ソードアート・オンライン Youth in Aincrad 作:ユーカリの木
これが、比企谷八幡なりの冴えたやりかた 1
俺がその情報を知ったのは、午後十二時、サキと昼食をとっているときに来た、アルゴからのメッセージだった。《ラーヴィン》の中でも比較的高級店である海鮮料理屋《湖畔店》に、かねてからサキが来たいと言っていたのだ。サキにはこれまでもそうだが、今回は特に大きな世話をかけてしまったから、俺が驕ると言って無理やり連れてきたのだ。
常識的なサキは驕られることは嫌うが、理由を言うとしぶしぶながらついてきてくれた。美食を堪能しているところで来たメッセージに、俺は嫌な予感がしてウインドウから開いたのだ。
アルゴが言っていた《軍》内部の問題、そして先ほどユキノが見せた憂いの表情が、結ばれたような気がして、俺はメッセージを開く。
目を剥いた。
衝撃的であり、信じられなかった。
――《軍》内部で事件が発生したようだよ。財務部のユキノという女プレイヤーが明日処刑されることに決まったようダ。少し、いや、かなりきな臭いよコレ。どうするハチマン? 動くカ?
思わず立ち上がりかけ、すぐに冷静さを取り戻そうとし、取りこぼす。どうにかして落ち着かないとと思っているところで、サキから水を渡された。表情はさっきまでの緩んだ顔ではなく、真剣なものに変貌していた。
「なにがあったの?」
水を受け取って、俺は無言でメッセージウインドウを滑らせる。それを見たサキが絶句した。
「あいつだと思うか?」
サキにもホーリィなる人物については話してある。あの会合には、サキも参加することがあるからだ。
「分からないけど、そんなことはどうでもいいよ。助けに行こう」
「分かってる。待ってくれ。まず考える」
「なにを――」
声を上げようとしたサキを手で遮る。
問題は逼迫どころの話じゃない。なぜいきなり処刑なのだ。これは、下手をすればこのSAO内で死刑がまかり通る前例を作ることになる。
冗談じゃない。現実の司法は、その碩学たる司法をおさめた裁判官が、判決の責を負うのだ。裁判員制度になっても、裁判官が関わることに変わりない。断じて一般人だけが人の生死を決めてよいほど、命は軽くない。
ならば邪魔をする。徹底的に邪魔をして、ユキノを助け出す。だがどうやって?
一体なにが起こっている?
《圏内》だからといって、俺とサキのふたりで助けだせるのか?
よく考えろ、比企谷八幡。これだけは、もう失敗できないぞ。
「ディアベル、キリト、アスナ、クラインに救援を要請する。四の五も言ってられない。時間惜しい。俺の頭だけじゃ時間がかかりそうだ。知恵が欲しい」
早速サキが全員に緊急メッセージを投げる。俺もアルゴへ動く旨のメッセージを投げ、考える。
考えろ。
お前にはこの小ざかしい頭があるだろう。
光のように最短路で解を探し当てろ。
そういうのは得意なんだろう?
