ソードアート・オンライン Youth in Aincrad 作:ユーカリの木
一ヶ月が経った。その間、死んだプレイヤーは二千に昇った。
そして、新規プレイヤーたちはこのやり場のない怒りを、ベータテスターへと向けた。
――やつらが俺たちを見捨てたのだ……と。
腐った根性だ。海老名さんの腐り方の方が百万倍マシというものだろう。
あれから俺とサキは、拠点を何度か変え、いまは最北端の迷宮区から程近い谷あいの町《トールバーナ》へと移していた。朝から夕方までレベル上げやクエストに勤しみ、夕食後は圏内で対人戦の訓練を行う毎日を過ごしている。
信じられない速度で上達していったサキは、レベルこそ俺より少し低いが、武器捌きや体術は俺を上回るのではないかと思うほどになっていった。情報面でも持ち前の頭の良さで理解を深めていったか、俺から教えることは殆どなくなっていた。
そんな折、数少ない知人であるアルゴに呼び出され、夕刻に一度サキと別れた俺は、NPCレストランに入った。影のある最奥部に陣取ったアルゴが俺に気づき片手を上げる。俺はそれをスルーしてアルゴの前に座った。
「ハー坊、恥ずかしがり屋なのは分かるケド、手を上げたら上げ返して欲しいナ」
「気安いんだよ。友達だとおもっちゃうじゃねえか」
「ハー坊とは友達だと思ってるんだけどなア」
寂しそうに言うアルゴ。まともに見ると、ちょっとキュンとしてしまうのだが、ここは待って欲しい。口元を良く見ると、にやりといやらしく笑っているのだ。
まったく、この鼠はやはりぼっちのなんたるかを分かっていない。折角だ、ここでしっかりと教えておくべきだろう。
「これは俺の友達の友達、H君の話しなんだが」
「またそれかヨ」
「学校に登校していた日のことだ。後ろからおーい、と気安く呼ぶ声がしてな。多感だったあの頃のH君は、それが好きな子の声だとすぐに気づき、声を掛けてくれたのだと思った。内心ワクワクして振り返り、おはよう、と言うと、その子はH君を通り過ぎ、前を歩いていた女子に話しかけに行ったんだ。分かるか? ぼっちは声を掛けられない。これは常識だ」
あれは恥ずかしかった。あまりにも悲しくて、登校した瞬間机を抱きしめたまである。その後、プークスクス、ヒキガエルまた寝てるふりしてるー、と追い討ちを掛けられたのは秘密だ。
「それハー坊の話だロ」
「なぜ分かった……」
「ぼっちに友達はいないんだロ?」
くそ! 墓穴を掘った!
悔しくて拳を握っていると、まアまア、とアルゴが続ける。
「今日はサキちゃんとは食べてきたのカ? まだなら一緒に食べようゼ」
「今日は別だ。用事があるって抜けてきたから、あいつはあいつで食べてるはずだ」
「浮気する男の言い訳みたいだナ」
「ばっか、そんなんじゃねえよ」
まだ何か言っているアルゴを無視し、ウインドウを開いて適当に注文する。なんでミラノ風ドリアがないんだよここ。サイゼが恋しい……。
注文を終えた俺はアルゴに向き直る。
「で、俺を呼んだってことは、ある程度絞れたか?」
初の邂逅から何度かアルゴと情報をやり取りした俺は、情報屋としての彼女をある程度信用することにしていた。最初こそ片っ端から情報の裏取りをやっていたのだが、存外に面倒なのだ。だからある程度は情報を鵜呑みにすることにしたのだ。ただし、《鼠》と五分雑談すると、知らないうちに百コル分のネタを抜かれているぞ。気をつけろ! なんて話もある。初対面からして面倒な奴だとは思ったが、面倒を通りこして厄介な奴だ。
「オレっちを舐めないで欲しいナ。あんなの朝飯前だヨ」
そう言って差し出された情報に目を落とす。その中身は、第一層のボス攻略に参加する可能性の高いメンバー一覧だ。俺としてはあまり参加する気がしないのだが、サキが攻略に乗り気な以上、それに水を差すわけにはいかない。ならば俺も当然行く他ない。であれば、情報を集めるのが先決だ。何も知らない奴らに背中なんぞ預けられない。
