ソードアート・オンライン Youth in Aincrad 作:ユーカリの木
料理を作り終えたあたしは、ハチマンが来るのを今か今かと待っていた。
ここをあたしの家にしたのは、料理ができるからだ。この家に越してきてからというものの、取得した《料理》スキルの熟練度を上げるために、毎日毎日作りまくったものだ。現実とは勝手が違い手順は簡略化してはいるものの、家事であると同時に趣味である料理を作れるのは、大分気分転換にもなった。
最近ではその効果もあってか、料理のことを作りながら、家族のことを思い出しても胸が痛まないようになった。以前は夜になるたび家族のこと思い出し、自分の未来のことが怖くてひとり涙することもあった。
堪えられないときはハチマンの部屋まで行き、彼に泣きついたこともあった。ハチマンは、俺も妹のことで泣くと言ってあたしを慰めてくれたものだ。
ああ、早く来ないかなあ、と思う。
早くハチマンに来て、あたしの料理を食べて欲しい。
今日は結構美味く行ったのだ。さすがに現実の料理を完全再現できないが、魚の煮付けに肉ジャガ。お米はあまり美味しいものが出回っていないから、パンになってちぐはぐとしているけれど、洋食はあまり得意じゃない。あと、お味噌汁があればいいのに、味噌がまだ再現できていないのだ。まだまだ研究が必要だ。
待っている間、ハチマンのことを考えてみる。
初めてここで会ったときから、彼はどこか無理をしているように見えた。ふっとした瞬間に、あたしに対して済まなそうな表情をすることがある。そしてなにより、自身を憎んでさえいるのではないかとも思える、その苦悶の表情を見るたび、あたしは苦しくてたまらなかった。
あたしと彼は、一蓮托生だ。彼は知らないが、あたしはそう思っている。
もし何かを抱えているのなら話して欲しい。なにか苦しんでいるのならそれを分けて欲しい。ふたりでいれば大丈夫だと言ったのは、他ならぬあたしなのだから。
なにより、彼は無理をし過ぎなのだ。
初めて行く場所のはずなのに、いつも彼は勝手知るかのようにあたしを連れ、初めてのはずの敵もさりげなく行動パターンを教えてくれる。
あたし好みの場所や店も教えてくれることもある。
きっと、ハチマンはあたしの知らないところで、実際に行き、戦って、調査しているのだ。
嬉しくて、愛おしくなってしまうけど、もっと自分を大事にしてほしい。労ってほしい。
ポーンとシステム音がなる。アルゴからのメッセージだった。内容を見て、ため息する。
どうやら彼は用事ができたらしく、伝言を頼まれたそうだ。
できれば本人から送って欲しかったのだが、忙しいのなら仕方が無い。こうやって甘えてばかりいるから、彼が苦労ばかり背負い込むんだと、あたしは自分を叱咤する。
せめて、ハチマンにメッセージだけ送っておこう。彼が無理し過ぎないように。あたしが心配していることが分かるように。
ウインドウからまだ慣れないキーボードを呼び出し、文面を打ち込む。悩みながらも送信し、あたしはほっと一息ついた。
さて、コーヒー豆でも買いに行こう。今度ハチマンが来たときに、マックスコーヒーを飲ませてあげられるように、今の内から練習しておこう。
やることができたらすっと身体が軽くなったような気がする。あたしは服装を余所行きのものへと変え、家を出る。
◇◆◇
家に戻ってベッドに横になっても、習慣のせいか寝付くことができない。
むくっと起き上がった俺は、軽く伸びをして身体が動くことを確認する。よし、大分まともになった。
意識を失ったのはあれだ、きっとアルゴのせいだ。
いきなり好意を全面に押し付けられたから、高感度パラメーターがトチ狂って頭がパンクしたに違いない。俺の頭はバグってんのかよ……。
よし、そこそこに調子がいい。理由も分かったことだし、行動を開始しよう。
さすがに今日は人と付き合うほど気力も残っていないし、最前線のマッピングくらいにしておくか。ぼっちで行動するときって緊張感があるようで、人を気にしなくていいから楽なんだよな。まあ、サキは別だが。ならサキと一緒でいいじゃん、と思うかもしれないが、実は違う。
