ソードアート・オンライン Youth in Aincrad   作:ユーカリの木

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こうして、二人はコンビになる 2

 川崎を連れ立って中央広場から抜けた俺が真っ先に向かったのは、宿屋だ。できればさっさと攻略を先に進めたいところだが、彼女を連れて見知らぬ場所へ行くのは高リスク過ぎる。

 

 しばらく歩いてINNの看板を見つけると、一宿分のコルを支払って川崎を部屋に入れる。川崎は終始無言だった。無理に会話をしようとしない辺り、やはりこいつもぼっちか。楽でいい。

 

 川崎用に取った宿は広くもないワンルームだ。ベッドとテーブルが一つずつ置かれただけで、あとは空虚さを助長させるようにぽっかりと空いた窓だけだ。

 

 俺は部屋の隅っこで壁に背を預けた。

 

 川崎はおずおずとした様子でベッドに腰掛けると、あちこちへと視線を迷わせている。窓から差し込む黄昏を受けて光るポニーテールは、ゆらゆらと揺れて、狩人に怯える小動物の危うさがあった。

 

 そろそろ今後の話し合いをすべきなのだが、密室に二人きりの女子相手にどう声をかけて良いのやら。まさか、こんなところでお互いぼっちであることが裏目に出るとは……。

 

 参った。まったく分からん。

 

 よし、腹を括ろう。

 

「川崎、お前、名前はなんだ?」

 

「は?」

 

 お願い、ガン飛ばさないで!

 

 ……やだなあ、怖いなあ。

 

 なんで名前聞いただけでここまで睨まれるのかね。キャラクターネーム聞いただけなのに。

 

 ふと、気づく。

 

 こいつゲームやったことないよな、多分。

 

「あー、本名の方じゃない。キャラクターネームの方だ。ほれ、最初に決めたはずだろ?」

 

 ああ、とようやく川崎が表情を和らげる。やっぱり知らなかったのかよ。

 

「サキ」

 

「は? それ本名だろ?」

 

 急に恥ずかしそうに川崎が視線を逸らす。なんなの一体?

 

「こういうの初めてだし……分かんなくて……」

 

 あー、そゆこと。こいつ、ネットリテラシーとか知らなそうだからなあ。ツイッターとか本名でやってセルフ指名手配とかされちゃうタイプだ。

 

「そういうアンタは? なんて名前?」

 

「ふっ、俺はハチマンだ」

 

「あんたも本名じゃん……」

 

 川崎がはぁと呆れたようにため息する。

 

 待って、話を聞いて。

 

「俺は良いんだよ。八幡大菩薩とか八幡宮とか、神々しくて本名っぽくないからな。ついでに名前負けしてるまである」

 

「あ、そ……」

 

 今度は虫でも見るような蔑んだ目で川崎が見てくる。ほんとやめて、トラウマ刺激しちゃうから。

 

「で、その、きゃらくたーねーむ? っていうのがどうかしたの?」

 

「なんで若干片言なんだよ。お前、由比ヶ浜なの?」

 

「あんた……」

 

 一瞬、目を細めた川崎が短い息を吐く。

 

「いちいち話を逸らさないと説明できないわけ?」

 

「わりぃ……」

 

 面と向かって注意されると、途端に情けない気分になる。自覚はあるのだ。急なことで若干混乱しているから、普段通りを装って必死に動揺を隠そうとしているのだと。周囲の環境に感情を左右されるなど、ぼっちとしてあるまじきことだ。

 

「ご、ごめん。怒ったとか、そんなつもりじゃなくて。色々、今回のことも、ちゃんと感謝してるからさ……」

 

 答える川崎の声は弱々しい。肩を落として見上げる川崎の瞳は、広場で会ったときと同じように少し濡れていた。そういう仕草をされると小町を思い出すからやめてほしい。

 

 そろそろ話題を戻そう。

 

「まあ、なんだ。こういうネットゲームじゃ本名で呼ぶのはタブーなんだよ。だから、キャラクターネームで呼び合うのが常識だ」

 

「じゃあ、あんたのことは……」

 

「ハチマンとでも呼んでくれ。俺も川崎のことはサキサキって呼ぶ」

 

「殴るよ」

 

 川崎の視線が氷点直下の絶対零度まで下がる。よく見れば、右手が拳に握られてわなわなと震えている。そのままちょいと叩けば凍った俺は粉々に砕けるだろう。

 

 怖えぇ……。

 

 確かに、サキサキ呼びはなかった。それないわー。っべーわ、っべー。戸部語まで出てきちゃったよ。

 

 落ち着くためにひとつ咳払いする。

 

「で、あー、さ、しゃき」

 

 噛んだ。死にたい……。

 

 川崎は俯いて笑ってやがるし……。

 

