小さな窓からは、眩しい朝陽が差しこんでいた。
ここはまなつの部屋・二階のロフト。ベッド代わりに使っているソファの上では、時が止まったようなローラが、静かな表情を浮かべていた。
「くるる〜ん」
くるるんが寝返りを打つと、尾びれがローラの顔面へと貼りついた。
「うう……」
まぶたが開かれる。不服そうな顔がくるるんをにらんだ。
「もう、あさ」
あくびをしながら上体を起こす。尾びれをわしづかみにする。
「……」
もぬけの殻になったまなつのタオルケットがあった。
静寂の中に、淀んだ衝撃の色が広がった。
そこには、当たり前だと思っていた彼女の姿がなかった。
※
キッチンでは、碧がわたわたと働いていた。出勤前の碧は忙しく、こうした慌ただしい朝は、碧が働く水族館の繁忙期には、もはや日課の光景となっていた。
「あら? おはようローラ。まなつはまだ寝てるの?」
リビングの扉を開けて、ローラがやって来た。
碧は肩越しに声をかけたが、ローラはきょろきょろと辺りの様子を見回していった。
いつも通りの光景だった。言いようのない不安が、彼女を襲っていく。
「ちょっと待っててね、すぐに朝ごはんできるから」
振り向かずに、碧は目玉焼きとの格闘を再開していった。
「あ。私、今日も遅くなりそうだから……。起きたらまなつにも言っておいて~」
ローラの口がようやく開いていった。
「ねえ!」
碧は振り返った。
ローラは冷静にしながらも、その目に不穏をにじませていた。
「まなつが……」
※
「ええ……。起きた時にはもう、はい」
碧は、やがて受話器を置いた。
傍で見ていたローラが思わず近づいていく。
「学校には言っといたわ……。私は、これから心当たりのある場所を探してみる」
神妙な面持ちを浮かべていた。
ローラはあふれだしそうになる感情を抑えつけていた。自分でもどうしていいのかわからない、ぐちゃぐちゃとした感覚が、喉の奥からこみあげてくるのを抑えきれなかった。
「ねえ、私も……!」
ローラは、必死に自分を繋ぎ止めていた。
碧はわずかに微笑むと、ローラの混沌とした目を見つめていった。
「ありがとう……。でもね、ローラは今できることをやるの」
※
街中の商店街……。閑散とするその通りを、制服姿のローラが、まるで人形のように歩いていった。その表情には、快晴の空とは裏腹に、どこかどんよりした曇り空が立ちこめていた。
空から響く振動音。澄みきっている空には、一筋の飛行機雲が、まるでひびを入れるように、頼りなげな軌道を浮かべていた。
「びゅーんっ!!」
ローラは振り向いた。
ランドセルを背負った女の子が、青空を指し示していく。
「ひこうきぐもぉーっ!」
もう一人の女の子が追いかけていった。
「待ってよぉ! はしゃぎすぎいー!」
二人は駆けていった。
何故だか、とても遠い昔の想い出のように思えた。
「あれ? ローラ?」
後ろから、さんごの声が聞こえた。
「おはよう! まなつは一緒じゃないの?」
正面へと回りこんでいく。
「……ローラ?」
ローラは立ちつくしていた。
青空の飛行機雲が、何かに紐解かれるように、崩れていった。
※
「まなつが行方不明……!?」
あおぞら中学・三年生の廊下で、あすかの声が響いた。
「どういうことだ!? それは……!」
「わからない、私にも、何が何だか……」
呟くローラの隣には、不穏を浮かべたさんごとみのりが、その消え入りそうになる表情を見つめていた。
「くるるんはどう? 何か知らない……?」
みのりが口を開いた。
「くるるーん……」
アクアポットの中の表情がゆがんでいく。
「じゃあ、夜の間にいなくなっちゃったってこと……?」
さんごが見上げた。
ローラは何も答えられずに、俯いていた。
「とにかく、探すんだ……! 休み時間や、放課後の時間を使って! 早くっ!」
あすかの焦れた号令とともに、四人は動きだしていった。
※
四人は、それから様々なところを探していった。
学校中の教室や、場所はもちろん、時にはグラウンドの茂みの中……、やがては学校を飛びだして、今までに行った、まなつとの想い出を遡っていく。