たまにマジで緊張するのだ。戦闘中でこそそんなことは絶対にないが、休憩しているふとした瞬間に身体が動かなくなるときがあって、マジで俺病気なんじゃね? とか思うことがある。
段々と自覚は芽生えている。だが、きっとそれは表には出してはいけないものだ。
クソ、また変な考えに嵌ってきた。
さっさと行こう。
システム音がなった。サキからのメッセージだった。すぐに開くと、自然と口許が緩んだ。
――あまり無理しないでね。もし早く帰ってこれそうだったら言ってね。あんたが好きなごはん作っておくから。だから、ちゃんと帰ってきてね。
ああ、と頷いて。部屋を出る。
そのまま街を出て渓谷地帯へ入る。緑溢れる森を分断するように川が勢いよく流れ、その両脇に木造の道が入り組みながら伸びている。川もあみだクジのようにいくつも別れており、川の中には明らかに足場になり得る大きな岩が、無数に水しぶきを受けながらも、確かな意思でもってそこに存在している。
マイナスイオンに溢れるような場所で、観光に来るには悪くない。ただし、それ相応に覚悟をしなければならないが。
前方、ここからだと輪郭すら曖昧だが、川上の飛び石ならぬ飛び岩を跳んでいる灰色の物体が見えた。ここに来て以来何度も剣を交えたワーウルフ――つまりは人狼、雑な言い方をすると二本足行動をする胴長狼だ。迷宮区に救う《ライカンスロープ》に比べれば楽な相手だが、ここは足場が悪すぎてなかなかに厄介なのだ。だから身軽なプレイヤーが相手をすることが殆どだ。
早速右手で短剣を抜き、左手で投げナイフを装備する。
あれから俺は、この擬似双剣スタイルになった。左のナイフはスキルは投擲系しか使用できないが、ある程度の牽制や防御は可能なのだ。これを思いついたときは思わず、俺って頭いい~とか思ったが、実は周知の事実だったらしい。ハチマンショック……。
ワーウルフが雄叫びを上げ、器用に飛び岩の上を飛びながら近づいてくる。というかなぜ渓谷に人狼がいるんだよ。設定が分からん……。
遂にワーウルフが俺の頭上に跳び踊り、頑強な爪を両手でふるって来る。俺は冷静に前転での回避を選択し、起き上がりざまナイフをワーウルフの背に滑らせる。殆ど皮膚を切り裂かないが、敵の注意を無理やりひきつけることに成功。
一拍の間をおいて振り向いたワーウルフの左目に、勢いよく短剣を突き立てた。
絶叫。
空を仰ぎながらワーウルフが痛みにうろたえる。
こういう皮膚が固そうな相手は顔面、それも眼球を狙うに限る。我ながらえげつねえ。
そのまま飛びずさり着地する。ワーウルフの明らかな隙を逃すことなく、顔を覆う手首へナイフを投擲。うまくクリティカルが入ったか、ワーウルフのHPゲージがたった二撃で大幅に減る。ここぞとばかりに六連撃スキル叩き込むと、ワーウルフの身体がポリゴンの残滓となって宙を舞った。
「あ、やべ……ナイフ川に落ちた……」
ワーウルフの手首を抉ったナイフは、そのまま放物線を描き川へ落ちて流れてしまったのだ。手痛い出費だ。そこそこ高いのに……。
いつもなら犯さないミスだ。やはり、疲れているのだろうか。
もう一匹ワーウルフがやって来る。今日はやけに多いな……。
ああ、めんどくせえ。
無理やり二匹目も同様の手順で倒し、続く三匹、四匹と倒した辺りで面倒になる。
ステルスヒッキーと《隠蔽》を全開にして全力疾走。迷宮区まで一気に到達する。
迷宮区の入口まで来たところでほっと息をつき、入口の脇、誰もこなさそうな場所まで進む。ちょうど大樹の木陰になっている場所があった。ああいうところで寝るの、俺夢だったんだ……とか適当なことを考え、休もうとしたところで――身体が崩れた。
「……は?」
訳が分からず身体を動かそうとし、動かない。視界が明滅し、全身の感覚が痺れたように聴覚が失せ、嗅覚すらなくなっていく。
ああ……これ、やべええ。
かすかに見えたワーウルフの影が、俺の死が近づいていることを如実に感じさせた。
◇◆◇
午後三時。ちょうどコーヒーブレイクの時間帯。意気揚々とコーヒー豆を買い、自作練乳と掛け合わせ、いくつもの試作品を作ったところで、あたしは決定的な事実に気がついた。
あたし、マックスコーヒーの味覚えてないじゃん。
なんてこと……あたしは千葉県民失格なの? じゃあ何県民なの?