 よりによって、なんで本名を名前にしやがるんだ。こちとら女子を名前で呼んだことなんてないから恥ずかしいんだよ。

 

「で、さ……サキ、お前はここについて何か知ってるか?」

 

 笑いの温度を治めた川崎が答える。

 

「えっと、ピコピコの中でしょ? その、は、ハチマン……」

 

 なんで最後に名前を呼ぶんですかこの人は。

 

 それにピコピコって、オカンかよ。早速頭が痛くなってきた。まさか頭の中まで由比ヶ浜と同レベルじゃないだろうな。

 

「言い方はともかく、状況は合ってる。で、どうしたい?」

 

「ピコピコを終わらせないといけないんでしょ。現実に戻りたいし。受験もあるし、やっぱり、家族に会いたい……」

 

 家族を思い出しているのか、川崎――サキの目には幾度目かの涙が滲み出す。

 

 妹もいて家事全般をやっているようだから、家のことが心配なのだろう。うなぎ大好きのけーちゃんだったか。大志は、まあいい。

 

 僅かに生まれた憐憫が、小町のことを思い出させる。

 

 窓の外を見ると、黄金色だった空も、いまや半分程が藍色に侵食され始めている。

 

 幸い、サキも最低限の状況を理解している。スカラシップを取るくらいだ、元々頭もいいのだろう。ならば、示す先はある。

 

「サキ、これから俺が知りうる情報を伝える。その後どうするか結論を出してくれ」

 

「結論って?」

 

「全百層を突破しゲームを攻略するか。それとも、どこぞの誰かが攻略してくれるまで生き残るか。もしくは、別の方向でゲーム攻略を目指すか」

 

 しばし瞑目したサキが、目を開いてまっすぐに俺を見て頷いた。

 

「ん、分かった。あんたの情報、教えて」

 

 

 

 すべてを話し終えると、サキは疲れたように項垂れた。気持ちは分かる。百層攻略なんぞ、さすがに冗談だと思いたい。ベータテスト時でも二ヶ月で攻略できたのは僅か六層なのだから。

 

 これ以上追い討ちをかけるのは酷だが、方針は早めに決めておきたい。小さく唸るサキに、俺は少し躊躇して声をかける。

 

「で、どうしたい?」

 

「ん、十秒待って……決めるから」

 

 答えたサキは、両手で頭を抱えて俯く。きっかり十秒後、顔を上げたサキの表情は、はっきりとした決意が秘められている強いものだった。

 

「やるよ。百層登ってやる」

 

「最前線で戦い続ける、そういうことでいいか?」

 

「ああ。あたしが現実に戻るために、他の誰でもない、あたしがやる」

 

 眩しいな。その決意を打ち立てるまでに、たった十秒しか掛けていない。俺は未だ決意なんてものはどこかに落したままで、羅針盤は狂いに狂っていて、サキに相乗りすることでしか何も決められない。

 

 本当に情けない。

 

 俺は、この期に及んでまだ帰る理由が見つからないのだ。

 

「は、ハチマン? どしたの?」

 

 何も言わない俺に少し顔を近づけたサキが問う。

 

 なんでもないと手を振って、軽く息を吸った。

 

「サキの結論は分かった。俺もバックアップする。だけどもう時間も時間だ。今日はここで解散にしよう。明日、九時になったらここに来るから、そのとき実地訓練でもするか」

 

「う、うん」

 

「飯はどっかで買ってこいよ。あと、大丈夫だと思うけど、金は無駄遣いするなよ。まともな飯はちと高いからな」

 

「分かったよ」

 

「んじゃ、また明日な」

 

 片手を上げてドアを開くと、サキに服の裾を掴まれた。振り返ると、彼女は俯いてぼそぼそと口を開いた。

 

「その、ほんとに、ありがと。助けてくれて、嬉しかった」

 

 真正直に感謝を述べられることなど、正直殆どない。いつも悪罵や疑いの声ばかり掛けられていたのだ。だから、なんといって良いか分からず、頭をガシガシと掻いた。

 

「気にすんな。それに、依頼はまだ終わってねえ」

 

内実、やっていることは、理由を他人へぶん投げ、そ知らぬ顔をして投げられた当人へ手を差し伸べただけだ。人を助ける理由としては下の下だ。

 

 そんな薄ら寒い考えを知らない彼女は、それでも言うのだ。

 

「ん、それでも、ありがと」

 

 いま、心に芽を出したものは一体なんだ。ズキンと痛くて、ヘドロが渦巻いたように胸がムカムカするこの感情は一体何だ。

 

 きっと、それは罪悪感と呼ぶものだ。

 

 俺は、決定的に間違えたのだ。修学旅行のときも、そして、いまこのときも。嫌った欺瞞をこうして両手に握り締めて、もう離せない。

 