一覧として出されたのは、アルゴが可能性が高いとして選出された五十人の名前と特徴だ。この鼠、プライバシーって言葉知ってるのかな? 知ってて高い金出して依頼した俺も俺だが……。
一覧を見ていて、あるところに目が留まる。
「おい、アルゴ」
情報を眺めている間に出されていたのだろう、もきゅもきゅとパスタもどきを食べていたアルゴが反応する。
「ん、なんだいハー坊」
「この目が腐ったぼっち野郎ってのはなんだ。性格は根暗で陰険ってひでえなおい。これは俺のことか? あ? しかもなんだこれ。相棒は超スタイル抜群で美人なサキ。ぼっちの癖にリア充とはこれいかに! ってなんだよ。喧嘩売ってんのか?」
「なにか違ってるカ?」
「前半はいい。事実だ。だが後半は捏造だろ」
前半はいいのかヨ、とアルゴが呆れたように言う。
「まア、いいじゃないカ。いまのところハー坊以外からはこんな依頼されてないしナ。誰も見ないヨ」
「おいテメエ、今のところって言っただろ。いずれ金積めば誰かに見せるってことじゃねーか」
「さあテ、どうだろうネー。ニシシ」
こんの鼠が。あとで口止め料払わないと!
「それデ、目ぼしい情報はあったカ?」
くるくるとパスタもどきを巻きながらアルゴがまだ笑っている。これ以上追求すると無駄に口止め料が高くなりそうな予感がするので、黙って一覧を眺めるていると、青髪ウェーブ男に目が留まった。
「アルゴ、このディアベルってやつが、首魁になりそうなのは間違いないか?」
「まず間違いないだろーナ。人望も厚いようだしネ。たぶん、彼らのパーティがもうすぐボス部屋を見つけるヨ。三日か四日かナ、そしたらすぐに攻略会議をやるんじゃないカ?」
「ひとつ訊く。こいつ、ベータテスターか?」
不意に、アルゴの雰囲気が変わったように見えた。それも瞬き一回ほどの間だけで、すぐにいつもの調子でヘラヘラと笑っていた。動揺は見えない。だが、ほの暗い怒りが全身からゆらゆらと湯気のように立ち昇っているようにも見える。
当然だ。
昨今の状況下で、ベータテスターとバレれたものは、下手をすればPKされかねないのだ。そのくらい、現状は逼迫しているのだ。
「なんでそう思ったんダ?」
口元は笑みを形作ったまま、アルゴが静かに問う。
この情報屋とあまり敵対したくはないな。誤解は解いておくか。
「先に言っておく。俺はどいつがベータテスターだろうが新規プレイヤーだろうがどうでもいい。ただ今後攻略をする上で、必要な情報を把握しておきたいから聞いているだけだ」
長い間、アルゴとにらみ合う。よく見れば可愛らしい顔をしているが、彼女の顔は真剣そのものだった。
やがて、アルゴの険が取れ、普段のものになる。
「わかったヨ。信じるサ。それで、さっきの答えを教えておくれヨ」
「髪が青い」
「ハ?」
「俺たちの顔はいま、アバターじゃなく現実の顔になっている。髪色だって同じだ。元から青く染めていたか、サキみたいに地毛なら分からんでもないが、そんな奴はそうそういないだろ。ならゲーム内で変えたってことだ。だが、生憎と俺はそんな情報は知らない。正確には、出回っていない。そこらで配布されているガイドブックでも、恐らくは現状需要がないから載っていなかった。なら、答えはひとつだ」
「それで、ベータテスターだト?」
「ま、ただの推論だ。穴だらけだしな」
だから、これはただのカマかけだ。十中八九、ディアベルはベータテスターだろう。そして、アルゴもまた、ベータテスターだ。だから何があるわけでもない。何も分からないパンピーの俺にとって、情報は死活問題だ。些細な情報も見逃すつもりはない。
「まあ、問題はそこじゃない。こいつだな」
アルゴにも見えるようにデータ資料に指を挿す。そこにはモヤットボールがあった。IQサプリじゃないよ! キバオウとかいう髪型がモヤットしまくっている男のことだ。
「こいつは厄介だな。ベータテスター嫌いで頑固者。こいつ、できれば攻略会議からは排除したいな」
「そうは言ってモ、ひとりだけ除け者にするのは難しいだロ? パーティー組んでるみたいだしシ、他から情報が行くヨ」
「分かってる」
