黒く染った純白の彼女 作:灯利
「お兄ちゃん。口開けて。」
「嫌だ。」
「まだ何も持ってないよ?」
「その台詞を言う時点で、何かする気じゃん。」
屋敷で暮らすようになってから、それなりに時間が経った。
最初の頃こそ、朝起きるたびに知らない天井を見て一瞬固まったり、廊下ですれ違う黒服さん達に頭を下げられるたびに変な気分になったりしたものだけど、今ではそれも随分と減った。
……まぁ、未だにたまに迷子にはなる。
この屋敷、広すぎるんだよ。
そんなことを考えている僕の前で、シズクは両手を後ろへ隠したままニコニコしていた。
絶対に何か持ってる。
「ほら。口開けて?」
「だから嫌だって。」
「妹が朝からお兄ちゃんに変なもの食べさせると思う?」
「思う。」
「即答……。」
シズクがむぅ、と頬を膨らませる。
やがて観念したのか、後ろに隠していた手を出した。
小さな皿の上に乗っていたのは、少し形の崩れた団子が三つ。
「……何これ。」
「作った。」
「シズクが?」
「うん。」
「自分で?」
「だからそう言ってるでしょ。」
いや、だって。
シズクが料理しているところなんて今まで一度も見たことがない。
少しだけ嫌な予感がして、一つ摘まんで匂いを嗅いでみる。
……普通だ。
少なくとも匂いは。
「毒とか入ってない?」
「入れてないよ!」
「じゃあ食べる。」
「最初からそうしてよ。」
一口。
もちもちしている。
ちゃんと甘い。
普通に美味しい。
「……。」
「どう?」
「美味しい。」
「あは。」
シズクがとても嬉しそうに笑った。
そんな顔をされると、毒を疑ったことが少しだけ申し訳なくなってくる。
少しだけ。
「でも、何で急に団子?」
「御影が、お兄ちゃんは甘いものが好きそうだって。」
「御影さんそんなこと言ったの?」
「昨日、お兄ちゃんがお菓子の棚の前で五分くらい止まってたって。」
「見られてた……。」
怖い。
この屋敷、僕が思っている以上に行動が筒抜けなのかもしれない。
「それでね、お兄ちゃん。」
シズクが僕の隣へ座る。
「今日は何する?」
「何するって?」
「屋敷探検。」
「まだやるの?」
「お兄ちゃん、まだ全部見てないでしょ。」
「シズクは全部知ってるの?」
「……。」
止まった。
「知らないの?」
「大体は知ってる。」
「大体。」
「大体。」
怪しい。
僕がじっと見つめていると、シズクは少しだけ視線を逸らした。
「この屋敷、私が来るより前からあるところも多いからね。昔の部屋とか、使ってない場所とか。」
「じゃあシズクも入ったことないところがあるんだ。」
「あるよ。」
「例えば?」
「地下。」
答えは早かった。
「あと北の古い棟。」
「そこには何があるの?」
「知らない。」
「知らないから入っちゃ駄目なの?」
「知らないから入っちゃ駄目なの。」
珍しくまともなことを言っている。
そう思ったのが顔に出たらしい。
「何その顔。」
「いや。シズクもそういうこと言うんだなって。」
「私を何だと思ってるの?」
「初対面の相手にいきなりシルシをつける人。」
「……昔の話じゃん。」
「そんな昔じゃないよ。」
シズクは不満そうに団子を一つ口へ放り込んだ。
…。
結局、その日の屋敷探検は御影さんによって却下された。
代わりに頼まれたのが書庫の整理。
曰く、
「お嬢が探検と称して屋敷を荒らされる前に、別のことへ興味を向けていただければ。」
とのこと。
僕を巻き込まないで欲しい。
「お兄ちゃん、それ取って。」
「はい。」
「こっちも。」
「はい。」
「あとあれ。」
「それ自分で取れるでしょ。」
「お兄ちゃんに取って欲しい。」
「何で。」
「何となく。」
面倒くさい妹だ。
高い棚から古い本を下ろそうと手を伸ばした時、肘が机の端に当たった。
「あ。」
ガチャン。
置いてあった湯呑みが畳へ落ち、綺麗に割れた。
僕とシズクは揃って破片を見る。
「……御影に怒られる。」
「シズクが割ったことにしよう。」
「お兄ちゃん。」
「冗談。」
しゃがんで破片を拾おうとした、その時だった。
胸元が、少しだけ熱くなる。
「……?」
カタ。
破片の一つが動いた。
次にもう一つ。
散らばっていた欠片が勝手に集まり、まるで時間を巻き戻しているみたいに元の形へ戻っていく。
最後のひびが消える。
畳の上には、何事もなかったように湯呑みが一つ置かれていた。
「……。」
「……。」
シズクがゆっくり僕を見る。
それから、ものすごく嬉しそうな顔をした。
「お兄ちゃん。もう一回割っていい?」
「何でそうなるの。」
「今のもう一回見たい。」
「嫌だよ。」
「一回だけ。」
「駄目。」
「むぅ。」
僕は元に戻った湯呑みを持ち上げた。
傷一つ無い。
前に僕が吹き出したお茶と、シズクの血の跡が消えた時と同じ。
あの時は何が起きたのか分からなかった。
でも今のは。
明らかに僕がやった。
「本当に……戻したんだ。」
「多分ね。」
シズクも湯呑みを覗き込みながら言う。
「お兄ちゃんの異能、前よりはっきりしてきたみたい。」
「戻す力?」
「まだ分かんない。でも、ただ消してるだけじゃなさそう。」
僕は湯呑みを机へ戻した。
その時、机の端に貼られていた古い紙が目に入った。
文字はほとんど擦れていて読めない。
何となく指で触れる。
また胸元が熱くなった。
「……え?」
薄れていた墨が、じわりと紙の上へ戻っていく。
僕とシズクは同時に顔を寄せた。
『北棟 保管庫』
その下。
もっと小さな文字。
『回収物』
さらに。
消えかけていた一行が浮かぶ。
『孤児院』
「……。」
朝。
シズクが入るなと言っていた場所。
北の古い棟。
僕は紙を見る。
シズクも何も言わない。
「シズク。」
「……うん。」
「これ。」
「見なかったことには、出来ないよね。」
「うん。」
今度はただの探検じゃない。
僕が最初にこの屋敷へ忍び込んだ理由。
帰ってこなかった友達。
その手掛かりが、ようやく目の前に現れた。