ソードアート・オンライン Youth in Aincrad   作:ユーカリの木

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アルゴは必死になって比企谷八幡に呼びかける 1

 サキを家に連れ戻すことができたのは、もう日も暮れた午後五時のことだった。彼女にユキノのことを告げることもできず、私は今度こそ途方に暮れた。ハチマンにメッセージを投げても返信が無い。検索をするも拒否。《ラーヴィン》の街中で私は頭を抱えた。絶望とはこのことかと思った。

 

「おい、アルゴじゃないか。どうしたんだよ」

 

 視界に影が差した。顔を上げると、私を心配そうに見ているキリトが立っていた。

 

「なんかあったのか?」

 

 ぐにゃりと、視界が歪んだ。泣きそうになるのを必死で堪えた。

 

「オレっちの所為でサキちゃんが追い詰められタ。ハチマンがいなくなっタ。ふたりの現実での友人ユキノちゃんが、このままだと処刑されル……」

 

 キリトの眉間が、必死に言葉を噛み砕こうとするように皺が寄った。

 

「特大の緊急事態が重なってるってことか?」

 

「有体にいうと、そうだナ。ヤバイどころの話じゃなイ。最悪ダ」

 

 キリトが一度瞑目し、数瞬の後、まぶたを開いた。

 

「分かった。アスナにクライン、ディアベルを呼ぶ。緊急性が高いやつから片付けていこう。まずはその処刑ってやつが一番まずいよな。アルゴは情報筋を洗ってくれ」

 

「……わかっタ」

 

「道端じゃあれだし、場所を変えようぜ」

 

 仮想キーボードを叩きながらキリトが進む。私もそれに付いていく。頭はいまだにごちゃごちゃしているけれど、いざ仕事となると身体が勝手に動いていて、ものすごい勢いでキーボードを叩いていた。

 

「全員から返信が来た。手伝ってくれるってさ。拠点はアスナの部屋にしようぜ。提供してくれるらしい」

 

「そうカ」

 

「大丈夫か?」

 

 ウィンドウから目を離してキリトを見上げる。夜色の瞳が、心配そうに私を覗き込んでいた。どうやら、年下の少年に心配されるほど、私は参っているらしい。無理やり笑って答える。

 

「キー坊、オネーサンの心配するなんて、百年早いゾ」

 

 こんなになっても空元気はあるらしい。

 

 サキを寂寥の檻に叩き込み、ハチマンを過去の怨嗟に襲わせ、ふたりの仲を切り裂いてなお私は私を演じられている。

 

 これが恋か?

 

 これが愛か?

 

 こんなものが世で重宝されているのなら、あまりにもおぞましくて吐き気がする。

 

 なにが甘酸っぱい恋だ。

 

 なにが永遠の愛だ。

 

 こんなもの、ほの暗い井戸の底に叩き込んで永遠に蓋をしておけばいい。私がこんなものを抱いたばっかりに、二人に煉獄の苦しみを与えたのだ。

 

 なら私は一体なんだ? 魔女か? 悪魔か?

 

 違う。

 

 単なる横恋慕した悪女だ。ふたりが付き合っていないなんて、そんな事実は関係ない。ただふたりに与えた衝撃の強さが、私を悪女たらしめている。

 

 ウインドウの処理と並列して思考の深淵に沈んでいく。足はキリトの足音を辿って勝手に進んでいく。

 

 アイシアという女性が《ラーヴィン》で助けを求めている情報を得る。即座にアスナの家へ向かうよう指示を出す。気づけば、私はアスナの家のソファーに座っていた。

 

 キリトが、アスナが、クラインが、ディアベルが、私を食い入るように見つめている。思わず頭を抱えそうになって、寸でのところでそれを止めた。

 

 先にユキノに関する情報を伝える。全員がそれぞれ憤りを感じているような表情を出す。しばらくしてアイシアが訪れる。アイシアから齎された情報を全員が整理していく。

 

