朝の日差しに、海面がきらきらと輝いている。
あすかたちは、ちらちらとその輝きを見やりながら、どこまでも続く黄土色の砂浜へと足跡を刻んでいった。
ざっ、ざっ、ざっ……
あすかとローラが、音を立てて砂浜を走り抜けていった。
二人とも、ほんのジョギングのつもりで走っていたのだが、随分と後ろを走っているみのりは、すでにぜえぜえと息を上げ、二人の足跡をよろよろとたどっていくのが精いっぱいのようだった。
「どうした? みのりーっ!」
あすかが立ち止まって、ふと声を上げた。
「朝の……、丘を登っていた時の勢いはどうしたーっ?」
みのりが、ぜえぜえと呟いた。
「……あれは、一種のトリップ状態」
「なんだってーっ?」
みのりは、よれよれになりながらも、何とか二人のところへと追いついた。
「……調べるったって、走る必要、全然、ないと思う」
あすかが、今ごろ気付いたように手を叩いた。
「そりゃま、確かにそうだ」
「……何か、楽しんでない? あすか」
ローラが目を細めて、訝しげに尋ねた。
最初に走り出したのはローラではあったが、やがてあすかがノリノリにペースを上げると、いつの間にか、まるでマラソン大会が始まったかのようになってしまっていた。
「……『陸上部』だなんて、……聞いてない」
みのりが肩で息をしながら切実に訴えた。
「わ、悪かった……。最近、受験勉強ばっかりで、つい、な」
あすかが頬をぽりぽりと掻きながらこぼす。
「ちょっと……。気分転換で走ってたわけえ?」
ローラが、呆れたようにあすかを見つめた。
「し、仕方ないだろ……! こればっかりは……。許せっ!」
あすかが、頬を赤くしながら言い返した。
三人は、みのりが呼吸を落ち着けるのを待ってから、やがて島の調査について話し合いながら、再びゆっくりと歩き始めた。
「まずは、この島の全体像が知りたいな……。どのくらいの大きさなのか。そもそも、どんな場所なのか……」
砂浜にざくざくと音を立てながら、あすかの言葉が響いた。
「とりあえず、島を一周してみるとか?」
ローラがふと提案した。
「いいな……。一周してみたら、どんな場所なのかが大体わかる」
みのりが曇った表情で懸念を口にする。
「でも、どのくらいかかるのか……。もしも、思っていたより大きな島だったら」
あすかが、走りだす用意はできてる、という風に身構えた。
「行ってみればわかるさ……!」
「却下!!」
二人の声をそろえたツッコみが飛ぶと、あすかは、やがて少しいじけたように口をつぐんだ。
三人は、その後も様々な方法を話し合いながら歩き続けた。
その間も、じりじりとした日差しが、時間が経てば経つほどに、三人の身体を強く火照らせていった。
「……」
あすかが、ふと、辛そうに歩いているみのりに気付いた。
「……なあ!」
あすかの言葉に、先を行くローラが静かに振り向いた。
「ちょっと……、休もうか」
みのりの様子を見やると、ローラは、状況を察したようにこくりと頷いた。
三人は、近くの大きなヤシの木の陰に、いったん腰を下ろすことにした。
「……はあぁ」
まるで崩れるように座り込んだみのりから、蚊の鳴くような声が漏れた。
「まったく……。相変わらず本の虫ねぇ」
ローラがやれやれと呟いた。
木漏れ日が、三人の表情にざわざわとその影をおどらせていく。
「そんなの無視……。虫よりも、今は海で泳ぐ魚になりたい……」
みのりが困憊の様子で呟いた。
その額からは汗がだらだらと流れている。
「……それだっ!」
あすかが突然、ひらめいたように手を打った。
「海からこの島をのぞけば、この島の大体の大きさがわかるぞ……!」
ローラとみのりが、思わずあすかを見やった。
「はああ……? つまり、何? 私に泳いで見に行って来いって……? それって、ちょっと人づかいが荒いんじゃなくって……?」
あすかが冷たく目を細めた。
