ソードアート・オンライン Youth in Aincrad   作:ユーカリの木

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ただひたすらに、彼ら彼女らは支えあう 3

 サキが落ち着いた頃合を見計らって、私は彼女を連れてリビングへ向かった。ハチマンはアルゴとアスナに任せ、私はキリトとクラインを呼び出した。リビングに集まったみんなが、サキの回復を喜んでいた。サキはといえば、落ち着かないのかきょろきょろと辺りを見渡し、ようやく自身の部屋でないことに気づいたように首を傾げている。

 

「ところで訊きたいんだけど、ここどこ?」

 

 サキの当然な疑問に私が答える。

 

「二十二層のログハウスよ。キリトくんとアスナさんが近くに住んでいるわ」

 

「そうなんだ。誰の家なの? 迷惑かけ通しで感謝の言葉しか出ないくらいだけど」

 

「あなたの家よ」

 

「はい?」

 

 サキが目を丸くする。当然だ。

 

「だから、あなたとハチマンくんの家」

 

 きょとんとした表情でサキの時が止まる。ややあって、額に手を当てた彼女が何事かを呟いている。

 

「気絶して起きたら違う場所にいて、実はそれがあたしたちの家。一体どんな状況なんだい?」

 

「ロトセブンで当たったのよ。運が良かったわね」

 

「いや、ないから。ここゲームだよ?」

 

 慣れないボケをしたせいだろうか、サキのツッコミが胸に刺さる。どうしようかと視線を左右に動かす。皆が視線を逸らした。誰も言いたがらないのだ。こういうときばかり私を表に出すのだから、まったくこの人たちは……。

 

 仕方が無い。どの道いつかはバレることなのだから。

 

「サキ、怒らないで訊いてちょうだい。あの家は、私の判断で引き払わせてもらったわ。空気がとても悪かったから。その代わり、この家をあなたたちへ贈るわ。これはみんなからの贈り物よ」

 

 え、とサキがまた目を丸くする。

 

「どっきり?」

 

「いいえ、本当のことよ。わたしたちから、あなたたちへの感謝の気持ちよ」

 

 え? え? え? とサキがおろおろし始める。こういう表情もハチマンだけでなくみんなに見せられるようになったのだから、本当に彼女は可愛らしい。

 

「つまり、ここは……」

 

「そう、あなたたちの新居よ。愛の巣、とでも言いましょうか」

 

 今度は、あ、あ、あ、と言葉を細切れに刻んでいる。混乱するとこの人、結構面白いわね。

 

「お、お金は?」

 

「さあ? クラインさんにでも訊いてちょうだい」

 

「ここでオレに振るのかよユキノさん!?」

 

 今度はクラインが慌てる。彼が言うべきだろう。なにせ一番の功労者なのだから。影に隠れようとしても無駄よ。こういうのは表に出すのがいまの私の性分なのだから。

 

 え、あーっとクラインが天井を仰ぎながら声を伸ばす。

 

「ま、なンだ。ふたりには色々世話ンなったしな。攻略も先頭突っ走ってもらったし、訓練にも付き合ってくれたし。その、あれだよアレ。アレがコレしてこうなったンだ!」

 

 ごまかした。ごまかしたわこの男。決めるときは決めるのに、どうして肝心なところでこうなるのかしら。

 

 キリトが呆れ顔でクラインの脇腹を突いている。ディアベルは苦笑していた。

 

「ちょ、ハチの常套文句だろうが。別にオレが使ってもいいだろ!?」

 

「時と場合を考えなさいな……サキが混乱してるわよ」

 

 私の言葉に全員の視線がサキへ向く。サキはさっきから訳が分からないというように、首を捻ってばかりだ。愛らしい反応だわ。でも、首を痛めるからやめなさい。ああ、ここゲームだから問題ないわね。

 

 遂に観念したのか、クラインがひとつ咳払いをする。

 