最悪なのは、何かしらの理由でベータテスターへ敵意を向けたキバオウに、周りが同調することだ。ベータテスター排斥の流れができれば、烏合の民衆などすぐさまそれに乗る。こういうときの集団がどう動くかなど、俺はよく知っている。あるときは青春を隠れ蓑に、ある時は民意の体現者として、偽りの正義を純白なそれに見せつけ、少数派を排除する。
それはまずい。いまベータテスターを排除することが、攻略に掛かるカレンダーの枚数をいくら増やすことになるのか、恐らくそのときの彼らは分からない。
いや、考えすぎか?
だが、もしこの想像が真実であったとしたとき、眼前に座るアルゴは窮地に立たされる。高い評価を受けている情報屋として名を馳せている彼女が、表立って行動できずに地下に潜らなくてはならなくなる。必然、俺の情報源も絞られる。それは困る。
ならば俺はどうする。
比企谷八幡は、どうする?
手はある。いつものように、陰湿に、悪辣に、最低辺らしく動けばいい。
だが、いまの俺はそれを躊躇してしまう。足踏みしてしまう。
いつだったか言われた言葉が、まるでいままさに耳元で囁かれているかのように聞こえるのだ。
あの二人の言葉は、いつだって俺の心を突き刺して離さない。
俺のやり方は駄目出しされ、人の気持ちを考えなければならない。そんなもの、両手両足を失ったも同然ではないか。そんな俺に一体何ができる……?
「答えはすぐには出ないカ?」
思考の海に沈んでいた俺を引きずり上げたのは、パスタもどきを食べ終えたアルゴだった。
「まあ、な。すぐには無理そうだ」
「なラ、じっくり考えてみるんだナ。サキちゃんにも相談してみなヨ。ひとりで考えるヨリ、ふたりで考えたほーが建設的だヨ。オレッちも考えておくからサ」
「おう……サンキューな」
礼を言うと、ぱちくりとアルゴが目を瞬かせる。
「ハー坊が素直にお礼を言うナンテ……明日は槍が降るナ」
「アホか。で、もうひとつ聞きたいことがある」
「内容によるナ」
「ボス戦でプレイヤー同士に争いになる可能性のあるものを知りたい」
「千コル」
ちゃっかり手を出したアルゴに、俺は無言でウインドウを出し金を支払う。高いなおい。
「まいどアリ~!」
「で、内容は?」
う~ん、と先とは異なり、もったいぶった様にアルゴは唸り声を上げる。なんだ、言いにくいことか? 金返せよ。黒パン千個買える値段だぞ。それに俺の散財相手の殆どがこいつなんだから、たまには安くしてほしいところだ。
「可能性としてだけド、というか、ほぼこれくらいしかないケド」
前置きしてアルゴが続ける。なんだよ、考えてただけかよ。
「たぶん、ラストアタックボーナスだナ」
「LAボーナス。ボスに最後にダメージを与えた奴、つまり倒した奴がボーナスアイテムを得るシステムってことか?」
「その通り。やっぱりハー坊は賢いナ」
にゃはハ、とアルゴが愉しそうに笑う。
俺は内心気が気ではなかった。
最悪なシステムじゃねえか。恨むぞ茅場晶彦。
「知ってる奴はどれくらいいる? 金ならいい値でいい」
「いーよ。ハー坊はお得意さんだし。はっきりとした数は分からないからネ。予想でいいかイ?」
「かまわん」
「ベータテスターの約半数かナ」
つまり、ベータテスト選考に漏れたプレイヤー、所謂ニュービーはそのことを知らない。
頭を巡らせる。まだ足りない。もう一押し、現時点で情報が欲しい。
「アルゴ、もうふたついいか?」
いいヨ、と柳眉を吊り上げアルゴが返す。
「現時点で最強のプレイヤーは誰だ? それから、ディアベル、もしくはキバオウ絡みで何かそいつとの取引はないか?」
ただの勘だ。ベータテスターとディアベルの人望、LAボーナスを繋ぐと、何かが見えた気がした。
アルゴが腕を組んで唸る。今度は先ほどのものとは意味合いが異なる声音だ。
「最強のプレイヤー、というと、恐らくはキー坊だな」
一覧に目を落とす。該当する人物はキリト。中性的な少年だ。ディアベルと同じソードマンだが、軽装で盾は装備していない。よく見れば、年下か。小町と同じかひとつ下くらいか?
