ソードアート・オンライン Youth in Aincrad   作:ユーカリの木

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かくして役者は揃い、最終劇の幕が開く 9

 笑い声が訊こえた。この世すべての快楽を貪る笑い声が訊こえた。

 

「すばらしい! なんとすばらしい終幕でしょうか! かようなまでに素敵な劇を私は見たことがありません! いいですとも。アルゴさんをお返ししましょう。そして皆さんの帰還をお約束しましょう! これですべての演目が終わり、幕が下ります。さあ、カーテン・フォールです!」

 

 俺はサキの身体を抱いている。抱いたまま、サキの頬に顔を寄せている。硝子となって砕け散るはずの身体がまだ残ったままだからだ。

 

 やがて、マンダトリーが異変に気づく。

 

 閉じられたサキのまぶたが開く。事態に困惑しているのか、瞳を上下左右に動かしている。それでも、俺に抱かれていることを知ると、安心したように力を抜いた。

 

 マンダトリーの声が震える。

 

「……なぜサキさんの身体がまだここにあるのです? 蘇生薬はアルゴさんから奪ったはずだというのに。一体……なぜ?」

 

 そのとき、俺はようやく笑った。これでもかというくらい、悪魔のような笑みを浮かべてマンダトリーの姿を仰ぐ。

 

 俺の手には、決してあるはずのない蘇生アイテムが握られている。そして効力を使いきったそれが、光の粒となって虚空に消えた。

 

 マンダトリーの表情に驚愕と感嘆が生まれた。

 

「まさか! そういうことですか!」

 

 ああ、そういうことだ。

 

 お前は俺とアルゴの手の平で転がされていたんだよ。

 

 今度こそ、俺たちはお前を操った。完璧に、完全に、今度こそ俺たちの勝ちだ。

 

 

 

 ――

 

 ――――

 

 ――――――――――――

 

 

 

 俺がアルゴに依頼したのは、蘇生アイテムの捜索だ。一年以上前、サキと想いを交わしたクリスマスの前日、聖夜に行われた限定イベント。その報酬である蘇生アイテムの捜索をアルゴへと依頼した。

 

 アルゴはそれを望み薄だと言った。

 

 当然だ。もう使用されている可能性の方が高い。だが、それでも俺は一途の望みを掛けてそれに縋った。

 

 アルゴは俺に何も託さずに消えてしまった。

 

 しかし、アルゴはあの日、結婚式の二次会のあの日、ユキノに伝言を残していた。きっと自身の最期を感じて、サキでも、キリトでも、アスナでも、クラインでも、エギルでもなく、ユキノへすべてを託した。きっと、マンダトリーの死角であると読んでいたのだろう。

 

 ユキノから手の平伝いに託されたメッセージはただひとつ。

 

 ――リンドが持っている。

 

 そして、俺はリンドへ会いに言った。リンドは聖龍連合の本部で俺を待っていた。

 

 リンドから渡されたのは、蘇生アイテムではなく、ただの回復結晶だった。怪訝に思った俺がリンドに問うと、彼はこう言った。

 

「フェイクアイテム事件を覚えているか? これが本物の蘇生アイテム《還魂の聖晶石》だ。アルゴは偽者を持っている。すべてアルゴが考えた替え玉だよ。あいつは、自らを囮にしてでも、これを君に託そうとしていた」

 

 そのとき、俺は何も言えなかった。俺はそこまで考えていなかった。その僅かな隙を埋めるように、アルゴは最後の欠片を生み出しはめ込んだのだ。

 

 身じろぎすらしない俺にリンドが続けた。

 

「俺はこれを使えなかった。HPがゼロになってから僅か十秒の間に使用しなければいけない。仲間の死を前にして、俺はすぐに動くことができなかった。だからこそ、俺は君にこれを託す。君なら、これまで俺たちを支えてきてくれた君なら、きっとちゃんと使ってくれると信じてこれを託す。だから頼む。この世界の人々を救ってくれ」

 

 

 

 ――

 

 ――――

 

 ――――――――――――

 

 

 

 そしていまこのとき、マンダトリーの劇を完膚なきまでに破壊し、俺は呆然と起き上がったサキと共に並んで立っている。

 

 俺は再びマンダトリーを仰いで告げる。

 

「カーテン・フォールだ。アンコールはないぜ?」

 

