響け!ユーフォニアム〜北宇治のスーパー自由人〜 作:キングコングマン
「か、香織先輩……」
予期せぬ人物の登場に、慌てて吉川は涙を拭く。
「………ごめんね?盗み聞きするつもりは無かったんだけど……」
「い、いえ………」
こんなところを見られるとは思っていなかった。どう返していいのか分からず、吉川は曖昧な返事をしてしまう。
「………今日、秋川くん休みなんだってね?」
「き、聞いてたんですか……」
忍が休みだと言う事を知ってると言う事は、中川と吉川の会話をほぼ最初から聞いていたのだろう。恥ずかしさからか、吉川の顔が少し赤くなった。
「………秋川君と、何かあったの?」
「それは………」
吉川は口籠もり、少し無言の時間が流れる。中世古香織はトランペットのパートリーダーだ。こんな場面を目撃して、見逃せる筈がない。
「……言えない?」
「……………」
優しく問いかけるも、吉川から返ってくる答えは無言。
そんな彼女を見て、困ったように中世古は微笑んだ。
「………私ね?本当に優子ちゃんが羨ましいなーって思う時があるんだ」
「へ?」
すると、中世古から言葉通り羨ましがる様な口調でそんな言われ、吉川は素っ頓狂な返事を返す。
そして中世古は懐かしむ様に、慈しむような微笑みに表情を変える。
「なんだろーなー?……嫉妬してるのかな?優子ちゃんと秋川君って、絶対に二人にしか分からない世界を作るよね?」
「そ、そんな事は……」
「やっぱ、自覚ないか」
吉川にその自覚は無い。しかし忍と話していて、接していて心地いいのは事実だった。
それは、何故だろうか?
「それが羨ましいの。……だって、素敵でしょ?それって、無意識の内に互いの事を1番深く理解し合ってるって事なんだから」
「それは………」
中世古は、この二人の関係性を1番身近で見てきていると言っても過言では無い。
一人の先輩として。トランペットパートのリーダーとして。
一つ上の先輩だからこそ、"見守る"と言う俯瞰的な視点でこの二人の関係性を感じ取れるのだ。
「……ホントに、羨ましいなーって思うよ」
だからこそ、羨ましく思う。俯瞰的に、冷静に見れるからこそ、吉川優子と秋川忍の間には自分が入り込む余地がないのだろうなの痛感する。
完成された二人の関係。そこに羨望を覚えるのは、必然と言えるだろう。
「だから、私はそんなに心配してないんだ」
そんな二人を間近で見てるのだ。だからちょっとやそっとの事などで崩れる事は無いと、中世古には確信があった。
ならばやるべき事は……
「……後は、優子ちゃんがいつも通りにするだけだと思うな?」
「いつも通り……」
いつも通り。
忍に対して、自分はいつもどの様に接していたか?どのように関わってきたか?
思い返せば、簡単な事ばかりだ。
自然体に振る舞い、ありのままの姿を曝け出す。
口が悪いとか、すぐ手が出るとか、いつも忍に突っかかるとか、思い返せばロクなものでは無い思い出ばかり。
『なー、吉川』 『いっで!!強く蹴りすぎだっつーの』 『そうだね、特別って言っておこうかな?』
しかしそんな吉川優子を、秋川忍と言う男は全て受け入れてくれたのだ。
今回だって、そうに違いない。
「………うっ……ひっぐ…………」
それを理解すると、吉川の涙が止まらなくなった。
秋川忍という存在は、正に自分の一部なのだと。中世古の言葉でそれを理解した。
「……もー、泣きすぎだって……」
慰めるようにそう言う中世古も、涙声を隠し切れていない。
1番可愛がっている二人の後輩。大丈夫だと分かっていてもその両者が苦しんでいるのを見て、心が痛まない筈がなかった。
でも、中世古にはまだ吉川に伝えなきゃいけない事がある。
「……だから、秋川君は優子ちゃんじゃないとダメなの」
中川は、しきりに吉川に対しアッキーは『アンタじゃないとダメ』と言った。
「私でも、中川さんでもダメ。だって………」
だってそれは………
「私たちには、優子ちゃんと秋川君の世界に入り込めないもん」
お互いに1番理解してる者達でしか分からない感覚だから。
秋川忍と言う一人の人間を1番理解しているのは、吉川優子しか居ないから。
それは中世古だけじゃ無くて北宇治高校吹奏楽部のメンバー全員が知っている事だ。
そんな簡単な答えに、吉川は今更気付かされたのだ。
