黒く染った純白の彼女 作:灯利
「一度、上へ戻ります。」
マザーがすぐに言った。
「でも。」
「今の状態が何なのか、ここでは確認出来ません。」
シズクの胸元。
アリスにも。
薄い黒色の線が浮かんでいる。
傷ではない。
墨を皮膚の下へ流したような、不気味な模様。
「痛い?」
僕が聞く。
「少し。」
シズクは平気そうに答えた。
でも。
さっきから何度も胸元へ手をやっている。
「アリスは?」
「気持ち悪い感じ。」
「大丈夫?」
「うん。まだ。」
まだ。
その言い方が嫌だった。
「これは昔の命令術式に似ています。」
階段へ戻りながらマザーが言う。
「命令?」
「施設にいた子供達へ、特定の行動を取らせるためのものです。」
「そんなのあったの?」
シズクが聞く。
「全員に使えたわけではありません。貴方のように魔素が強すぎる個体には、定着しなかったと記憶しています。」
「じゃあ何で今。」
「分かりません。」
また。
でも。
今回はマザーも少し苛立っているように見えた。
自分が知っている筈の過去なのに。
知らないものが残っている。
「第七区の設備を戻した時。」
僕が言う。
「地下の一部が起きた。」
「恐らく。」
「僕が直したから。」
「ミスターマキ。」
「責めてるわけじゃない。」
僕は先に言った。
「ただ、原因ならちゃんと知りたい。」
マザーは少し驚いた顔をした後。
「……はい。」
と頷いた。
…。
階段を上っている途中だった。
前を歩いていたアリスの足が止まった。
「アリス?」
返事がない。
一歩。
アリスが後ろへ下がる。
地下へ。
「どうしたの?」
「……分かんない。」
もう一歩。
「足が。」
アリスが自分の脚を押さえる。
「勝手に。」
低い音。
耳ではなく。
頭の奥へ直接響くような声。
『帰還』
僕も聞こえた。
「今の。」
シズクが顔を上げる。
「聞こえた。」
『対象個体。帰還。』
アリスの胸の模様が濃くなる。
身体がまた地下へ向く。
「嫌。」
アリスが歯を食いしばる。
「私、戻りたくない。」
僕は腕を掴んだ。
「待って。」
黒い模様。
前。
これが無かった時。
そこまで戻す。
「消えろじゃない。」
自分に言い聞かせる。
「戻れ。」
胸元が熱くなる。
アリスの模様が、少しずつ薄くなる。
足が止まった。
「……はぁ。」
その場へ座り込む。
「大丈夫?」
「うん。」
アリスが自分の胸を見た。
ほとんど消えている。
「マキにい、今。」
「多分戻した。」
マザーも見ていた。
「術式へ直接作用した。」
「お兄ちゃん。」
シズクが僕を見る。
その胸にも。
黒い線。
濃くなっている。
『帰還』
シズクの身体が僅かに揺れた。
「……。」
「シズク?」
「大丈夫。」
一歩。
地下。
「大丈夫じゃないじゃん!」
手を取る。
「戻れ。」
同じように。
黒い線。
薄くなる。
シズクが息を吐いた。
「あは。」
「何。」
「助けてもらった。」
「笑ってる場合?」
「ちょっと嬉しい。」
「今?」
本当に。
変なところで。
いつものシズクだった。
でも。
数十秒もしないうちに。
胸元へまた細い黒い線が浮かび始める。
「戻ってる。」
「中枢が動いている限り、再び刻まれるのでしょう。」
マザー。
「じゃあ。」
僕は下を見る。
暗い階段。
「止めるしかない。」
シズクが僕を見る。
「お兄ちゃん。」
「うん。」
「さっきのお願い。」
「覚えてる。」
「でも。」
「やるって決めたわけじゃない。」
「……。」
「今決める。」
考える。
怖い。
僕の力で何が出来るのか。
中枢を触ったらどうなるのか。
何も分からない。
でも。
目の前で。
シズクとアリスの身体が、勝手に命令されている。
番号。
失敗。
廃棄。
管理。
僕も。
同じように。
勝手に決められてきた。
「止めたい。」
僕が言った。
「僕が嫌だ。」
「私達のため?」
シズク。
「それもある。」
「それだけ?」
「違う。」
自分の胸元を押さえる。
「僕も、こういうの嫌だから。」
誰かに。
お前はこれ。
ここへ行け。
これをしろ。
そう決められるのが。
「だからやる。」
シズクはしばらく僕を見ていた。
それから。
「分かった。」
頷く。
「じゃあ、手伝う。」
「うん。」
「私も。」
アリスも立ち上がった。
マザーは少し考えてから。
「今すぐ中枢へ向かうのは反対です。」
「何で?」
「準備が足りません。」
「でも、模様。」
「だからこそです。」
マザーの声は強かった。
「このまま何度もミスターマキが解除を続ければ、先に彼が消耗します。」
「……。」
確かに。
胸。
少し。
痛い。
「一度上へ戻りましょう。」
「時間ある?」
「無ければ作ります。」
「どうやって。」
マザー。
僕を見る。
「貴方一人に全部やらせないためです。」
その言葉。
少し。
嬉しかった。
…。
上へ戻る。
黒い模様が出るたび。
僕は消した。
何回か。
そのたびに。
シズク。
「ありがとう。」
アリス。
「助かる。」
ちゃんと。
言った。
命令じゃない。
お願い。
僕も。
自分で。
やった。
屋敷へ戻った頃。
夕方。
そして。
「ご飯にしましょう。」
マザーが言った。
「……今?」
僕とシズクとアリス。
同時だった。