ソードアート・オンライン Youth in Aincrad   作:ユーカリの木

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こうして、二人はコンビになる 5

 

 キリトと別れたあと、ガムシャラに迷宮区へ行くでもディアベルの動向を探るのでもなく、ちゃんと身体を休めるために宿屋に戻った翌日。

 

 当たり前のようにフラッシュバックに悶えまくってベッドから落ちまくりながらも、なんとか眠れて時刻は朝の七時四五分。ほんと、昨日サキが来なくて良かった。

 

 さあ、サキよ。来るなら来い。いまの俺は、トラウマを超越した!

 

 なんて勇気もなく、俺は部屋の中を右往左往とせわしなく歩いている。挙句、床に膝を付き、窓の外へ向かって祈りを捧げる始末だ。

 

 時よ止まって! マジ土下座するから止めてくれませんか!

 

 そのとき、がちゃり、と聞こえてはならない音が聞こえた。

 

 ノックの音聞こえなかったヨ?

 

「は、ハチマン……お、おは――なにやってんのあんた」

 

 最初は瑞々しくも薄紅色の睡蓮のように、後半は毛虫でも見るような表情で俺を見下ろしていたのは、誰でもない、サキだ。

 

「ちょっと神に感謝を……な」

 

 はあ~とサキが盛大にため息する。呆れられてしまったらしい。

 

 当たり前だ。俺だってこんな俺に呆れちゃうよ。好きだけど。

 

「なにバカやってんのさ……。覚悟して入ったあたしがバカじゃない……あ」

 

 墓穴を掘ったサキが今度は盛大に赤くなる。

 

 あかん、これアカンパターンや。

 

 両手で顔を隠したサキが、くるっと半回転し、そのままドアへ激突。閉めたことを忘れていたらしい。うぅ~と額を押さえると、ドアを開け退出して一分。コンコン、と響くノックの音。

 

 間違いなく、なかったことにしようとしている。ここはやはり男として乗るべきだろう。だよね、小町!

 

「ど、どうぞ」

 

 中に入ってきたサキが、わざとらしく大きな咳払いをふたつ。

 

「は、ハチマン、おはよう。もう準備はできてりゅ?」

 

 惜しい。最後に噛みやがった……。

 

 悔しそうに目を潤ませ唇を噛んで唸るサキ。可愛いからその表情はやめて欲しい。お持ち帰りぃ~って、したくなっちゃう。

 

 仕方ねえなあ、ここは俺が手を差し伸べてやるか。なに、こんだけサキがやらかしてくれたんだ。

 

 大丈夫だ、問題ない。

 

「お、おう、だいじょーびゅでゃ」

 

 もういっそ誰か介錯してくれねえかな!

 

「ぷっ……」

 

 噴出す声が聞こえた。蹲っていた俺がサキを見上げると、彼女が腹を抱えて苦しそうに笑っているではないか。ふたりのやりとりがあまりにも馬鹿馬鹿しいから、俺も自然と笑みが漏れた。

 

「ふふふ、あんた、ようやく笑ったね」

 

「そうか?」

 

 サキは頷く。

 

「あんた、なかなか笑ったりしないからさ。あたしのせいで色々大変なのかな、とか、あたしといるの嫌なのかなって思ってたりしてたから……」

 

 最後になるにつれて、サキの声が細っていく。

 

 一ヶ月経って、家族の他に出てきたサキの本音だろう。サキは他人のことを考えられるが自分のことは後回しにしてしまう。誰かに寄りかかることに慣れてないのだろう。それは、大志から依頼されたバイトの件ではっきりしている。

 

 サキは、少しだけ視野が狭い。

 

 想像でしかないが、俺に対して心苦しい思いをさせてしまったのかもしれない。

 

 少し考えれば分かりそうなことだというのに、自分のことばかりにかまけてサキのことを考えていなかった。

 

 なら、ここははっきりと告げるべきだろう。

 

「……んなことねえよ。お前には、感謝してる。俺もしんどいときとかは、やっぱりある。だけどな、お前がいるから、サキがいるから、なんつーか……なんとかなってる。だから、サンキューな」