「まあ、寄付募った。あと、オレたちもちっとばっか出させてもらった。あー、感謝の気持ちだ。いままでありがとうな。感謝してるぜ」

 

 そう言って、クラインが頭を下げた。

 

「俺も、ふたりに感謝するよ。ありがとう、サキさん」

 

 キリトも腰を折る。

 

「オレもあんたらに最大限の感謝を。いつか言ったように、現実で会おう」

 

 エギルが男らしく親指を立てる。

 

「ま、そういうことだよ。是非ともここで幸せになってくれ! いままで本当にありがとう!」

 

 ディアベルが締めくくって、彼女へ感謝を捧げた。

 

 サキが口許を両手で押さえる。感極まったように、目じりに光を蓄える。

 

「ほんとに、こんな……ありがとう。本当に、ありがとう。あたしは、みんなと出会えたこの奇跡に感謝するよ。ありがとう……ありがとう」

 

 私は涙するサキの傍に寄って、背中をさする。いつも悲しみを呼び起こしていた嗚咽が、いまはこんなにも幸せの音を奏でている。

 

 本当に、いままでお疲れ様。これからはずっと幸せでいて。

 

 声に出すのはやっぱり恥ずかしくて、私は心の中でそっと呟く。それでも声が届いたのか、サキは私を見て抱きしめた。

 

「ユキノ、ありがとう。あんたにも感謝してるよ」

 

「いいのよ。あなたには私も感謝してるの。あのときのこと、ハチマンくんと仲を取り持ってくれてありがとう。彼の理解者になってくれてありがとう」

 

 サキの身体が温もりを感じる。生きている証拠がいまここにある。

 

 私たちはここにいる。いまをこうして生きている。決して神の操り人形などではなく、確固たる意思をもってここにいる。

 

 よしっ、とキリトが声を上げる。

 

「湿っぽいのはやめにしようぜ。俺飯食いたいんだ。腹減ったよ」

 

 私とサキがその場でずっこける。

 

 なにこの子。いきなり空気を台無しにしてくれたわ。ちょっとアスナさん、この子殴っていいかしら。

 

「ま、まあユキノ。許してやってくれ。いいじゃないか、こういうのも」

 

 若干険を雰囲気に滲ませていたのがバレたか、ディアベルが私に寄り添ってなだめてくる。

 

 仕方ないわね。今日くらいは我慢してあげましょう。

 

「さあ、三人を呼んでこよう。ハチマンもいまなら大丈夫だろ」

 

 エギルが微笑んで寝室へ向かう。

 

「なら私は料理の準備をするわ。サキは座っていて。まだつらいでしょう?」

 

「悪いね。お願いするよ」

 

 私はキッチンへ向かう。

 

 寝室からアスナとアルゴがハチマンを車椅子に連れてリビングに入ってくる。また、あのときの賑やかな空気が充満していく。

 

 私とアスナが料理を作り、ほかの皆が会話をしている。キリトが以前話したハチマンの黒歴史をサキへと教える。彼女は当時を思い出したか頬を染め、それでもやっぱり笑っていた。

 

 やがて、料理が出来上がりテーブルに載せる。皆が思い思いに料理を頬張り、空気が弛緩していく。

 

「お、そうだサキさん。俺たちも遂にユニークスキルを手にいれたぜ!」

 

 クラインが突然思いだしたように言う。

 

「へえ、よかったじゃないか。なんなんだったんだい?」

 

 サキの返しにクラインが答える。

 

「オレは《抜刀術》だ!」

 

 サキの顔に疑問。

 

「スキルなんか無くても元からできるじゃないのさ」

 

 クラインが頭をテーブルに落す。

 

「それを言わンでくれ。散々みんなに馬鹿にされたンだ」

 

「あれは大爆笑だったな。今さらかよ! ってな」

 

 エギルが思い出し笑いをする。

 

「わ、悪かったよ。よかったじゃないか」

 

 慌ててサキがクラインを慰める。

 

 今度はキリトが名乗りを上げた。

 

