ソードアート・オンライン Youth in Aincrad 作:ユーカリの木
クリスマス当日になった。一夜を男どもと過ごした俺は、雑魚寝状態のまま起き上がった。隣ではクラインがぐーすか眠っている。キリトは剣を抱えたまま夢の中だ。こいつ、いつの時代の人間だよ。お侍さん? ディアベルだけが起きていて、ひとり窓の枠に腰掛け外を眺めていた。
俺もディアベルの横に立って同じように視線を外へ向ける。
昨日と同じく、今日も朝から街は煌びやかに瞬いている。どこもかしこも、今日が本番とばかりに朝からみんな活動的に動いている姿が見えた。
「やるのかい?」
静かにディアベルが問うてくる。俺は無言でそれに答えた。
メッセージは昨日送ってある。一時間後には、アルゴと会う約束をしている。そこであの告白の答えをする。そしてその後、サキと出会い想いを告げる。
どちらかを選ばなければならないとき、人は選択を迫られる。俺の場合は、アルゴかサキだった。あるいは、どちらも選べない場合もある。そして、どちらも選択肢から消えてしまうことだってある。
俺の選択で一体何が起こるのか。いまは分からない。
それでも、一週間悩み、ユキノに相談し、男同士で語り合った末、俺は本当に決めたのだ。
「そうか。じゃあ、幸運を」
ディアベルが手を差し出してくる。俺も自然とそれを握り返した。男同士の握手だ。
「失敗したら慰め会でも開いてくれ」
ディアベルが苦笑し首を振る。
「祝勝会にしよう。絶対に」
「キリトも含めてな」
視線をキリトへ向けて、ディアベルが薄く微笑む。
「そうだね。そうしよう」
しばらく、ふたり無言で窓の外を眺めていた。沈黙は苦ではなかった。昨日の語らいで、こいつともより一層分かり合えた。キリトやクラインとの仲も深まった。多くのものを手に入れた俺は、いま幸せなのだろう。だから、またひとつ幸せを手に入れるためにがんばることにする。
それでも、アルゴに告げる言葉を考えると気が思い。一体、彼女はどれほどの想いを篭めていたのだろうと想像すると、胸が痛くなった。
キリトも起きる。剣を背負ったいつものスタイルで、俺たちの傍に立つ。
「よう、うまくやれよ」
今日は互いに勝負の日だ。キリトも分かっているように頷く。
「ハチもな」
俺は拳を突き出す。キリトも拳を出す。互いの拳をぶつけ合い、更にディアベルものってくる。
「オレは特にないんだけど、ふたりとも、がんばれ! 次は絶対にふたりの祝勝会をするからな!」
三人で拳を突き上げる。こういうのも、仲の良いやつらとやると良いもんだ。
クラインはまあ、まだ寝てる。
そうこうしている内に時間となり、俺とキリトは宿を出た。クラインはディアベルが介抱してくれるらしい。別に酔ってないよねあいつ。
途中まで俺とキリトは一緒に歩く。街並みなど見ている余裕はない。いっそ暗闇の中を歩いている感覚すらある。地面すら曖昧で、隣にキリトがいなければ正直に言って回れ右したくなるくらいだ。
ちらりとキリトを見る。こいつもまた、頬に汗を垂らせて顔を引きつらせていた。なぜかぴくぴくと手が動き、その挙動がどうも背の剣に向かおうとしているのだ。
こいつ、恋と戦うときも剣に手が行くって、一体何と戦おうとしているんだ?
なんだおかしくなって、ぷはっと声に出して笑った。良い感じに緊張が解れてきた。キリトも自分の挙動不審さ加減に気づいたか、バツの悪そうな顔をしつつも、同じように噴出した。
Y字路にぶつかり、俺とキリトは立ち止まる。待ち合わせ場所はそれぞれに別だ。
「んじゃ、いってきますか」と軽く俺が言う。
「ああ、帰ってくるときはお互い良い報告しようぜ」キリトが格好良く言って見せた。
互いに手を叩いて、俺はキリトと別れる。まっすぐ、ただまっすぐに歩き、アルゴと待ち合わせの場所へ行く。
場所はあの中央広場だ。告白をされた場所で、俺は彼女に返事をする。
アルゴの姿が見えてきた。ベージュのポンチョにチェックのスカート。頭にはキャスケットを被った姿で、アルゴはひとりツリーの前で立っている。両手で持っているのは白のバッグか。
いつもの装いではなく、たぶんプレイヤーメイドの服なのだろう。正直心が揺れ動きそうになる。だが、そんなために来たのではないと、表情をなるべく無にして足を動かす。
アルゴが俺に気づく。ぱっと花咲くように笑顔になったアルゴが、とてとてと可愛らしく小走りにやって来る。愛玩動物のような心温まる笑みを俺に向けた。
「ハチマン、呼んでくれてありがとう」
全身で喜びを表現しているように、彼女は華やいで見えた。
女の子は、お砂糖とスパイス、そして素敵な何かでできている。
マザーグースの言葉だったか。
アルゴもこの例に漏れないだろう。蕩けそうに甘く、金にがめつく、でも素敵ななにかが人を惹きつける。
だから、アルゴは素敵な女の子だ。
ちなみに、男の子は、カエルとカタツムリ、そして子犬の尻尾でできているらしい。
なんなの、男に何か恨みでもあるの?