部室を開拓した時のリサイクルセンター、みんなで保育士体験をしたしらくも保育園、日々の生活を充実させてくれる商店街に、いつもみんなで集まっていた、さんごの家のPrettyHolic。そして、ローラとまなつが初めて出会った、あの小さな入り江の隅々まで……。その多くの場所の、その全てを、ローラたちは必死になって駆け巡った。
それでも陽は暮れていった。
それでも彼女たちは止まらなかった。
失われた何かを追い求めるように、いつまでも想い出の中を彷徨い続けていた。
誰一人として、気持ちの底に渦巻く、不穏な感情を振り払うことができずにいた。
夕空がやがて傾いていった。
まばらにたれこめていた雲が、街の姿を、暗い夕闇の中へと沈めていった。
※
夕鳥の鳴き声が響いた。
すでに陽は陰り、正門には、目的を達せないままのあすかたちがいた。
部活を終えた生徒たちが、通り過ぎていく。
生徒が一人、行方をくらましたことなど、知る由もないといった風に。
ローラたちは黙っていた。
誰も、慰めの言葉を聞く気にも、またかける気にもなれなかった。
「……まだ」
みのりが重い口を開いた。
「探していないところがある」
空気を変えようとしているのか、まるで心を絞るように話しだす。
「灯台もと暗し、という言葉がある」
ローラが感情のこもらない声で応えた。
「とうだい」
その表情は、凪いだ海のように透き通っていた。
※
夏海家。
暗い夕陽が、無人のリビングを、寂しく照らしていた。
やがて、姿を消したまなつの部屋に、ローラたちがやって来た。
いつも通りの光景だった。朝の状態のままのベッド、雑貨が並べられている机、備え付けの椅子には、まなつの学校カバンが、持ち人を失ったまま掛かっている。
空間までが、時間とともに止まっているような感じだった。
あすかが、ふと隅に置いてある洋服ラックへと目を向けた。
制服が一着、寂しくぶら下がっていた。
「ほんとに、いなくなったのか」
部屋の空気が落ちこんでいった。
「うっ……」
さんごの嗚咽が漏れた。
「うっ、うっ……」
あすかとみのりが表情をゆがませた。
「……泣かないで」
ローラが自分に言い聞かせるように呟いた。
「……泣かないでよ」
わけがわからない感情を、必死に抑えつけている。
仄暗さを増す室内が、四人の身体を包んでいった。
「くるるん……」
くるるんが四人を見回していった。
「くる……?」
画面の奥から、大きな泡が飛びだしていった。
「くるるーん!」
四人は、振り向いた。
棒高跳びに挑戦するような、まなつの空中浮遊ぶりが揺らめいていた。
「……これ」
みのりがやがて呟いた。
「……あの時の、か」
あすかが思いだしたように続ける。
シャボンピクチャーは浮遊し続けていた。まなつの記録的な瞬間が、その度に、ゆらゆらと揺らめいていく。
「……ふふっ」
さんごが吹きだしていった。
「あははっ……」
「さんご?」
ローラは漏らした。
「ごめん、だって……」
さんごが涙を拭っていく。
「随分、よく撮れてるんだな……」
あすかがつられたように微笑んだ。
「決まり手は、地獄落とし……」
みのりがふふ、と微笑んだ。
「すごかったです、あれ……」
さんごがまた吹きだした。
「言うな、もう……」
三人に、だんだんと彩りが戻っていった。
「……あなたが出してくれたの?」
ローラは、くるるんのいるアクアポットを見た。
くるるんは、くるるん? と首を傾げていた。
「……ありがとう」
そんなこと、本当はどうでもよかった。
くるるんは嬉しそうに、くるる~ん! と鳴いていった。
ローラは三人を見つめていった。
その瞬間、ローラは、はっとなった。
大きな窓の向こうに、夕陽に瞬いている海と、まなつのシャボンピクチャーの姿が重なっていた。
「……ローラ?」
あすかが呼びかけていく。
ローラは、神妙な眼差しを浮かべると、ねえ……、と口を開いていった。
「……行ってみたいところが」
※
波の音がこだましていった。
日没前の砂浜は、辺りをすでに夜の装いへと変えていた。
四つの人影が進んでいった。先頭のローラが、薄闇をずんずんとかき分けていった。
「ローラ……?」
歩調が早まるローラに、さんごが呼びかけた。もう少しで、辺りは足元さえおぼつかなくなりそうだった。
「あの時の、浜辺か……」