 マンダトリーの面貌にこれ以上ない歓喜が浮かぶ。両手を翼のように広げ、身体をそらし、満面の笑みでもってマンダトリーが宣言する。

 

「素晴らしい! なんて素敵だ! よくぞこの私を欺いた! 心から喝采しよう! 誇りに思うよハチマンくん。この想いを後世に書き綴り永遠に残したいと、こいねがうほどに。いまこのとき、私は君に最大の賛辞を贈ろう!」

 

 

 

 ――君に出会えて、本当によかった

 

 

 

「くそったれが。俺にとっちゃこれ以上ない最悪の出会いだ。二度と俺に顔見せるんじゃねえ」

 

 吐き捨てる俺の言葉など訊いていないのか、マンダトリーは全身を震わせ天井を仰ぐ。

 

「さあ、終劇です。幕を下ろしましょう。私の敗北です。これ以上無いほど、完璧なまでの私の敗北です。私はあなたたちに負けました。認めましょう。アインクラッドに生き残る全プレイヤーの帰還を。そして、このソードアート・オンラインという世界の終焉を始めましょう!」

 

 そのとき、世界が激震した。二階にいる攻略組の全員の身体が光に包まれ、そして光と共に消えていく。

 

 世界が崩壊を始める。あらゆる場所に音を立てながら亀裂が走り、轟音と共に紅玉宮の端から崩れ落ちていく。金色の鳥篭がゆっくりと下りてくる。俺とサキが鳥篭を受け止めると、用は済んだとばかりに星の輝きを瞬かせながら宙に消えた。倒れてきたアルゴをふたりで受け止める。アルゴが身じろぎ、目を瞬かせた。

 

「ん……終わったのカ?」

 

 俺とサキが、まだまどろみかけているアルゴの手を握る。

 

「俺たちの勝ちだ。最後のお前の機転が最高に嵌った。奴は負けを認めた」

 

「あたしたち、現実に帰れるよ。あんたのお陰だよ、アルゴ」

 

 アルゴがきょとんとする。状況を整理しているのだろう。あたりをきょろきょろと見渡した後、魅力的な可愛い笑みを浮かべた。

 

「どうだ、惚れたかハチマン?」

 

「サキがいなきゃ全力で惚れてたな」

 

「それは残念だにゃ~」

 

 三人で笑う。

 

「あんたもキャラ定めなって。もうすぐ現実に帰るんだから、そんなんじゃ苦労するよ?」

 

 サキの言葉にアルゴが苦笑した。

 

「これで慣れちゃったからナ。元に戻すには時間がかかりそうだヨ」

 

 ふいに、背後から足音が訊こえた。反射的に振り返ると、マンダトリーが地面に降り立ち近づいてくる姿が目に映った。思わず武器に手をかけると、マンダトリーが悪意が無いことを示すように、開いた手を上げて微笑んだ。

 

「今さら何もしませんよ。ただ少しだけ会話をしたかっただけです」

 

 世界の崩壊は続いている。紅玉宮もいまや半分以上が崩れており、大地へその身を撒き散らしている。ここもそう長くは持たない。

 

「お前とは金輪際会話をしたくないんだがな」

 

 ため息しながら言った俺に、マンダトリーが苦笑した。

 

「ひどい言い草ですね。まあ、仕方ありませんけど。ただ、ひとつだけ最後に渡すべきものがあったのでこうして会話を交わしたかったんですよ」

 

「一体なんだい?」

 

 警戒心をむき出しにしたサキが問う。乾いた微笑のまま、マンダトリーがウインドウを開いた。

 

「大したことじゃありません。あなたがたとその友人たち、九名それぞれに、各連絡先をお送りするだけですよ」

 

 一瞬、耳を疑った。

 

「おい、個人情報保護法って知ってるか?」

 

「ああ、最近廃止された法律ですよね?」

 

「廃止されてねえよ。いまも元気に施行中だボケ!」

 

 おやおや、困ったものですねえ、とマンダトリーがからからと笑う。

 

「昨今の情勢では、あなた方の情報は厳密に管理されていますからね。連絡を取ろうと思っても、連絡先を知らないと会うことすら困難ですよ?」

 

「おい、その昨今の情勢とやらはどうやって知ったんだ? お前、一応このゲームに囚われてる身だろうが」

 

 俺の質問に、今度は不敵な笑みを唇に滲ませ、マンダトリーが答える。

 