「俺は《二刀流》だ。これならふたりにも負けないぜ?」

 

 キリトが子どものように胸を張って言った。ディアベルから訊く限りでは、キリトの二刀流はそれはもう異次元の強さらしい。頼もしい限りだ。

 

「じゃあ、今度また試合しよっか」

 

 サキが嬉しそうに微笑む。キリトが「望むところだ!」とにやりと笑う。

 

 次はディアベルだ。少し照れながらサキへと告げる。

 

「オレは《英雄剣士》だよ。ちょっと名前がアレだけどね」

 

「へえ、似合ってるじゃないか。頼むよ英雄様」

 

「頼むから英雄とか言うのやめてくれないかな……。さすがにこの歳になると恥ずかしいよ」

 

 最後はアスナだ。たぶん、アスナが一番恥ずかしそうにしている。

 

「わ、私は……《流星剣》だよ……」

 

 サキが口をあんぐりと空ける。

 

「それ、なに?」

 

 確かに、ディアベルもそうだが、アスナはもっと分からない。名前だけでは想像がつかないのだ。アスナがもじもじとしているのを見て、キリトが続けた。

 

「あれは確かに流星の名の通りだったよ。なんだっけ、《スパークル・メテオラ》だったっけ。フィールド中を超高速で縦横無尽に駆け回るんだ。宙だって跳ぶんだぜ? 卑怯だよなあアレ」

 

 アスナとは戦いたくないなあ、とキリトがぼやくように言う。

 

「あ、あれ、使ってる側からするとすごい怖いんだからね! 調子に乗って飛び続けて墜落死するかと思ったんだから!」

 

 ぷりぷりとアスナが怒る。怖いって言いながら調子に乗ったのね……。確かに、空を飛ぶのは楽しそうだわ。

 

 キリトの隣でクラインが苦笑する。

 

「ま、最大で十五秒間、最大射程百メートルの突進突きを、方向自在で連打できる。確かにおっかねえよなあ。つーかよ、ありゃあ勝てる気がしねえよ。ハチとサキさんも大概だったけど、アスナさんはそれを超えてるよなあ」

 

「ちょ、ちょっとみんな! 私を化物呼ばわりしないでよ! あれ制御大変なんだからね! 地面にぶつかると痛いんだから!」

 

 結局墜落したのね……。

 

「よし、アーちゃんのあだ名は《流星天使》だナ! それとも《メテオリック・プリンセス》がいいカ? よーし、どっちも早速みんなに広めてくるヨ!」

 

 ずっとうずうずしていたのか、アルゴがはしゃいで仮想キーボードを叩き始める。アスナが慌てた様子でそれを止める。

 

「でもまあ、こと対人戦ならハチとサキさんが最強だろうな。ハチなんかは技術とスキルが徹底的に対人に特化してるし」

 

 キリトが唸るように言う。そこら辺の話になると、さすがに私は分からない。

 

「で、でもクラインさんもすごいと思うけど。たぶん五分五分くらいじゃないかなあ。って、アルゴさん、お願いだからそれだけはやめて!」

 

 アルゴとひと悶着しているアスナの言葉に、クラインが首を振る。

 

「インビジブルからアサシネイションで一発KOだな。ありゃ卑怯だ。それによぉ、サキさんにぁ勝てる構図がまったく思い浮かばねえよ」

 

「逆に対Mobならキリトとアスナさんが最強だろうね。アスナさんは場所を選ぶけど、広い場所なら確実に彼女が最強だよ」

 

 ディアベルがふたりの姿を思い出すように言う。

 

「そういうディアベルはバランスが良いから、あまり尖ってなくて安定してるよな。この前負けたし……」

 

 悔しそうにキリトが言う。ふふ、うちの夫もたまにはやるのよ。ちょっと誇らしいわ。

 

「みんな強くなったんだね」

 

 隣にいるハチマンの手を握りながら、サキが微笑んで皆を眺める。

 