あすかが目を凝らしながら見回していった。
「何か、考えが……?」
みのりが追いかけながら尋ねた。
ローラは波打ち際で立ち止まると、彼方の水平線を見つめていった。
まるで生き物のような波が、足元で音を立てては、また吸いこまれるように返っていく。
「……おい」
あすかがやがてしびれを切らした。
ローラは何かを諦めたかのように振り返ると、あすかの目を見つめていった。
「……ごめん」
永い沈黙が生まれていった。
「何も、なかったわ」
ローラは足を上げると、魂を抜かれたように歩き始めていった。
「……もう、行こう」
四つの人影が、言葉を見つけられないまま、暗い砂浜を後にしていった。
ローラのローファーの先が、何かに触れた。
ローラは足元を見つめていった。
砂浜に埋もれている瓶が、誰かに見つけてくれるのを待っていたように、ぽっかりとその口を開けていた。
みんなが集まってきた。
「……これ」
みのりが呟いていった。
さんごは、口を開けてぽかんとしていた。
「……まさか」
あすかがしゃがみこんでいく。
「くるる~ん!」
くるるんが、お気に入りの玩具と再会したかのように、飛びだしてきた。
ご機嫌に頬ずりを始めていく。
「……ここにいたんだ」
ローラが呟いた。
「……まなつ」
瓶を拾い上げていく。
「どこに行ったのよ……!」
抑えていた想いがあふれていった。
「何でよ? どうして……!? 急にいなくなるなんて……!!」
感情が爆発していくようだった。
「何でよ……!? どうして……、私を、置いていったのよお……っ!!」
波音が響き渡った。
「ばかあ……!!」
声を上げて泣き始める。
「まなつの、おたんこなすぅ……!!」
永い夜が落ちていた。
あすかが優しく抱きとめた。
みのりもその後へと続いていった。
涙をこらえていたさんごも、やがてそうした。
彼女たちの影が、一つの姿へと変わっていった。
「……ひとりじゃない」
あすかが呟いた。
「……くるるん」
くるるんも傍へと寄り添った。
深い闇が落ちていった。
彼女たちの姿を閉ざしていくように。
「……まなつ」
ローラの目から涙がこぼれた。
声とともに、ぎゅっと瓶が握られていく。
あすかたちは、ゆっくりと目を閉じていった。
それは、言葉にならない共通の想いだった。
――――――――まなつ
四人の想いが重なっていった。
――――――――まなつ
遠いどこかで……。
白く小さな光が瞬いた。
「ときめく常夏! キュアサマーっ!!」
ばっこぉぉぉ……ん!!!
「ヤラネーダァ……ッ!?」
どんっ、どんっ、どんっ……!
激しい音とともに、ヤシの木の姿をしたヤラネーダが、砂浜へと吹き飛んでいった。
「うりゃあああーーーっ!!」
パンチのポーズを取っているキュアサマーが、軽やかに宙を舞っていく。
「あ! そっか、ローラがいないと、やる気パワーが……!」
大切なことに気付くサマー。その一瞬の隙を突いて、ヤシの実砲弾が、ヤラネーダの頭から発射される。
「うわっ! わっ、わぁっ……!?」
馬乗りになってかわすサマー。無事に着地するが、砲弾は、それでも間を置かずに飛んでくる。
「……このお」
サマーは避けながら、ぐっと脚に力をこめていった。
「……いい加減にぃ」
着地した足を、砂浜に向けて、思いきり蹴りだしていく。
「しろおぉーーっ!!」
びゅんっ!!
サマーが勢いよく飛びかかっていった。
ぐんぐんと、ヤラネーダとの距離が縮まっていく。
渾身の一撃を加えようと、その拳を振りかぶっていく。
その時だった。
「……へっ?」
目の前に、身を寄せ合ってしゃがみこむローラたちがいた。
「……はっ?」
ローラたちも見上げた。
そこには、今まさに、殴り掛からんとするキュアサマーの姿が、
いや……、
「まなつ……!?」
四人の表情が、衝撃に満ちていった。
「みんなぁっ!!」
サマーの表情も、負けじとばかりに輝いていった。
「ヤラネーダァッ……!!」
ヤラネーダが、俺を忘れるな、という風に身構えた。
「まなつ……」
ローラが言う間もなく……、
「やあああーっ……!」
拳を振り下ろしていく。
「てやあぁぁぁーーーっ!!!!!」
ヤラネーダの脳天が大きな音を立てていった。