黒く染った純白の彼女 作:灯利
目が覚めた次の日には、屋敷の中は少しだけ落ち着きを取り戻していた。
中枢は止まり、シズクやアリスの胸元に浮かんでいた黒い模様ももう現れない。
地下が完全に安全になったとはまだ言えないけれど、少なくとも、あの嫌な声が頭の中へ響いてくることは無くなった。
「お兄ちゃん。」
「何。」
「起きたなら先に言って。」
「今起きたばっかりだよ。」
朝。
布団の横で待ち構えていたシズクが、じっと僕を見ている。
「いなくなってないか確認してた。」
「僕はそこまで信用ないの。」
「ちょっと。」
「ちょっとなんだ。」
正直でよろしい。
でも。
その「ちょっと」が前より小さくなっているのは分かった。
「大丈夫だよ。」
僕がそう言うと、シズクは少しだけ考えてから頷いた。
「うん。」
「信じる?」
「……うん。」
言いながらも、まだ半分くらいは疑っていそうな顔だ。
でも、それでいい。
いきなり全部変わるわけじゃない。
…。
午前中は、屋敷の応接間で簡単な話し合いになった。
僕。
シズク。
マザー。
アリス。
御影さん。
それから、まだ本調子ではないけれど友達もいる。
「まず。」
マザーが口を開く。
「今回止まったのは、管理区画の命令術式です。」
「地下そのものが無くなったわけじゃないんだよね。」
僕が聞く。
「はい。」
御影さんが答える。
「未調査の区画も残っております。記録類もかなりの量がございます。」
「じゃあ、これからも調べる必要がある。」
「はい。」
シズクが腕を組んだ。
「全部調べる。」
「お館様お一人では危険です。」
「じゃあ御影も。」
「御意。」
「マザーも。」
「当然です。」
何だか、自然にそういう流れになっていた。
昨日まで敵同士みたいだったのに。
「それと。」
マザーが友達を見る。
「貴方についてですが。」
「俺?」
「まだ安静です。」
「またそれ。」
「またです。」
「えー。」
元気になった証拠だ。
少し前まで、硝子の中で眠ったままだったのに。
それがこうして文句を言っている。
変な感じだ。
でも、嬉しい。
「お前はどうするんだ?」
不意に、友達が僕へ聞いた。
「何が。」
「これから。」
その一言で、部屋が少し静かになった。
孤児院へ戻るのか。
屋敷に残るのか。
地下を調べるのか。
僕自身、まだ全部を決めているわけじゃない。
でも。
「両方かな。」
先に出たのは、その答えだった。
シズクが僕を見る。
マザーも。
「孤児院にも帰るし、屋敷にも帰る。」
「欲張りですね。」
マザーが言った。
「うん。」
否定しない。
「でも、今はそれでいい気がする。」
屋敷でしか調べられないことがある。
孤児院にしか無いものもある。
どっちかを切り捨てる方が、僕には変だった。
「……うん。」
シズクが小さく笑う。
「知ってた。」
「何を。」
「お兄ちゃん、そう言うと思った。」
「そんなに分かりやすい?」
「すっごく。」
最近そればっかり言われている気がする。
…。
昼過ぎ。
僕とシズクは、アリスと一緒に孤児院へ向かっていた。
友達はまだ屋敷で休んでいる。
本当は一緒に行きたがっていたけど、マザーに止められた。
珍しく御影さんまで同意していたから、さすがに諦めたらしい。
「ねえ。」
道を歩きながら、アリスが僕を見た。
「マキにい。」
「何?」
「怒ってる?」
少しだけ考える。
「何に?」
「私のこと。」
ああ。
その話か。
「全部何とも思ってないって言ったら嘘。」
「だよね。」
アリスは苦笑した。
「でも。」
僕は続ける。
「アリスが僕と一緒にいた時、全部が嘘だったとも思ってない。」
アリスが顔を上げる。
「マキにい。」
「だから。」
「うん。」
「これからでいいんじゃない。」
「これから?」
「また友達になれば。」
しばらく黙っていたアリスが、やがてふっと笑った。
「それ、ズルくない?」
「何が。」
「怒るなら怒るでいいのに。」
「じゃあ怒ろうか?」
「やめて。」
「でしょ。」
隣でシズクが口を挟む。
「私もまだちょっと怒ってる。」
「お姉様まで!?」
「勝手に潜入したし。」
「お姉様が行けって言ったんじゃん!」
「言ったけど。」
「ひどい!」
少し騒がしいくらいが、ちょうどいい。
…。
孤児院の門が見えてきた。
中から子供達の声がする。
いつもの音だ。
門の前で、シズクの足が少し止まる。
「どうしたの。」
僕が聞く。
「入っていいのかなって。」
珍しい。
シズクがこんなことを気にするなんて。
「何で。」
「だって。」
少しだけ目を逸らす。
「私、ここの子じゃないし。」
「僕だって今は半分違うよ。」
「半分。」
「両方だから。」
「……。」
門の向こう。
マザーが先に振り返った。
「ミス.シズク。」
シズクが顔を上げる。
「入ってはいけないとは、申し上げておりません。」
「……いいの?」
「ただし。」
「何。」
「子供達を勝手に連れ帰らないこと。」
「しない。」
少し間。
「……多分。」
「シズク。」
「努力する。」
「またそれ。」
でも。
マザーも少しだけ笑っていた。
僕はシズクへ手を出す。
「行こう。」
シズクはその手を見る。
少しだけ迷ってから。
ぎゅっと握った。
一緒に門をくぐる。
その瞬間。
庭にいた子供達の一人が僕を見つけた。
「マキ!」
次の瞬間には、何人もの子供達が一斉に走ってくる。
「どこ行ってたの!」
「本当に屋敷行ってたの!?」
「妹って本当!?」
質問が一気に飛んできて、僕は思わず一歩下がった。
「ちょ、待って、順番!」
誰も聞いてない。
その騒ぎの中で、一人の小さな子がシズクを見上げる。
「その子、誰?」
一瞬だけ。
昔の僕なら、言葉に詰まったかもしれない。
でも今は。
「僕の妹。」
はっきり言った。
シズクがぱちぱちと目を瞬かせる。
それから。
嬉しそうに笑った。
「あは。」
「お兄ちゃん。」
「何。」
「もう一回。」
「今は駄目。」
「何で。」
「人が多いから。」
「後で?」
「……後で。」
「約束ね。」
面倒くさい。
でも。
嫌じゃない。
マザーが門のところで僕を見る。
「ミスターマキ。」
「はい。」
「お帰りなさい。」
少しだけ胸が熱くなる。
「……ただいま。」
その横で。
シズクが小さな声で言った。
「私も、言っていい?」
マザーは少し驚いたように目を瞬かせてから。
「ええ。」
と答えた。
シズクはほんの少し照れくさそうに笑う。
「ただいま。」
屋敷にも。
孤児院にも。
帰ってきた。
今は、それでいい。