「で、後者は?」
アルゴが無表情になる。わざとだ。
「言えない」
期待していた通りの答えだ。
「問題ない。助かった」
長く、長く息を吐く。カードはある程度出揃った。いまあるカードだけで勝負できないこともないが、もう数枚カードが欲しい。折角情報屋がいるんだ、存分に活用させてもらおう。
「アルゴ、今日最後の依頼だ」
「今度はお金取るよ」
「言い値でいい。キリトと渡りを繋いでくれ」
アルゴが連絡を取っている間、俺は急いで飯をかき込んだ。しかし、アルゴから返って来た返事は、キリトがここに来るというまさかの回答だった。なんだよ、ならもっとゆっくり食えばよかったじゃねえか。失敗した……。
しばらく二人で水の入ったグラスを傾けていると、背に剣を挿した小柄の少年が来店した。きょろきょろと辺りを見渡したそいつは、アルゴのフードを見つけるや、そろそろとこっちに向かってくる。
「よう、アルゴ。相変わらずいきなりだな」
「オレっちとキー坊の仲じゃないカ。気にするなヨ」
軽い挨拶を交し合った二人だったが、キリトが俺へ視線を投げる。一瞬びくっとしたぞこいつ。やっぱり目が怖いの? 傷ついちゃうからそういう反応やめてねホント。
こ、この人は……? とか恐る恐る聞かれるのも嫌なので、先に口火を開く。
「ハチマンだ。アルゴ経由であんたを呼んだのが俺だ」
「そ、そうか……知ってるだろうけど、キリトだ。よろしく」
「おう」
生まれる沈黙。
あ、あっれー? 何もしゃべらないよこの人。おかしいな。中学生ってもっと喋るんじゃないの? 人の悪口とか、陰口とか。
おっと、どうすればいいんだ。忘れていたが、俺も口が上手くない。伊達にサキとぼっち同士一ヶ月一緒にいたわけではなく、多少話せるような気になっていたんだが、勘違いだったか。
助けを求めるようにアルゴを見ると、フードを目深に被って笑い転げてやがった。こんちくしょう!
約二分、会話もなく水を飲みあう不毛な雰囲気を壊したのは、やはり笑いを治めたアルゴだった。
「ふ、ふたりともダンマリはないだロ。ハー坊もそうだけど、キー坊の人見知りも大概だナ」
「失礼な奴だな。俺は確かにぼっちで口数は多くないが、そのぶん頭の中で超会話してるし。つまり俺は会話上手だと言えるな」
俺が軽口を返すと、ようやく緊張の糸が解けたのか、キリトも乗ってくる。
「それ、頭の中だけじゃないか……」
「うっせえ、ぼっちは会話上手。以上、Q.E.D. 証明終了」
「あ、でもハー坊はキー坊と違ってぼっちじゃないゾ。彼女いるしナ?」
アルゴの爆弾に、ぶっと水を噴出したのは俺とキリトだ。って、なんでキリトまで吹くの?