「ああ、だから安心して休んでいてくれや。この塔の攻略はオレ達に任せてくれ!」

 

 クラインが胸を叩く。キリトも、アスナも、ディアベルも、攻略組を引っ張っていく四人がサキに任せてくれと言う。

 

「ああ、そうだね。安心したよ。ね、ハチマン」

 

 サキがまなじりを下げ、隣に座るハチマンへ顔を向ける。彼はただただ瞳を開いていて何も反応を返さない。それでも、口許には安堵の笑みがあった。彼女はそれを愛おしそうに眺め、彼の頬を優しく撫でる。

 

 この幸福が、いつまでも続きますようにと。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 あたしが目を覚ましてから、二週間が経った。日々かわりがわりに来てくれるみんなには本当に感謝だ。なにしろ、こんな素敵な家まで贈ってくれたのだから、頭が上がらないどころか足すら向けて寝られない。

 

 ベッドの脇に置いた椅子に座って、あたしは愛しいハチマンの寝息を聞いている。

 

 まだ時間は早朝で、窓から入り込む風は少し冷たい。季節は現実では五月に差し掛かり、もう少しすれば太陽が頑張り出すだろう。この世界でも梅雨みたいなものは存在するから、更に時がを経たなら、残念ながら少し湿っぽくなる。この世界では洗濯がいらないから、苦労がひとつ減って楽なものだ。

 

 あたしは横たわるハチマンの頬をそっと撫でる。彼は、どんどんと回復していっている。言葉はまだちゃんと喋れないけれど、ちゃんとあたしを認識して、あたしを見つめてくれる。あたしの声にも反応し、何かしら行動で示そうとしてくれる。彼はちゃんと夢の中でも戦っている。二十九人の殺人鬼を殺めた苦悩と罪悪と、必死になって戦っている。

 

 ハチマンは目覚めたとき、一体どんな答えを出すのだろう。きっと、彼の性格からして表面的には平然としながらも、心の中では色々なことを考える。なら、答えは簡単だ。あたしは彼に寄り添う。永遠に彼の傍にいる。彼の心の闇を掬い、痛いも悲しいも、嬉しいも楽しいも、ぜんぶぜんぶ分かち合えばいい。そうすれば、未来はきっと明るくなる。

 

 ハチマンが身じろぐ。目を瞬かせて夢から覚める。もはや暴れることもなく、すぐにベッドの脇にいるあたしへ視線を注ぐ。表情はぎこちない笑み。そういえば、彼は笑うことが苦手だっけ。

 

 あたしは布団から出てきた彼の手を握って胸に抱く。

 

「おはよう、ハチマン。調子はどう?」

 

 彼は必死に声を出そうと喘ぐ。

 

「だ、い……じょうぶ、だ」

 

「そっか。まだ横になっていていいよ。それとも、朝食食べる?」

 

「もう、少し……こ、のまま、が、いい」

 

「ん、分かった。いいよ」

 

 ハチマンがじっとあたしを見る。視線があたしの目ではなく、少し下に下がっている。

 

「お、ま……む、ね……」

 

 ああ、胸が当たってるのが恥ずかしいのかい? やっぱりあんた初心だねえ。あたしもだけど。

 

「当ててんのよ」

 

「……し、ってん、のかよ」

 

「大志の部屋にあるんだよ。ちょっとかじったくらいだけれどね」

 

「あ、の……野郎、ほ、めて……つか、わす……」

 

 あたしはくすくすと笑う。

 

「そんなにあたしの胸がいいのかい?」

 

「お、とこの……よく、ぼう……な、めんな、よ」

 

 まったく、結局あたしを襲いもしなかったのに何を言っているんだか。きっとたびたび呟いている理性ちゃんとやらが戦っていたのだろう。あたしの彼氏は一体なんなんだ……。

 

 ハチマンのまぶたが落ちそうになる。しゃべり過ぎて疲れたのだろう。

 

「いいよ。おやすみ。ゆっくり寝な」

 

「わ、る……い」

 