「悪いな、昨日の今日で呼び出しちまって」
ううん。アルゴが首をふるふると振る。
「ハチマンのためならどこへだって駆けつけるよ」
素敵な笑顔でアルゴが言う。いまから俺は、この顔を曇らせる。
「アルゴ、あのな……」
「ね、行こうよ。今日はクリスマスだよ!」
そう言って俺の手を掴んで前に進もうとする。だが、俺は動かない。アルゴはなおも引っ張る。
「お願い、行こうよ。ずっと、ずっと、クリスマスにハチマンと過ごすのが楽しみだった。待ってたの。お願い、行こうよ。ハチマン」
喧騒を背景に、俺は首肯しない。
「ダメだ」
「やだ」
嫌だと、アルゴは駄々を捏ねる。
「大好きだよハチマン」
「ありがとう。そう言ってくれて、嬉しく思ってる」
素直に、想いは嬉しい。
「愛してるよ、ハチマン」
「でも受け取れない」
周りの喧騒が消えた。まるで、この世界にふたりきりになったように。
世界が凍てつく。
アルゴの表情が凍った。目を大きく見開いて、目じりにはじわりと光を滲ませる。
「ハチマンの為なんだったら、なんだってする。嫌がることは絶対にしない。私を見て。ハチマン、私を見てよ」
「無理だ」
心が痛い。でも、アルゴの方がもっと引き裂かれるように痛い。
だから俺は、なんでもない。
表情を作るな。哀れむな。ただ想いを伝えろ。
そう、決めたんだろう?
「俺はサキが好きだ」
「聞きたくない」
アルゴが両耳を塞ぐ。バッグが地面に落ちる。
「アルゴ、俺が好きなのはサキなんだ」
「いやだ、聞きたくないよ」
両手を取ろうとして、触れることだけはするまいと上げた手を下ろす。アルゴが聞いてくれるのをじっと待つ。
アルゴはいやいやと首を振る。
「私は、ハチマンが好きだよ。あの一層のあのときから。私たちベータテスターを守ってくれたあのときから、ずっとあなたのことが好きだったんだよ。一緒に色々なことが出来て楽しかった。一緒にジュースを飲めて嬉しかった。ずっと、隣にいたかった……」
両手を下ろしたアルゴが、再び俺を見る。まっすぐに、涙を流しながら俺を見る。
「でも、私じゃダメなんだね……」
沈黙が二人の間に降り積もる。
アルゴが、震えながら願った。
「ハチマン……私を振って」
ああ、分かった。
「アルゴ。俺はお前とは付き合えない」
アルゴは、ゆっくりと、強張った顔のまま微笑んだ。
「うん、分かった。ありがとう、ハチマン。ちゃんと振ってくれたね」
「けじめだからな」
ニシシ、とアルゴが笑う。ウインドウを開いていつものフード姿になってそれを被る。頬にペイントをし、乙女ではない、普通のアルゴに戻った。
「絶対に後悔させてやるからナ! そのとき告白してきても、絶対に振ってやるからナ!」
だから……震える声でアルゴが言う。
「ずっとトモダチでいようね」
答えるべき言葉はひとつだ。
「ああ、これからもよろしくな。アルゴ」
俺も、それを望んでいた。だから、喜ばしいことなのに、胸は釘が刺さったように痛くて堪らない。ひとつの恋を壊すとはこういうことだ。欺瞞のぬるま湯に浸かっていた俺には相応しい罰だろう。
「こっちこそよろしくナ。ハー坊!」
軽く跳んだアルゴが翻り、てくてくと歩いていく。俺も振り返って歩き出す。
さあ、サキ。
俺の心の準備は終わったぞ。
覚悟しろよ。絶対に告白してやるから待ってやがれよ。
◇◆◇
あーあ、と私は呟く。
フラれちゃったなぁ。
元々望み薄であることは分かっていた。ハチマンは誰が見てもサキが好きなのだ。分かってないのは本人たちばかりだ。
それでも好きだったから頑張ってみたのだけれど、どうやら私では彼を振り向かせることは叶わなかった。
イルミネーションの煌く街をひとり歩く。もう乙女の私ではなく、《鼠》のアルゴとして行くことを決めた。もう、恋する乙女はやめるのだ。