「え、え? マジ?」
若干身を乗り出してキリトが聞いてくる。なにこいつ。ぼっちなのに彼女欲しいの? にわかかよ。
「ち、ちげえよ。サキはそんなんじゃねえし。コンビ組んでるようなもんだし。それだけだし」
我ながら“し”が多すぎる。何ヶ浜さんだよ全く。
サキ、とキリトが思い出したように口を開く。まだこの話題続くのかよ。そろそろ変えようぜ。
「サキって、あのサキさんか? 尋常じゃない槍捌きで敵を薙ぎ倒していく、あの女槍使いのサキさんか?」
「何それ、どこのランサーだよ。冬木市かよここは」
ネットゲーマーって奴は、いちいち仰々しい奴らが多い。この分だとあいつ、気づいたらアイルランドの光の御子ならぬ、《アインクラッドの光の巫女》とか言われるんじゃねえの。同じ槍使いだし。あいつのことだから、ゲイボルグとか自力で出来ちゃいそう。
ニシシと笑うアルゴがキリトの話に付け加える。
「ハー坊は知らないかもしれないケド、サキちゃんは有名なんだヨ。強いし綺麗だし、しかもハー坊の前だと可愛いし、あのギャップが堪らないよネ」
「ときどき超怖いけどな」
ガン睨みされるし。メンチ切り出すと怖いんだよなあ。最近は少ないけど。
「マジか……。アルゴから同じぼっち仲間を紹介してくれるって言われて来たのに」
項垂れたキリトの本音が切なすぎる。
やはりぼっちとしてはまだまだ修行が足りないらしい。
それよりもアルゴの奴め、変な呼び方しやがったな。
「まあ、なんだ。俺の場合は事情があってあいつといるだけだ。あいつが拒否ったら、まあ俺もぼっちに戻る」
言っていて、それもそう近くない未来なんじゃないかと思った。あんなできた女が俺と一緒に行動するメリットなどない。ただの依頼主と請負人の関係をずるずると続けているだけなのだ。そして、その理由が吐き気を覚えるほど気持ち悪い感情だから、きっとすぐにでも離れた方が良い。
それが出来ないのは、あの時の約束があるからだ。
サキを現実に帰す。
その為に手を結んでいるに過ぎない。だから、アルゴの言うようなことは無い。絶対にありえないのだ。
「そんなこと無いと思うけどナ。ハー坊は捻くれてるなア」
アルゴがしみじみと言った。
「というか、さっきの冗談だったんだけど……」
恐る恐るというように、片手を上げてキリトが言った。言いやがった。
「分かりにくいわお前の冗談は!」
「ご、ごめん」
なんだ、ぼっちは冗談が下手なのか?
「もういい。本題に入るぞ。キリト、聞きたいことがある」
言いながら、店内に人気がなくなったのを確認しておく。夜ももう遅い時間だ。さすがに一層攻略直前に長居するような馬鹿がいなくて助かる。
「お前、その《アニールブレード》の取引を持ちかけられてるだろ?」
はっとキリトがアルゴを見るが、彼女は首を振る。そう、彼女は何も言っていない。そしてキリト、そんなに行動に出したらYESと言っているようなものだぞ。
「安心しろ。アルゴは何も言っていない。別口で耳に入れただけだ」
今度はアルゴがじとーっと俺の方を見ている。嘘ばっかり言って、とかそんなことだろう。理由などなんでもいいのだ。要は聞きたいことが聞ければどうでもよい。
「で、取引相手は誰だ?」
キリトは、じっと俺の顔を見る。その目には困惑と逡巡。あとは若干の安心感か?