 ハチマンのまぶたが落ちる。再び規則的な寝息が聞こえてくる。あたしはそっと彼の手を布団の中に入れて、また彼の寝顔を眺める。できればずっとこうしていたいけど、昔のようになってしまっては元も子もないから、名残惜しくも彼の寝室を出る。リビングでさっと部屋着に着替えて、朝食の準備をする。

 

 そんなことをしていると、玄関のドアがノックされた。ああ、またかい。

 

 あたしは苦笑しながら扉を開けると、そこに立っていたのはキリトとアスナだった。邂逅一番、キリトが一言、

 

「腹減った……サキさん、朝食くれないか? 和食がいい」

 

 アスナがキリトにふくれっ面を向けながらも、申し訳なさそうにあたしに頭を下げる。

 

「ごめんね、サキさん。キリトくん、どうしてもサキさんの食事が食べたいってうるさくて」

 

 しょうがないねえ、とあたしは苦笑い。

 

 どうやら一週間ほど前にやった食事会で出したあたしの料理が、キリトの琴線に触れたようだ。アスナにも教えてはいるものの、まだ完全習得はできていないらしい。洋食のアスナと違って、あたしは和食ばっか作ってたからね。あたしも洋食を教えてもらっている。

 

 今日の朝食はブリ……らしきものの塩焼きに、苦労して編み出した味噌汁、そしてこれもまた艱難辛苦の末に手に入れたご飯だ。

 

 テーブルに朝食を並べた途端、キリトの瞳が爛々と光る。この子、意外と料理に目が無いんだよねえ。アスナも苦労するだろうな。

 

「いただきます!」

 

 一声言って、キリトが朝食をかき込み、美味い美味いとご満悦のご様子。こうして見ていると、弟ができたようで少し嬉しい気分になる。隣に座るアスナはやっぱりぶすっとしているものの、味噌汁を口にした途端、顔が緩む。まるで家族の団欒のようだ。

 

「うちのキリトくんが本当にごめんね」

 

「いいよ。いつでも来なよ」

 

 ふたりには世話になりっぱなしなのだから、これくらい問題などない。

 

 でも、とあたしはキリトへ鋭い眼光を向ける。

 

「キリト、さすがに他の女のご飯を自分の女の前で、美味い美味い言うのはどうかと思うよ?」

 

 う、とキリトが唸る。隣でアスナがうんうんと頷いている。

 

「しょうがないだろ。美味いもんは美味いんだ。俺は悪くない。美味い料理が悪い!」

 

 キリトの開き直りにアスナが長息する。

 

「最近キリトくんがハチくん化してるの。どうしたらいいんだろう……」

 

 アスナが額に手を当てて、嘆くように言った。あたしもため息しかでない。本当に、あのハチマンは無駄にキリトへの影響力が強い。いつか専業主夫になるとか言い出さなきゃいいんだけれど。

 

「あ、そうだサキさん。醤油できたから持ってきたよ。一本置いてくね」

 

 そう言ったアスナがストレージから一本の瓶を取り出し、テーブルに置く。アスナが苦心の末に作り出した醤油だ。

 

「いつも悪いね。今度味噌を持ってくよ」

 

 アスナが喜ぶ。キリトは食事に首っ丈だ。

 

「ほんと? やった! あれはまだ再現できてないんだよね」

 

「アスナ、今度味噌汁作ってくれよ」

 

「はいはい」

 

 突然会話に加わってきたキリトにアスナは苦笑顔だ。食べ物のことになると彼は結構がめつくなる。

 

「ところで、今日はどうするんだい?」

 

 なんとはなしに訊いてみる。前線を退いてからかなり時間が経つ。こうしてゆるやかな時間を過ごすのも好きだが、長い間戦ってきたせいか、たまに身体が疼くときがある。あたし、もしかして戦闘狂? やだ、ハチマンが復帰したら物理的にイチャイチャしないと!