「返事が来たよ。全員了承してくれたよ。あたしの家に集まることになった」
「分かった、すぐに行こう」
食事も途中に、俺たちはサキの家へ向かう。道中思考が回っていたが、解決策が思い浮かばない。動揺しているのか、同じことがぐるぐると思い浮かぶのだ。
あの、ユキノの姿が、いまも映像で写されているように、目の前でいるようにちらついている。
サキの部屋に戻り、仲間を待つ。
しばらくしてディアベルとアルゴが、キリトとクライン、最後にアスナがやってきた。
バンダナ姿のヒゲ面クラインが一歩前に俺に歩み寄る。
「久しぶりだなハチ。元気してたか?」
クラインとはキリトを通じて面識できた口だ。本来ならば軽口のひとつも返したいところだが、いまは本当に時間がない。
「悪いクライン、挨拶は抜きだ。事態は想定以上にヤバイ。俺の同級生が、部活仲間が処刑されそうになってる」
全員の表情が固まる。
「君達の知り合い、しかもリアルの同級生ということかい?」
ディアベルが恐る恐る聞いてくる。
「ああ、しかもさっき会って来たばっかりなんだよ……」
悔しそうにサキが言う。もっと早く情報が分かっていれば、事前に助けることができたかもしれない。悔やんでも悔やみきれない。
「ごめんヨ……もっと早くに深く調査していればよかったヨ」
情報を扱うアルゴが、俺の表情をどう受け取ったか、責任の所在を自分にしようとしている。
「いや、それは違う。悪いのはお前じゃない。奴らだ。いまはどうにかしたい。どうか助けてくれ」
俺は頭を下げる。初めての態度に全員が息を呑んだ。土下座の安い男と自称はしているが、実際にこうして真面目に頭を下げたのは初めてかもしれない。
たったひとりでは、どうにもならないのだ。相手は《軍》そのもので、SOA一の巨大ギルド。これが組織として決定したことである以上、数の理論で俺とサキではまったく歯が立たない。
だからこうして頭を下げる。他人に頼るなど、以前の俺では考えもしなかっただろう。だが、俺にはサキがいた。サキに頼ってよいと思えた。なら、こうして俺を信じてくれる奴等になら、頼ったっていい。頼りたい。
「頭を上げろよハチ」
キリトが言った。
「こうやって俺みたいなベータテスターがなんとかやってこれてるのは、ハチのお陰なんだからさ。それと、《コート・オブ・ミッドナイト》をぶん投げて来た礼もまだだしな」
今度はアスナが笑って言う。
「ハチ君が自分から頼んでくるなんて珍しいもの。いつもお世話になってるし、わたしも助けになるわ」
ディアベルが騎士のように自分の胸に手を当てる。
「君は恩人だ。オレがオレでいられるのは、君が贈ってくれた言葉と君の献身のお陰だ。だからオレは、君が窮地だというのなら、喜んで手を貸すよ」
アルゴがさして無い胸をはってポンっと叩く。
「ハチマンの頼みならなんでも聞くゾ! 今回は特別にタダで請け負ってやるヨ!」
最後にクラインが……。
「まあ、クラインは別にいいや」と俺が省く。
「おい! ひでえじゃねえかよハチ。オレにもなんか言わせろよお」
「なんか言うことあるのか?」
俺が言うと、え、とクラインが押し黙る。ねえじゃねえか。
「ありがとう、みんな……」とサキもナチュラルにクラインを省く。
クラインは、「そりゃねえよサキさん……」と男泣きをしていた。
ちょっとクラインが可哀相だと思ってしまったが、後でたっぷり礼でもすればいい。まずは情報を知りたい。
「先に進めるぞ。正直状況が正確につかめてない。アルゴ、進展は?」
訊くと、アルゴはしゅんとした顔をして俯いた。
「ごめんヨ、さすがにすぐには無理だヨ。内部の人間から直接話は聞いた方が早いと思うヨ」
確かに。
「確かギルド長はシンカーさんだったね。フレンド登録しているから、俺から渡りをつけてみよう」
名乗り出たディアベルがウインドウ操作を始める。
「ユリエールさんだったら、前に登録したことあるから、連絡してみる」
アスナも行動を開始。
アルゴは他の情報屋を当たるといって、仮想キーボードを尋常ではない速度で叩き始める。
残った俺とサキ、キリトとクラインが方策を練っていく。
「処刑っていっても圏内だろ? そもそもどうやるんだ?」
キリトの疑問に俺が答える。
「外に連れ出して大々的にやるか、秘密裏に処刑だろう。内容が内容だから、前者の可能性はあるが、リスクを考えるとやはり後者か……」
「でもよう。助けるっつったって、圏内にいるんだろう? 片っ端から斬っていけばいいんじゃねえかなあ?」
クラインの言葉にキリトが納得しかけるが、サキがそれを止める。
「あんたら、数の暴力って知ってる? いくら手だれがこれだけいようが、相手の数が数だよ。映画じゃないんだから、すぐに捕まるのがオチじゃないかい?」
サキの言うことは最もだ。ならば、囮を利用した少数精鋭での高速突破か、こちらも大所帯で戦いに行くしかない。後者になれば、SAO史上初めてのギルド戦争が勃発する。こうなればSAOの治安は著しく下がるだろう。できればこの案はどうしても避けたい。
だが、前者も内部にいるユキノの正確な位置を掴めなければ難しい。拘束されているとすれば黒鉄宮か? いや、ギルド人数が最大なことを利用すれば、人為的に人を閉じ込めることは可能だ。
シンカーとユリエール、アルゴからの情報に期待したいところだが、難しいだろう。
「ハチマン」
「ハチ」
三人の視線が俺に集中する。
「考えさせろ」
言って、俺は思考の海、いや、深海に沈む。
考えろ。
何かないのか、起死回生の一手は?