「俺があんたにそれを答える理由は?」
「まあ、ないな。言いたくなきゃ言わなくても構わない。ただの確認みたいなもんだよ。大方知らないんだろ?」
「うっ……まあね」
「おー、ハー坊探偵みたいだヨ。すごイすごイ」
アルゴが感心したように、無邪気に手を叩いた。
「違う。こいつが顔に出しすぎなだけだ」
ガシガシと頭を掻く。予想はしていたが、ちと面倒だ。
三四日にでもディアベルはボス部屋を見つける状況。遅くて翌日、早ければ当日には攻略会議が開かれるだろう。その前には、いや、最低でもその後でも構わないが、ある程度仕込みは入れておきたい。駄目ならばぶっつけ本番になるが、それは最悪の手段になりそうだから始末に悪い。
「アルゴ、依頼だ」
「だんだん遠慮なくなってきたよナ、ハー坊。さっきのが今日最後じゃなかったのかヨ」
「大目に見てくれ。取引相手の口止め料はいくらだ?」
「千コルだナ」
「最悪は倍出す。交渉してくれ」
「はぁ? 倍だって?」
突然キリトが声を上げる。最近のキレる若者なの君?
「キリトは気にするな。情報は横流ししてやる」
「いや、それは別に……というか、そんなことしてハチマンにメリットあるのか?」
「まあ、色々あるんだよ」
ひっさつ いろいろ が さくれつした! キリトは だまりこくった!
キリトからすれば、いきなり呼び出されたと思ったら目が濁りまくった男に合わされ、意味分からないやり取りをしたかと思えば、昨今の取引状況を抑えられている。しかも相手が分からないと知るや否や、要求額の倍額払うと言いだしたのだ。どこのサクセスストーリーだって感じだろう。どこら辺がサクセスなんだ。
アルゴへ依頼して二分は経ったか、戻ってきた返事を見たアルゴが、短息して肩をすくめた。
「千五百コルで手を打った。教えても構わないそーダ」
俺は無言でウインドウを開き、必要なコルをオブジェクト化してアルゴへ渡す。受け取ったアルゴはコルを手品のようにくるくると回しながらストレージに納めていく。
「キバオウだヨ」
「……そっちか。横のつながりは調べられそうか?」
「やってみるヨ。期限は?」
「できれば明日中が良い」
「了解。そんじゃ、オレっちはこれで失礼するよ! 今日は面白い話も聞けたし、キー坊の分も代金置いておくから適当に頼みなヨ」
音もなく立ち上がり、疾風の速さでアルゴは店から出て行った。むう、最初に会ったときよりも去り方が洗練化してやがる。やつめ、一体あと何段階進化するんだ……。
で、残されたのは、途中から放置されていたキリトだ。水の入ったグラスを持ったまま固まっている彼が、少しだけ哀れに思えた。折角アルゴから選別をもらったのだ。少し色をつけて驕ってやろう。
思いのほかキリトとの会話が弾んだせいで、部屋に戻ると時間は夜九時を超えたところだった。あいつ、ゲームの事になると眼の色変わるのな……。
今日は慣れない会話ばかりをして少し疲れた。やっぱりぼっちは初対面の人間と会話するもんじゃねえなあと思いつつ、いそいそと装備を外してベッドに飛び込む。
少し休憩したら迷宮区へ行くつもりだった。少しでも敵の情報は集めておいた方が良い。それが取り巻きであろうと、サキへ共有できる情報は多いに越したことは無い。
そんなことを考えつつウトウトしていると、ふいに、ドアが叩かれた。控えめな音の後、女の声が続く。
「ハチマン、いる? あたし、サキだよ」
「ん、あ、ああ、サキか。どうした?」
ある時から、俺とサキは泊まる部屋を隣同士にするようになった。誘って来たのはサキだ。お互いに朝が弱いのだから、集合するのに近い方がいいという理由だ。反論する理由もなかったので、俺はそのとき頷いた。
それ以来だ、こうしてサキはちょくちょく夜になると俺の部屋に顔を出す。たぶん、家族と一緒に夜を過ごして来た期間が長すぎるから、寂しいのだろう。ちなみに俺も小町に会いたくて何度か枕を濡らした。マジで小町恋しい。
「入っていい?」
「お、おう」
がちゃり、と静かに音を立てて開いた扉の向こうに、足首まで伸びた青いワンピース姿のサキが立っていた。いつものポニーテールは解いて髪を下ろした姿も、この一ヶ月で見慣れたものだ。ホントはドキドキなんてしてないよ! ハチマンウソつかない!