「まだ何も言ってないだろ」
みのりが補足するように続ける。
「それなら、海の中の様子もわかるはず……。ローラにとっても、けっしてマイナスにはならないよ?」
ローラは、その言葉にわざとらしくそっぽを向いた。
「絶対やー。ただ働きだなんて」
だが、ローラの口元にはやがて笑みが浮かんだ。
「まあ……、何かご褒美があるんだったら、話は別だけどぉ~?」
あすかは、しばらくムッとしていたが、やがてその誘いに乗るかのように静かに笑みを浮かべた。
「……よおーし。望みは何だ?」
にやりとするあすかに、ローラは、「そうねえ~」と腕を組みだした。
しばらく考えていたローラは、やがて悪知恵を思いついた子供のように、不敵にその口元をゆがませた。
「……あすかの、『どげざ』っ!」
長い沈黙が辺りに及んだ。
「……それは」
みのりが、「ダメでしょう……」という風に呟いた。
あすかは、爽やかな笑顔を浮かべていたが、やがてピキピキとその表情が崩れていった。
わずかな身体の震えが、その内に潜んでいる明確な怒りを如実に物語っていた。
「調子に、乗るなああっ!!」
あすかがローラへと飛びかかっていった。
「きゃあああっ!?」
無邪気な声を上げて、ローラがまるで子供のように駆け出した。
鬼ごっこが始まって、みのりは、ざわざわと揺らめく木漏れ日の下で、ただただ呆れながらその様子を見つめていた。
二人が、ざくざくと音を立てて、広大な浜辺をどんどん遠くへと渡っていく。
まるで、みのりのことを忘れているかのように、どんどん遠くへ、遠くへと……。
「……ちょっと」
みのりが、立ち上がって、やがてその一歩を踏み出した。
「……待って」
やがて走り始めるも、砂場に足を取られて、みのりの身体がふいに空へと揺れた。
「あっ――」
ドサッ!
キャッキャ、と笑いながら走っていたローラとあすかが、思わず振り向いた。
「……みのりっ!?」
間の抜けた声を上げたあすかが、慌ててみのりのもとへと駆け寄っていった。
「す、すまんっ! 平気か……!?」
「……」
顔を砂に埋もらせたまま、みのりの返事は帰ってこなかった。
「ちょっと、もう。……鈍臭いんだからぁ」
ゆっくりと歩いてきたローラが、やれやれという風にしゃがみ込んで、みのりの肩に手を回し、その身体を抱き寄せていく。
「ううぅ……」
唸りながら、みのりが、その砂にまみれている顔へと静かに手を伸ばしていった。
転んだ拍子に飛んでいった眼鏡を、ローラがそっと拾い上げて、みのりの手元へと差し出した。
赤くなった鼻をなでながら、みのりが、ローラの手へとよろよろと手を伸ばしていく。
……ふふっ。
誰かの笑い声が響いた。
子供のような声。それも、一人でなく、二人の声が重なっている。
ぷぷぷ……。くすくす。
あすかとローラが振り返ると、ヤシの木の後方の木立に、三人組の少年たちが、木の幹に寄り掛かりながら、こちらをにやにやと見つめていた。
みのりの眼鏡を、今朝、こっそりと持ち去っていった、全員が小学生の高学年くらいに見える、やんちゃ盛りの少年たちだった。
「シュレオ」と呼ばれた、その際、みのりから直接お説教を受けた少年だけは、まるで笑うのがはばかられるように、申し訳なさそうに、みのりのことをちらちらと見やっている。
「……あいつらめ」
あすかが、じっと少年たちを見返した。
ローラは、やれやれといった風に、少年たちと、這いつくばっているみのりの姿とを交互に見つめていた。
「……」
みのりの手が、ローラの手からさっと眼鏡を取り去った。
「へ……」
呆気にとられるローラをよそに、みのりは二人の前でゆっくりと立ち上がると、やがてずんずんと少年たちのもとへと歩いていった。
「……お、おい?」
あすかの声に、みのりは見向きもしなかった。
「ちょっと? どこ行くの……?」
ローラの問いに、みのりは静かに立ち止まると、そっと肩越しに呟いた。