聖夜にハチマンとふたりっきり。そんな夢は、もう見られない。
だけれど、今日は、今日くらいはいいのではないだろうか。
「ひっぐ……」
喉の奥から悲鳴のような嗚咽が漏れた。視界が曇っていく。それが七色に輝きだして、私は泣いているのだと自覚した。
宿に帰るまで我慢するって決めてたんだけどなあ。
ぐっと歯を食いしばって堪えようとするも、これがなかなか難しい。悲しみは間欠泉みたく溢れていて、私がいくら防波堤を築いてもいつまでもいつまでも零れていくのだ。
なんとか足に力を入れていつものように走る。
宿までもう少し。
私も頑張る。
だからハチマン、あなたも頑張って。あなたの恋を叶えてね。
◇◆◇
サキとの待ち合わせ場所は、《ミュージェン》の南側にある公園にしていた。そこは石造りの小さな公園で、広場とベンチ、あとは枯れた樹木しかない面白みのない場所だ。だから、人は多くない。
俺が公園に辿り着くと、サキが既に公園のベンチで座って待っていた。予定より三十分以上も早い。
サキは今日もいつかのデートのときのように、髪を下ろしていた。首下には白のファーのマフラー。同色のコートを羽織り、中には黒のワンピース。長い足は同じく黒のストッキングに包まれている。肩にかけているのは茶色のバッグか。
まじまじと眺めて、やはり好きだなと思う。
本当はもっとずっと眺めていたいが、俺はそれを抑えてサキに近づく。
一歩足を踏み出すたびに、心臓が痛いほど鼓動する。頭がガンガンとなって、嫌な未来ばかりが巡る。唇が乾き、喉が痛くて堪らない。
ああ、こんな想いをしてアルゴは告白をしてくれたのか。
本当に、あいつはすごい。
だが、俺もいまからそれをしなければならない。伝えなければならない。俺が、俺自身がそうすると誓ったからだ。
サキが俺に気づく。ほんのりと寒さにあてられた紅色の頬を緩めて、胸の前で手を振る。でもすぐに恥ずかしがって、顔を背ける。でも目はちらちらとこちらを見ていて、やっぱり手を振ってはにかんだ。
仕草ひとつひとつが愛おしい。許されるのなら、いますぐに抱きしめてしまいたいくらいだ。
我慢しろ、比企谷八幡。いくらなんでもそれはない。
まずい、脳内独り言に軽口がまざらない。
余裕がない。
あまりにのろのろと歩いているからか、サキの方から近寄ってきた。その瞳は少しだけ揺れていた。それが心配によるものだと、いまの俺には分かる。サキと過ごしてきたこの一年近くで、彼女の感情が分かるようになった。
「ハチマン、あんたも早いね。どしたの?」
「や、あー……早く起きただけだ」
言葉を引き出すだけで一苦労だ。サキが困ったように首を傾ける。
「珍しいね。あんたにしちゃあ」
ねえ覚えてる、とサキが昔を懐かしむように言った。
「あんたとあたしで、二人で遅刻の回数を争ってた時期があるよね」
確かに、俺もサキも、あの頃は遅刻ばかりしていた。特に俺は人生で何回遅刻ができるのかと真剣に考えたものだ。
「屋上であんたと会って、大志からの依頼であんたに助けられて……」
サキが昔を回想していく。たぶん、最初にあったときの印象は最悪だっただろう。なにせ下着を見たのだから。それから大志の依頼を小町経由で受けて、スカラシップのことをサキへ教えた。
俺がサキにやったのはそれくらいだ。大したことじゃない。
だが、サキはそれを嬉しそうに語った。
「あんたのお陰で、あたしは取り返しがつかないことにならなくて済んだ。ありがとね」
「礼を言われることじゃねえよ。余裕なかったんだろ? ならしょうがねえよ。普通のサキならあれくらい気づく」
「でも、あのとき教えてくれたのはあんただった。それと、文化祭のときも……」
文化祭?