ふんっ、と腹筋に力を入れて身体を起こす。
「ごめん、寝るとこだった……?」
「いや、ちょっと横になってただけだ。まだ起きてるつもりだし」
「マンガもゲームもないのに?」
「ま、色々あるんだよ」
くすくすと笑ったサキは、少し距離を置いて俺の隣に腰を落ち着ける。
最近は、自分でも驚くほどサキに対して警戒感を覚えていない。それどころか落ち着いているのではないかと思うことすらある。あの、紅茶の香り漂う奉仕部のように。
俺も、きっとサキもぼっちだ。孤高であることは、すべてをひとりでやらなければならないことでもある。俺も彼女も、ぼっちになれる程度には優秀で、相応の理由でこうなっている。それも、この極限状況の中では、孤高の強さに陰りが出てきている。だから、同じ性質同士引き合うのか、それともぼっちの空気が読めて楽なのかは分からないが、隣にサキがいることが自然だった。
参ったな、と思う。これ以上を考えると碌なことにならない。中学のあの時、俺は一方的な願望を押し付け、相手が期待を大きく裏切る行動に出たことで、自分に失望した。あれと同じことは当然嫌だし、あのときほど自惚れても他人に期待してもいない。ただ、こうして二人でいるのは、依頼人と請負人という利害関係ゆえだ。
「あんたさ」
ぽつりと、サキが口を開く。いつも、サキは部屋に来ても多くを語ろうとしない。ぼっち同士ゆえに、言葉を交わさなくても沈黙だけでいいのだろう。ただ、そこが心地よければ……。
駄目だ。どうしても思考がそっちへ向かってしまう。アルゴのせいだ。この野郎め。今度機会があったら沈めよう。
「めんどくさいこと考えてるでしょ?」
「な、なんのことでしゅか……」
ふぇぇ、噛んじゃったよ。死にたい……。
ふふふ、と口元を押さえてサキが笑う。大和撫子みたいなやつだな。白粉でも塗っちゃうのかよ。
「あんたは、変わらないよね。そうやってふざけてるのか真面目なのか、よく分かんないところとかさ」
「そうでもねえよ」
「だろうね。内心はどう思ってるかは分からない。でも、あたしは違う……」
サキが目を伏せる。この先は言わせてはいけない。踏み込ませようとする、その言葉を続けさせてはならない。なのに、俺の口は逃げることができず閉口してしまう。
「毎日、いつも家族のことを考えてる。大志はちゃんと受験勉強できてるのかな。けーちゃんは泣いてないかな。わっくんはしっかりしてるかな。お母さんもお父さんも、心配ばかりかけちゃってるな。本当に色々考えちゃって、眠れないときばっかりなんだ」
「そんなの……」
サキの心の丈を聞いていられなくて、俺も心の表層を掬ってしまう。思わず目頭が熱くなるから、くっっと目に力を入れて無理やり涙を引っ込める。
「俺だって同じだ。俺もシスコンだが、小町のやつも大概ブラコンだからな。あいつ、きっと泣いてる。あいつが泣いてるって分かってるのに、一番に傍にいられないのはつらい」
「あんたも家族のこと考えて眠れなくなったりする?」
「たりめーだろ。小町と離れ離れだぞ? あの天使の笑顔と声が見られず聴けないなんて、なんてこの世は地獄なんだ! とか考えてると朝になってるまである」
はは、と愉しそうにサキが笑う。笑っているのに、頬には涙が流れていた。
そして、止まらない。
サキの表情が歪む。柳眉が下がり、声に嗚咽が混じる。
そっとサキが近づく。肩と肩が触れ合う距離で、サキの声音が遂に壊れた。
「ハチマン……ごめん、寂しいの。胸、ちょっとだけ、貸して……。すぐ、すぐに収まるから」
