ソードアート・オンライン Youth in Aincrad   作:ユーカリの木

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第五章
いつの世も、地獄を作るのは人である 1


「……結婚したい」

 

 いつの日のある教師のように、俺は切実に呟いた。

 

 場所は五十層《アルゲート》のエギルが開いた店の二階。

 

 時刻は睡魔を誘うような午後二時。窓から舞い込む陽光が、程よい明かりと温もりを大気に孕ませている。思考していなければ寝てしまいそうな陽気。

 

 春も近い。

 

 聞くはふたりの友人。ひとりは頭から靴まですべてが真っ黒くろすけの少年キリト。もうひとりは誠実そうな顔立ちをし、中身まで誠実で真っ白な青年ディアベル。

 

 ふたりが、さも不思議そうな顔をして俺を見ている。一体何を言っているんだと言わんばかりの目つきだ。

 

 それも当然だ。俺たち三人の左薬指には装飾用の指輪が嵌っている。何のステータス向上能力も持たない、本当に結婚していることを示すだけの銀色の指輪。

 

「結婚したいって……そもそもハチはしてるだろ」

 

 当たり前なキリトの言葉にディアベルも同意する。

 

「一体何が言いたいんだい? どうせハチマンのことだから、何か別のことなんだろう?」

 

 少し興味があるような好機の視線をふたりが向けてくる。だから、こいつらはなんで俺のことを普通の少年としてみてくれないのだ。俺だってふつうの高校生なんだぜ。元ぼっちで学校一の嫌われ者だったけど。なんだその過去。切な過ぎる……。

 

 ともあれ、俺は再度呟く。今度はもっと切なさをと逼迫感を込めて。

 

「結婚式がしたい……」

 

 ああ、とふたりがようやく意味を悟ってくれた。

 

 そう、五十層地龍討伐前、ユキノが心配して俺たちの家にやって来たときのことだ。そのときに結婚式の話題が挙がった。俺はしたいと言い、ユキノは式に呼んでと言った。サキだってきっと期待してくれている。

 

 なのに、ここには結婚式イベントがない。なんで無いんだよ。普通あるだろ。結婚システム作るんなら式まで用意しろよ。だから使えねえんだよ茅場はよお。

 

 そんなこんなで、俺は日々頭を悩ませている。まさか式のシステムそのものが本当にないとは考えていないが、いま手元の情報に無いのだ。アルゴにだって恥を承知で訊いたが、ろくな情報は出てこなかった。

 

 手詰まり。

 

 結婚式したい。超したい。ウエディングドレス姿のサキを見たい。喜ぶ顔が見たい。

 

 ゆえ、俺は頭を抱えていた。あんなシステムウインドウでYesを押すくらいで満足できる安っぽい男じゃねえんだよ。惚れた女と結婚できたんだぜ? 式くらいさせろよ。

 

「なんの話をしてるんだ?」

 

 エギルが荷物を取りにきたのか、一階から上がってくる。

 

「ハチが式あげたいんだってさ」

 

 キリトの返事に、エギルがほほーと感嘆の声を漏らす。

 

「確かにそのシステムは聞いたことないが、教会を探してやってみたらどうだ? 牧師役ならオレが喜んでやるぞ」

 

 なに?

 

 いま、思考に一筋の光が差し込んだ。

 

 そうだ、なぜ俺は茅場の作ったシステムなんぞに頼ろうとしていたのだ。これだから人間強度が下がるとだめなんだ。すぐに人に頼ろうとする。ぼっちの思考に戻れ。あのときの孤高だったときの思考に。

 

「つまり、俺が式を作ればいいんだな」

 

 結論はこれだ。ないのなら作ってしまえばいい。なにせここはある程度の自由が利くゲームだ。教会で牧師を呼んで、バージンロードとか花嫁衣裳とか何から何まで作って、結婚式を開けばいい。素晴らしいじゃないか!