たったひとつでもいい、冴えたやり方があればいいんだ。
いまある情報は、《軍》内部で事件が発生。元々は相互扶助組織だったのが、ある時期に治安維持組織へ変貌。ユキノは内部にいて、何かしらの理由で犠牲者リストに載った。
待て、なぜユキノなんだ? 目的はユキノか? どうして?
いや、それは関係ない。思考を戻せ。
「ハチマン、シンカーさんと連絡が取れない!」
ディアベルが大声で言う。
「ユリエールさんも同じよ」
今度はアスナの悲痛な声。
アルゴはまだキーボードを叩き続けている。成果はないか……。
まずい。状況は最悪だ。手詰まりもいいところじゃないか。
まだだ、まだ俺は全力を尽くしていない。
考えろ。必ず方法はある。折角得たユキノを、仲間を失ってたまるか。
◇◆◇
第一層《軍》本拠地、本会議室。
財務部部長付秘書官であるレイシアは、声を荒げていた。
「なぜ、ユキノさんを処刑するんですか! たとえ横領をしていたとしても、それは私たちがすることから外れています!」
円卓には、各部門の長たちが勢ぞろいしている。その最奥部、アインクラッド解放軍の軍旗の下には、白髪の人物アポストルがゆったりとした姿勢で座している。窓から差し込む陽光は彼の後光となり、中性的な美貌も合わさり、世に降りてきた天使とも見間違う美男子にも見える。表情は絵画にでもなりそうな微笑。海を掬って固めたような蒼い瞳は、すべてを見通すように澄んで、見る者に空恐ろしさを感じさせた。
アポストルがゆっくりとした動作で言う。目を閉じれば、男とも女とも取れる声で。
「これは会議で決まったことです。私としても非常に残念ですが、これはみなさんの総意なんですよ」
さも痛々しいとでも言いたげにアポストルは眉を落とし、目を伏せる。
レイシアは信じられなかった。
レイシアは、ユキノと同じ最初期のメンバーだ。ユキノは正義感の強い人だ。絶対に横領などするはずがない。
視界すら炎で霞むのではないかというほどの怒りで瞳を滾らせ、レイシアは思い出す。この男が加わってから、すべてが変わった。アインクラッドに住まう住人を解放するために立ち上がるべきだとし、彼は組織の在り様を一変させた。
その頃はまだよかった。だが、裏で彼の動きを知っていたのは、一体どれほどだろうか。彼は、その類稀なる人身掌握術で、有力者をその手中に治めていったのだ。気がつけば、ギルド長であったシンカーは追放され、ユリエールは閑職へと移動させられた。だが、ユキノだけは彼と対立を保ったまま、財務職へ居続けた。アポストルもそれを無言で了承した。
そう、最初から嵌められていたのだ私たちは。
レイシアは思う。彼は遊んでいるのだ。この《軍》で、遊びに興じているのだ。人を駒とし、まるでチェスでもするかのように駒を進め、そしていま、ユキノを嵌めようとしている。
レイシアを野放しにしていたのは、あまりにも簡単に掌握できすぎてつまらなかったから、せめて相手が一手を打つのを待つためか。はたまた、ただの気まぐれか。想像もつかない。
「みなさん、本当に処刑してもいいとお考えですか! 処刑という分かりにくい言葉だから、本当はどういうことかわかっていないんじゃないんですか?」
アイシアは激怒する。誰もまともに取り合おうとしていない。
アイシアが声を震わせ、大喝した。
「人を殺すんですよ!」
答えたのは他でもない、アポストルだった。
「そうです。私たちは人を殺めようとしています。それは厭われるべきことではありません。我々すべてに、罪はあります。ですが、彼女の罪もまた、それに類するほどのものであると知らなければならないのです」
「どういうことですか」
アポストルが微笑する。精巧に出来た人形のような笑みだった。