「少し思考がハチマンに影響されたかな……」
ふふ、っと微笑んで、そしてすぐに落ち込む。
一体どうすれば良いというのか。味が分からない、つまりハチマンの理想とするところの味に近づけないどころか遠ざかっていくようだ。
これは良くない。大変良くない。
ハチマンを元気にするつもりが、がっかりさせてしまう気がする。
「あ、ハチマンに試飲してもらえばいいんじゃ……」
そうすれば、よほどのことがない限り落ち込ませることはないはず。それどころか、徐々に味に近づけば、ハチマンの笑顔をもっと見ることができる。
「今度来たとき、味見してもらう」
そうしよう。
方針が固まると、急にやる気が出てきてしまう。
そんな折、システム音と共にメッセージが現れた。相手はアルゴだった。一日に二度も珍しい。また食事の誘いかとメッセージを開くと、全身から血の気が引いた。膝から落ちそうになって、テーブルに手をついて必死で堪えた。
こんなことをしている場合ではない。すぐに行かなくては……!
ウインドウも開くのがもどかしく、部屋着のままで部屋を出る。
メッセージの中身はこうだった。
――ハチマンが倒れた。迷宮区の前に来て。
普段の片言が一切排除された、簡潔な文面が事態が逼迫していることを否応なく知らせる。
《ラーヴィン》を出て渓谷に入る。川の飛び岩を飛んで最短距離で迷宮区へと飛ぶ。
案の定ワーウルフが現れる。しかも二体。普通なら引くところでも、
「あたしの、邪魔を、するなあ――ッ!」
跳びながら槍を思い切り振り下ろし、穂先を次の着地点である飛び岩へ突き刺す。そのまま棒高跳びの要領で迫り来るワーウルフよりも高く跳びあがり、その背に乗る。
いまは相手にしている時間すら惜しい。ワーウルフの逞しい背を思い切り蹴って先へ進む。
早く。より早く。何より早く。ハチマンの元へ――!
迷宮区が見える。いない。ハチマンがいない! アルゴも、誰もいない――!
迷宮区の前にたどり着く。周囲を見渡す。
いない、いないよハチマン……。
泣きそうになる。
そんな惰弱な自分を奮い立たせ、叫ぶ。
「ハチマン! アルゴ! どこにいるんだい!」
かすかに声が聞こえた。
東側の大樹の方から、確かに聞こえた。
「サキちゃん! こっちだよ!」
右からアルゴが大きく手を振っている姿が目に入る。すぐにアルゴの元までいき、思い切り両肩を掴んで揺らす。
「ハチマンはどこ? 無事なの?」
「サキちゃん落ち着いて! 大丈夫だよ。あの木の下に横になってるから」
アルゴの指差す先に視線を向けると、ハチマンがぐったりと大樹の根を枕に横たわっていた。たまに見る寝顔とは違う。まるでうなされるように時折顔をしかめている。
すぐにハチマンに駆け寄る。額に手を当てて、熱がないか確認する。分からない。普段はリアルな癖に、こんなときだけ温度を感じないから、現実感を失わせる。
「サキちゃん。回廊結晶を持ってるかい? ごめんよ、オレっちが持ってればすぐに戻れたんだけれど、慌ててたから切らしちゃってて……」
よく見れば、アルゴはトレードマークのひとつであるローブを羽織っていなかった。もしかしたら、ハチマンを守るためにワーウルフと戦ってくれたのかもしれない。
思わず抱きしめて感謝をしたかったが、いまはハチマンをつれて帰ることがサキだ。ストレージから、回廊結晶を探す。あった。以前たまたまレアモンスターを狩って手に入れたまま使わずに取っておいたものだ。転移先は常に更新していたから問題ない。オブジェクト化すると、通常のものより一回り大きい濃紺のクリスタルを取り出す。
高価なものだが関係ない。ハチマンのためなら全財産を投げ打ったって構わない。
「コリドー・オープン」
眼前の空間が歪み、青白く渦巻く。アルゴとふたりでハチマンを抱え、その中に入っていく。
転移先は《ラーヴィン》にある私が間借りしている家のすぐ前だ。ハチマンを部屋に運んで、ベッドに横たわらせる。
投げ出されたハチマンの手を握り、必死に祈った。
早く起きて。お願いだから、私に声を聞かせて――!
