どう言う事ですか!?」
「………優子ちゃんなら分かるでしょ?」
後悔。
それは誰しもが経験するものであろう。あの時、ああしておけば良かった。あの時、違う選択肢を取っていれば良かった。
しかし後悔する頃にはもう後の祭りで、そこ残るのは自責の念しか無い。
「……さっき、先生から秋川くん部活辞めたって……」
「そんな………」
パート練習の教室。諦めた表情で中世古がそう言うと、吉川の顔が悲痛に歪む。
吉川優子にとっての後悔。それは……
「………冗談じゃ無いわよ。アタシ達になんも言わないで、勝手に居なくなるとかありえない!」
悲痛な顔を怒りの表情に変化させ、吉川はそう言う。まだ入部して半年も経っていないのだ。あの事件が原因であるのは分かりきっているが、それでも勝手に居なくなる事については吉川は納得が行かなかった。
「絶対に連れ戻してやる……!!!」
「ちょっと優子ちゃん!?」
中世古が止めようとするも、吉川は聞く耳を持たずパート練習の教室から出て行った。
昇降口まで走り、吉川はキョロキョロと辺りを見渡す。しかし、目当ての人間は居ない。下駄箱を確認すると、まだ靴が入っていたので校舎内には居るのだろう。
ここで待ち伏せしようか。そう思った直後だった。
「あれ?、吉川じゃん」
吉川は声のした方向に、咄嗟に振り向く。
そこにはいつも通りの忍の姿があった。あまりにも落ち込んでいる様子がなかったので一瞬呆けたような表情になるが、すぐさまキッと睨むように忍を見つめる。
「………アンタ、部活は?」
「あれ、香織先輩から聞いてない?俺辞めたよ?」
あまりにもあっさりと忍は言い放つ。それを聞いて、吉川は心臓が締め付けられるような感覚になった。
「………ホントに辞めるの?」
なんとか言葉を捻り出すように、震え声で吉川は尋ねる。
「うん、辞めるよ。あそこに居てもつまんないだけだし」
しかし吐き捨てるように、心底興味が無さそうに忍は言い放つ。
「…………」
そんな忍の態度に、遂に吉川は言葉を詰まらせてしまった。
どんな言葉を掛ければ良いのか。どうやって部活に引き留めれば良いのか。吉川には何も思い付かなかった。
「……もういい?じゃ、俺帰るから」
最後にそう言って、忍は吉川の横を通り過ぎて行く。遠くなって行く忍の背中を見つめ何も言えないまま、その場で立ち尽くすしか無かった。
これが、吉川優子の後悔。
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「授業終わったぞ」
「…………んえ?」
呆れたような声と共に、吉川は目を覚ます。
「……次やったら欠席にするからな。部活が厳しいのは分かるが学生の本分は勉強だ。勘違いするな」
「あ、はい。……すみません……」
社会科の先生に小言を言われ、まだ起き切ってない声で謝る吉川。……どうやら最悪の夢を見ていたようだ。時間はもう昼休みになっている。
一通り言いたいことを言い終えて先生がその場から去ると、吉川は再び机に突っ伏した。
「ちょっと、起きなよ」
すると、吉川の耳に聞き慣れた声が入って来る。
喧しいと思いつつ、渋々と再び吉川は顔を上げた。
「………何よ?」
思い切り顔を顰めて、話しかけて来た中川に嫌悪感を隠そうともせず睨め付ける。
「……アッキーの教室、行くよ」
「……行かない」
「いいから、行くよ」
「ちょ、ちょっと!」
渋る吉川を無理やり立たせ、中川は吉川を教室の外に出す。
「は、離しなさいよ!」
「嫌。アッキーに合わせるまで離さない」
嫌がる吉川を無理やり引っ張って、忍の教室まで歩く。ここまで強情な中川も珍しい。しかし、このままではダメだと言う直感的な衝動が中川の中にあった。
そして2年3組の教室の前まで一旦来ると……
「アンタ、ちょっとここで待ってなさい」
そう言って中川は3組の教室を見渡す。しかし、目当ての人間は居なかった。
「ちょっと滝野!いい?」
そして中にいた滝野に中川は声を掛ける。思いもよらない人物の登場に、滝野は目を丸くしていた。
「珍し。何?」
「アッキーどこ?」
中川がそう聞くと、滝野は困った様な表情を浮かべた。
「それがなあ、休みなんだよ」
「はぁ?休み?」
予想外の滝野の言葉に、中川は素っ頓狂な言葉を出す。
「ああ。風邪だって。こっちからも何回も電話してんだけど、繋がんなくてさー。中川は何か知らない?」
「いや、知らないけど……」
吉川と会わせて絶対事情を聞いてやろうと息巻いていたので、中川は肩透かしを食らった様に、困惑の声を返す。
「うーん、分かった。ごめんね。いきなり来ちゃって」
「べ、別にいいけど………」
滝野にそれだけ言い残すと、中川は教室を出て行く。
絶対何かあった。そう確信した中川は、教室の外で待ってた再び吉川の手を掴んだ。
ここでは、人が多過ぎる。
「………ちょっと来な」
聞きたいことや話したいことは山ほどある。ともかく人気の無い場所を目指して、中川は吉川の手を引っ張っていった。