響け!ユーフォニアム〜北宇治のスーパー自由人〜 作:キングコングマン
部屋の中から返事は無い。吉川がもう一度ノックして「忍ー?」と呼ぶも、反応は無かった。
「………入るわよ?」
おそらく寝ているのだろう。音を立てないようにゆっくりと、吉川はドアを開ける。
部屋の中は眠る為か、カーテンを閉め切っており少し薄暗かった。その部屋の端。窓際に配置されたベッドの上には、布団が盛り上がっている。
ゆっくりと、吉川は歩みを進める。
「………寝てる?」
覗き込むように、吉川は忍の寝顔を見つめる。
「………ふふっ」
少し、吉川の表情が綻んだ。
「………んえ?」
すると、ようやくというべきか、忍が反応を見せる。
「………起きた?」
「…………」
まだ寝ぼけてるのか、半目のまま忍はボーッと吉川を見つめる。
「……あー、優子?」
「何寝ぼけてんのよ?せっかくお見舞い来てあげたんだから」
まだ寝ぼけ眼の忍に対し、困ったように笑って吉川はそう言う。目を擦り、ゆっくりと忍は上体を起こす。
「……しんどくない?」
「うん、だいぶ良くなった」
まだ寝ぼけ顔であるが、顔色は悪くなさそうだ。
そして忍は吉川の顔を見やり、薄く微笑む。
「………なによ?」
「いや……なんか1日会わなかっただけなのに凄い久しぶりに感じて」
「………奇遇ね。私もよ」
長かった。会わなかったたった1日。色んなことがあった。
それを身に染みて感じているのは、紛れもなくこの二人だった。
「………これ、落とし物」
そう言って、吉川は右手に持っていたトランペットケースを忍に差し出す。
「……優子が持ってたんだ」
まさか吉川が持っているとは露とも知らず、忍は驚いた表情を見せる。
「……大事なみゆきちゃんでしょ?ちゃんと持っときなさいよ」
「………うん、ありがと」
ケースを受け取り、それを大事そうに抱える忍。
少し、無言の時間が流れる。
「………母さんには挨拶した?」
そう言って沈黙を破ったのは、忍の方だった。
その言葉に、吉川の心臓が一つ跳ねる。
「……まだ。お父さんだけ」
「そっか、後で挨拶しときなよ?」
「………うん」
そして、またしても無言の時間が流れる。吉川も、なんと会話を切り出していいものか分からなかった。
________コン、コン_______
すると、再びドアがノックされる音が聞こえてきた。
『起きてるか?』
「あ、うん。起きてるよ」
忍の父親がやって来たのだろう。扉は開かず、そのまま会話を続ける。
『買い物行ってくるけど、何かいるか?』
「えっと……じゃあ飲み物」
『……分かった。他に寄る場所あるから、ちょっと帰るの遅れるぞ』
「うん、りょーかい」
それだけ言い残すと、後は階段を下る足音だけが聞こえる。足音が完全に聞こえなくなったのを確認すると、忍は少し微笑んだ。
「………ウチの親父、気が利くでしょ?」
「え?」
いきなりそんな事を言う忍に対し、素っ頓狂な返事を返す吉川。
それに構わず、忍はベッドから体を起こす。
「まぁ、いいや。ちょうど良いから、一緒に挨拶しよっか?」
「え?……あ……」
忍のその言葉で、ようやく吉川は理解する。おそらく、二人きりにする為に忍の父親は出掛けて行ったのだろうと。
そして挨拶とは、仏壇に手を合わせる事なのだろうと。
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線香の香りがする。
この匂いが鼻につくだけでセンチメンタルな気分になるのは、何故だろう?
二人して手を合わせる仏壇の前。遺影に写る女性は、亡くなるにはまだ若すぎる程の年齢に感じる。それでもその写真の中の表情が満面の笑みであれば、少しは救われるものだろうか。
「……よく、笑う人だったの?」
写真の中の女性は、名を"花澄"と言った。
「うん。って言うか、笑うのが好きな人だったんだと思う」
思い出すように、しみじみと忍は返す。
今はその笑顔は写真の中でしか見れない。その虚しさはいくら時間が経とうとも、変わることは無い。
「そう……楽しい人だったのね」
「うん。多分、優子とも合ったと思うよ」
そう。ここでするのは、全てたらればの話。
「アンタに似たのかな?」
「逆。俺が母さんに似たの」
もし生きていれば、吉川とどんな会話をしてたのだろうか?
「家族の中で1番、喧しかったし。……俺らみたいな子供よりだよ?」
「それは……賑やかどころじゃ無さそうね……」
もし生きていれば、忍のこれまでをどの様に見て来たのだろうか?
