黒く染った純白の彼女 作:灯利
食事を終える頃には、外はすっかり暗くなっていた。
地下へ向かう前に、もう一度だけ確認する。
「シズク。」
「何?」
「無理だと思ったら戻る。」
「うん。」
「アリスも。」
「分かってる。」
「僕も。」
マザーがすぐに言う。
「特に貴方です。」
「はい。」
「本当に?」
「……はい。」
信用。
無い。
でも。
今はちょっとありがたい。
…。
地下へ降りる間にも、シズクとアリスには何度か黒い模様が浮かんだ。
そのたびに僕が戻す。
胸元のシルシも熱い。
ただ。
前とは少し違う。
シズクにつけてもらった羽のような形の端。
そこから伸びていた黒い線だけが、地下へ近づくほど濃くなっている。
「この黒いところ。」
シズクが言う。
「やっぱり私のじゃない。」
「中枢の?」
「多分。」
マザーが僕の胸元を見る。
「シルシそのものを経路にして、別の術式が重なっているのかもしれません。」
「じゃあ消す?」
僕が聞く。
シズクが一瞬黙った。
最初にこの屋敷へ来た夜。
シズクがくれたシルシ。
これがあったから。
僕は屋敷へ戻れた。
「……お兄ちゃん。」
「何。」
「全部消していいよ。」
「シズクのも?」
「うん。」
少し寂しそう。
「シルシが無くなったら、屋敷の結界。」
「御影に直させる。」
御影さん。
「承知しました。」
早い。
「それに。」
シズクが僕の手を握る。
「もう、居場所が分からなくても帰ってくるでしょ。」
「うん。」
「じゃあいらない。」
昔なら。
絶対。
言わなかったと思う。
僕は胸へ手を当てる。
つけられる前。
何も無かった状態。
「戻れ。」
熱い。
痣が薄くなる。
羽の形も。
黒い線も。
ゆっくり。
最後には。
何も無くなった。
「……消えた。」
シズクが少しだけ触れる。
「寂しい?」
「ちょっと。」
「ごめん。」
「でも。」
顔を上げる。
「あは。」
笑う。
「こっちの方がいい。」
「うん。」
僕も。
そう思う。
…。
管理区画の奥。
今まで閉じていた扉は、既に開いていた。
中から低い音が響いている。
入る。
広い部屋。
壁一面に古い機械。
床には何重もの術式。
その中心。
大きな装置。
椅子のようなもの。
「これが。」
御影さん。
「中枢かと。」
近づいた瞬間。
頭の中へ声が響いた。
『基礎個体を確認』
足が止まる。
『識別照合』
「……。」
『零番』
胸。
もうシルシは無い。
それでも。
声。
僕を。
そう呼ぶ。
「違う。」
思わず答えた。
アリスが横を見る。
「返事するんだ。」
「何となく。」
『零番。管理位置へ移動』
床の術式が光る。
足。
勝手に一歩。
「っ。」
シズクが腕を掴む。
「お兄ちゃん!」
「大丈夫。」
でも。
もう一歩。
僕自身にも。
命令。
届いてる。
『基礎個体。管理権限を受領』
「いらない。」
『姉妹個体への制御権限を――』
「いらないって!」
声を上げた瞬間。
床の術式が強く光る。
シズクとアリスの胸へ、一気に黒い模様が広がった。
「シズク!」
「まだ平気。」
「アリス!」
「ちょっときつい。」
二人へ触れる。
戻す。
でも。
同時。
難しい。
胸。
痛い。
「ミスターマキ。」
マザー。
「焦らないで。」
「でも。」
「装置全体を戻すのではありません。」
「……。」
「貴方の力は、戻す対象を選べるのでしょう?」
小皿。
湯呑み。
文字。
命令術式。
全部。
全部を過去へ戻したわけじゃない。
戻したいもの。
そこだけ。
「何を戻したいのか。」
マザー。
「決めてください。」
何を。
中枢そのもの?
壊れる前?
作られる前?
違う。
ここには。
守るための機能も。
友達を生かしていた装置も。
ある。
全部消すのは。
違う。
「命令。」
僕が言う。
「それだけ。」
シズクが僕を見る。
「人を勝手に動かすところ。」
「うん。」
中心の装置へ近づく。
足が引かれる。
命令される。
でも。
自分で歩く。
「僕は。」
声。
頭。
『零番』
「零番って呼ばれてた。」
それは。
過去。
消えない。
「男だから失敗って言われた。」
それも。
あった。
「でも。」
装置へ手を置く。
「僕の名前はマキ。」
『識別――』
「シズクのお兄ちゃんかどうかも。」
横。
シズク。
少し。
笑う。
「どこに帰るかも。」
マザー。
アリス。
御影さん。
見る。
「僕が決める。」
目を閉じる。
この中枢から。
命令を刻む仕組み。
それが追加される前。
人を治す。
守る。
研究する。
そこまでだった時。
完全に正しい過去なんて。
多分。
無い。
でも。
戻したいものは分かる。
「戻れ。」
胸の奥が焼ける。
床。
光。
激しく揺れる。
『警告』
頭。
痛い。
「お兄ちゃん!」
シズクの手。
背中。
「無理しないで!」
アリス。
「呼吸を。」
マザー。
声。
聞こえる。
一人じゃない。
「戻れ!」
黒い術式。
一つずつ。
色を失う。
シズクの胸。
アリス。
模様。
消える。
『管理権限――』
「いらない!」
最後。
中心。
黒い文字。
消えた。
音。
止まる。
部屋。
急に。
静かになる。
「……。」
立ってる。
そう思った。
次の瞬間。
膝から力が抜けた。
「お兄ちゃん!」
倒れる前。
シズクに抱えられる。
顔。
近い。
「シズク。」
「何。」
「ちゃんと。」
声。
遠い。
「帰るから。」
「うん。」
泣きそうな顔。
「約束。」
そこで。
意識が途切れた。
…。
遠くで。
声がする。
「お兄ちゃん。」
「……。」
「お兄ちゃん。」
「……。」
「起きないと。」
少し震えてる。
「ちゅーするよ。」
「起きました。」
目を開けた。
目の前。
シズク。
「……。」
「あ。」
「前にもやったね、これ。」
「馬鹿!」
思い切り抱きつかれた。
「痛い痛い!」
「馬鹿!ほんとに馬鹿!」
「分かったから!」
周り。
アリス。
マザー。
御影さん。
全員。
いる。
シズクとアリスの胸元。
黒い模様。
ない。
頭の奥。
声。
聞こえない。
「終わった?」
僕が聞く。
マザーは止まった中枢を見て。
「少なくとも。」
こちらを見る。
「命令術式は、消えています。」
全部。
壊したわけじゃない。
必要だったものまで。
消したわけじゃない。
人を縛るものだけ。
多分。
僕が。
選んで。
戻した。
シズクがまだ僕を離さない。
「苦しい。」
「もうちょっと。」
「何で。」
「心配した分。」
「長くない?」
「長くない。」
仕方ない。
もう少しだけ。
そのままにしておいた。