傍らのアルゴもベッドに付しながら祈るように両手を組んでいた。
数時間、彼は起きなかった。
朝日も昇ろうかという時間、ようやくハチマンは目を覚ました。
「ん……あ――」
ハチマンの声を聞いた瞬間、あたしは胸が張り裂けそうになって思い切り飛びついた。病人にすることじゃないと分かっているのに、そうせずにはいられなかった。
「バカ!」
「うお、起き抜けにいきなり罵倒かよ。起きる世界間違えちゃったの? というか、知らない天井だって言わせろよ。頼むから」
いつもの軽口に安心する。でも足りない。
「バカ! アホ! ボケナス! ハチマン!」
「サキさん? ハチマンは悪口じゃないからね」
お願いだから、もっと聞かせて欲しい。あなたの声を……。
「バカァ……あほぉ……なんで、なんで倒れるまで、無理するの……。約束したじゃない。痛いも苦しいも、楽しいも嬉しいも……ぜんぶ二人で共有しようって……!」
ハチマンがたじろぐ。あー……と、唸ったと思ったら、彼の手があたしの頭に伸びて、やさしく撫でられた。
「すまん。心配掛けたな。ホント、すまん……」
じわりと涙が滲んだ。もう――限界だ……。
ハチマンの胸の中で、久しぶりに子どものように、わたしは泣いた。泣き終わるまで、彼はあたしの頭を撫でて続けてくれた。気持ちよかった。心底安心できた。
アルゴは何も言わず隣にい続けてくれていたが、あたしが泣き終わったタイミングで、わざとらしく喉を鳴らした。
「ハチマン、眠いカ? 眠いなら寝た方がいいゾ?」
くわっとハチマンは欠伸を漏らした。
「すまん、そうさせてくれ。アルゴも、ありがとな。礼はまた今度必ずするから……」
「今度はあのジュース全部飲もうネ!」
ハチマンが苦笑する。あのジュースとはなんだろう?
「できればそれ以外で頼むわ……悪い、落ちるわ」
その言葉を最後に、ハチマンが再び意識を手放した。
しん、とした静寂が部屋に戻る。
ふと、アルゴがあたしの肩を叩いて隣の部屋を指差した。話があるということだろう。立ち上がってアルゴを隣のリビングへ案内する。寝室の扉を閉め、アルゴをソファへ腰掛るよう促した。
「すごいネ。綺麗にしてるヨ」
アルゴが首を回して部屋をじっくりと眺める。恥ずかしいからやめて欲しい。
「たくさん家具とか調度品があるネ。お金はどうしたんダ?」
「買い替え時期の女の子から格安で譲ってもらったんだよ」
「サキちゃん女の子にも人気だもんネ。気持ちはすごい分かるヨ」
よく分からない。あたしはあたしであるように生きているだけだ。
それよりも、アルゴはどこか落ち着かないように両手を揉んだり、袖口を弄ったりしている。普段の快活で意地の悪い姿からは懸け離れている。まるで恋する乙女のようじゃないか。
「いいから本題を話しなよ。なにかあるんだろう?」
鋭く指摘してやると、タハハ、とアルゴがごまかすように笑う。
「やっぱり分かっちゃうカ?」
「アンタとはほぼ初期からの仲だからね。なんとなく分かるよ」
うぅ……とアルゴが恥ずかしそうに唸る。それでも、ふん、と両頬を叩いたアルゴが、真正面からあたしを見据えた。まるで、戦いに行く戦士のような瞳だ。全身からある種のオーラすら感じられるほどに。
「サキちゃん。オレっち、ハチマンが好きだよ」
……はい?