 だから、何をしていても罪悪感がついて回る。それこそ影法師のように。

 

「お、おう。んじゃ、行くわ。またな」

 

 手を離したサキが柔らかく微笑む。

 

「またね、ハチマン」

 

 後ろ手に扉を閉じる。歩こうとしても、足が一歩も動かない。そのままずるずると座り込んでしまいそうになるのを必死に堪える。

 

 吐きそうで、頭がガンガンと痛い。

 

 いままでの俺だったらどうしたのだろうと考える。馴れ合いの関係を嫌い、欺瞞を憎み、ぼっちであることこそが至高であると本当に考えていた、少し前の俺であったのなら。

 

 はっ、と笑う。

 

 身体に力が入り、足を踏み出す。

 

 たられば、などらしくない。俺はいまもぼっちだ。馴れ合いの関係は嫌いだ。欺瞞だって、嫌いだ。だから、過去の自分もいまの自分も、取りうるルートはただひとつだ。

 

 ならば、考えても悩んでも悔やんでも仕方ない。

 

 いまはこの世界の攻略を、サキを現実に帰還させることだけ考えればいい。他は時間があるときに考えればいい。

 

 ◇◆◇

 

 

 

「はあ――ッ!」

 

 腹の底を震わせる怒号と共に、サキの背丈よりも長い槍が青色に輝く。すぅっと静かに大気を割るような鋭さで出された突きが、青イノシシに急所に見事に命中した。満タン近かった青イノシシのHPバーを一気に吹き飛ばす。聴くも悲しい断末魔を青イノシシが吐き出しながら、硝子のように砕け散った。

 

 恐らく目の前に現れたであろう、紫のフォントで描かれた加算経験値の数値をしげしげと見つめていたサキは、ほっと息をついた。手馴れた手つきでくるくると槍を弄び、石鎚を草むらに落す。 

 

「どう?」

 

 短く吐かれた言葉の割りに、どんなもんよ、とでも言うようにサキは大きく胸を張った。

 

 大きい胸をそんなに強調しないで! 目のやり場に困っちゃうだろうが!

 

 俺たちはいま、巨大浮遊城《アインクラッド》第一層の南端、《はじまりの街》の西側に広がる草原に来ている。昨日の約束通り、九時にサキを迎えに行き、必要な装備を購入してここにMob狩りを教えていたのだが……。

 

「いや、なんつーか……お前本当に初心者? それともカンフー少女なの?」

 

 おっし、オラ教えちゃうぞ! てな感じで、サキにソードスキルを教えてみれば、僅か十分でこの有様だ。俺なんか一時間かかってやっとできたのに。なにこの格差。

 

「……別に、空手やってたから、その応用みたいなもんだよ」

 

「HPが無くなったらリアルに死ぬっつーのに、その胆力はすげえよ。マジで感心するわ」

 

「だ、だって……あんたがいるし」

 

 槍を抱えてもじもじとサキが言う。

 

 そういうことされると勘違いしちゃうだろうが。あとちょっと、イケナイことしてるように見えるから、その格好やめてね。

 

「まあ、いまみたいな感じで敵を倒す。レベルを上げる、を繰り返して百層進んで行けばいい」

 

「えらくざっくりな説明だねえ」

 

「実際RPGなんてそんなもんだしな。あとは街のNPCに片っ端から話しかけて情報を得たりする」

 

「話し……掛ける……だって?」

 

 なん……だと、とでも言いたげにサキが唖然とした表情をする。気持ちは分かる。だってぼっちだもの。

 

「情報については俺がなんとかする。まずはこれに慣れろ。最低限自分の身を守れるようにしてくれれば、なんとかする」

 

「なんとかって?」

 

「守ってやるってことだ」

 

 言わせんな、恥ずかしい。

 

 どこの少女漫画だこれ。小町が見てる偏差値二十五くらいの雑誌に載ってそうだ。

 

 やっちまった。

 

 恐る恐るサキの方を見ると、顔を真っ赤にして更に際どい感じで槍を抱きしめていた。具体的には、胸の間と股間に槍を挟んでモジモジしている。豊満な胸がもにゅもにゅするわ、膝丈スカートがサキが身動ぐせいで太ももまで露わになるわ、それ以上はR指定になりそうだからホントやめて!

 

 身軽の方が良いと言って、ろくに防具を買わないサキを止めなかったツケが、まさかここで来るとは……。

 

 あの時の俺マジナイス! いまなら神信じちゃう!

 

 ようやく自分のあられもない姿に気づいたか、ハッとしたサキが身体から槍を離した。罵倒が来るか、と俺は条件反射で身構える。だが、そんなことも無く、サキがワザとらしく咳払いをすると、続きをしようと言って、近くに寄って来ていた青イノシシに向けて槍を構えた。

 

「お、おう。そうだな。見ててやるからさっきみたいにやってみ」

 

「ん、行くよ」

 

 二匹目もサキがあっという間に片付ける。俺の出番はない。まさに皆無。

 

 あれ、俺ここにいる意味ある?