 だというのに、手法が全然出てこない。ユキノを助ける策が浮かばない。なぜなら、こういうことが得意な人がいないから。そして、その人を御し得る人もいないから。

 

 ハチマンとサキ、このふたりがいないだけで、私たちはこんなにも無力だ。

 

 時刻は、もう午後七時。

 

 処刑の刻限まで、残り十四時間――

 

「そいや、なんでハチがいねえ? 呼んでないのか?」

 

 クラインの何気ない言葉に、私が瞠目する。

 

「確かに、気が動転していたね。それにサキさんもいないじゃないか。一体どうしたんだい?」

 

 ディアベルがクラインに続く。事情の一端を知るキリトが慌てる。アスナがそれを敏感に察したか、難しい顔をした。アイシアは全く分からないといった様子だ。

 

「……サキちゃんは動ける状態じゃナイ。ハチマンは……たぶん、失踪しタ」

 

「あンだって?」

 

 クラインが怪訝な顔で私を見る。

 

「おい、そりゃどういうことだよ。処刑のこともヤベエけど、そっちも十分ヤベエだろ」

 

 知ってる。そんなこと言われなくても分かってる……。

 

「おい、アルゴ。なにか知ってるンなら話せって」

 

 クラインが私を問い詰める。それが善意だと分かっている。だけど、やめてくれ。

 

「うるさイ……」

 

「アルゴ? 一体どうしたんだい?」

 

 ディアベルが私の異変に気づく。

 

 もう遅い。

 

 涙が流れた。今日一日で溜め込んだ負の感情が一気に溢れた。

 

「うるさイ、うるさイうるさイうるさイ! オレっちだって訳わかんないんだヨ! どうしたらいいかわかんないんだヨ! サキちゃんが泣き叫んで、ハチマンが傷ついて失踪して、全部オレっちの責任で、今度はユキノちゃんの処刑?」

 

 それが一体何に対しての罵倒か分からない。たぶん、全部自分へ向けた罵声で、なのに行き場がないから口から言葉の弾丸となって外に出てきただけ。

 

 込めた炸薬は私へ憎悪。撃ち出す先は私の心。だから、声を出せば出すほど私の心が穴だらけになっていく。

 

「ふざけるなヨ! もういっぱいいっぱいなんだヨ! なんで今日一斉に起こるんダヨ! こんなはずじゃなかったンダ!」

 

 頭を抱えてうずくまる。涙が止まらない。嗚咽ばかりで言葉もしっちゃかめっちゃかになる。

 

「オレっちが悪いんダ! 全部、全部オレっちのせいだ! サキちゃんを苦しめたのも、ハチマンを傷つけたのも、全部オレっちが悪いんダ!」

 

 あとはもう、意味のない泣き声だけが口からまろび出る。アスナに抱きしめられた。彼女の胸で赤子のように泣いた。こんなことしている場合じゃないと頭の片隅では分かっているけれど、もう我慢ができなかった。

 

 心が悲鳴を上げていた。

 

 ――ハチマン。

 

 ――なあ、ハチマン。

 

 ――こんな無様で汚いオレっちを好きになれるカ?

 

 

 ◇◆◇

 

 

 翌午前八時。

 

 十九層、NPCすら出歩かないそんなゴーストタウンである主街区《ラーベルグ》で、ふたりの女性が走っていた。ひとりは元軍の副官ユリエール。そしてもうひとりは、黒鉄宮に閉じ込められていたはずのユキノだった。

 

 ユキノはユリエールに手を引かれてゴーストタウンを足早に駆けている。その人形もかくやと美しい面貌に浮かぶのは僅かな混乱と安堵。黒鉄宮に入れられ、処刑を待つ身であった彼女にとって、ユリエールの存在は眼前に垂らされた蜘蛛の糸同然だった。

 

 朝も早く、街の暗い雰囲気も相まってか、人影はない。ただ、朝日に照らされた建物とふたりの影だけが伸びている。ふたりは終始無言だった。

 

