ソードアート・オンライン Youth in Aincrad 作:ユーカリの木
翌日、俺は同じく四十九層の喫茶店にいた。対面に座るのは、ユリエールらが作った孤児員儀ギルド《子どもたちの夢》に入ったユキノだ。
ユリエールとも仲がもどったようで、毎日が忙しいとよく零している。そんな中、時間を割いて来てくれたのだ。
なるほどね、とユキノは紅茶を一口飲んでソーサーへ置くと、指を組んで俺を見た。
「それで、私を呼んだと。そういうことね」
はあ、とユキノが額を押さえる。馬鹿な子どものやんちゃを見る先生のような仕草だった。自覚があるので何も言えない。
俺はあのあと、アルゴの後も追えず、自分の気持ちに整理すらつけられなくなり、一人自分の宿に帰った。その後、サキと会う勇気も持てず、ユキノに助けを求めたのだ。ここでユキノに連絡する俺、マジで屑なんじゃないだろうか。
「あなた、自分が何をやったか分かっているのかしら? 正直に言わせて頂戴」
ユキノが一言で俺をぶった斬る。
「あなたバカ?」
以前に比べれば単純な一言だが、俺の心は容易に抉られた。
「わ、分かってる。俺が悪い。全面的に俺が悪い」
「ええ。サキに気があるのにアルゴさんからの好意を否定しなかったあなたに責任があるわ。まったくこの男は……あと、もうひとつ悪いことがあるわ」
「それはなんでしょう」
思わず敬語になる。もうユキノ様と呼んでも構わない。なにせ、俺は恋愛経験値など皆無なのだ。頼る先も考えつかず、同じ部活仲間で友人となった彼女に頼るほかなかない。
「あなた、私を振ったのよ? よくそんな相談持ちかけられるわね。神経を疑うわ」
今度こそ正真正銘心臓にグさりときた。脳内の小町も、さっきから「クズ」としか言ってくれない。「ゴミいちゃん」の方がまだいいよ小町ぃ。
思い切り落ち込んでいると、ユキノがふっと笑みを浮かべた。
「いまのは冗談よ。ちょっとからかいたくなっただけ。私はもう吹っ切れたし、あなたはちゃんと振ってくれた。そこに関してあなたが負い目を感じる必要はないわ」
「すまん」
「謝らなくていいの。ちょっと私が言いすぎたわね。ごめんなさい」
そう言って、ユキノが軽く頭を下げる。
ユキノは本当に丸くなった。以前のやりとりも個人的には気に入っていたが、今の方がやっぱりいい。話しやすいのだ。
「で、どうすればいい?」
「逆に聞きたいの。どうしたい?」
聞かれて言葉が出ない。一体どうしたら良いのか。俺はサキが女性として好きだ。アルゴは友人として好きだ。だから想いには応えられない。でもこの関係を壊したくない。
そんなことをぽつぽつと語る。かつての修学旅行を思わせる、欺瞞の答え。
「だけど、んなことはダメなことは分かってる。だから、アルゴにちゃんと答えを伝えたい」
「よくできました」
ユキノが微笑む。
「私もあなたの立場なら、やっぱり悩むと思う。アルゴさんとはすごく良い仲なんでしょう? それがもしダメになってしまうとしたら、保留したくなる気持ちは分かるわ。でも、あなたは答えを告げることを選んだのでしょう。私はあなたのその答え、否定しないわ」
ユキノに肯定されると、重かった心が随分と軽くなった。やはり部長の言葉は軽くない。伊達に世界を変えるだなんて言っていなかったんだな、と思う。なにせ、こいつは少なからず俺を変えているのだから。
「そう言ってくれると助かる。昨日から頭の中で最低男だな愚図野郎だの、そんな言葉ばかり回っててな。思わず首吊りたくなるまであったんだわ」
「恋は悩ましいわね」
ユキノが頬に手を当てて窓の外を見る。俺も視線を外へ飛ばす。
木々から零れた枯れ葉が、風にのってどこまでもどこまでも遠くへ運ばれていく。まるで、人生なるようにしかならないとでも言うように。
でも、とユキノが続ける。
「あなた、私を振ったのにこうして仲良く友人として接していられているじゃない。なら、アルゴさんともきっとちゃんと友人同士になれると思うわ」