 

 おいおい、ちょっとこれはマズイ。何がまずいって、依頼主が働いているのに、請負人の俺が働いてないことだ。働きたくないのは当然だが、さすがに立つ瀬が無い。

 

 短剣を構え、少し大声でサキに声を掛ける。

 

「サキ、しばらく二人で狩るぞ。レベル上げでもするか」

 

「あいよ」

 

 サキが向かったMobとは別にリポップしたMobへ俺は照準を合わせる。俊敏にほぼ全振りしたステータスは、現実の全力疾走より早くイノシシの真正面まで俺の身体を容易に運んだ。斜め前方にステップしながらイノシシの鼻面を切りつけ、身体を反転しながら短剣を逆手に持ち替える。昔練習しておいて良かった。後ろ向きにMobの側面に短剣を深々と刺し込む。

 

 黒の死神なら電撃ぶち込んで終わりなんだけどな「お前らの顔を見てると……反吐が出そうだ」とか呟けば超格好いい。などと、材木座みたいな益体のないことを考えつつ、力を入れて短剣を横滑りさせ両断する。一連の流れでHPバーが尽きたか、Mobが横倒れになりポリゴンが弾けた。

 

 サキの方を見ると、ちょうど一体倒し終えたようだった。

 

 こうしてサキの成長を見ると感慨深いものがある。弟子に抜かれる師匠の気持ちとはこんなものなのだろうか。一時間と経たず抜かれる師匠ってありえないよね。

 

 それから正午過ぎまで二人で狩り続けていると、いままでぽつぽつと居ただけだった人影が増えているのを感じた。一日経って状況整理が終わり、表に出てきたのだろう。それに加え、あちこちから妙に視線を感じる。

 

 やだ、遠くからでも分かる目の腐り具合なの俺……。

 

 勘違いだった。

 

 視線の先をそれとなく追うと、おっと、おっきな胸が……サキだった。鬼気迫る勢いで槍をぶん回し、Mobをばっさばっさ切り殺していく様は、まさに呂布そのもの。だが、いかんせんサキは女子だ。しかも結構な美女ともなれば、目も行くのも分からなくは無い。

 

 ただし、こんな生きるか死ぬかのゲーム中で無ければの話だ。

 

 目に付く敵を倒し終えたサキが、やっと視線に気づいたのか、居心地の悪そうな表情で俺に近づいてきた。視線もサキを追って俺へと向かうと、それはもう虫でも見るかのようなものに変わる。

 

 な、なにゆえ。何ゆえこうも殺人的な視線に晒されなければならないんだ! 隣にサキがいるだけじゃないか! 美人だけど見た目ヤンキーで、でも家族思いで家事もできて、バイトをするくらい家庭の経済状況を考えていて、しかも頭がいいだけだぞ!

 

 あ、確かになるわ。俺もあいつらの立場なら、けっ、リア充爆発しろ! くらいは思うわ。しまいには呪うまである。実際は全然そんなことないのに……!

 

「あんた、なに一人で落ち込んでるのさ」

 

 集まる視線に不快感を露わにしたサキが、肩を落としている俺に話しかけてきた。

 

「気にするな、ちょっと悲しくなっただけだ」

 

「意味分かんないんだけど。まあいいや。それより、人が集まって来たし、他いかない? 妙に視線も感じるし……」

 

「さすがボッチ、視線には敏感だな」

 

「あんたにだけは言われたくないね」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 超ドスの利いた声とメデューサもびっくりな凶眼で言われたので、思わず謝ってしまった。こいつの目、宝石級なの?

 

 何が面白いのか、サキがふっと笑う。

 

「別に本気で怒ってないよ。あんた、いつもそんな感じだし。で、他いかない?」

 

 昨日からやけにこいつの笑う顔をよく見るけど、こんなに笑うやつだったか。

 

 石化した身体を無理やり解いて、頭をガシガシと掻く。

 

 どの道、次の方針は決めてある。

 

「んじゃ、修練場に行くか。レベル上げもそうだが、できれば技術も磨いておきたい」

 

「そうなのかい? レベル上げだけじゃ駄目なんだ?」

 

 いい加減視線が鬱陶しくなってきたので、サキを促して街へ歩みを進める。

 

「プレイヤーキラー。略してPKっていうんだがな、それを念頭に入れておきたいんだよ」

 

 ぷれいやーきらー? とサキが案の定、胡乱気に訊いて来る。

 

「他のプレイヤーに対して攻撃してくる奴のことだ。ネットゲームじゃよくある行為だな」

 

「は? それなんの意味があるのさ」

 