 

 俺は立ち上がる。

 

「よし、結婚式に俺はなる!」

 

「なんか違うからなそれ」

 

 キリトが速攻で突っ込みを入れてくる。意味が分かればいいんだよ。意味が分かれば。

 

 でも確かに、とディアベルが俺に同意してくる。

 

「式は挙げたいよね。形として何か思い出を作っておきたいと思うよ。キリトはどうなんだい?」

 

 話を振られてキリトが唸る。

 

「俺はそんなこと考えたことないな。俺はまだ中学生だ。結婚なんて考えたこともなかったし」

 

 まあ、そんなもんだろう。俺だってそうだし、ディアベルも多分同じだ。

 

 このゲームの中で俺たちは形式的とは言え、結婚した。現実ではない、所詮ゲームの中だけのお遊びの結婚だ。だが、そこには本物の愛がある。ならば、それを形にしてもいいではないか。たとえ現実では恋人同士ですらなかったとしても、俺たちの精神はいまここにある。ならば、いま俺たちの現実はここでもある。

 

 というか、あれだ。花嫁衣裳がすげえ見たいのが主な理由だ。きっと胸元ぱっくりな大胆衣装を着てくれるはずだ。ていうか絶対そうする!

 

 だってサキは露出の多い服あまり着てくれないし。頼めば絶対着てくれるだろうけど、言うのが恥ずかしい。やだ、ハチマンなんて初心なの!

 

 思考が狂いに狂ってきたところで、エギルが声を上げる。

 

「んじゃ、計画でもするか? それならいまから店じまいするぞ」

 

「いいのかよ。ただでさえ儲かってないゴミ溜めなのに」

 

 キリトが呆れ顔で言う。俺の影響か、キリトの口の攻撃力が段々と増している。やだ、俺の影響力強すぎ!

 

 エギルの顔がひきつる。

 

「酷い言い草じゃねえか。まあ、確かに儲かってないしゴミ溜めだけどさ」

 

 おいおい認めちまうのかよ。もっと粘れよ。もっと熱くなれ! お米食べろ!

 

 ディアベルが俺を見て苦笑していた。変な思考していることがバレているのだ。いい加減こいつとも付き合いが長すぎる部類になってきたな。

 

「で、そろそろ真面目に考えようか。オレはハチマンの意見に大賛成だ。是非一緒にやりたい!」

 

 ディアベルの力強い声に、キリトが俯く。考えているのだろう。

 

 ディアベルと俺の視線が合う。互いに頷きあう。

 

「おいキリト。アスナの花嫁衣裳姿、見たくないのか?」

 

 キリトの耳がぴくりと動く。お、反応しやがった。

 

「アスナさんにもいい思い出になると思うよ」

 

 ディアベルの追撃。ぐぬぬ、とキリトが唸る。

 

「女性にとって結婚式は大事なもんだぞ? やってみたらどうだキリト」

 

 エギルの言葉がダメ押しになった。落としていた顔を上げたキリトが、頬を染めながらも頷く。

 

「分かった。やる、やるよ。アスナのためだしな」

 

 俺とディアベル、エギルが目と目で通じ合う。チョロいなキリト。

 

「んじゃ、とりあえず経験者から聞くか」

 

 俺たちの視線がエギルに集中する。エギルは笑いながら「まあ待て」と言い、店仕舞いの準備に向かう。その間、俺はサキにどんな衣装を着せてやろうかと思考の海に沈んでいった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 同刻。

 

 三十三層《ラーヴィン》にある行きつけの喫茶店で、あたしはコーヒーを飲んでいた。一緒に座っているのは、ユキノとアスナだ。共に結婚した者同士でのいわゆる女子会という奴だ。

 

 いつもならアルゴも一緒に来るところだが、今日は情報屋稼業が忙しいと言って急遽欠席となったのだ。実に残念。

 

 この女子会、主催者はなんとあたしだ。自分どころかハチマンすらびっくりしている。まさか元ぼっちのあたしがこんなことを積極的にするようになるなんて、SAOに囚われる前までは考えもしなかった。

 

 きっとあたしもいい方向に変わっているのだと思う。それもこれも、ハチマンやみんなのお陰だ。

 

 さて。カップをソーサーにおいてあたしはユキノを見る。ユキノはディアベルと付き合ってから、その美しさにより一層磨きが掛かった。並の男じゃ、もはや近づくことすらおこがましいと感じてしまうほどだろう。

 

 かくいうあたしも、よく綺麗になったと言われる。実感はない。鏡を見ても大抵気だるい顔をした自分しか映らないからだ。ホント、なんでハチマンはあたしに惚れたんだろうか?