 

 胸を押さえたサキが、柔らかく、アルカイックに微笑む。

 

「ん……そっか。なら、嬉しいよ」

 

 ああ、俺は。

 

 俺は、この見ているだけで安らげるような優しい笑顔を、いつか失ってしまうんじゃないだろうか。

 

 行き場の無い怒りを瞳に湛えた雪ノ下のように。

 

 辛そうに、ひどく痛々しく微笑んだ由比ヶ浜のように。

 

 いつかサキの綺麗な瞳を曇らせてしまうのではないだろうか。

 

 酷く落ち込ませ、失望させてしまうのではないだろうか。そうなってしまったら、そのとき俺は、耐えられるのだろうか。あのふたりのときでさえ、俺はこうして逃げた。現実から逃避をはかった。そんな中で、サキにすらその目を向けられてしまったとき、果たして俺は俺でいられるのか。

 

 その疑念だけが、どうしても拭えない。

 

 

 

 サキとの恥ずかしい挨拶を終えた俺は、すぐに移動はせずに、アルゴから得た情報と、俺が集めたものを共有することにした。

 

 さすがの頭の良さですぐに理解すると、ひとつ頷いて俺に訊く。

 

「ディアベルにカマかけるのかい?」

 

「ま、それもあるが、会話の流れ次第だな。ある程度理由は推測できるが、人となりが分からない。会議のときに接触できれば御の字ってところだろう」

 

「んじゃ、問題はキバオウって奴だね。ベータテスターを憎んでるんなら、何かしら仕掛けてきそうだけど。潰す?」

 

「おい、おっかねえことをさらりと言うな。それは最悪の手段だ。話が進めばそれでいい。一応保険は用意しておく」

 

 保険? とサキがオウム返しに訊いて来る。

 

 一度息を吐いて、サキへ保険の内容を伝える。ふたつある内のひとつだけだが。

 

 基本的に俺のやり方はすぐに変えられるものじゃない。ならば、少しだけ、方向性をずらせばいい。それでもダメなら、仕方ない。覚悟を決めるだけだ。

 

「なるほどね。確かに効果的なのかな? どっちにせよ、先手を打っておいた方がいいかもね」

 

「ま、そういうことだな……ん?」

 

 ポーン、と軽快な音と共に、メッセージの受信が知らされる。ウィンドウを操作すると、最近やり取りをするようになったキリトだった。

 

 妙になつかれてるんだよなあ、と思いつつ中身を見る。

 

「女の子を拾っちゃった? 助けてくれ? なんだそりゃ」

 

「どゆこと?」

 

 サキも気になったのか覗いてきたため、ウインドウを彼女にも見えるようにずらしてやる。肩を寄せ合う形になるため、どうしてもサキを意識してしまう。もうちょっと離れてくれませんかねえ……。

 

「キリトって、さっき話に上がった最強のプレイヤーさん? にしても、よく分からないメッセージだねえ」

 

 まったくだ。ウインドウを閉じて立ち上がる。変な内容だが、昨日のこともあるし無視もできまい。

 

 友達を作ると人間強度が下がるとは、まったく至言だ。まあ、キリトとは友達じゃなくて知り合いだけど。

 

「とりあえず迷宮区の入口付近にいるようだし、行ってやるか」

 

「じゃあ、朝食は現地だね」

 

 サキが駆け出したため、俺もそれに追従して部屋を出る。ふたりで全速力で向かえば、キリトがいるところまではさして時間は掛からない。俺たちが拠点としているのは、迷宮区から程近い街《トールバーナ》なのだ。

 

 街を抜けて森の中へ入り、同時に《索敵》スキルを走らせる。人の気配が敏感な俺にとっては、その力を最大限高めてくれる便利なスキルだ。その力をフル活用してMobを避けつつ走っていると、ようやくふたつの気配がアンテナに引っかかる。

 