 最もな意見だ。通常のゲームではマナー上の問題で済むが、ことSAOの中ではその限りではない。一本のHPバーはそのまま命の量だ。これを失うのは、現実での死に他ならない。つまり、ここでのPK行為はそのまま殺人行為に置き換わる。

 

「意味ならある。楽しいからだ」

 

「はあ?」

 

「ここには茅場が敷いたルールはあるが、法律は存在しない。ルールの上にあるのは、人の倫理観だ。そんなものは環境で容易に変わる。ただでさえ、ここじゃ殺人のハードルは現実より著しく低い、と俺は考える。何せ現実を見ることのできない俺たちに、実際に死んだか判断する材料はない。早晩、人を殺したいって奴が出て来るだろ。俺たちはそんな場所に放り込まれたんだよ。だから、対人戦を鍛えておく必要がある」

 

 俺の長い説明を噛み砕いているのか、サキは少しの間俯いていた。たぶん、真の意味で状況を理解したのだろう。

 

「分かった。あんたの言うとおりにするよ」

 

「そうしてくれるのは助かるが、何か思うことがあったら言ってくれ。なるべく善処する」

 

「ん、了解。あと……あ、ありがと」

 

 礼の意味が分からず、「お、おう」と適当に濁す。

 

 フィールドを抜け、《はじまりの街》へ戻ると、そのまま修練場へと向かう。仰々しい門扉を抜け、中世さながらの建造物に入ると、ウインドウが現れ手続きをする。

 

 俺とサキは、鮮やかなブルーの光に包まれ、その青いベールの向こうに見える修練場の室内が薄れる様を見つめる。

 

 すぐに身体を覆う光が胎動し、俺の視界を一瞬にして奪った。

 

 光が薄れると同時、現れた風景は四方を壁に囲まれた場所だった。空は四角にくり貫かれ、地面はやや硬い土。広さは対人戦を行える程度で、端には訓練用の案山子がふたつ置かれている。

 

 遠くを見ると、やはりこんなところでも巨大な塔がうっすらと見えた。

 

 サキは突然変わった景色に驚いているのか、辺りをきょろきょろと見渡し、自分の身体のあちこちを触っていた。

 

 やがて、自分の身体に異常がないと悟った様子のサキが、それでも忙しなく視線を彷徨わせながら訊いてくる。

 

「ここが、修練場?」

 

「ああ、ここで出来れば毎日試合をしておきたい。ここならインスタントマップだし、誰かとカチ会う心配はない。HPも減らないから死ぬこともないしな」

 

「ん、そうだね。それより、いまからやるの?」

 

「そのつもりだが、なにか問題あるのか?」

 

 腹部を押さえたサキが、言いづらそうな表情で俺を見てくる。あ、忘れてた。もう昼じゃねえか。そういや確かに腹減ったな。やばいなあ、昼食忘れて女子を連れまわしてたなんて小町にバレたら、ポイント下がっちゃう!

 

「め、飯、食いに行くか」

 

「う、うん。行く」

 

 

 

 飯と言っても、あまり美味くもない一コルの黒パンをもそもそ食べるだけなんですけどね。だって装備買って金ないんだもの。宿代だって馬鹿にならないし、ゲームの中でも金金金って、世知が無さ過ぎだろ茅場晶彦さんよお……。

 

 あれから修練場を出て昼食を買いに行ったはいいものの、やはりどこも高く、結局黒パンになったのだ。それを二人して後生大事に抱え、中央広場のベンチで横並びになって無言で食べている。

 

 あれ、おかしいな。女子との食事は楽しいってハチマン聞いたことあるよ。残念、お互いぼっちでした!

 

 横目でサキの方を盗み見ると、こちらをちらちらと見ながら黒パンをもふっていた。あまり集中していないのか、両頬が膨らみリスみたいで何それ可愛いんですけど。

 

「なんだよ。何かあるのか?」

 

 もぐもぐごくん、とパンを飲み下したサキが、小声で言った。

 

「あのさ、あんた……どうしてここにいるの?」

 

「なんだって?」

 

 びっくりして真顔で聞いたよ。ここにいちゃ駄目なの? 同じ空気吸っちゃ駄目? さすがに凹むからやめて。お願いだからこれ以上トラウマ作らないで!