あなたはそれだけの器を持った立派な男の人よ。そうユキノは最後に付け加えた。
ユキノの言う通り、彼女との関係は今も続いている。告白を断ったとき、多くの人はその闇の中に関係性の崩壊を見る。だが、もう既に俺は見たではないか。告白を断った先にあるものは、きっと闇だけなどではない。
知らず、俺は苦笑していた。こんなことを忘れるくらい、頭が回っていなかったのだ。このこざかしい頭は、やはりこと恋愛が絡むとポンコツ以下になるらしい。
「なんか、サンキューな。それに、時間作ってもらって悪かった」
「構わないわ。部員のためなら、いいえ、友人のためならこれくらいさせて頂戴。だから、今度私が恋に悩んだときは相談に乗ってね」
「おう、任せろ」
いつかユキノの前に現れた男性に彼女が恋を寄せたときに想いを馳せる。一体どんな男なんだろうか。きっと雪ノ下さんとの面談が待っているだろうな、と未来の男性に同情的な気分になる。
「じゃあ、方策を練りましょうか」
◇◆◇
ハチマンが好きだった。あの日からずっと、彼の隣にあり続けることを願った。
でも隣にはいつだってサキがいた。まるで母親のような包容力を持つ彼女に、私が適うところなどひとつもないと思っていた。
私は自宅の部屋の片隅に、あれからずっと蹲っていた。ろくに食べ物もたべず、飲み物も口に含まず、ずっとずっと、後悔の船旅をしていたのだ。
なぜあんなことをしてしまったのだろう。私は思う。
告白だけでよかった。抱きつくだけでよかった。
でも、キスまではしなくてよかった。
あの日、キスをした後のあの瞬間、サキと目があった。彼女は我を忘れたように呆けていた。
「私は間違ってない」
私は一人つぶやく。間違ってなどいない。だって、ハチマンとサキは付き合ってなどいないのだから。だから、あの行動は間違っていなかった。
ならばどうして?
どうして私は逃げたのだろう、と私は思う。
サキに悪いと思ったから?
キスをしたのが恥ずかしかったから?
違う。
答えなど簡単だった。
「私は、ハチマンにサキが見ているのがバレるのが恐かったんだ……」
ハチマンはきっと、サキのことが好きだ。だから、何かしなければならないと焦りに焦り、私はあんなことをした。それをサキに見られたと彼が知ったらどうするのか、想像がつかなかった。だから逃げた。すべてを放り出し、逃げ出したのだ。
いままでこんなことはなかった。
ベータテスト時代から情報屋を生業とし、最前線を単身で走り回ってきた。命の危険があったことなど、両手で数え切れないほどだ。だが、それも経験と情報で潜り抜けてきたのだ。だけど、今回はそれがない。私には恋愛経験があまりないのだ。恋人だっていたことがない。だからこそ、いまこんなにも混乱している。
ふと、さびしいと思った。
いま私はひとりだ。
当然だ。家にひとりっきりで、部屋の隅っこで猫のように丸くなっているのだから。こんなときにハチマンがいたらどうなっただろうか。しょうがねえなあ、とか、しかたねえなあ、とかそんな言葉を吐きながらも隣にいてくれるのだろうか。
泣きたくなった。それを壊してしまいそうで、私はぼろぼろと涙を流していた。
そのときだった、部屋のノックが鳴ったのは。
「……アルゴさん? いるかしら? 私、ユキノよ」
「……ユキノちゃん? どうして?」
ハチマンの前では被らない、しかし、他人の前では被るべきフードがいまはない。失ってしまったそれを必死で取り戻そうとして、でも取り戻せない。
「あなたに会いにきたの。伝えたいことがあって。開けてくれないかしら」
「――待って。お願い……」
時間を下さい。お願いだから、時間を下さい。私が元に戻るだけの時間を下さい。願うように声を振り絞る。
ユキノはそれ以上中に入ってこようとはしなかった。
「クリスマスイヴの日、私とハチマンが主催でささやかなパーティをするわ。あなたにも来てほしいの。詳細はメッセージを送るから、それで確認して頂戴」