 

「ディアベルとは最近どうだい? 仲良くやってる?」

 

 あたしの問いにユキノは微笑んで答える。

 

「ええ、彼はいつも優しいわ。どこかの捻くれてる人とは大違いよ」

 

「痛いところを突いて来るね。まあ、最近は多少マシになってきたよ」

 

 ユキノも、極々たまには棘のある言葉を投げてくることがある。きっと、心の底から信頼してくれているからだろう。あたしも同じだ。

 

「アスナの方はどうだい?」

 

「キリトくんはまあ、いつも通りかなあ」

 

 歳相応に童顔のアスナではあるが、やはり彼女も結婚を期に綺麗になった。よほどキリトのことが好きなのだろう。彼のことを考えているときの彼女はとても嬉しそうに微笑んでいる。

 

 いいなあ、と思う。

 

 そんなことを考えていると、あたしもハチマンに会いたくなってくる。ハチマンは必ず一線を引いているから、まあ……ごにょごにょ……なことはできていない。

 

 曰く、ここですると現実でもしまくるから絶対にダメだ、とのことだ。

 

 あたしも確実にそうなると思うから我慢している。だけれど、たまに求めてやまないときがあるから、そういうときは磁石のようにぴったりとくっついている。彼の傍にいるのはいつまでたっても飽きない。

 

 ただ、やっぱり恥ずかしいからふたりにはそういうことは訊けていない。よくある女子高生とかとの会話で出てくるような、露骨な会話はあたしたちはしないのだ。

 

 そう思っていた。いまこの瞬間までは。

 

 口火を開いたのはまさかのユキノだった。頬を染めて指同士を突きながら、恥ずかしそうに言った。

 

「あなたたちは、その……したの?」

 

 一瞬、あたしは何のことか分からなかった。アスナは察したらしく、顔をリンゴのようにしている。

 

 首を傾げるあたしに対し、ユキノが直接的な言葉を使った。

 

「だから、その……性行為よ」

 

「は?」

 

 あたしは真顔で言った。アスナは喉の奥で悲鳴をあげて、両手で顔を隠している。ユキノもなんだか居心地が悪そうだ。

 

 えっと……とユキノが会話の継ぎ帆を探すように言葉を選ぶ。

 

「ごめんなさい。その……してないのよ、私」

 

 あたしもしてないわ! そう突っ込んでやりたいが、ここは大人な対応が必要だ。うん、よし、落ち着けあたし。

 

 ユキノが続ける。

 

「抱擁も、口付けも、全部私からなのよ。だからその、魅力が無いのかと思って……どうすればいいのか悩んでいるの。だから参考にしたいのよ」

 

 な、なるほど……。でもあたしも言いたい。やったことないのに分かるわけないだろうが、と。

 

「サキ、訊いてもいいかしら?」

 

 あ、あたしに振るの!? 確かに年齢的にはユキノとあたしが上だけど……。

 

「あ、えー……」

 

 言葉を濁そうとして、ユキノの表情が目に入る。瞳が潤んでいる。彼女は真剣に悩んでいた。なら、こちらもそれ相応に返さなければならない。

 

 短く息を吐く。

 

「あたしはしてないよ」

 

「え?」

 

 ユキノとアスナの声が揃った。なんで驚かれるのさ。そんなに不順異性交遊しているように見えるのかいあたし達は!?

 

「してないの? あんなに口付けや抱擁をしてるのに?」とユキノの純粋な疑問。

 

「でも、ハチくんならありえるかも……」妙に納得顔をしているのはアスナだ。

 

 正解はアスナだ。意外とよくハチマンを見ている。

 

「つまりは理性の保険だよ」

 

 あたしが答える。

 

「どういうことかしら?」

 

 珍しくユキノの頭の回転が鈍い。大分悩みに思考を割いているのかもしれない。

 

「もしここですれば、現実でもその……ってこと。そういうのを怖がってるんだよ、あいつは」

 

 責任感が強いとも言えるし、あたしのことを大事にしてくれているとも言える。あたしとしてはどちらも純粋に嬉しい。

 

「なるほど……ではディアベルもそうなのかしら」

 

「ディアベルさんは真面目そうだもんね。あり得るかもしれないよ」

 

 アスナの言葉にあたしも頷く。元々誠実なディアベルだが、ことユキノに関してはそれすら通り越しているように見える。漂白剤とは言えて妙だ。さすがハチマン。

 