 

「迷宮区のマッピングかな。もうすぐフロアボスの部屋が見つかりそうだから」

 

 最前線は現在七十層。ハチマンとあたしが前線を退いて約二ヶ月と二週間あまり。その頃の最前線は五十四層だったから、考えてみれば異様なスピードだ。かつてクラインから訊いたように、まさしく全速力であの塔を駆け上がっているらしい。でも、少し心配になる。

 

「無理してないかい? ちゃんと休むんだよ?」

 

「大丈夫だって、大抵アスナが暴れてるだけだから」

 

 ちょ、とアスナが目をむいた。

 

「ひどいよキリトくん! キリトくんだって水を得た魚みたいに剣振り回してるくせに!」

 

「アスナの場合は飛びまわってるじゃないか。サキさん、こいつ最近じゃみんなから空飛ぶプリン――」

 

「やめて! 絶対に言わないで! 言ったらいくらキリトくんでも怒るからね!」

 

 悲鳴のような声を上げて、アスナがキリトの口を塞ぐ。もごもごと続きを言おうとするキリトの口を必死の形相で止めている。まあ、殆ど聞こえてたから意味ないんだけれどね。空飛ぶプリンセスか……。あたしだったら恥ずかしくて外に出られないだろうね。

 

「いいじゃないかアスナ。あたしなんて昔、《アインクラッドの光の巫女》とか呼ばれてたんだよ。一週間くらいは夜のベッドで悶えたんだからね」

 

 もはや羞恥で顔を紅くしたアスナが訴えるように言う。

 

「サキさんの方が十分まともだよ! 私なんて、私なんて! 天使だのプリンセスだの、もうそんな歳じゃないだよ! ひどいときなんて、魔法少女とか言われるときあるんだから!」

 

 確かに、年齢からして高校生になるアスナには魔法少女は酷だろう。哀れアスナ。

 

 口を押さえるアスナの手から逃れたキリトが、にやにやといやらしい笑みを浮かべていた。

 

「おい、俺を止めたアスナが全部自分で言ってるじゃないか」

 

 はっとしたアスナの動きが固まる。勢い余って言ってはいけないことまで言ってしまったことを悟ったのだろう。もはや顔色が赤から青へと変貌していく。やがて、力尽きるように崩れ落ちたアスナが、両手両膝を床につけて項垂れた。

 

「……おうち帰りたい」

 

 その一言にキリトが笑う。もう割れんばかりの声で笑う。ちなみにあたしも口許を緩める。聞き覚えがある言葉だったからだ。

 

「は、ハチと同じこと言ってる!」

 

 キリトの言葉を受け、アスナがゆっくりと顔を上げる。その顔はもはや何と言ってよいのやら、表情が消えていた。

 

「あたしもハチくん化してる……」

 

「あいつ、無駄にあんたらに影響力強いんだねえ」

 

「一層からの付き合いだからなあ。なんだかんだ言っても一番仲良かったし」

 

 キリトが感慨深く言う。

 

 そうだね、とあたしも当時を振り返りながら思う。

 

 人はひとりでは生きていけないから、誰かと関係を結んで生活する。人と人を繋ぐ糸は、きっと一種の回路みたいなもので、お互いに情報を交換しあう。そして影響しあうのだ。だから時を重ねるごとに自分という殻に他人の性質が混じってくる。そうやって、人は年月を経て変わっていくのだ。

 

 あたしがハチマンに変えられたように。

 

 ハチマンがあたしに変えられたように。

 

 あたしたちも、みんなと交わって、きっと全員が変わった。それは良い方向だったり、悪いものだったりするのかもしれない。それでも、人と関わっていくうえで、ある程度の変化は許容していきたい。

 

 なんの変化もない世界なんて、つまらないじゃないか。

 

 そうこうしている内に時間も過ぎたのか、アスナとキリトが謝辞を述べて攻略へと向かう。

 

 さて、今日もハチマンを連れて外に出よう。今日は少しだけ足を伸ばしてみるのも良いかもしれない。

 

 

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