ハチマンガスキダヨ。
隙だらけってことかい? たしかに今寝てるから隙だらけだけど。闇討ちしたいってこと? なんのために? あれ、この思考の方向は本当に合ってる? 絶対間違ってる気がするよ。
額に手を当て、一生懸命意味を考えながらも、アルゴに問う。
「ご、ごめん、よく聞こえなかった……。もう一度言ってくれないかい?」
アルゴの表情が憮然とする。しかしすぐに怒りの混じった瞳であたしを見ると、はあーっと長息する。
「私はハチマンが好き。異性として、男性として、私はハチマンが好き。大好き」
ようやく理解する。アルゴは女として、男のハチマンに好意を持った。そういうことだろう。なんだ、そんなことならもっとはっきり言って欲しい。最初の言い方じゃ誤解しちゃうじゃないか。いや、あの誤解はさすがにないね……。
「ん……そう。さ、参考までに、ど、どうして?」
「惚れない方がおかしいだろ」
自慢げにアルゴが言う。
「第一層のボス戦後のアレだよ。実は私も心配で見に行ってたんだ。遠巻きにだけどね。そこで、ベータテスター排斥の流れができそうなところに、ハチマンのあの悪魔の演説だよ。同じベータテスターの女の子だったら、きっと自分のためにやってくれたんだって勝手に思って、きっと好きになる。なっちゃうよ……」
恋する乙女の顔でアルゴがハチマンを好きになった経緯を語った。
気づかなかった。まったくと言っていいほど気づかなかった。あたしはいつだってハチマンとコンビを組んで、誰よりも近くにいるのに、そんな風にハチマンが思われていただなんて思わなかった。あたしだけが、きっと誰よりも彼の理解者だと思っていた。
きっと、あたしは、家族への想い、そして郷愁にも似た想いを彼へ寄せていたのだろう。
誰も彼の良さには気づいてくれない。あたししか知らない。それが、ちょっとした優越感となっていたのかもしれない。
だけど、それもいま崩れた。
あたしの前に、いまここに、アルゴという一人の女性が、ハチマンを好きと言う。
あたしはそれでいいのだろうか。
もしハチマンが彼女の想いに答えたとしたらどうだろう。
この四ヶ月、彼の黒歴史とやらを幾度と無く聞いた。そして、彼が異性に対し一線どころか二線三線と引いていることが理解できた。だから、なぜか安心していた。彼はわたしの下から去ったりはしないと、勝手に安堵して、独占できると思っていた。
崩れようとしている。あたしの世界が……。
「サキちゃんは?」
「……え?」
アルゴが真摯に問う。あなたはどうなのかと。
「サキちゃんは好きなの? ハチマンのこと」
好き、なのだろうか。特別なのは間違いない。家族と同列に、彼は大切だ。だけど、あたしは恋を知らない。初恋だって、まだだ。
ただ、あのとき。
文化祭できっと相模を捜していたであろうハチマンから掛けられた言葉に、あたしは揺らされた。
――サンキュー、愛してるぜ川崎!
その一言で絶叫したあたしは、それでもすぐに悟ったのだ。
ああ、こいつはただあたしに感謝しただけなんだって。勘違いする言葉じゃないんだと。だからすぐに冷めた。そのはずだ。
分からない。
あたしの気持ちは一体どこにある? どこに向かっている?
頭が痛くなるほど考えても、答えが見つからない。心の海をさらえば出てくるはずの答えが、水面に映る月を掬って零れ落ちてしまうように、分からない。
「……分からない」
搾り出した答えは、アルゴを満足させるものではなかっただろう。ただ、彼女はそっと息を吐き、残念そうに言った。
「そっか、サキちゃんは……そうなんだね」
遠くを見るように、アルゴが天井を見上げる。やがて、またまっすぐとあたしを見る。
「じゃあ、あたしがハチマンをもらうよ。絶対に絶対に、ハチマンを振り向かせて見せる。そのためだったら、サキちゃんだって蹴落としてみせる」
強い口調。
アルゴが立ち上がり、不敵に笑う。
「だからサキちゃん、これはね。宣戦布告だよ。もしこの戦いに名乗りをあげるんだったら言ってね。強敵が増えちゃうけど、私は大歓迎だよ」
そう言って、アルゴは無邪気に笑った。
呆然とするあたしだけが、この空間からずれているように感じた。