 そんなふたりを、建物の屋上から眺めている人物がひとり。紺のマフラーに顔を埋め、臙脂のコートをはためかせた、ひとりの男。目はもはやどす黒いを通り越して混沌と化し、人を殺めたと言われても軽く信じてしまいそうなほど濃密な殺気を漂わせていた。

 

 その男が、ふたりが自分が立つ建物に近づくやいなや、躊躇なくその場から跳躍し、宙を舞った。やがて、静か過ぎる着地音と共に、ふたりの傍に足を落す。すぐさまその身体が動いたかと思うと、ユリエールの首筋に短剣を突きつけた。

 

「止まれ」

 

 訊くものを震え上がらせる黒い声。ふたりの動きが突然止まる。ユリエールが男を見て怯える。ユキノが目を剥く。

 

「ひ、比企谷くん……」

 

 ユキノの声を無視したハチマンが、ユリエールに再度告げる。

 

「こいつを置いて消えろ。五秒だけ待つ」

 

 ユリエールが震える。瞳には、色濃く浮かぶほどの恐怖があった。それがハチマンに対してのものなのか、それとも先にある未来に対するものなのか、この場にいるものには分からない。

 

「そ、んなこと、できな……」

 

「消えろと言ったんだが?」

 

「は、話を、お願いですから、訊いて下さい」

 

 ユリエールが懇願する。ハチマンが鼻で笑った。一切人を寄せ付けない、皮肉めいた笑いだった。

 

「他人の事情なんざ知るか」

 

 ハチマンの手が閃く。

 

 衝撃音。

 

 ユリエールがノックバックにより吹き飛ぶ。ハチマンがユキノの腕を掴んだ。

 

「ひ、比企谷くん、一体何を……」

 

「黙ってろ。何も喋るな口を開くな」

 

 捲し立てるように言って、ハチマンがユキノの腕を引いて主街区の転移門へ向けて走り出した。彼女はされるがまま足を進める。その背後からユリエールの悲痛な訴え。それをすべて置き去りにして、彼は進む。

 

 転移門へ着くと、ハチマンが口を開いた。

 

「三十三層主街区《ラーヴィン》に俺の……いや、攻略組が待ってる。川崎沙希もそこに住んでる。匿ってもらえ」

 

「あなたは、どうするの……?」

 

 ハチマンがマフラーに顔を埋め、俯く。表情を見えなくした彼が、笑うように言った。

 

「どうにも、俺は人付き合いがダメらしい。ここで長く一緒にいたサキから嫌われちまったよ。現実からここまで、俺のやり方はもう間違いだらけらしい。もう理由も無くなっちまったし、適当に過ごすさ」

 

 ユキノの表情に極大の悲しみが生まれた。

 

「待って! お願い、少しでいいから私の話を訊いて!」

 

「もう何も訊きたくないし、もう誰とも話す気もない」

 

 ハチマンが身を翻して、ただ、それでも立ち止まって空を仰いだ。

 

 ああでも、と殆ど掠れた声を出す。

 

「……あいつには会いたいな」

 

 表情を隠したハチマンがユキノを見る。彼女は全身を震わせていた。

 

「行け。二度と俺は姿を見せない。清々するだろ? だからさっさと行け」

 

「訊いて、お願いだから私の話を少しだけでも……」

 

 光が走った。声を止めたユキノの喉元に、ハチマンが短剣を添えていた。これは明確な拒絶だ。

 

「訊く気はないって言ったよな。お前でも斬るぞ?」

 

 ユキノは動かない。石像にでもなったように、指ひとつ動かさない。ハチマンが焦れたように言う。

 

「行け。行けよ。早く俺の前から失せろ」

 

 瞳に懊悩を宿したユキノが首を振る。ハチマンの瞳がより一層濁っていく。もう、色などという単純なものでは表せない、人の道を外れたような腐った瞳だった。

 

「行けって言っただろ。これ以上、俺をいたぶって何が楽しいんだ?」

 

 決定的な言葉だった。ユキノの表情に諦観が生まれた。それは絶望と紙一重の感情だった。

 