それと、とユキノが続ける。
「お願いだから、何か食べて頂戴。あなた、ずっとそんな状態なんでしょう。彼ならきっと、そう言うはずよ。それじゃあ、またね」
ユキノの声が途絶える。私は動けない。もう少し、あと少しだけ。
そうしたら、きっといつものアルゴに戻るから。
◇◆◇
ユキノと別れたあと、俺はクラインと共に第一層の修練場に来ていた。殆どがサキとばかりやっていた対人戦闘。だが、やはり他の武器や人ともやったほうが良いとのことで、たまにキリトやアスナ、ディアベルともやっていたのだ。今回は、クラインきっての依頼でこうして来た訳だ。
まったく、クリスマスも控えているのに何をやっているのやら。ただ、いまは身体を動かしておきたかった。完全に頭をすっきりとさせるために。
「んじゃ、はじめようぜ!」
クラインが刀を抜いて正眼に構える。
対する俺は、右手に短剣、左手に投げナイフ。身体を横にして右を前にし、左を背後に隠すいつものスタイルだ。
「やりますかね」
やる気のないいつもの掛け声で、戦闘が開始する。
早速足を踏み出したのはクライン、何も考えていない渾身の突きを繰り出す。俺はそれを半身でかわし、背後から思い切り首を斬りつけた。こんな技、たしか飛天御剣流にもあった気がするな。
ノックバックで吹っ飛ばされたクラインが顔面から地面に突っ込む。おお、痛そうだ。しばらくして起き上がったクラインが、顔を抑えながら立ち上がる。
「いってぇ……なにがどうなったンだよ」
「こっちが聞きてえよ。なにがどうしていきなりあんなことしたんだ?」
「そりゃあおめえ、突きは男の浪漫だろーが」
バカだ。心底バカがいる。あんな隙だらけの突きを浪漫とかいうな。斎藤さんが怒っちゃうだろうが。
「少しは流れを考えろ。相手も考えてるんだから、こっちも考えて攻撃しろ。でないと当たらんどころかさっきみたいにモロのカウンターもらうぞ」
こうしてみると、相手によって戦い方は違うものだ。
サキは天性の感性と突き詰めるほどの努力、そして俺と似たように理詰めで対処をしていく。そして回転運動を利用し、単純な力ではなく円運動を上手く活用している。あと、俺のアニメの知識をふんだんに盛り込んでいるお陰か、リアルランサーと化している。
キリトは荒削りの独自剣術だが、持ち前の反射神経を利用したカウンターが強力。そしてとにかく手数重視の戦術だ。
アスナは早い。とにかく早い。早すぎて全然捌けないし、気づいたら喉を串刺しにされるのは恐すぎる。あいつはきっといつか光になるな、うん。
対してディアベルは正統派と言えば良いのだろう。剣と盾をたくみにつかった戦術には舌を巻く。何度か負けそうになった。あと、盾を攻撃に使うあのスタイルには驚かされた。なに、盾って武器になるのん?
で、当のクラインだが。まだ分からない。知り合ってそれなりに経つが、こうして剣を混じり合わせたことは初めてなのだ。徐々に把握していけばいいだろう。
「さっさと来いよ。時間もったいねえだろ」
俺は構えたままだ。クラインも慌てて構え直す。今度は切っ先を俺へ向けた八双の構えか。剣術って詳しくないんだよなあ。ユキノつれてくればよかったか……。
クラインが肉薄する。見えていた俺はすぐに反応。クラインの右袈裟を短剣で捌く。空いた左の胴を狙おうとするも、今度は柄が俺の腕を襲う。急な反応に驚いて俺はバックステップ。クラインは何を思ったか刀を鞘へ納めつつ前進。
おいおい。刀スキルに抜刀術なんぞ聞いたことねえぞ。
閃光。
クラインの抜刀術をぎりぎりで短剣で受け止めるが、力が足りない。身体を引きつつ捌くも、またしてもクラインが納刀。くそ、こいつ人斬り抜刀斎かよ! そうとう無理な練習しやがったなこいつ! さっきとは段違いの攻撃だぞ。
俺は抜刀術を警戒しつつも一気に懐に攻め入る。俊敏特化を舐めるなよ。だが、短剣が空をかく。クラインが跳躍して俺を見下ろしている。
まずい……!