「家族で一番元気だったのにねぇ……」
全てはたらればの話。
そこに残るのは悔しさでも、悲しさでも無い。
「なぁんで、死んじゃったんだろーなぁ……?」
______ただただ、虚しいだけだった。
「………っ!!」
諦める様な忍の呟きにつん、と、吉川の目頭が熱くなる。
やっぱり、忍にとって母親は……
「……忍は、お母さんの事好き?」
泣き出すのを、声が震えそうになるのを必死に堪え、吉川はそう聞く。
「うん。もう何年も前に死んじゃってるのに、まだまだマザコンみたい」
しかし忍のその返しで、遂に我慢出来なくなってしまった。
ポロポロと、決壊するかの様に吉川は涙を流す。
「……泣いてんの?」
「ぐずっ………うっさい………」
拗ねた子供の様に、吉川はそう返す。
しかしそれに忍は満足そうに、柔らかい笑みを浮かべた。
「優子って、よく泣くよね」
「ずずっ………悪かったわねぇ………すんっ…‥泣き虫で」
「誰も悪いとは言ってないよ」
確かに、忍の言う通り吉川優子と言う少女は良く泣く子だろう。ソロパート事件の時も、傘木と鎧塚の一件の時も、彼女は泣いていた。
でもそれは、ただの泣き虫では無い。
「……俺、優子を好きになって良かったよ」
その言葉は、忍の口から自然と出た。
突然の忍の言葉に、泣き顔ながらも吉川は驚いた表情を浮かべる。
「だって、ここまで人の為に泣ける人、見た事ないもん」
吉川優子は、良く泣く。
しかしその涙は、全て人の為に流した涙だ。中世古も、鎧塚も。
そして、今回の忍も。
彼女の涙は、全て自分以外の人の為に流したものだった。
そんな強くて"優しい子"に、秋川忍は心底惚れ込んでいるのだ。
「ありがとね。優子」
もう流れていた涙が、忍のその言葉で更に止まらなくなる。
吉川自身、その自覚があった訳では無い。自分の思うがままに、自分がやりたい様に今までやって来た。
結果それが、吉川優子という一人の人間性を表しただけだ。
そして、それを忍は1番理解していただけ。
「うぅっ……ぐずっ……じのぶぅ……」
いつの間にか、二人は抱き合っていた。吉川は泣きじゃくる顔を忍の胸に埋める様に、身を委ねている。
少し、忍も泣きそうになる。
しかし、泣かない。それはほんのちょっぴりのプライドか。それとも好きな人の前で泣けないと言う、かわいい強がりか。
いずれにせよ、二人の間のわだかまりなんて、綺麗さっぱり無くなっていた。
「……優子、外出ようか?」
「……え?」
すると、忍から思ってもいなかった提案をされる。
「ちょっと、吹きたくなっちゃった」
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夕暮れの宇治川、河川敷。2人の男女が、隣同士で座っている。
男の子の方は、トランペットを握っている。夕日に照らされて、白金のその楽器がキラキラと反射していた。
「やっぱりここで吹くのが一番いいね」
演奏の準備をしながら、呟く様に忍はしみじみとそう漏らす。
「……そうなの?」
「うん。小さい頃からここで吹いてるから、なんか落ち着く」
思い出は沢山ある。父親との思い出。凛花との思い出。
そして、いつも一緒にここで吹いていた母親との思い出。
「何を吹くの?」
吉川がそう聞くと、忍は柔らかく笑って吉川に顔を向けた。
「俺が初めて覚えた曲」
それだけ言うと、忍は確認する様にチューニングbの音を出す。
真っ直ぐで、綺麗な音だ。
「……じゃあ、行くよ」
「………うん」
一言、吉川がそれだけ返すと、忍は演奏を始めた。
見上げてごらん、夜の星を
小さな星の
小さな光が
ささやかな幸せを、うたってる
たった数フレーズ。忍が、初めて覚えた曲。
簡単な曲だ。しかし、何よりも心を動かされる様な、そんな音色。
「……どう?」
吹き終わると、忍は吉川に感想を求める。
「うん、良かった」
一言、簡潔に吉川はそれだけ返す。
「そっか、そりゃ良かった」
「うん、アンタらしかったわ」
「へぇ、そりゃどう言う意味?」
ひょうきんに忍がそう聞くと、今度は吉川の方が柔らかい笑みを浮かべ、忍を見据える。
「ちょっと悲しいけど、暖かかった」
その言葉は、忍が壁を乗り越えた証でもあった。