 ユキノの唇が震えるまま、転移先を口にする。

 

 ユキノの身体が光に包まれて消える。残されたハチマンは、疲労の混じった息を長く、長く吐き出した。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 なにがなんだか分からなかった。気づいたらユキノが救出されて、三十三層の《ラーヴィン》の転移門にいたのだ。

 

 私たちは結局ろくな案が浮かばず、《軍》へ申し立てに行くというずさんな計画しか建てられなかった。そして集まった全員と《ラーヴィン》の転移門へ向かったときには、もう救出すべき当人が立っていたのだ。本当に、訳が分からない。過程がすっとんで結果だけを目の前に出されても、何と言えばいいのだろう。

 

 表情に色を失ったユキノが、私の姿を見つける。

 

「……アルゴさん」

 

 私はユキノの下に駆け寄る。

 

「何があったんダ? それより、どうしてここに……?」

 

 ユキノの表情が大きく歪んだ。目からは涙が流れ、嗚咽が混じる。

 

「比企谷くんが……私を助けてくれた……」

 

 驚愕。

 

 私はハチマンにその情報を伝えていない。一体、どこでその情報を知り得たのだろう。もしかしたら、他にも情報屋の伝があったのかもしれない。でも、いまはそんなことなどどうでもよくて。

 

「ハチマンは? ハチマンはどこに行ったんダ!?」

 

 私はユキノを揺さぶる。彼女は力尽きたように、か細い声で言った。

 

「十九層の、《ラーベルク》の転移門で別れたわ。もう、誰とも会わないって言って……」

 

 息が詰まった。視界が揺らぐ。確かな地面が不確かなものとなって、足元がおぼつかずにその場にしゃがみ込む。アスナが私の両肩を掴んだ。

 

「アルゴさん、ねえ、一体何があったの? ハチくんとサキさんに何があったの?」

 

 言うな。

 

「ハチマンは……」

 

 言うな。お前がそれを口にするな。

 

「サキちゃんに……」

 

 黙れ。口を開くな。楽になりたいだけだろう? 罪悪感から逃げ出したいだけだろう? そんな理由で、あのふたりの破局をお前が語る資格なんてない。

 

「拒絶されタ……」

 

 ああ、言ってしまった。なにもかもが、もうお終いだという気分になった。

 

「ンな、アホな」

 

 クラインが絶句。

 

「そんな、あり得ないよ。あのふたりだよ? 何かすれ違いがあったんだろう? でなきゃ、サキさんがそんなことするはずないさ」

 

 ディアベルが、勤めて明るい声で言う。

 

 その通り。理由がある。原因は、すぐそこで座っている私だ。私の醜い感情が生んだ醜悪な結果だ。墓穴を掘ってそこに叩き込み、永遠に日の目を見ないようにしておくべき、下らない感情が発露した結末だ。

 

 私の顔に影が伸びた。キリトが私の前にしゃがみ込んで目線を合わせた。彼の顔には少年の優しさがあった。

 

「アルゴ、つらいかもしれないけど話してくれないか? ハチは、俺の親友なんだよ。あいつがどうにかなりそうなときに、なにもしてやれないのは嫌なんだ」

 

 キリトの言葉が胸に染みた。

 

 ひとつ、嗚咽が落ちた。

 

 ハチマン。もう、私はひとりで抱えられないよ。こんなつらい思いを、ハチマンはずっとしてたのかなあ。

 

「……わかっタ」

 

 私の返答にひとつ頷いたキリトが立ち上がる。

 

「これからアスナの家に行こう。とりあえず、アイシアさんとユキノさんのふたりも来てくれ。《軍》の連中にバレるのはマズイだろうし。ひとまず居場所検索も拒否にしておいてくれよ」

 

 ユキノとアイシアがそれに答え、キリトが先導する。私はアスナに手を引かれながら足を動かした。

 

 もう何も考えていたくない。

 