 

 あからさまに俺の目が腐っていたのだろう、慌ててサキが言い直す。

 

「そ、そういうことじゃなくて。あんたがなんでこのゲームやってるのかなって……」

 

「ああ、そゆこと。うっかり自殺しちゃうところだったぞ」

 

「あんた、卑屈すぎるでしょ……。確かに聞き方は悪かったけど。ご、ごめん」

 

「気にすんな。俺に取っちゃ罵倒がデフォだしな」

 

 サキの瞳が揺れる。それは、哀憐の情のように思えた。

 

「あたしは、別に、あんたを罵倒なんかしないからさ……。ちょっと力、抜いたら?」

 

 力など入れていない。普段通り、卑屈に過ごしているだけなのだ。これが通常なのだから、下手に変化を許容すれば容易く崩れてしまう。それが、何かは分からないのだが。

 

 もう触れるなと首を振る。

 

 サキも強くは言ってこなかった。

 

「それで、なんだっけか。俺がここに来た理由だったか。単純な話だ。俺は結構ゲーマーだからな。面白そうだったからやっただけだ」

 

「ほんとに……?」

 

 あの瞳が怖くてサキを見ずに答える。

 

「嘘つく必要ないだろ」

 

「ん、そっか」

 

 言葉と共に一体何を呑み込んだのだろう。サキは俺がやった事の顛末を知らない。精々が噂に聞いている程度だろう。過程は何も知らないはずだ。だから、彼女にとって、俺は生徒たちが言うように、相模を罵倒した極悪人で、戸部の告白の邪魔をした最低野郎。そのはずだ。

 

 本当に、どうしてこいつは俺になんて助けを求めたんだろう。ただ、知っている奴がいたからなのだろうとは思う。

 

 思わず出そうになったため息を飲み込む。最近は考えていると後ろ向きなことばかり思い浮かぶ。

 

「そういうお前はどうなんだよ」

 

「あたしは……大志が千葉でやったくじ引きが当たってさ。これがウチに届けられたんだけど。大志が用事でできないって言うから、あたしにやってみろって、そんな感じ」

 

 大志の名を出したとき、サキが僅かに目を伏せた。地雷踏んだか。ふたりして家族が大好きだから、家族の名を出せばどちらかが自爆する。そこら中に地雷原が仕組まれているようなものだ。そろそろ何とかした方が良いだろう。

 

 まあ、なんだ……と会話のつぎ帆を探しながら、慎重に言葉を選んでいく。

 

「あいつなら大丈夫だろ。意外としっかりしてるし。けーちゃんだって大志がなんとかするんじゃねえの?」

 

 うっかり、小町に近づいたら殺す、と言うのだけは最大限の自制心で抑えた。危ない危ない。あと少しで爆発するところだった。

 

 サキは、ぱちりと目を開くと、今度は細めて微笑んだ。

 

「あんた、やっぱり優しいよね」

 

「そんなんじゃねえよ」

 

 急に恥ずかしくなって、そっぽを向いた。たぶん、俺の顔は壮絶に赤くなってるに違いない。やだ、マジで恥ずかしい。

 

 なんだこの空気。うっかり惚れて告白して振られちゃうまである。やっぱり振られちゃうのかよ。

 

 それより、とサキが急に小声になって、俺の耳に顔を近づける。ちょっとやめて。マジで惚れそうになっちゃうから。

 

「さっきから、なんか視線が……」

 

 なに、俺は感じなかったぞ! いつの間にぼっちの必須スキル、視線索敵が使えなくなったのだ。惚れた腫れたなど一瞬でどうでもよくなり、さり気なく周囲を見渡す。めぼしい人影は見当たらない。

 

 気のせいじゃないか、と言おうとしたところで、背後から思い切り肩を掴まれた。

 

「ひぃっ!」

 

「きゃっ!」

 

 おい、なんだよ。びっくりして気持ち悪い声だしちゃったじゃねえか。ベンチから飛び上がり警戒度MAXで振り返ると、鼠を彷彿とさせるフード姿の小柄な人影が、「なっはっハー」と可愛らしい声で笑いながら、エロ親父よろしく両手をわきわきとさせていた。

 

 キモい……。

 

 怪訝の眼差しを飄々と受け流した小柄なフードは、ひょいっと、ベンチを乗り越え座ると、両サイドをぽんぽんと叩く。

 

「ほラ、おふたりさん、座りなっテ」

 

 知らない人に話しかけられた俺とサキは、当然のようにこう返す。

 

「あ、お構いなく」

 

 じゃ、そゆことで。シュたっと片手を上げて去ろうとするも、今度は手を掴まれる。サキも同じか歩きのポーズで止まり、困ったように俺を見ていた。

 

 なんだこいつ。めんどくせえのに絡まれた。

 

「まアまア、オレっちと仲良くなると後々いいことあるっテ」

 

 ニシシ、と笑うそいつをまじまじと見つめる。声で分かっていたが、やはり女のようだ。気でも狂ったか両の頬におヒゲのペイントが施されており、まさしく鼠そのものだ。

 

「絵は買わないぞ」

 

 この手の女性には近づくなと、親父から英才教育されているのだ。若干身長と身体の凹凸、あと言葉遣いとおヒゲが邪魔しているが。

 

「生憎と、絵には手を出してないなア」

 

 それト、と言って、フードが爪先立ちでぐっと顔を近づけてくる。

 

「なーんカ、失礼なことを考えてないカ?」

 

 なにこいつ、エスパー?