「私、こう見えてもエンジニアでして。仕様もIDもPWもすべて把握しているんです。あとはちょちょっとセキュリティを突破してやればあら不思議。現実世界のニュースが見れるんですよ」

 

 まったく、昨今のセキュリティ機器は無駄に能力高すぎるんですよねえ、超めんどくさかったですよ、とマンダトリーが疲労の混じったため息を吐き出した。

 

 もはや俺たちは唖然とする他無い。こいつ、思いのほか無茶苦茶やっていたらしい。

 

 俺とサキが同時に言う。

 

「こいつ最低だ」

 

「ここはお礼を言うところでは!?」

 

 マンダトリーが大げさに頭を抱えるが、知ったことか。今すぐ殺したいくらい憎い相手なのだから。

 

「もういいだろ。用が済んだらさっさと現実に戻せ。そして死ね。いますぐ死ね。ここで消えろ!」

 

 そーダそーダ、と拉致監禁されたアルゴが俺に続く。サキも視線で射殺す勢いで睨みつけていた。

 

 マンダトリーが首を振って苦笑する。その瞳には、かつてあった快楽と愉悦の鈍い光はなく、哀愁にも似た何かがあった。

 

「もともとそのつもりですよ。現実に戻ったとして、私は結局のところ無罪放免です。なにせ茅場晶彦という犯罪者がすべての責任を被りますからね。それはそれでいいんですが、私も後始末はきっちり行う主義ですから。このゲームと共に私も現世から消えますよ」

 

 ほう、それはいいことを訊いた。是非このまま死んでほしい。

 

 俺の考えを悟ったか、マンダトリーの苦笑がより濃いものになる。だが、すぐに微笑みに戻すと、もはや俺たちの周囲以外が崩れ去ったアインクラッドから望む世界へと視線を注いだ。

 

 その先には、ひたすらに続く蒼穹が広がっていた。いつも見上げていた空が、いまや俺たちの眼下に果てなく伸びている。どこまでも、どこまでも遠くに。

 

「私にとって、現実は退屈なものでしたよ。楽しいと思うことを実行しようとすれば、いつだって倫理や道徳、常識や法律といったものが私を阻む。だからこそ、このアインクラッドという世界は私にとっては理想郷でした。ゆえに、私のあるべき場所はここなんです。そして、死に行くべき場所もまたここです」

 

 変わらず狂った思考を披露するマンダトリーに、もはや呆れる以外に言葉がない。

 

「誰だって楽しいことはしたいものです。ただ、それを行うためのハードルが高いとき、人は飛び越えることを躊躇する。私の場合、それを躊躇しなかった。あなた方と私の違いはその程度のものですよ。いつの時代も、こんな人間はどこにだって存在します」

 

「嫌な世界だな。すぐにでもそんな人種は絶滅してくれ」

 

「それでもそんな輩を縛り付けるものが、倫理であり道徳であり、常識や法律です。或いは宗教であったりもします。そして警察を筆頭とした治安維持組織が、善良な市民を私のような輩から守るために存在します」

 

「で、何が言いたいんだ?」

 

 マンダトリーが俺を見つめる。その瞳には、この脚本を記述した演出家の最期の輝きがあった。

 

「いえ、なにも。ただ話したかっただけですよ。なにしろあなたがたは、私が書いた脚本の主演男優、主演女優、そして助演女優なのですから」

 

 足場に亀裂が入った。遂にアインクラッドが最期を迎える。落ち行く足場に立つ俺たち三人は、それぞれに抱き合って、その場に浮き続けるマンダトリーの姿を見上げる。

 

「さあ、お別れです。現実に戻っても、どうかご達者で」

 

 最期の言葉とともに、マンダトリーの身体が無数の光となって蒼穹を舞った。まるで、集まった蛍が次の居場所へ旅立つように。

 

「最後の最後まで面倒な奴だったな」ぽつりと俺が呟く。

 

「ま、悪役も悪役なりに考えがあるってことなんじゃない?」サキが俺の首筋に頬を押し当てて言った。

 

「とりあえず帰ろうヨ。現実でみんなと会うのが楽しみなんだヨ」アルゴの楽しそうな声が耳元に響く。

 

 足場が崩れ去り、俺たち三人も虚空に舞う。

 

 やがて、俺たちの意識も、ソードアート・オンラインから解放された。

 

 

 このとき、ソードアート・オンラインの虜囚となった全一万人の内、生存していた五二一九名のログアウトが完全に完了した。

 

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