 アスナの部屋に全員が集まる。私は、もうどうにでもなれという気分で、すべてを話した。一から十まで、私が知り得る限りと私の感情も、ぜんぶぜんぶ話した。誰かに断罪してほしかった。お前が全部悪いんだと、名指しで批判してほしかった。

 

「あのよぉ」

 

 最初に口を開いたのはクラインだった。

 

「とりあえず、経緯がややっこしくて整理したいんだけどよ。ハチは現実でまあ、結構しんどいことがあったと。で、現実に帰る理由がなくて、知り合いだったサキさんに助けを求められてそいつを理由とやらにした。ハチはそれにずっと罪悪感を抱いていたと」

 

 これでも十分意味分かんねえんだけどよ、とクラインはぼやきながら続ける。

 

「で、一層のことがあって、アルゴがハチに惚れた。で、そこからつい最近までは、ハチもサキさんも特に問題なく仲がよかった。でだ、ある日ハチが倒れたと。原因は、サキさんを現実に帰すためと理由探しで脇目も振らずに動き回っていたため。ここまでは合ってンのか?」

 

 私は頷く。クラインが眉間に指を押さえながら続ける。

 

「アルゴはハチを部屋に連れていって、サキさんを呼んだ。んで、サキさんとコイバナしたと。まったく、青春だよなあ。で、まあなんだ、翌々日か? ハチマンとデートに行く途中で、サキさんと会ったときは、一見すると普通だったけど、どこかおかしい気がしたと」

 

「勘みたいなものダヨ」

 

「そいつはなんでもいいわ。おめえらは二十二層に行って、ハチが現実で無くした理由の元凶つっていいのか分かんねえけど、ユキノさんに会っちまったと」

 

「ええ……そうね」

 

 ユキノが俯く。クラインの眉間に皺が生まれる。

 

「まあ、ハチマンは逃げて、アルゴはユキノさんに詰め寄って現実の話を訊いたと。で、ハチマンを追って、慰めて、二日後にサキさんが消えたことを知った。おめえらはそれで最前線に篭っていると思って向かってみたら、ハチがサキさんから拒絶された。理由はハチに苦労をさせたくなくて、きっとハチが惚れてるだろうアルゴとの仲をなんとかするために、自分との縁を無理やり切ったと。まあ、なんやかんやでいまに至る。こういうことか?」

 

「そうだナ」

 

 重い沈黙。

 

 クラインが長息した。肺の何もかもを吐き出すような、長い長い息だった。そして、言った。

 

「めんどくせえ。超めんどくせえ。なんだこれ。おい、ディアベル、キリト、アスナさんよぉ、これどう思うよ」

 

「なんというか、恋もここまでこじれると頭が痛いね」とディアベル。

 

「俺にはそういうのはよく分からない。ただ、ハチとサキさんが心配だ」とキリト。

 

「ハチくん。どうにも私にだけ妙に距離感を置いていたように感じてたんだけど、そんな理由があったんだ……」とアスナ。

 

「たぶん、ハチは異性に予防線張りまくってンだろ。そんだけ色々ありゃああもなるだろ。つーか、俺だったら発狂すンな」クラインが天井を仰いで言った。

 

 ユキノは黙ったままだ。唯一接点のないアイシアだけが、ここにいないハチマンを思ってか瞑目していた。

 

 クラインが静かに話す。

 

「まあ、オレもすげえ深い仲ってわけじゃねえけどよお。ハチにはそれなりに世話ンなってるし、そこそこ会話もしたことあるから、なんとなく分かるンだけどな。あいつ、基本人を避けてるだろ。おめえらだって覚えはあるだろ?」

 

 キリトが思い出すように俯く。アスナが頷き、ディアベルは苦い顔をした。

 

「ハチは基本人の言葉を疑う。もうすげえ勢いで疑ってやがる。でも、その例外がサキさんだったンだよ。たぶん、サキさんの言葉だけは無条件で信じてンだよ。自覚ある無しに関わらずな」

 

