響け!ユーフォニアム〜北宇治のスーパー自由人〜 作:キングコングマン
吉川優子と言う少女は、それはもういい反応をしてくれる。
背後から忍び寄り、ツンと背中を突いたり、耳元に息を吹きかける度に聞いたことのない様な情け無い声を出す。そんな反応が面白いものだから何度もそれを繰り返してしまうのだ。
しかし過去に一度だけ、何の反応も示さなかった事がある。
落ち込んでいるのは分かっていた。何せあんだけ騒ぎになって、そのまま辞めていったのだ。周りも気を遣ってか、吉川に喋りかけようとする人間は殆ど居なかった。
だがそれを無視できないのが、中川夏紀と言う少女の性分だろう。
その日もいつものように背後から近づいた。
「________ふっ」
耳に息を吹きかけるが、反応は無い。
「あ、あれ?反応なしですかー?」
そう問いかけるも、吉川は反応するどころか中川の声に耳を傾けようともしない。
そして横から吉川の表情を見ると、中川は言葉に詰まってしまった。
何も声を掛けられなかった。
今の吉川にどんな言葉を掛ければいいのか、分からなかった。
結局、時間が経つにつれて吉川は元気を取り戻していったが、中川の中にはあの時声を掛けられなかったと言う事実が、しこりの様に胸に残っていた。
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「………アッキー、風邪だって」
「………そう」
誰も居ない屋上へ続く階段。中川がそう言うと、吉川は俯いたままその一言だけ返す。
中川の表情は真剣そのもの。あの時声を掛けられなかった後悔があるからこそ、今の吉川を中川は放っておけないのだ。
「そうって……はぁ……お見舞いに行かないの?」
「…………行ったって何も変わんないわよ」
普段の吉川からなら絶対に出ないであろう言葉が飛び出す。そんな彼女の姿を見て、中川の眉間に少し皺が寄った。
「何も変わんないって……アンタねぇ、あん時『絶対に立ち直させる』って息巻いてたじゃん。嘘だったの?アレ」
「………………」
突き刺す様な中川の問いかけに、吉川は無言を返す。しかし彼女の表情を見て、やっぱり忍との間に絶対何かあったんだろうなという事は中川にもすぐに分かった。
「………ケンカしたの?」
「………そんなんじゃ無いわよ」
ケンカじゃ無いならなんなんだろうか?事情を知らない中川は益々困惑の表情を浮かべる。
「……黙ってちゃ分かんないでしょ?本当に何があったの?」
意地でも何があったのかを言おうとしない吉川に対し、中川は問い詰める様にそう言う。
「………アンタには関係無いでしょ?」
「関係ないね。でもほっとけないよ。アッキーをどうにか出来んのは、アンタしか居ないんだから」
真っ直ぐ、吉川を見据えて中川はそう言う。
しかし対照的に吉川は目線を逸らす様に俯いたままだった。
「………もう、いいかなって」
「え?」
消え入るように言ったその吉川の言葉は中川の耳に届かなかったのか、もう一度聞き返す。
「………もう疲れちゃった。アイツに振り回されんのも、何も出来ない自分にも」
なんとも弱気な発言。本当にこの目の前の少女は吉川優子なのだろうか?