「彼女は、私たちが解放すべき人たちのために使用する資金を横領した。これは、彼女が我々が解放すべき犠牲者を死んでも構わないと思ったからに違いありません。ならば、私たちはこれに断固として抗議しなければなりません。あなたは間違っていると。あなたに正義はないと。そして、ここには正義などないのだと」
言っている意味は分かる。分かるが、途中から分からなくなっていく。
蒼と紅の指輪の嵌った手をアポストルが広げる。
「私たちは皆正しいありかたを思考し、努力し、世の中が綺麗になることを目指していくべきなのです。人はみな善ではありえない。ですが、善にあろうとすることこそ、本物の善よりも尊いのだと思いませんか?」
話が飛んでいる。論点がずれている。だが、アポストルの独白が止まらない。周りは心酔したように話に聞き入っている。まるで新興宗教の教祖と信徒のように。訳が分からない。
「ですが、逆に悪に染まっていくものも確かにいるのです。それを導くことは当然の義務。しかし、それでも取り返しのつかない罪というものは存在します。それが今回の件です。我々は大きな額を失った。取り戻すことも叶わない。彼女は、懺悔の機会を自ら奪ったのです。ならば、我々は断じて悪を野放しにしてはいけない。裁かなければならないのです。今後、このようなことが決して起きないように。我々がそれを起こさせないように」
彼の言葉の真意が捉えられない。空気を掴むようにもアイシアは感じた。
ここでは意見が通らないとアイシアは思い、項垂れた。自分では、救えないのだと心の底から嘆いた。
「分かりました……」
アポストルの微笑は絶えない。まるで作り物のように。
「分かっていただけましたか。あなたも苦しいでしょう。我々も苦しいのです。ですが、悪を裁くために、今回はこの痛みを耐えましょう」
くっ……と拳を握る。握りすぎて、現実ならば血でも出ただろう。
話しても、埒があかない。思うように埒をあけられるほどの力も無い。
アイシアは顔を上げて宣言する。
「本日を持って、私アイシアは《アインクラッド解放軍》を抜けさせて頂きます。ギルド条項上なんの問題もないはずです。よろしいですか?」
大きく頷いたアポストルの口許には、僅かな悲しみと、やはり微笑が湛えられている。
「ええ、ええ、残念ではありますが、仕方がありません。我々は救いを求めるものは拒まず、去るものは福音を願いその旅路へ祝福を捧げます。さあ、行きなさい、アイシア。あなたに、実り多い幸あらんことを」
考えつく悪罵すべてを投げつけたかったが、我慢に我慢を重ね、アイシアは頭を下げる。
「いままで、お世話になりました」
円卓に背を向けて本会議室を出る。そのまま《軍》本拠地を出て、転移門へ行く。行く宛てもなく、アイシアはどうすれば良いのか分からなくなったとき、ユキノが言っていた最後の言葉を思い出した。
――私は、私でなんとかするから安心なさい。ただ、もしもあなたの身に何かがあったときは、ハチマンとサキを頼りなさい。彼らなら、きっとあなたを匿ってくれるわ。
ハチマンにサキ。このアインクラッドでは《黒の剣士》キリトに《閃光》のアスナ、《勇者》
ディアベルと並ぶ有名人だった。
サキの場合は、曰く、とてつもない美人であるがその言葉には容赦がなく、また、敵へ先陣をきって狩りに行く姿はまさに《戦乙女》だと。もしくは、《アインクラッドの光の巫女》。
ハチマンの場合、曰く、悪魔のように狡猾な男で、最悪にして最低な屑野郎。しかし、その実力は確かで、まるで魔眼を駆使して敵を結い止めたかのような流れる連続攻撃で敵を殺す、《魔眼使い》だと。あるいは《暗殺者》。
もちろん、面識のないアイシアに二人の連絡先は知らない。どこに住んでいるのかも、どこを拠点にしているのかも分からない。
だから、アイシアは途方に暮れた。
何かをしなければならないのに、何から手を付けてよいのか分からない。
しばらくして、アイシアは最前線へ向かうことにした。《ラーヴィン》であれば、誰かしら知っている人がいるであろうことを信じて。