初めてここで出会ったあの日のように、サキが俺の胸に顔を押し付け、さめざめと静かに泣く。
普段大人ぶっていても、こいつも俺も、まだ高校生だ。自立もまだできていないのに、放り込まれた先は、残酷にも弱肉強食で生き死にが掛かった世界だ。そんな中で、一ヶ月もひとり心の内で不安と戦い続け、いまになってそれに負けてしまうのを責めることはできない。
俺はそんな言葉を持っていない。
弱いと、ここでなじれる奴は、きっと崇高で強いのだろう。なんの不安もなく、感情の触れ幅などなく、あらゆる問題の最適解を見つけ、ただひたすらに強く孤高。
そんな完璧な存在はいない。
いるのならば、それは悲しい存在だ。
理解もされず、他人を真の意味で理解することもできない。
集団を遠巻きに見て、必死に手を伸ばしても崇高ゆえに届かない。
なぜなら、そいつはあまりにも天高いところにいるから。
俺はそんな人間じゃない。
集団の中にあって、集団から弾かれる者だ。サキのつらさが、少しだけ分かるのだ。
だからいま、サキになんの言葉をかけてやる事もできない自分が、いまだ渦巻くドス黒い身勝手さを押し付けているこの心の惰弱さが、俺は、嫌いになりそうだ。
ぽんっと胸を叩かれる。顔をあげたサキの目じりには、もう涙はなかった。
「いつもごめん、それと、ありがと……」
「気にすんな。小町もたまにこういうときあるしな」
表情を和らげたサキが、からかうように言う。
「シスコンめ」
「お前だってブラコンにシスコンだろ」
「両親も好きだから、あたしの場合はファミコンだね」
「なんなの、お前んち八ビットなの?」
「専門用語言われてもわかんないよ」
サキが相好を崩す。
「あんたと話してると、楽だよ。変に気負わなくていいし、安心できる」
あたし何言ってんだろ、とサキがおろおろとし始める。やっぱり可愛いな、こいつ。
だから俺は、自然と手を伸ばしていた。艶やかな青みを帯びた黒髪に手を乗せて、妹にいつもしているように、ゆっくりと撫でる。
「は、ハチマン?」
少しだけ、考える事をやめた。こっちに来てからと言うものの、頭はいつだってパンクする寸前で、いつ爆発するか分からない状態だ。なら、少しは何も考えずに行動しても良いだろう。
こいつは依頼人だ。ならば、依頼人の不安を取り除いてやるのも、請負人の仕事の一部だろう。
ん…っ、とサキがくすぐったそうにする。
いまはこれでいい。いずれ答えを出すその日まで、できれば、サキには隣でいてほしいと思った。
肩に温かい感触が当たる。頰にサキの髪が流れ、寄りかかられていることに気づく。
「んなっ、さ、サキさん……?」
突然のことに焦る。あげく俺の掛け声に返事がない。まるで屍のようだ……ではなく、かすかにすぅすぅと寝息が聞こえた。寝やがったよこいつ……。
寝顔があまりにも安らかだったから、これ以上声を掛けることが躊躇われた。あまり寝れてないって言ってたしな。寝かせておくか。
といっても、この体勢どうすっかなあ。俺、これから迷宮区に行きたいんだけど……。
まあいいや、俺も寝よう。
……寝れるかボケ!
セルフ突っ込みする程度には動揺しているらしい。起こさないようにゆっくりとサキの頭を引き剥がし、俺の枕の上に乗せる。足もちゃんとベッドに上げて、毛布を掛けてやる。女子にベッドを占領されれば男は出て行くしかない。いいもん、元々迷宮区行く予定だったし!
ウインドウを開いて装備をし直し、ドアを開く。閉じる途中、振り返ってサキを見た。
「……おやすみ」
当然、返事は帰って来なかった。