天からの抜刀。俺の身体を真っ二つに斬り裂く赤いエフェクトが、敗北を知らせてくれていた。 クラインが刀を納めて笑う。
「いまのどうよ! すっげーだろ!」
まったくだ。最初の突きはなんだよ。遊びかよ。
「マジで抜刀斎かと思ったぞ。なんだよあれ。エクストラスキルとかってやつか?」
首を振ったクラインが応える。
「違う違う。気合で練習して覚えた!」
ありえねえ。システム的にありなの? まあ、鞘もあるし、できなくはないか……。
その後、一時間程度をクラインとの対人戦闘訓練に当てた。
ふぃ~と大きく息を吐いたクラインが、どさりと地面に腰を落す。俺も同様に座り込んだ。神経を削るこの訓練は適度に休憩を入れないと疲れるのだ。
クラインが話題を切り出す。
「ハチマンよお、クリスマス会の話は聞いたぞ。俺も出ていいんだよな」
「でなきゃ話されねえだろ。来いよ」
クリスマス当日、俺とユキノはクリスマス会を計画したのだ。ゲームの中でやれることなど多くはないから、店を貸しきって飲み食いするだけの、ただの学生のノリみたいなものだ。俺とユキノからは縁遠いはずのそれをやることになったのは、一重に俺のせいだ。
あのとき、ユキノはこういったのだ。
――どうせふたりで話すのも難しいでしょう。場を設けるから、なんとか二人になりなさい。私も行くから、何とかフォローするわ
なんとも頼もしい女である。このゲームでは人望もあるようなので、ますます完璧人間に磨きが掛かってきている。雪ノ下建設もこれなら安泰ではないだろうか。
「《風林火山》の連中も連れて行っていいんだよな。実はアスナさんにサキさん、ユキノさんにに会いたいって奴らが多くてな」
「出会い系じゃねえぞ。節度持つなら構わねえけど、あんま俺らの知らない奴は連れてくんなよ。一応仲間内だけでやるんだからよ」
俺が言うべき台詞でもない気がしたが、一応釘は刺しておく。
「わぁーってるって! 楽しみだよなあ」
鼻の下を伸ばしながらクラインが言う。こいつ、うちの女性陣目的じゃあるまいな。サキに手を出したら殺すぞゴルラァ。
そんな表情は露と出さず、俺は気になっていたことを訊いてみる。
「ただ飲み食いするだけだぞ? 何がいいんだ?」
「主催者がそれ言うなよ……」
思いっきり突っ込まれる。確かに俺が主催者だった。一体いつこんなリア充イベントを主催するようになってしまったんだ……。俺は悪くねえ。社会が悪い。
困ったように頭を掻いたクラインが、「やっぱハチマンは捻くれてンなあ」と言いながら、俺の頭を叩いた。
「こういうもンはな。ツリー見て、美味いチキン食って、ケーキ食って、シャンメリー飲んで、朝まで騒ぐ! それでいいンだよ。そうすりゃみんな楽しいし、また来年も会いたくなるってもんよ」
「そんなもんか」
「そんなもんだ」
空を見上げる。今日は鈍色の曇り空だ。そろそろ雪でも降るかもしれない。さっきから足元から冷えてきて寒いのだ。
はあ、と白く煙る息を不安と共に吐き出す。
クリスマスイヴまであと六日。俺はそのとき、アルゴにちゃんと答えを伝えることができるのだろうか。
◇◆◇
夜の帳が下りていた。外はもう真っ暗で、今日は雪が降っている。最前線の宿を居住としていた私は、窓の外に煌くイルミネーションをぼうっと見つめ、知らず、唇に触れていた。
あのときの感触を思い出すと、どんな状態であっても赤面してしまう。なのに、次の瞬間にはどんな顔をして会えばいいのか分からず、頭を抱える嵌めになる。
私はようやく起き上がり、遅めの夕食を取る。実に一日ぶりの食事だ。いい加減この変な空腹感もつらくなってきていたのだ。いかに感情が落ちようとも、食事の意欲はあるのだから、人間の身体は不思議なものだ。
そのとき、今日二度目のドアが鳴った。ここを知っている人は多くはない。またユキノだろうかと思って私は返事をする。今度は、フードを被った声で。
「なんだイ?」
「私……サキだよ」
一瞬にしてフードが吹き飛んだ。
なんで、どうしてサキがここに来るの?
ハチマンと何かあったの?
それとも、私を責めに来た?
様々な思考が嵐のように荒れ狂い、私は混乱する。それでも、ノックはもう一度鳴る。
「遅くにごめん。開けてくれないかな。話したいことがあるんだ」
深呼吸をする。覚悟を決めろ、アルゴ。女は度胸だ!