今度は俺が首を傾げる番だった。文化祭実行委員で死にそうな目にあった俺には、サキと絡んだ記憶は皆無だ。あるとしたら、相模を捜したときに屋上について聞いたくらいか。
「あんたはきっと忘れていると思うけど、あんた、あたしにこう言ったんだよ」
サキが微笑む。
「サンキュー、愛してるぜ川崎――ってね」
なん……だと……。
待て。ちょっと待って。待て待て待て。
なにか? 俺は気づかぬうちにサキに告白してたのか? そんな簡単なノリで?
ぐ……。
死にたくなってきた……。
「ハチマン」
告白の前に、実は下らない告白をしていた残念な事実を知って落ち込む俺。そんな俺に、サキが声をかけてくる。手を伸ばし、俺の頬に触れた。暖かい手が顎へと動く。
「好きだよ」
そう言って、サキの唇が触れた。まるで、アルゴとの再現のようなキスだった。
唇越しに、サキの体温が伝わるようだった。心臓が高鳴り、いまにも張り裂けそうだ。それなのに、ずっとこのままでいたかった。
永遠にこうしていたいと思えるほど、至福の瞬間がいま、ここにある。
サキが顔を離す。薄紅色の睡蓮の微笑みを浮かべ、サキがもう一度言う。
「愛してるよ」
そのまま俺に飛び込んできた。背中に手を這わせ、胸を押し付けるように密着される。サキの吐息が、俺の首筋を優しく撫でた。
「あんたはどうだい? あたしのこと、好き? それとも嫌い?」
「決まってんだろ。好きだよ」
あーあ、言っちまった。というか、言われちまった。先に言おうと思ったのに、まさか向こうから告白されるとは思わなかった。
離れたサキは、驚いたように目を丸くしている。
「えっと、それは友達として、とかじゃなくて?」
なんでここでこいつは、こういう勘違いをするかなあ。
ふっ、と笑って俺はサキの顔を見る。サキは不安げに俺を見つめていた。まるで、友達としてのことを言われているのではないかと、本気で思っているように。
「俺はサキが好きだ。女として好きだ」
は、へ、と意味不明な言語を呟いたサキが、よろよろと後ずさる。
え、なに? どしたの? なんか悪いもんでも食ったのか?
ちょっと困るぜ。折角の告白なのに、なんでこんな不恰好になっちまうんだ。
「おい、サキ」
どうにも信じていないサキがもどかしくて、俺は彼女の手を無理やり引いて、俺の方から唇を奪ってやった。
互いに目を開けているから、サキがどんな顔をしているか分かる。サキも俺の顔を見ている。サキの顔がどんどん真っ赤になって、やがて、目を閉じた。
「ん……っ」
しばらくそのままでいて、ようやくサキを離す。サキは蕩けるように目の焦点があってなく、口は幸せそうに微笑んでいる。
「うそみたい……」
「そう思うなら何回でも言ってやる。俺はお前が好きだ。青みがかった髪が好きだ。ちょっとこええ目が好きだ。お前の優しいところも、家族思いのところも、ぜんぶ好きだ」
サキの目が潤む。目じりが光、一筋、二筋と涙が流れる。
だから――
「俺と付き合ってくれ」
なあ、サキ。ずっと傍にいてくれてありがとう。理由を預けてしまった俺を許してくれてありがとう。ぼっちの俺に仲間を作ってくれてありがとう。
だから、ずっとお前と一緒にいたいんだ。
ああ……サキが口許を両手で覆う。嗚咽を隠すようにしながらも、でも零れて止まらない。
「うん、うん……はい。あたしも、ずっとあなたの傍にいたい……」
嬉しくて、嬉しすぎて、心がどうにかなってしまいそうな自分を抑えるために、サキの身体をかき抱いた。胸の中で泣くサキの髪を撫でながら空を仰ぐ。
今日も変わらずの曇天空。そして、ぽつぽつと白い何かが見え始めた。
雪だ。
今日もホワイトクリスマスだ。
そして、なによりも素敵なプレゼントが、いまここにある。
「サキ、愛してる」
「うん、あたしもハチマンを愛してる」
きっと生涯忘れることはないだろう。
この恋が、愛に変わったとしても、永遠に続くように。
俺は雪に願った。