黒く染った純白の彼女 作:灯利
「おはよ、お兄ちゃん。」
「…おはよう、シズク。」
僕があの大きな街屋敷に忍び込んでから、かれこれ長い月日が経った。
今では新たに出来た妹と、街中のあの大屋敷で暮らしている。
孤児院には帰ってはいない。今はあの場所はどうなっているのか、僕にはわからない。
…妹。
妹ねぇ…。
…端的に言えば、あの黒染シズクが僕の妹になりました。
「お兄ちゃん…てのはせめてやめない?」
「じゃあ、お兄様とかですか?」
「そうじゃなくて…」
…。
手紙を渡された後、僕はあの日向かった屋敷にまた向かっていた。
今度は夜ではなく昼間に堂々と。
屋敷の門の前に立つと、改めて屋敷の大きさが規格外だということを感じる。
見上げるほどの大きな鉄門に、左右に大きく続いている白い壁。
待ち構えていた黒服の大男に案内されると、辿り着いたのは畳敷の大きな応接間。
暫くすると奥の襖が開いて、見知った顔が変わらずの笑顔を浮かべて現れた。
「ハァイ、マキ。また会えて嬉しいわ。」
黒服を背後に引き連れて現れたシズクはあの夜よりもはっきりと、綺麗に見えた。
白髪は絹のようにさらりと、腰まで垂れ、また白い肌は赤い和服によく生えて。
あの夜感じたシズクの人形のような無機質で、凍てつく冷たい雰囲気は感じなかった。
遊び盛りな年相応な幼児。マキがシズクに感じたのはそういう印象だった。
「手紙は読んでくれた?」
「…はい。」
「…あは。もっとあの時みたいに気軽に接してくれていのに。」
そこまで言うと、シズクは何かに気がついたように後ろを振り返る。
「あぁ、なるほどね。いいわ、私の部屋に行きましょう。ついてきて!」
「お嬢!」
「黒服さん達はここまででいいわ。」
「…承知しました」
何か言いたげな黒服の男達を放ってシズクが駆けていくと、
そこは前にシズクと出会った人形だらけの小部屋だった。
「さて。じゃあここなら大丈夫かな。」
対面して座布団に座ると、どこからともなくお茶が差し出されてきた。
「…手紙に書いてあったことって、どこまでが本当のことなの?」
「貴方が私の"兄"だってこと?…お茶美味しい。」
「いや、まぁ、それもなんだけど、その…。あ、ほんとだ、美味しい。」
「私と貴方が人工的に作られたクローン人間だってこと?」
「…ブッ」
思わず吹き出した様を見てシズクが笑う。
「あはは。汚いなぁ。…何もかも本当のことだよ。生まれつき嘘って大嫌いだから。」
「…ケホッ…信じられない」
吹き出したお茶に関心を一切向けずにシズクが言う。
「少なくとも、私がまともな人間じゃないってのは証明できるよ。…例えば、」
「えっ!?」
シズクは懐から小刀を取り出すと、徐に自分の袖を捲って斬りつけた。
血がポタポタと流れて畳に染みをつける。
「あは。お茶に血に…すっごい汚くなっちゃったね。まぁ、いいか。ほら見て…。ちょっとグロいけど…」
マキは驚愕した。シズクが斬りつけた腕の傷が瞬く間に治っていったからだ。
血が止まり、皮膚が伸びて、まるで逆再生しているかのように傷が塞がっていく。
「私は実験で生まれた数少ない成功例なの。私の体は例外なく傷ついても治るし、私が治そうと思ったものも
全部治る。流石に即死しちゃったりするとダメっぽいけど、多分かなりしぶとく治せると思うよ。」
今度はさっきより力を込めて斬ろうとしていたのでマキが慌てて止めに入る。
「この世にはね、目に見えない力がいっぱいあるんだって。私を作った人たちは"まそ"って呼んでたけど。」
「…シズクがとてつもなくすごいってのは、わかった。でも、それと僕とでなんの関係があるってのさ。」
「手紙を読んでくれたなら、多分全部分かってるよね。ていうか、わかるように全部書いたし。」
じっと深紅の瞳でジッと見つめてくるシズク。
それを見つめ返しながら、マキは震えるように紡いだ。
「本当に僕も君と同じ…クローン人間、ってこと?」
「そうでーす。それもなんとシスターズの中で唯一の失敗例で何故か男の子になっちゃった例外的例外の超レアな存在!」
「そんなバカな…」
「あは。」
パンパカパーンと至極面白そうに話すシズク。
「畳をよく見てよ。なんかおかしいと思わない?」
「…え、!? あ、あれ!?」
マキがお茶を吹き出した跡と、シズクが流した血の痕が綺麗さっぱりなくなっていた。
「それはお兄…マキの持ってる異能。自分ではあんまりわかってないうちに発動したりしちゃってるみたいだけどね」
思わずマキは自分の両手を見つめてしまう。
「本当はもっと色々秘密あるんだけど、知りたい?」
「…」
恐る恐る目線をシズクへと向けると、そこには変わらずニコリを微笑む彼女の姿。
自分の置かれた立ち位置が理解出来ずに思考が回らない。
「…わからない」
「…わかった。マキ…あぁ、めんどくさ…もうお兄ちゃんでいいよね。お兄ちゃんがそれを聴きたくなるまで、
私が待ってあげる。聴きたくなったら教えてあげるよ。それでいいよね。」
その代わり、とシズクが人差し指をピンと指してマキに言う。
「お兄ちゃん、あの孤児院に戻るのもう禁止ね。」
「…帰ります。」
「ダメです。」
「屋敷から出たら?」
「出るのは構わないけど、孤児院だけは禁止。」
「…何故?」
「あそこには鬼が居るの。」
「鬼…」
「あそこの"マザー"はこの屋敷を目の敵にしてるらしいけど、"私たち"からしたら奴らこそ諸悪の根源なんだよね。
お兄ちゃんが向こうで言われてた言いつけ破ってくれて凄い助かったよ。おかげでこうやって会うことができたんだから。」
こうしてマキの突然の屋敷暮らしは始まった。
…。
「あ、もしもし?マキにいには会えました?」
「…うん、うん、はいはい。なるほどね。…それは単に伝え方が下手くそだっただけなのでは?」
「…あーすみませんね。ちょっと最近ストレス多くって。そっちは一任しときますよ。念願のお兄様ですもんね。」
「…はいはい。わかりましたって。…まぁ、こっちも順調に進んでますよー。"マザー"の動向も大体掴めてきましたし」
「…ですね〜。そこまではちょっと。」
「…はいはい。それじゃあ、また連絡しますね、お姉様。」