 

 心臓が嫌な調子で脈打ち、背筋に緊張の汗が垂れる。勘の鋭い女子は苦手だ。嫌なことを思い出す。

 

 影が落ちる。サキが俺とフードの間に割って入ったのだ。

 

「で、何か用? あたしら、これから用あるんだけど」

 

 最大級の不機嫌度を孕ませたドス黒い声で、サキが言い放つ。対するフードは、これでも柳に風のように、ニシシと笑って、両手を上げて無害だと示した。

 

「悪乗りしすぎたみたいだネ。ごめんネ。悪いようにはしないヨ。ただ、面通ししたかっただけだヨ。オレっちはアルゴ。こう見えても情報屋をやっていてネ。めぼしいプレイヤーに粉をかけてるんだヨ」

 

 情報屋の一言に俺は反応する。それを目ざとく拾ったか、アルゴと名乗ったフードが俺に目をやり、ニヤりと意味深に笑った。

 

「よかったら名前教えてくれないカ? あと、フレンド登録もよろしくナ!」

 

 サキが俺を見る。互いにぼっち生活が長いから、こうグイグイ押されるとどうするのが正解なのか分からないのだろう。

 

 少しだけ考える。ここは理由が欲しい。

 

 アルゴは情報屋と言った。真実なのかは判断しかねるが、もし事実であった場合、今後情報面でこいつを頼ることができるだろう。これは非常に有益だ。逆に、情報屋を騙った詐欺師であった場合、金を奪われるだけならまだしも、誤情報を掴まされて嵌められる可能性もある。

 

 ふたつを天秤に乗せ、どちらを取るのが正解か……。後者の危険はいかんともしがたい、しがたいが、やはり前者か。情報の確度は裏を取って上げていくしかない。情報なんてそんなもんだ。

 

 ならば、ここで取るべき選択肢はひとつ。 

 

「答えは決まったカ?」

 

 ニシシと笑うアルゴに、俺は頷いて答える。

 

「ああ、俺はハチマン、こっちはサキだ。お前の申し出を受ける」

 

「ハー坊にサーちゃんか」

 

「俺はハー坊かよ……」

 

 でもヒッキーよりはマシか。もしかしたら俺のあだ名黒歴史の中で、一番まともな名前な気がする。ハチマンちょっと泣きそう。

 

 サキはどうかと横目で見ると、何も無いところに視線を彷徨わせ、頬が強張っていた。サーちゃんに何か問題あるのか?

 

 ああ……。

 

「アルゴ、サーちゃんはやめてやれ。本人嫌そうだし」

 

「そうカ? ならサキちゃんにするカ」

 

 にこり、と初めて普通に笑ったアルゴがサキに顔を寄せる。

 

「お得意さんになってもらいたいシ、サキちゃんにはタダでいいコト教えてあげるヨ」

 

 アルゴがサキに耳打ちする。何事かを聞いたサキが急に顔を真っ赤にした。

 

 ニシシ、とアルゴは再びいやらしく笑う。

 

「それじゃおふたりさん、よろしくナ!」

 

 手馴れた手つきでフレンド登録を済ませられると、嵐もかくやとアルゴは走り去っていった。

 

 あの子ヒューマノイド・タイフーンなの? 捕まえたら六百億$$貰えちゃうの? 駄目だ、ここの通貨はコルだった……。

 

 というか、ハチマンには何も教えてくれないの?

 

 仲間外れイクナイ!

 

 しかし、サキの奴、一体何を聞いたんだ。さっきから首をブンブンと振ったり、急に槍を抱いてモジモジしたり、挙句唸りながら空を仰ぎ出したりと、実に落ち着きがない。悪ガキ小学生か、こいつは。

 

「で、何教えてもらったんだ?」

 

「ひぃっ!」

 

 気になって何気なく聞くと、軽く悲鳴を上げてサキが大きく飛び退いた。割と本気で傷つくからやめてね。周りから向けられる俺への視線がストーカーを見る目になってきてるから。待て、俺は悪くない。アルゴが悪い。

 

 どうにも居心地が悪くてサキを無表情で見る。視線を大海に泳がせたサキが、ボソボソと口にする。

 

「な、なんでもない……です」

 

「なぜ敬語?」

 

「き、気にしないで!」

 

 片腕で槍を抱いて、サキは袖口を弄り始める。よく分からん。

 

 互いの間に沈黙が生まれる。変にきっかけがあると、やっぱり会話が止まるなあ。普段は周りがうるさい連中ばかりだったから、勝手に会話が始まるし、気づいたら声かけられるし、よく考えると会話するには楽な環境だった。

 

 とりあえず、飯食おう。まだ一個残ってるし。

 

 もぞもぞとベンチに戻ってパンを噛み千切る。サキも俺の動きを真似たか、隣に座ってパンを食べ始めた。

 

 でもやっぱり無言。

 

 なんなのこの空気。

 

 やっぱりあのアルゴ、タイフーンだわ。会話の空気まで吹っ飛ばされたわ。おのれ、アルゴめ。

 

 広場は幾ばくかの賑やかさと切迫さがひしめいているが、俺たちのベンチだけは沈黙が膜を張っている。ここだけATフィールドなの?