そんな諦め切った事を言う吉川に対し、中川の中で沸々と怒りの感情が沸き上がって来た。
「……諦めんの?」
「…………」
突き刺す様な中川の問いかけに対し、尚も俯いたまま吉川は無言を返す。
「アンタにとってアッキーの存在は、その程度だったって事?」
「…………」
尚も問い詰めるも、吉川から返ってくるのは無言。
「……っざっけんな」
そんな吉川の反応を見て、遂に中川の堪忍袋の尾が切れた。
ズカズカと吉川に近寄り、両手で彼女の肩を強く掴む。
「アンタが諦めたら、誰がアッキーを立ち直らせんの?」
顔を吉川に近づけ、声を荒げる中川。
彼女は1年生の頃から、ずっと忍と吉川の関係を見て来ている。だからこそ思う。"この2人は、特別な関係なのだろう"と。
「あの自由人を何とか出来んのは、アンタしか居ないでしょ!?それとも何!?またあん時みたいに後悔したい訳!?」
後悔。中川のその言葉に、吉川の肩がピクンと跳ねた。
「アタシは嫌だ!!もうあん時みたいな後悔はしたくない!!アンタは違うの!?」
強く握る吉川の肩を揺らし、悲痛に中川は訴える。
中川夏紀と吉川優子は、しばしば犬猿の仲と呼ばれる。しかし、互いを認めていないかと問われると、それは違う。
だからこそ衝突するし、ケンカ紛いの事もする。
互いに意識し合っているからこそ、性格的に合わないとしても放っておけないのだ。
「こっち見ろバカ!!」
そして、中川は両手を挟む様にして吉川の両頬を掴み、そのずっと俯いていた顔を上げさせる。
その表情は、あの時忍が辞めて行った時と同じ表情をしていた。
そんな吉川の表情を見てしまい、中川の目が潤む。
やっぱり、このままにはしておけない。
「アンタはいいの!?あん時みたいにまた何も出来ずに終わってアッキーが離れて行っても!!」
「…………」
「もう次は無いよ!?アンタがここで諦めたら「うるさい!!」
すると、強引に中川の手を払い除け、説教を遮る様に吉川が叫んだ。
いきなりの叫びに中川は少し怯む。
「うるさい!うるさい!!アンタに何が分かんのよ!?忍の事を何も知らない癖に!!」
「だからアンタが!!」
「分かってる!!でも……!!でもぉ……!!!」
吉川の目がじんわりと滲む。
吉川優子はスランプの経験など無い。それでも忍の不調をどうにかしようとしていた。
「何も出来ない……!!」
しかし、今までそれが改善されなかった事実が、彼女の中の罪悪感を大きくしてしまった。
「私がっ……!私が、あんな事言っちゃったからっ………!!」
そして、自ら忍の地雷を踏んでしまった事。
「忍はっ……!!ダメになって………!!」
さらに雨曝しの忍のトランペットケースが、吉川の心を折らせた決定打になってしまった。
ポロポロと涙を流しながら、独白する様に吉川は声を荒げる。
後悔、後悔、後悔。
「あの時と、何も変わって無いんだなってっ………!!!」
正に後悔しっぱなし。これでは、あの時忍が部活を去って行った時と何も変わらない。
その事実は、吉川優子と言う1人の少女の心を折らせるには十分過ぎるものだった。
「……じゃあ、また後悔するつもり?」
でも、それでも、中川夏紀は諦め切れない。ここで諦めれば、それは一生の後悔になる。そんな絶対的な確信が中川にはあった。
「ここで全て投げ出してっ!またあん時みたいになりたい訳!?」
「じゃあどうしろってのよ!?」
「分かるかそんなもん!!!でもアンタじゃないとダメなんだから!!」
感情が溢れ出したからか、はたまた吉川の涙に釣られただけなのか、中川も大粒の涙を流す。
「アンタは……!アンタはアッキーじゃないとダメなんだからぁ………!!」
縋るように、切実に中川は訴える。
秋川忍には吉川優子が。
吉川優子には秋川忍が。
絶対にこの2人は1つでないといけないのだ。
屋上での前の階段で、ボロ泣きしている2人の少女。人気の少ない場所とは言え、それでもこれだけ叫べば音は響く。
だからだろうか、それともただの偶然だろうか。もう1人、それはこの場においての切り札と言ってもいいだろうか。
髪をショートに切り揃えた少女が、2人に近づいて行った。
「………あ」
最初にその少女に気付いたのは、中川。
「………声、廊下まで聞こえてたよ?」
そこには少し困ったように笑う、中世古香織の姿があった。