 念のためサキを後ろに控えさせ、ステルスヒッキーと《隠蔽》スキルの多重稼動で近づく。横になったフードを被った人物の傍に、キリトが所在無く立っている姿を腐った目が捉える。とりあえずキリトが伝えてきた異常以外に変なことはなさそうであったため、サキを呼んでキリトに近づいていく。彼も彼で《索敵》をしていたのか、俺の姿を認め、片手を上げた。

 

「いきなり悪いな、ハチ。あと……サキさん……?」

 

「ん。あたしは、サキ、です……」

 

「は、はじめ、まして……キリトです」

 

 ぼっちらしいやりとりだなあ。サキは若干顔引きつってて怖いし、キリトは人見知りらしくまごついている。

 

 子どもを見る母親の気分でふたりのやりとりを眺めていると、ふたりがおろおろとし始め、すぐに俺に視線で助けを求めてくる。

 

「おう、とりあえずふたりとも落ち着けな。キリト。サキは初対面の人間にはちっと怖いけど、悪気があるわけじゃねえんだ。あんま気にしてやるな。それとサキ、こいつ一応年下だから、弟に接するみたいにすれば楽だろ」

 

「そ、そう? なら、キリト、とりあえず状況を教えて。あと敬語も面倒だからやめて」

 

 さっきよりもサキの口調が随分と柔らかいものになる。大志と重ねたのだろうか。

 

「分かった。さっきまで迷宮区の最前線でマッピングしてたんだけど、精神的に殆ど満身創痍って感じな奴がいてさ。三日、いや、四日は篭ってるって言ってたか……。そんなことを話しているうちに突然倒れたから、ここまで引っ張ってきたんだよ」

 

「で、ハチマンを呼んだって事だね?」

 

「そういうこと」

 

 いきなり会話がスムーズになったな。やっぱキリトはエセぼっちだ。

 

「ハチ、この子のこと、何か知ってるか?」

 

「生憎だが俺は他人に興味がない。興味をもたれてないまであるからな。知らん」

 

 少なくとも、遠目で見てもアルゴから提供された一覧にはいなかった顔だ。というか、女子の絶対数が少ないから、一覧の中にサキ以外の女子が殆どいなかっただけだが……。

 

「ん……っ」

 

 小さく女の声がした。サキではない、間違いなくフードの少女の声だ。起きたところで目が濁った男が近づくのはヤバかろうと、サキを促して行かせる。決して、ひっ、とか驚かれて傷つきたくないからではない。

 

「あんた、大丈夫かい?」

 

 サキが少女の背を持って起き上がらせる。幾ばくかの後、三人に囲まれていることを悟った少女は、ぽつりと漏らした。

 

「余計な……」

 

 キリトが夜色の瞳をそっと伏せる。その動きに若干の違和感を覚えながらも、俺は黙っておく。

 

 こういうのは日ごろ年下を相手にしているサキの方が上手いに決まっている。

 

「あんた、どうして迷宮区に長居なんかしてたんだい?」

 

 少女は胡乱な目をサキへ向ける。

 

「どうして? ……どうせみんな死ぬのよ。一ヶ月で二千人も死んだ。それなのにこの一層すら攻略されてない」

 

 少女の声に悲痛な力が篭っていく。いや、投げやりと言ってもいい。

 

「どうせクリアなんてできない。なら、どこでどんなふうに死のうと、早いか遅いか、それだけの違いしかないのよ……」

 

 ああ、こいつは諦めたのだ。現実への帰還という目標を諦め、ただ死ぬため、まるで殉教者のように死地へ向かっているのだ。いま、この瞬間も。

 

 立ち上がろうとした少女の膝が崩れる。その華奢な身体を受け止めたサキが、唇をかみ締めると、思い切り少女を抱きしめた。突然抱かれたことに驚愕したのか、少女が目を白黒とさせる。

 

「な、なに……?」

 

「うちの妹がね、よくぐずったときにこうしてあげるんだよ。こうしてると安心するのか、いつも最後には、にっこり笑ったもんさ」

 

 たぶん、京香のことだろう。あいつ、けーちゃんのこと大好きだったからな。

 