 

 参ったなあ、と最後の一口を放り込み嚥下する。サキを見ると、同じく丁度パンを食べ終わったところだった。

 

 目が会う。

 

 逸らされる。

 

 しまいには泣くぞ。いや、分かるけどね。隣にいるのが俺だなんて、嫌だよね。大丈夫、さっきのことで勘違いなんかしてないんだからね!

 

 あまり時間も無駄にしていられないので、わざとらしく膝を叩いて腰を上げる。

 

「んじゃ、行くか」

 

「……ん」

 

 広場を抜けて修練場に戻る。道中、やはりというか、男どもの視線がやたら目に付く。サキが美人なのは認めるが、そこまで露骨に見るものか?

 

 脈絡のないことを考えながら転送を終え、本日二度目の修練場に立つ。

 

 槍を肩に乗せたサキが、やや緊張の面持ちで訊く。

 

「で、どうすんの?」

 

「あー、とりあえず適当に戦ってみるか。一発クリーンヒット当てた方が勝ちってのを何回か繰り返すか」

 

「ん、了解」

 

 互いに約十メートルほどの距離を取る。サキは槍を右に持ち穂先を真っ直ぐ向けた、いかにもな構え。俺は短剣を順手で持ち、左手を後ろに隠して半身にする。こういうとき漫画を読んでおいてよかったなあと思う。やっぱりケンイチって面白いよね!

 

「んじゃ、始めるか。来ていいぞ」

 

「あいよ――!」

 

 気の抜けた俺の掛け声と共に、サキが突進して来る。

 

 速い。

 

 やはり身のこなしが素人じゃない。俺は素人だけど。

 

「はああッ!」

 

 掛け声と共に突き出された渾身の突きを軸線をずらすことで避ける。というか、速すぎてパリィとか無理。そのまま槍の穂先に短剣を乗せて斬りかかりたかったが、戻すのが速い。槍って柄を抑えられたら負けじゃないの? 違うの?

 

 槍を戻したサキが左足を軸に反転。今度は石鎚が横からすっ飛んで来る。ぎりぎりで頭を下げる。髪の毛がぶわっと吹っ飛ばされた感触。

 

 そうこうしている内に、槍を長めに持ったサキが、腰を入れた一撃を頭上に落す。体勢的に動けなかった俺は、それを短剣でまともに受けた。耳を震わす金属音と共に、受けた右腕がじわりと痺れ出す。

 

 長物をまともに受けるんじゃねえな……。下手すりゃ防御ごと持ってかれるぞこれ。

 

 だが、一度競り合いになれば力のある男の方が……あれ、押されてね? そういや俺、俊敏特化だった。やべえ。

 

 首筋まで落ちかかった槍を、寸での判断で受け流す。全力を込めていたのか、サキの体勢が一瞬崩れた。その隙を逃さず一足飛びでサキの下まで肉薄し、無防備の首に一撃を食らわせた。

 

 《圏内戦闘》ではHBバーは減ることはないが、僅かながらノックバックが発生する。初めての衝撃に目を剥いたサキが、大きく仰け反った。

 

「……っ、負けたよ」

 

 石鎚と共に膝を落したサキが、肩で息をして敗北を宣言する。俺も身体のしんどさに負けて、どしんと腰を落した。

 

「いや、お前やっぱすげえわ。負けるかと思った」

 

 俺の発言に気を良くしたのか、広場での沈黙が嘘の様に、サキが楽しそうに笑った。

 

「あんた、一応私の師匠なんだからさ。もっと自信持ちなよ」

 

「ソードスキル教えただけだけどな」

 

「まったく、卑屈だねえ」

 

 ふぅっと息をついてサキが立ち上がる。くるくると演舞のように槍を回し、先ほど同じように構えた。

 

「さ、もう一度やるよ。付き合ってくれるんだろう?」

 

「やる気満々だな、サキサキ」

 

「サキサキ言うな! 少しでも強くなんないと、帰れないんでしょ」

 

「ま、そうだな」

 

 膝に力を入れて俺も立ち上がって構える。依頼人にやる気があるのはいいことだ。ならば、請負人の俺も、全力で答えるべきだろう。

 

 

 

 

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