「ちょっと……、文句言いに」
眼鏡を光らせながら、なおもこちらへと進んでくるみのりに、子供たちは、その表情を少しずつ、少しずつ、ゆがめていった。
「な、何をする気だ……?」
あすかが少し慌てたように尋ねた。
みのりの、いささか鬼気迫る雰囲気は、そう尋ねさせずにはいられなかった。
「言葉、通じないんでしょ……?」
ローラの言うことはもっともだった。
しかし……。
「苛立ちと、怒りは伝わる」
みのりの揺るがなさに、二人はその背中を見送ることしかできなかった。
「あとから行く……。先に行ってて」
眼鏡をかけて、そう真っ直ぐに言い切ったみのりを、あすかとローラはただ見つめていた。
――みのりは、戻らない。
二人は、そう直感した。
「……」
ローラは、どこか寂しそうに、去っていくみのりの後ろ姿を見守っていた。
「行こう」
振り向くと、あすかが、微笑みを浮かべて、ローラの顔を静かにのぞいていた。
あすかの笑みは、気のせいか、どこかローラと同じ気持ちをはらんでいるように思われた。
※
ざく、ざく、ざく。
あすかとローラの音が、波の音と交じり合いながら静かに響いていく。
「……意外だよな」
あすかの声が、二人の沈黙を破った。
「みのりが、あんなにこだわるなんてさ……」
あすかが、穏やかな目線を海に投げかけて言った。
ローラは何も言わずに、あすかの後ろをただ歩いていた。
穏やかな波の音が、沖合から、浜辺の木立にかけて、二人の間を幾度となく通り抜けていく。
あすかが、ふと足元に何かを発見した。
砂の中に、小さな石が埋もれていた。
あすかは、しゃがみこんで石を拾い上げると、掌の上でとん、とん、とリズミカルに弾ませた。
「よっ!」
海に向かって、あすかが石を投げ込んだ。
音もなく、絶え間なく流れる波間のどこかへと、その石は吸い込まれていった。
「……」
ローラが、今さら気づいたように、立ち止まっているあすかを数歩先で振り返った。
あすかは、ローラの顔を見やると、静かに微笑みを浮かべた。
「……どうした?」
ローラは、思わず「え」と呟いた。
「何だか、元気ないな」
ローラは、戸惑ったように首を振った。
「そ、そんなことない……。何でもない。別に……」
あすかは、再び海へと視線を移すと、もうひとつ、砂浜から、さっきよりも大きな石を拾い上げた。
それから、再び波間に向かって大きく腕を振った。
――ポチャン。
今度は微かに音が響いて、白く泡だつ波頭の中に、小さな水しぶきが立った。
「お……、さっきより遠くまでいった」
微笑みながら、あすかが遠くの波間を見つめている。
「……」
ローラは、俯いていた。
「……わかるよ」
あすかの言葉が、ふいに響いた。
「……何となく、わかるんだ」
あすかは、ローラの視線を追うように、続けた。
「私も、一人でいる時間が長かったからさ……」
ローラは、何かを言おうとして肩をいからせたが、しばらくしてまたその口を閉ざしていった。
「……すまん。余計なお世話だったか?」
あすかが、少し気恥ずかしそうに尋ねた。
「……」
ローラは黙っていたが、やがてゆっくりとかぶりを振った。
「……私」
ローラは、依然として俯きながら呟いた。
「……わからないの」
あすかは、黙ってローラの表情を見つめていた。
「自分が、どうしたいのか」
ローラは、寄せては返す波を見つめていた。
「さっきも。……今だって」
その瞳には、雲がかかったように、灰色の濃淡が浮かんで微かに揺れているように見えた。
「自分で、自分がわからないの」
二人の間に、深い沈黙が流れていった。
「……おかしいわよね。こんなこと」
ローラが力無く呟いた。
「……ごめん」
あすかは迷わずに答えた。
「おかしくない」
あすかは、どこまでも広がる海へと視線を移した。
「……いいじゃないか」