「まあ、あんたたちのペースでいいんじゃない? あたしらは今みたいな考えをしてるし、アスナは分からないけれど、人を参考にする必要はないよ」

 

 ただ……とあたし続ける。

 

「もしディアベルが無理やり襲ってきたらあたしに言いな。……殺す」

 

 ユキノが苦笑する。

 

「それは無いわよ」

 

 んっん……とアスナが咳払い。え、なに? まさかアスナ……。

 

「この話、やめよう!」

 

 あ、そういうことですか。やだ、びっくりした。中学生、違う、年齢的にはもう高校生だっけ? それなのにしてるなんて言われたら、ちょっと日本の将来が怖くなってきちゃう。

 

「そうね。ごめんなさい。話を戻しましょう。この前――」

 

 ユキノが話題を変える。あたしたちもそれに乗り、時間がゆったりと流れていく。

 

 ゲームに囚われていても。

 

 現実への帰還を夢見ていても。

 

 あたしたちはいま、幸せだった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 八歳になる少年カイルは、孤児院ギルド《子どもたちの夢》に所属している。いつもシンカーやユリエール、ユキノから世話をされ、不自由を感じることなくこのゲームの中で現実のように暮らしていた。

 

 カイルはある日思い至った。

 

 彼らにお礼を言おう。プレゼントも用意して、お礼と一緒に渡すのだ。

 

 いつも食事を用意してくれ、遊びに付き合ってくれ、勉強も教えてくれる。そんな素敵な人たちに何かお礼をしたいとカイルは思った。

 

 この年頃にはなかなか考えにくい、人に感謝を示せる素敵な少年だった。

 

 カイルは《はじまりの街》からフィールドへは出たことがない。三人からフィールドへ出ることを固く禁じられているからだ。

 

 曰く、フィールドにはモンスターがいて危ないから出てはいけない。

 

 カイルも意味は分かっていた。ゲームが好きでこのSAOに囚われたのだから。だけれど、実際に身体を動かして戦うことはできなかった。そういう子ども達が、ギルドには大勢いる。

 

 だからカイルは、少ない小遣いを握り締めて《はじまりの街》へと繰り出した。何かを買おうと思った。ほんの些細なものであっても、彼ら三人が喜んでくれるのならばと。

 

 誰もいない路地裏に入ってそんなことを考えていたカイルに影が落ちた。

 

 カイルは思わず見上げる。

 

 フードを被った人がいた。その人はカイルの姿を認めると、被っていたフードを外して姿を晒した。

 

 カイルは天使様が現れたのかと思った。

 

 その人が、あまりにも美しかったからだ。

 

 混じりけのない純白の白髪に、海を掬ったような深い群青の瞳。顔は中性的で性別がすぐには判別できず、口許にはこの世のすべてを愛するような微笑が湛えられていた。

 

 服装はベージュのフードの下に、黒を基調とした尼僧姿。右手には蒼と紅の指輪が嵌められている。

 

 その人はカイルと目が合うと、優しく微笑んでから目線を合わせるために足を折り曲げる。

 

「どうしました? なにか困りごとでも?」

 

 カイルは思った。思い切ってこの人に訊いてみよう。きっとこの人は大人だ。大人なら、あの人たちが喜ぶものをきっと知っていると思った。

 

 カイルはその人にすべてを語ることにした。

 

「いつも助けてくれる人にお礼をしたいんだ」

 

「お礼ですか。小さいのに素晴らしいですね。どんな方にお礼をしたいのですか?」

 

 優しい口調だった。心の隙間にするりと入り込むような声だった。

 

 褒められたことが嬉しくて、カイルはつい名前を口にしてしまう。

 

「シンカーさん、ユリエールさん、ユキノさんの三人だよ。とても良くしてくれるんだ。だからお礼がしたくてここまでひとりで来たんだよ」

 

 その人の目が大きく見開かれる。とても素敵な何かを見つけたとでもいうように。やがて、まなじりを下げて柔らかく微笑んだ。

 

「それは良いことです。感謝を示すことは大事なことですからね」

 

 その人が大きく頷く。カイルの行為をとても大切だとかみ締めるように。カイルは嬉しくなって、その人のことをすぐに好きになってしまった。

 

「分かりました。では、いい場所があります。案内しましょう」

 

 その人が再びフードを被ると、手を差し伸べる。カイルは手を取り、その人と一緒に歩き出す。

 

 

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