 抱きしめたまま、サキが少女の頭をフード越しにやんわりと撫でる。最初こそ抵抗していた少女だったが、いつの間にか静かに涙を流し始めた。

 

「大丈夫。必ずクリアできるよ。私も、そこにいるハチマンもそのために毎日頑張ってる。そこのキリトなんて、最強のプレイヤーらしいよ。大丈夫、きっときっと、大丈夫だよ」

 

 嗚咽を我慢しながら、それでも止められない涙をなんとかするように、少女がサキの胸にしがみつく。

 

 俺とキリトはそこまで見届け、少し離れた場所へ向かった。これ以上、女同士の話を訊いてはいけない気がした。

 

 ぎりぎり二人の姿が捉えられる距離まで離れた俺は、生い茂る樹木のひとつを選んで背を預けた。キリトも同様に、隣に立つ木に寄りかかる。

 

「なんつーか、あれだ。サキを連れてきて正解だったわ」

 

 なんとなく、キリトのさっきの反応が気に掛かった俺は、さりげない会話を装って反応を見る。キリトは何も答えず、苦悶の表情を浮かべて地面を見つめていた。

 

 絶対何かある反応だなこれ。聞いて欲しくは無いけど悟って欲しいっていう、ガキの態度だ。まあ中学生なのだろうから年相応だろう。小町もそういうところあるし、もし弟ができたとしたら、こんなもんだろう。

 

 柄にも無く声を掛けそうになって、やめる。

 

 らしくない。

 

 他人などどうでもいいではないか。他人へ割けるリソースなど、元から持ってなどいない。サキとの間柄は、前提として同級生で顔見知りであったからこそ、依頼主と請負人の関係が構築できているようなものだ。

 

 対してキリトはどうだ。会ってまだ三日目だ。深追いする理由もないし、されるのも嫌だろう。分かった気になられるのは、俺なら嫌だ。

 

 だから何も言うまい。言うまいと、思うのだが……。

 

 存外こいつのことが気に入ってしまっているのだ。あんな風に喚き散らしてバカな喧嘩をしたのは、生まれて初めてだ。

 

 どことなく影があり、同じようでちょっと違うぼっちで、どこか後ろ暗いことを隠している少年。

 

 客観的に見て、少しは似ていると思う。

 

 雪ノ下のときも、いまと同じように同類だと感じたが、結局は違った。表層だけ見て、内側を見ることが出来ていなかった。

 

 当然だ。あのときも、過ごした期間は短かったのだから。そもそもだ、人の中身なんて簡単に分からない。開けたら中身が出る卵とは違う。

 

 今回だってそうだ。これは俺の勝手な押し付けでしかない。だが、それでももし一歩を踏み出したら。あのとき踏み込めなかったことを、いまできたのなら。

 

 何かが変わるのだろうか。

 

 雪ノ下のあの瞳を、由比ヶ浜のあの表情を。

 

 未来のこいつらから剥ぎ取ることができるのだろうか。

 

 だったら、俺は――

 

「キリト。もし、もしもだ。お前が何か抱えていて、自分でどうしようもないと思ったんなら」

 

 俺の言葉に反応したキリトが顔を上げる。その瞳の中に、わずかな怯えと悔恨の色が見て取れた。

 

 キリトの動きを聞いている反応だとし、俺は続ける。

 

「俺に言え」

 

 らしくもない言葉を。

 

「ぼっちだから漏らす相手もいないし、当然サキやアルゴにも言わない。ベーターだの新規だの、心底どうだっていい。お前が話せるときが来たら、話してみろ。それだけで、楽になることもあるんじゃねえの?」

 

 キリトの夜色の瞳が、大きく揺れる。何かを口にしようとして、しかし閉じて、それでも開こうとして閉じる。

 

 ああ、こいつは小船に乗っている子どもだ。大海原の中、突如来た嵐が吹き荒び、転覆寸前の小船に必死にしがみつく子どもだ。助けを求めていながらも、きっと自分でなんとかしなければならない、自分が悪いんだと駄々を捏ねる子どもがこいつだ。