再びしゃがみこむと、砂に埋もれている石を一つ手に取った。
「これから、少しずつでもわかっていけたら」
石をぐっと掴んでから、ゆっくりとあすかは立ち上がった。
「時間はいくらだってあるんだし……、さっ!」
ひゅっ、と風を切る音とともに、あすかの投げた石が勢いよく海へと飛んでいった。
今度は石が波に飲まれる音も、波間に姿を消していく際の水しぶきも、何も見えなかった。
「……」
波音が、ただ響いていた。
「……座ろうか」
あすかは、ローラの顔を見やると、ゆっくりと砂の上に腰を下ろした。
「……はぁぁ~」
大の字に転がって、あすかがふっと息を吐いた。
「何だか、解放されるなぁー……」
あすかの視界には、境界や線引きなどどこにも存在しない、どこまでも無限の青空が広がっていた。
ローラは、あまりにも能天気なあすかの調子に、ついつられたように座り込んだ。
「……いいわね、あすかは。何も縛られるものがなくって」
ローラは、同じように、どこまでも自由な空を見上げた。
「ばか言うな。私だって、今は根っからの受験生だぞ」
ローラが、それを聞いて、さらに呆れ調子になった。
「いいの……? なおさら、こんなぼーっとしてて」
あすかが、何故だか、どこか嬉しそうに弁明した。
「しょうがないだろ! こうなった以上、気分転換は必要だ……!」
ローラは、その言葉に、少しだけ面白くなってきた。
「何だ、やっぱり気分転換なんじゃない」
あすかが言葉を詰まらせた。
「いや……! だから、これは気分転換じゃ……!」
ふふっ。
ローラは、思わず吹き出した。
「あはは……っ!」
あすかは、しばらくローラの屈託のない笑顔を見ているままだった。
だが、やがてその表情には、いつの間にか笑みが浮かんでいった。
「……はははっ!」
二人は、しばらくの間、笑い合っていた。
穏やかな波音に交じって、二人の明るい笑い声が遠くの空へとこだましていく。
爽やかな風が、笑顔の二人だけの空間を、優しく通り抜けていった。
コーン、コーン……。
ふいに響いてきた音に、二人は静かに振り向いた。
音は、止むことなく、木立の奥の方から一定の間隔で微かに聞こえてきた。
コーン、コーン……。
あすかとローラは、どこかで聞いた覚えのあるその音に、ゆっくりと視線を合わせながら、じっと耳を澄ませていた。
※
木立の茂みを、がさがさとかき分ける音がする。
あすかとローラは、深い茂みをかき分けながら、ずんずんと茂る木立の中を進んでいった。
まだらな木漏れ日が、二人の身体を貫いては、その先に広がる景色を二人に予感させていた。
二人の身体が勢いよく音を立てると、長い茂みを突き抜けていった。
そこには、開けている野原に、行列を作りながら、長い一本道を歩いていく、村人の女性たちの姿があった。
全員、腕や頭に、大きなかごを載せたり、かけながら、粛々と前へ、前へと歩き続けている。
女性たちは、あすかとローラの前を過ぎ行くたびに、軽く目配せをし、微笑みを浮かべながら会釈をしてくれた。
あすかとローラは、そんな女性たちの姿に何となく圧倒されながら、その長い行列の前に立ち尽くすことしかできなかった。
コーン、コーン……。
先頭を歩く女性の打ちつける木片の音が、どこまでも響いていった。
女性たちの集団は、やがて二人の前をゆっくりと通り過ぎていった。
列の最後尾には、今朝、朝食の時間に、あすかたちの食器を回収してくれた女性がいた。
その女性は、あすかとローラに、まるで顔なじみのような優しい笑顔を見せると、ゆっくりと二人の前を通り過ぎていった。
その背中に、一歳ほどの女の子をおぶりながら。
あすかに似た、どことなく赤い髪をした、ショートヘアの女の子だった。
あすかは、その幼い娘と、母親の姿を見ながら、遠く、もはや薄い過去の記憶を、ぼんやりと思い返していた。