「うぐっ………えぐっ…………」
人生で、こんなに泣いたのなんて初めてだろう。
もらい泣きか、中川も中世古もつられるように泣き出している。しかしそれは、今まで溜まっていたものを全て出すのには十分なものだった。
_______________
嵐が過ぎ去った後の空は、今までのどんよりとした空模様から一転、どこまでも透けるような青さを見せる。
正に台風一過と言うべき空模様は、今の吉川優子の心をそのまま現していると言って良いだろう。左手には飲み物とゼリーを。
右手には、トランペットケースが握られている。
足取りは軽い訳ではないが、重くはない。
心が軽い訳ではないが、重くはない。
まるでそれが当たり前かのように、一歩一歩吉川は目的地に歩みを進める。
今日は部活を休んだ。やらなければならない事があるからだ。
しかしその為の覚悟も、気負いも無い。
だって、ただ落とし物を届けに行くだけだから。
自分が拾った好きな人の落とし物を、ただ届けに行くだけ。
後はパパッと病人の世話をして帰ればいいだろう。届けに行く相手は昨日の台風で風邪を引いたみたいだし。
宇治橋を越えて、少し入り組んだ住宅地の中に入って、少し進んだところに、彼の家がある。
至って普通の、2階建ての一軒家だった。
初めて来る、しかも好きな人の家の筈なのに、不思議と緊張は全くしない。
家の前に"秋川"との表札があったので、ここで間違い無い筈だ。一息付き、吉川は家のインターホンを押す。
________ピーン、ポーン…………________
ベルを鳴らしてから数秒。反応は無い。
病院にでも行ってるのだろうか?まあ、それなら、帰ってくるまでここで待てば良いだろう。
そう思った瞬間だった。
『……はい』
インターホン越しに、男性の声が聞こえる。忍より少し低めな声だ。
「あ、こんにちは。北宇治の吹奏楽部の吉川と言います。……忍くん居ますか?」
『あー、忍のお見舞いかい?今開けるから待っててね』
そう言うと会話は途切れ、まだ数秒後に玄関の扉が開いた。
「どうも。こんにちは」
「こ、こんにちは」
出てきたのは、少し白髪の混じった初老とまでは行かないも、年相応の威厳を感じる眼鏡を掛けた男性。十中八九、彼の父親だろう。
「わざわざ済まないね。遠慮なく上がっていいよ」
「お、お邪魔しまーす……」
忍と会う事自体に緊張はしないが、初めて来る家に上がると言うのはやはり緊張するもので、吉川は少し縮こまりながら秋川家へと上がって行った。
_______________
「お茶出すよ。何がいいかな?」
「あ、いえいえ!なんでも……」
忍の父親にリビングに通され、吉川は広めのソファにちょこんと座っている。
中身も普通の一軒家という感じだ。しかし自身の家とはやはり環境が違う部分もあるようで、いつもとちがう匂いや慣れない家具の配置に、少しばかり吉川の心は落ち着かなかった。
それからか、キョロキョロと吉川は辺りを見回す。特段変わった様子も無いが、視線の端。居間の奥に見える空間。
息を呑むと同時に、吉川はそれから目が離せなくなってしまう。
「仏壇が珍しいかい?」
「え?……あ、いえ!そんな事は……」
その言葉で、ようやく吉川は我に返る。視線をテーブルに向けると、グラスに入れた麦茶が、自分の前にあった。
「す、すみません。いただきます……」
おずおずと、何処かまだフワフワした感覚のまま、差し出された麦茶に口を付ける吉川。
「いえいえ。……それで、忍には会ってくかい?」
すると、忍の父親からそんな事を言われる。その言葉でやっと本来の目的を思い出したのか、吉川の表情がハッとしたものに変わる。
「あ、は、はい!忍君は、今どこに……」
「2階の自分の部屋にいるよ。……呼んでこようか?」
「い、いえ!自分で行きます!」
先を立ち上がり、忍の父親の提案に食い気味にそう返す吉川。
「そうか。ならよろしく頼むよ。部屋は2階の奥の方の部屋だからね」
「は、はい。ありがとうございます」
そう言って、吉川は再びトランペットケースとお見舞いの袋を持ってリビングから出て行く。そして2階への階段を上がり廊下の奥まで歩みを進めると、"忍"と端的に書かれたドアがあった。
間違い無い。ここだろう。
2つ程深呼吸をし、吉川はその扉を2度ノックする。
「忍、いる?」