「わかった」
アルゴが扉を開けると、サキがひとり立っていた。表情は一見して普通だが、少しだけ眉が下がっていた。長い間接してきたからこそ分かるのだ。サキは悲しんでいる。
きっと、あのせいだ。
「ありがとう。ごめんよ、こんな時間に」
「いいよ。私とサキちゃんの仲だよ」
サキを部屋に案内し、席に座らせる。コーヒーを置いて、私も座った。先は指を組んで瞑目している。やはりあのことを思い出しているのだろう。眉は下がったままで、奥歯をかみ締めているようにも見えた。
やがて、サキが目を開く。
「ごめん。あのときは……邪魔をしたね」
「え?」
サキが謝る理由が分からなかった。本当のところを言えば、邪魔をしたのは私の方なのだ。謝られる必要などなく、逆に罵倒されたっていいと思っていた。なのに、彼女は謝った。どういうことだろう。
「あんた、あのとき決死の覚悟で挑んだんだろう? あたしがいなければ、上手くいっていたかもしれない。あたしがいたから、あんたはあたしに遠慮して、きっとハチマンの返事も聞かずに飛び出していった。だから、本当にごめんよ」
サキが頭を下げる。真摯に、心から下げて私に許しを請う。
本当に、これだから困るなあ、と思った。
素敵だな。こんな素敵な人になら、少しだけ、ほんの少しだけは、負けてもいいと思ってしまう。でも、譲れない戦いだって、あるのだ。
だから、私は負けない。
「ほんとだよ。あのままもう一度ぶちゅーって言って、ハチマンをメロメロにするつもりだったのに。サキサキのお邪魔虫!」
ぶーぶーと唸りながら言ってやった。
これくらいからかってもいいだろう。だって、サキは恋敵だけど、大切な友人なのだ。
「ぶちゅーって……さすがに場所は選びなよ」
「見せ付けてやればいいんだよ。あのハチマンだよ? 周りが囃し立てたら余計に意識するに決まってるって。だから外堀を攻めるようにしていけば、きっと私の下に来てくれるんだよ」
サキがやっと笑う。苦笑だった。
「あんた、すごいね」
「サキはしたことないの?」
なにがだい? とサキが首を傾げる。
「キス」
「んなっ!」
サキの顔が熟れたトマトのように赤く染まる。急にもじもじとしだし、視線を上下左右へ彷徨わせ、最後に唇に指を這わせた。
ああ、可愛いなあ。それに、きっとしてるなあ、この反応。
ハチマンは幸せものだなあ。
でも、負けないよ。
「へーしたんだ。でも私みたいに長くはないよね?」
「う、うぅ……時間じゃないんだよ、時間じゃ」
「やっぱりしたんだ」
サキが今度こそ項垂れる。カマを掛けられたと思ったらしいが、バレバレだ。やっぱりサキは、ハチマンがらみになると一気に可愛くなる。ハチマン限定のデレっぷりは、やっぱり周囲から見るとギャップがすごい。人気なのも頷けるというものだ。
「サキちゃん。私は告白したよ。サキちゃんはどうする?」
「あたしは……」
言葉を詰まらせたサキの瞳が揺れる。何かを迷っているかのように。
「ハチマンが幸せな選択をして欲しい。だから、あんたの告白の結末が分かってから、あたしはするよ……」
「私に奪われてもいいの?」
「それはあいつの選択の結果だよ。あたしが何を言っても変わらない。あいつの幸せはあいつが決めるんだから」
はあ、とため息した。この人はまったく。すべてをハチマンを最優先にしているからだろうか、時にこうした考えに至ることがある。どうも、ハチマンとサキは似ている気がする。
いっそ放っておこうかとも思ったが、サキは恋敵だ。腑抜けられては困る。だって、全力で戦って勝ち取らないと、私にとっては意味がないのだ。
だから、私はサキの頬を叩いた。全力で。
サキが呆然としたように私を見る。当然だろう、いきなりビンタされれば。
だけど、私も怒っている。私はこんな人と恋敵だなんて思いたくない。もっとちゃんと戦いたい。
私は叫ぶ。喉が千切れんばかりに私は叫ぶ。
「サキのそれは自己犠牲ってやつだよ。なにがハチマンの幸せだよ! あたしが幸せにするからあんたは引っ込んでなくらい言ってみなよ!
私は言えるよ。サキよりも絶対にハチマンを幸せにする。メロメロにする。絶対絶対、誰にも渡さない! それくらいサキも私に言ってよ!」
はっとしたサキが俯く。何かを考えるように視線を横へやる。組んだ手が解かれ、拳をぎゅっと握っていた。
視線を戻したサキが私を見る。その表情は、まるで敵へ向かう戦乙女のように力強いものだった。
「そうだね、アルゴ。私はあんたなんかに負けてやらない。ハチマンの幸せは私が作る! あんたじゃ無理だから引っ込んでな!」
ふたりして睨みあう。
そして、ぷっと吹き出した。
あまりにも面白くて大笑いする。
ああ、やっと本当の意味での友人になれた気がする。きっと、この日のことは生涯忘れないだろう。
「サキちゃん、もしどちらかが恋人になって、どちらかが振られても、友人同士でいようね」
サキが頷く。口許には優しい微笑みが滲んでいた。
「そうだね、あんたとはもっと仲良くなりたいよ」
さあ、ハチマン。勝負はクリスマス。絶対に逃がしてやらないから、覚悟してにゃん。