自分に母親はいないけど、遠い過去には、自分もあんな光景と縁があったのだろうか……。
そんなことを、ただ呆然と考えていた。
母親におぶられた女の子は、辺りの過ぎ行く景色を、盛んにきょろきょろと見回していた。
右へ、左へ……。
そうやって身体を振る度に、母親の身体も、また右へ、左へ……。嬉しそうに、困ったように振り回されていった。
一羽の蝶が、ひらひらと、女性たちの集団を横切っていった。
蝶は、列の最後尾まで来ると、ふわりふわりと、母親の周りを旋回し始めた。
蝶を手に取ろうと、女の子が、無意識に手を伸ばした。
蝶は、女の子の手をすり抜けるように、親子の間を通り過ぎていった。
母親の身体が、ふいにバランスを崩した。
「――!」
スローにも思えるような、その一瞬の間に、あすかの身体はとっさに動いていた。
倒れそうになった母親の身体を支えると、背中の女の子も、しっかりと自分の身体に抱き寄せていた。
「……」
女の子が、不思議そうに、あすかのことを見上げていた。
あすかは、穏やかな表情で、女の子にそっと微笑みかけた。
母親は、やがて何が起きたのかを理解すると、あすかに屈託のない笑みを浮かべた。
「アリガトウ……!」
母親は、女の子を抱き直すと、まるで促すように、あすかの方へとその顔を向けさせた。
女の子は、何が起きたのかわからないまま、あすかの顔をぽーっと見つめていた。
あすかは、その女の子の無垢な表情を、目を逸らすことができずに、ただ呆然と見つめていた。
ローラが遅れて追いついてきた頃、木の音が再び鳴り響いて、いつの間にか止まっていた女性たちの集団がまたゆっくりと動き始めた。
母親は、もう一度あすかに「アリガトウ」と言うと、列のしんがりに加わって、再び長い道に沿って歩きだしていった。
女の子をおぶった母親の背中が、ちょっとずつ、ちょっとずつ、二人から離れていった。
女の子は、あすかの方を振り返りながら、ずっとこちらを見つめていた。
母親が、その生命の重みに揺れながら、懸命に、ゆっくりと一つの道を進んでいった。
「待ってください!」
あすかは、いつの間にか叫んでいた。
身体が、勝手にローラの前を通り抜けて、母親の前へと走っていく。
女性たちの集団は、その声に、再び動きを止めていた。
あすかは、やがて最後尾の母親のもとへとたどり着いた。
「私も……、行きます」
あすかは、自分の発した言葉に驚いていた。
だが、不思議と、心から湧いてきたような安心感がそこにはあった。
母親は、驚いたようにあすかを見つめていたが、やがて微笑みを浮かべると、あすかの瞳を優しくのぞきこんだ。
あすかは、母親の持っていた大きなかごを、静かにその手に受け取った。
女の子は、母親の背中で、相変わらずあすかのことを不思議そうに見つめていた。
今度は、女性たちの全員が、あすかのことを見つめていた。
その表情には、あすかへの素朴な気持ちが浮かび上がっていた。
「アリガトウ……」
心からの気持ちが、母親の中から湧き上がった。
あすかは、自分でもわからないが、何故だかとても嬉しい気持ちになっていた。
ローラが、ゆっくりとあすかのもとへとやって来た。
あすかは、まるで忘れていたかのように、はっとなって振り返った。
「! すっ、すまん……! これは、その、何ていうか……」
しどろもどろとするあすかを、ローラはおかしそうに笑った。
「……いいじゃない」
ローラは、穏やかに口を開いた。
「あすからしいわ」
あすかは、当然納得できなかった。
「……でも……、島の探索は、私が言い出して……!」
ローラはきっぱりと答えた。
「任せなさい! 仕方ないんだから。私が海まで泳いで、島の全体を探ってきてあげる……!」
あすかは、再び釈然としないように俯いた。
「……感謝しなさい? 私がこうまでするからには、ちゃんとその人のこと……、手伝ってくること!」
