黒く染った純白の彼女 作:灯利
ゴン。
もう一度。
地面の下から鈍い音が響いた。
池の水面が小さく揺れ、僕とシズクは同時に屋敷の方を見る。
「……地下。」
シズクが立ち上がった。
「何か動いたって言ったよね。」
「うん。」
「友達を出した装置?」
「分からない。」
またそれだ。
でも今度は、分からないからこそ確かめる。
二人で屋敷へ戻ると、廊下の向こうから御影さんが早足でやって来た。
「お館様。」
「今の聞こえた?」
「はい。地下区画の一部で、今まで確認出来なかった動力反応が出ております。」
「動力?」
後ろからマザーも現れる。
「維持装置を復旧した影響でしょうか。」
その言葉に、僕は少しだけ身体を固くした。
「僕が直したから?」
「可能性はあります。」
マザーは否定しなかった。
ただ、すぐに続ける。
「だからといって、友人を助けたことが間違いだったという意味ではありません。」
「……うん。」
「眠っていた設備まで一緒に目を覚ました。それだけです。」
それだけ。
と言われても。
地下からまた音がするたび、少し不安になる。
「お兄ちゃん。」
シズクが僕の袖を掴んだ。
「今度は一人で責任感じるの禁止。」
「そんな顔してた?」
「すっごく。」
本当に僕は顔に出やすいらしい。
…。
地下へ降りる。
今回は友達を助けた第七収容区ではなく、その手前から別の通路へ入った。
今まで灯りのついていなかった廊下。
壁際の古い照明が、弱々しく何個か点いている。
「昨日までは?」
僕が聞く。
「完全に停止しておりました。」
御影さんが答える。
「やっぱり動き出してる。」
マザーが壁の文字を確認する。
「管理区画。」
「何を管理するの?」
アリス。
「施設全体……でしょうか。」
「でしょうか?」
「私もここまでは入ったことがありません。」
今日は知らない人ばかりだ。
先へ進むと、大きな扉があった。
鍵穴はない。
代わりに、中央へ古い文字が刻まれている。
「読める?」
僕がマザーへ聞く。
「一部だけ。」
指でなぞる。
「……管理者以外、立入禁止。」
「普通だね。」
アリスが言う。
「もっとこう、開けた者は呪われる、とか。」
「何でちょっと期待してるの。」
「地下ってそういうところじゃない?」
違うと思う。
シズクが扉へ手を置く。
動かない。
「壊す?」
「待って。」
僕とマザーの声が重なった。
シズクが不満そうに振り返る。
「二人して。」
「中に何があるか分からないでしょ。」
「お兄ちゃんまでマザーみたいなこと言う。」
「それはちょっと嫌だな。」
「ミスターマキ?」
「何でもないです。」
危ない。
ここでも説教が始まるところだった。
扉の周りを調べる。
すると、端の方に文字が削り取られた場所があった。
「これ。」
僕が触れる。
胸元が熱くなる。
最近、この感覚にも少し慣れてきた。
削られる前。
元に戻す。
じわりと文字が浮かぶ。
『記録室 第二』
「記録室?」
その下。
小さな矢印。
壁の一部を指している。
御影さんが押すと、隠れていた小さな取っ手が出た。
「……お兄ちゃん便利。」
シズク。
「便利って言わないで。」
「すごく便利。」
「そういう問題じゃない。」
大きな扉ではなく、横にあった小さな扉が開いた。
…。
中は狭い部屋だった。
机。
棚。
古い機械。
その程度。
ただ。
机の上に置かれた黒い布を見た瞬間。
シズクが止まった。
「これ。」
「知ってるの?」
「うん。」
そっと触れる。
「昔、あの人が着てたものと同じ。」
シズクを一族から連れ出した。
黒い着物の男。
机の引き出しには、薄い板のようなものが一枚だけ残っていた。
御影さんが機械へ繋ぐ。
雑音。
しばらくして。
声が流れた。
『……残ってるかな、これ。』
シズクの目が見開かれる。
「この声。」
『まあ、聞いてる人が誰かは分からないけど。もしシズクなら、久しぶり。』
「……。」
『怒ってる?』
「怒ってるよ。」
小さく返す。
録音だから。
届かない。
『僕は君に、願いを一つ叶えて欲しいって言った。』
あの日。
牢獄から出してあげる。
代わりに。
願いを一つ。
『でも、あの時すぐ内容を言うのはやめた。』
『言ったら君は、それを新しい命令にすると思ったから。』
シズクの指が黒い布を握る。
『君はずっと、誰かに言われたことをやる子だった。』
『だから僕の願いでまで君を縛ったら、助けた意味がない。』
部屋が静かになる。
『もし地下の管理設備が、いつかまた動き出したら。』
そこで雑音が少し強くなった。
『止めて欲しい。』
シズクが顔を上げる。
『あれはシスターズを守るために作られた。最初はね。』
『でも、人を守る仕組みと、人を従わせる仕組みは、驚くほど簡単に同じものになる。』
マザーが目を伏せた。
『僕には完全に止められなかった。』
『方法も、正直分からない。』
旧版と違って。
この人も。
全部知っているわけじゃない。
『ただ、零番の記録を調べていて、一つだけ気になった。』
僕の胸が僅かに熱くなる。
『あの子の力は、壊す力じゃない。』
『だからもし、零番本人がそこへ辿り着いたなら。』
一度。
『本人に選ばせて。』
シズクが僕を見る。
『利用しないで。お願いしろ。断られたら、それまで。』
少しだけ笑うような声。
『誰かを自由にするために、別の誰かを道具にしたら。』
『僕らと同じだから。』
録音が止まった。
長い沈黙。
「……ずるい。」
シズクがぽつりと言う。
「何が?」
「今頃言うなんて。」
目元を袖で擦る。
「私、また勝手にお兄ちゃんにやらせるところだった。」
「まだ何も言われてないよ。」
「でも思った。」
「何を?」
「お兄ちゃんなら何とかしてくれるって。」
「……。」
「それも。」
シズクが僕を見る。
「勝手だよね。」
僕は少し考えた。
「お願いなら聞くよ。」
「え?」
「やるかどうかは僕が決める。」
「……。」
「だから言って。」
シズクはすぐには答えなかった。
それから。
「お願い。」
小さな声。
「地下で何が動き出したのか、一緒に止める方法を探して。」
壊して。
じゃない。
一緒に。
「うん。」
僕は頷いた。
「それならいい。」
その時。
遠くから。
何か金属を引きずるような低い音が響いた。
同時に。
アリスが胸元を押さえた。
「……痛っ。」
「アリス?」
シズクも自分の胸を見る。
薄い。
黒い線。
肌の上へ浮かび始めていた。
マザーの表情が変わる。
「これは……。」
地下のどこかで。
また一つ。
古いものが目を覚ました。