 

 理由も、大体は予想が付く。だがこちらからカードは切らない。これは、キリトが俺に打ち明けることにこそ意味があるのだから。

 

 俺は、じっと黙って言葉を待った。

 

 今日聞けなくてもいい。明日聞けなくてもいい。あるいは、一生聞けなくても構わない。ただ逃げ場所があると知っているだけで、人は救われる。

 

 逃げることは悪いことだと、多くの人は言う。

 

 しかし、それは違う。それは強者の理論だ。無関係な人間の戯言だ。当事者しか、戦うことのつらさは分からない。だから逃げ場はあったっていい。逃げたって構わない。

 

 兵法にだって載ってるじゃねえか。三十六計逃げるにしかず、と。ことわざにだってある。逃げるが勝ち、と。だから逃げればいいのだ。戦うことだけがすべてではない。

 

 逃避先を知ることが、なによりの特効薬であったって良いじゃないか。

 

「ハチ……ありがとな」

 

 いまはその言葉だけで十分だ。

 

「おう、何かあれば、言ってくれ」

 

「ああ、サンキュー」

 

 男同士の言葉は、いつもこんなにも短く、濃密だ。

 

 かさり、と葉擦れの音が届く。

 

 サキが少女を連れだって歩いてきた。話が済んだのだろう。サキの脇に隠れるようにしていた少女は、ややあってキリトの前に立つと、潔く頭を下げた。

 

「変なこと言ってごめんなさい。それと、助けてくれてありがとう」

 

 最初こそおろおろしていたキリトだったが、サキに睨まれて直立すると、数秒後、シニカルな笑みを口元に浮かべる。

 

「あんたを助けたわけじゃない。だから、気にするなよ」

 

 呆れたようにサキが長息する。少女はぎょっと目を剥くも、口許に手を当ててくすくすと笑う。

 

 ほんと、捻くれてるなこいつ。

 

 だが、その裏に見え隠れするのは不器用な優しさだ。悪い奴ではないのだ。

 

「サキさんから聞いてるかもしれないが、俺はキリト。あんたは?」

 

「キリト君ね。よろしく」

 

 キリトの名乗りに挨拶を返した少女は、被ったフードを取る。中から現れたのは、梢から漏れ零れる光を一身に浴びて輝く、艶やかな栗色のロングヘアだ。可愛らしくも美しい顔立ちをした少女が、胸に手を当てて名乗りを上げる。

 

「私はアスナ。結城明日奈」

 

「おい、お前それ本名じゃねえだろうな?」

 

 思わず突っ込んでしまった。

 

 なに、最近のMMORPGは本名でやるのが流行ってるの? ネットリテラシーはどこ行ったの?

 

 アスナが俺の言葉に、えっ、と首を傾げる。

 

「ダメなの?」

 

 キリトと俺が同時にため息する。どうやら彼女はかなりの初心者らしい。

 

「サキ、説明してやってくれ」

 

「……昔の自分を見てるみたいだね」

 

 妹を見つめる笑みを浮かべたサキが、いまだきょとん顔をするアスナに説明を始める。

 

 しばらくして、ネットリテラシーの何たるかを知ったアスナが頭を抱えて蹲った。

 

「う、迂闊だったわ……学校で勉強したはずなのに、忘れてたなんて」

 

 このうっかりさんめ。

 

 どうも俺の知人はどこか抜けたりおかしいやつが多いらしい。もちろん、筆頭は俺だ。

 

「気にすんな。本名でやってるのはアスナだけじゃないだろ、たぶん……」

 

 途中、サキから鋭い視線が走り、声が萎んでしまう。いや、お前だってそうじゃん。俺もだけどさ……。

 

「あー、で、どうすんのこれから」

 

 もうみんな名乗ったよね。だから話を進めようぜ。

 

 こちとらあまりのんびりしていられない身なのだ。

 

 そんなことを考えていると、今度はキリトから肘鉄を脇にぶち込まれる。なんなの? 思春期なの?