あすかは、しばらく俯いていたが、やがてその顔を静かに持ち上げた。
「あら、なあに?」
ローラが、からかうように、口元に手をやった。
「まあ……、どうしてもって言うのなら、してもいいのよ? あすかの、ど・げ・ざ……」
「ローラ!」
ローラは、はっと顔を上げた。
あすかは、じっとローラの顔を見つめていた。
「ありがとう」
ローラは、何故だか、急に恥ずかしくなってきた。
「や、やめてよ」
少しだけ頬を赤らめ、目線を逸らす。
「アリガトウ」
母親からも、その言葉は紡がれた。
「……アリガトウ」
集団の中からも、次々に言葉が響いていった。
アリガトウ……
アリガトウ……
アリガトウ……。
「い、いいの……! 別にっ!」
ローラが、踵を返して、やって来た木立の方へと足早に去っていった。
「ローラ……!」
あすかが声を上げるも、ローラはやがて木立の中へと姿を消していった。
「……」
あすかは、じっとその場に立ち尽くしていた。
女の子の小さな手が、ふとあすかの腕に触れた。
あすかは、はっとなって振り返った。
女の子は、あすかの顔を見ながら、まるでお礼を言うかのような、元気な声を上げた。
あすかは、静かに微笑むと、ゆっくりと女の子の手を握って、離さなかった。
※
ザッ、ザッ、ザッ……。
ローラが、木立の中をずんずんと進んでいった。
「くるる~ん……」
ポケットのアクアポットから、くるるんが心配そうにローラの表情を見上げている。
「……おかしいな」
ローラの言葉が、ぽつりと響いた。
その表情には、今にも崩れそうな、潤んだ瞳が揺れていた。
「私だって、嬉しいはずなのに」
※
村から少し離れた浅瀬に――。
そこでは、アニたちが笑い声を上げながら、楽しそうに狩猟遊びをしていた。
木の棒を抱えて、岩礁の上から、水中の獲物に狙いを定めるかのように一斉に飛び込んでくる。
ザッボーン……!
音を立てて、やがてアニたちが水面から顔を出した。
小さな勇者たちは、お互いの未来を讃えるかのように、互いの勇気を認め合い、波間にその小さな身体を揺らしながら、無邪気に笑顔を浮かべていた。
「だっはっはー!」
ついでながら、無邪気に笑い声を上げたまなつが、岩礁の上に現れた。
颯爽と木の棒を構え、アニたちと同じように、それらしく波間へと飛び込んでくる。
ザッバーーンッ!!
思いきり水が跳ね、アニたちの顔を覆った。
まなつは、いつまで経っても海面に上がってこなかった。
「……?」
不思議に思ったアニたちの前に、やがて無様に開かれた両脚とともに、まなつの身体が浮かび上がってきた。
「ぶはっ……!」
まるで漫画のような表情で、まなつが大きく息を吸った。
アニたちは、その表情に思わず笑ってしまった。
「……あはははっ!」
まなつもつられて笑いだすと、そこにはもう、今を楽しんでいる子供たちの、きらきらと輝いている笑顔しか浮かんではいなかった。
※
麻でできたリボンが、柔らかな手つきできゅっと結びあげられる――。
さんごの手が、丹念に作り上げていく「何か」を、サラたちは無垢な視線で追っていた。
「はい」
優しい笑みで、さんごがサラたちにリボンを差し出した。
目を丸く開いたサラに、さんごが、ゆっくりとリボンを結んで、つけてあげた。
サラは、まるで自分が、いつもの自分ではないといった風に、はしゃぎながら、体を前へ後ろへと翻している。
サラの友達も、はしゃぎながら、いつもとは違うサラの姿にきらきらと目を輝かせていた。
彼女たちの姿は、見たことのない未知のアイテムに、どこまでも鮮やかに彩られていた。
こんなに、喜んでもらえるんだな……。
さんごは、呆然とその光景に魅入られていた。
『かわいい』が広がって、繋がっていく、この瞬間……。
私は、やっぱり、この瞬間が大好きなんだ。
さんごが感慨にふけっていると、家の入口から物音がした。
入口にかかった織物のすきまから、近所の女の子たちが中を覗いているのがわかった。
サラたちと同じ、十歳くらいの子もいれば、幼稚園生くらいの、年端のいかない子供たちまでいる。
「……」
さんごは、驚いていたが、やがて微笑むと、子供たちに優しく手招きをした。
「おいで」
戸惑いながらも、興味津々に中へと入って来る子供たちに、さんごは、どこまでも優しい笑みを浮かべて、彼女たちのために再び手を動かしていった。
※
波音が繰り返し聴こえてくる、ヤシの木の陰で――。
何かがこすれ合うような音が響いてくる。
シュレオと呼ばれた少年が、木の棒を木片に当てて、何やら焦った様子で懸命にこすり合わせていた。
隣を見やると、そこには流木に座った、シュレオのことをじっと見つめているみのりの姿があった。
シュレオは、再び木片に視線を移すと、火おこしの作業へと集中した。
正直言って、やりづらくって仕方がない、と思っていた。
みのりは、その作業を、特に口を出すではなく、どこか戒めるようにじっと見つめていた。
ゴシ、ゴシ、ゴシ……。
木のこすれ合う音が響くと、残りの二人の少年たちが、果物や野菜などを採ってきて、せっせとみのりの前へと並べていく。
眼鏡の件のお詫びのつもりなのか、それとも、みのりにさせられていることなのかは謎のままだった。
だが、兎にも角にも、あとは火が起こるのを待つだけのようだ。
「……」
みのりが、なかなか上がらない煙にしびれを切らしたのか、微かに上体を起こした。
シュレオは、恥ずかしいことに、心臓が口から飛び出るかというほどに驚いてしまった。
「少し、貸して」
みのりが、シュレオの隣に足を崩すと、柔らかい手つきで木の棒を取り上げた。
みのりは、何やら上空の太陽を見上げると、その角度を目測で調べ始めた。
シュレオは、口をつぐみながら、ただその横顔を見つめていた。
みのりは、「うん」と呟くと、かけている眼鏡をそっと外した。
「……」
みのりのかざした眼鏡からは、空から束ねられた日光が放たれて、木片の中心に、やがてもくもくと煙を起こしていった。
シュレオは、ただ唖然とその光景を見つめていた。
みのりは、ふふっと微笑むと、「どう?」とでも言う風に、眼鏡をかけないまま、シュレオの表情を静かに見つめた。
※
木漏れ日の下で、あすかが遠くを見つめている――。
視線の先には、広大な畑が広がっていて、その中で、村の女性たちがせっせと農作物を収穫していた。
ざわめく木漏れ日を受けながら、こちらによちよちと歩いてくる女の子がいた。
あすかが先刻抱きとめた、一歳くらいになる女の子だった。
女の子は、あすかに目をやると、よちよちとその歩調を整えながら近づいてきた。
一歩、二歩、三歩……。
あと一歩のところで、女の子は前のめりにバランスを崩した。
あすかは、女の子の脇を持って静かに支えた。
そのまま、女の子はあすかの胸に、倒れるように抱きとめられた。
「……」
女の子は、きょとんとなっていたが、やがてあすかのことを見上げると、ふふっと微笑んだ。
あすかは、この胸の感情がどこから湧いてくるのかわからなかった。
だが、その笑顔を、とにかくずっと見ていたいと思ったことは確かだった。
「ラウラー!」
畑の方から声が聞こえた。
あすかが振り返ると、畑で働いていた女の子の母親が、手を振りながらこちらに声を上げていた。
あすかが笑顔を浮かべて手を振り返すと、ラウラと呼ばれた女の子が喜びの声を上げて、よちよちと母親のもとへと歩いていった。
母親もまた、嬉しそうにラウラのもとへと駆け寄ってきた。
ラウラが、弾けんばかりの笑顔を浮かべて、しゃがみこんだ母親の胸へと飛びこんでいった。
陽光に照らされている二人の笑顔は、きらきらと輝いていて、どこまでも眩しかった。
「……」
あすかは、まるで昔を思い出すかのように、微笑みながら、その光景をいつまでも見つめていた。