 

「おい、ハチ。お前も名前くらい言えよ。アスナ困ってるぞ?」

 

 アスナに視線を飛ばすと、彼女は俺のほうをちらちらと見ていた。視線が合った瞬間、びくっと肩を震わせてサキの袖口を掴む。これ、泣いていいよね俺。

 

「ハチマンだ。目が腐ってるのは仕様だ。ゾンビじゃないぞ」

 

「あ、うん。ちょっと驚いただけだから。気を悪くしたならごめんなさい。ハチ君でいい?」

 

 おお、またもまともなあだ名をつけられたぞ。たぶんキリトの真似だとは思うけど。感動の涙が出そうだ。俺、そろそろヒキガエルから脱皮してもいいんじゃないかな?

 

「お、おう。好きに呼んでくれ……」

 

「分かった。じゃあハチ君で」

 

 一先ず全員が名乗り終わった。ならば解散でいいだろう。軽く伸びをしてサキを見る。サキも俺を見て一瞬頷きかけるが、首を振った。言いたいことは分かる。アスナが心配なのだろう。

 

 正直な話、俺も心配ではあった。恐らく初心者でろくに経験もなく、なのに最前線で何日も篭る程度に追い詰められていた少女を放っておくのは、まともな感性をしていればできないだろう。

 

 つまり、サキは面倒を見たいのだ。アスナに何を重ねているかは知らない。あるいは本心からの可能性だってある。俺としては、後者だと信じたいし、たぶん真実だ。

 

 依頼主がやりたいと言うのならば、俺としては断ることはできない。

 

 徐々に時間が無くなっていく。焦りもある。だが、一番はサキが思うようにやって、現実に帰ることが優先だ。俺の事情はそこに介在しない。

 

 口の中でため息する。

 

 状況が変わったのならば、計画を後回しにするしかない。

 

「んじゃ、戻るか。アスナも一旦休みたいだろ。もし気が向くのなら、今日の夕方から行われる攻略会議に出てもいいだろ」

 

 攻略会議? とアスナが訊く。

 

 答えたのはキリトだ。

 

「第一層のボス攻略のための会議が開かれるんだよ。だから、絶望するのはまだ早い。だから、君も……アスナも出てみたらどうだ?」

 

 アスナが顎に手をやって、少しの間考え込む。やがて、大きく頷いたアスナが口を開いた。

 

「私も出るわ。その攻略会議に」

 

 決意を込めた一言に、サキが微笑む。

 

「なら決まりだね。まずは身体を休めようか。ハチマン、あんたもだよ?」

 

 急に話が降って来た。なぜに?

 

 困惑しながらサキに視線で訴えると、文句ある? とドスの利いた眼力で黙らされる。

 

「あんたが最近無理してるって、あたしが知らないとでも思った?」

 

「め、めっそうもございません!」

 

 怖い。サキサキ怖い! やっぱり険取れてないよ。絶好調だよサキサキ。

 

 でも昨日はちゃんと寝たよ! 膝枕とか、膝枕とか!

 

 不穏な空気を察したか、キリトがそろりそろりとその場を離れようとする。だが、ヤンキーに戻ったサキにそんな生半可な隠蔽は通じない。

 

「キリト。あんた、どこ行く気だい?」

 

「いや~、ちょっと、ボス戦までに戦力増強するべく、レベルを上げようかと……」

 

「あんた、さっき会ったとき思ったけど、すこしやつれて見えるよ。どうせバカみたいに睡眠削ってレベル上げしてんでしょ」

 

「アバターだからやつれることなんてない――」

 

「黙りな」

 

「はい、休まさせていただきます……」

 

 サキの一喝により、四人全員宿で休むことが決定してしまった。その後ろで、アスナがくすくすと愉しそうに笑っているのを、俺の引きつった目が捉えていた。

 

 まあ、楽しそうでなによりだ。

 

さて、俺はアルゴに渡りでもつけてもらうか。

 

 ……サキが見てないうちにやらないと!

 

 

 

 

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