 ハチマンはサキに絶対的な信頼を置いている。同じぼっち同士だからなのか、好きだったからなのか、あるいは理由を預けた負い目なのかは分からない。でも、彼にしては珍しいほどの信頼を彼女へ寄せていた。

 

「ハチにも色々言いたいことはあンだけどよ、サキさんの言葉のチョイスがミスったな。マジでハチの急所ど真ん中に当てちまった。しかもそれを言ったのが信じてたサキさんその人だから、ダメージも倍増だ」

 

 そこまで言って、クラインが息を吐いた。言葉にするだけで疲労が積もったように、額に汗を流していた。

 

 でも、とアスナが静かに言う。

 

「サキさんの気持ちも分かるよ。好きで好きでたまらなくて、でも自分が重荷になるって分かってて、好きな人が別な人を好きだって分っちゃったら、どうしていいか分かんなくなっちゃうよ」

 

 つまり、とキリトがのっそりと口を開く。

 

「コミュニケーション不足ってやつか?」

 

 クラインとアスナ、ディアベルが物珍しいものでも見たような視線をキリトへ向ける。

 

「キリの字が一番言わなそうなこと言いやがった……」とクライン。

 

「キリトくんの言葉とは思えない」とアスナ。

 

「ふたりに同意だよ」とディアベル。

 

 おい、とキリトが憤慨した。

 

「俺だって色々考えてるんだぞ?」

 

 三人が笑う。なんとかこの凝り固まった空気を弛緩させようとする、苦い笑いだ。

 

 ディアベルが笑いをおさめて、ほっと息を吐き出した。

 

「人間、ほどほどっていうのが難しいからね。感情の触れ幅が大きいと、どっちかに極端になるんだよ。ハチマンにとって、感情を揺らすことがちょっと多く起こり過ぎた。それをどうにか元の形に戻さないとね」

 

 そのとき、アイシアが恐る恐るというように声を上げた。

 

「あの、私は全然無関係なんですけど、一応話していいですか?」

 

 クラインが頷く。

 

「構わねえよ。つーか、内輪の話に巻き込んですまねえな」

 

「いいえ、それはまったく。ユキノさんを助けて頂いたので、感謝こそすれ謝られることなどありません。それより、三人でもう一度お話してはいかがですか? ハチマンさんと、サキさんと、アルゴさんの三人で、もう一度、ちゃんとお話してみたら、別の結果になるんじゃないんですか?」

 

 たぶん、それが唯一の活路だ。この亀裂は、私の恋と、そして悲しいくらいのすれ違いを発端にしている。だけど、それができない。

 

 ディアベルが左右に首を振る。

 

「肝心のハチマンが消えちゃったからね。どうしようもないよ」

 

「あいつが本気で姿くらましたら、たぶんオレらじゃ見つけられねえぞ」とクライン。

 

「ただでさえ、ステルスヒッキーとかいうシステム外スキル使うからな」キリトがなぜか羨ましそうに言った。

 

「いっそ何かで釣ってみたらどうかな? ほら、ハチくんだって好きなもののひとつくらいあるでしょ?」

 

 アスナが名案を閃いたように言うが、クラインから胡乱な目を向けられる。

 

「アスナさん……そりゃさすがにハチを馬鹿にしすぎだ……あいつは魚か何かかよ」

 

 だが、それを否定する声がひとつ。ユキノだ。

 

「いいえ、ひとつだけあるわ。たぶん、彼がどんな手を使ってでも手に入れたいものが、この世界にただひとつだけある」

 

 ここまで黙っていたユキノが告げる。

 

「マックスコーヒーよ」

 

 はっと私が顔を上げる。

 

 ユキノと私以外の全員が呆然とした顔を見せ、やがて、気づく。

 

「そうか。あいつアレが好きだっつってたよな」クラインが指を鳴らす。

 

「そうと分かれば決まりだね。誰か料理スキルを上げている人はいるかい?」

 

 ディアベルが仲間を見渡す。全員が俯いた。どうやら誰も取っていないらしい。たぶん、この中で取っているのは私だけだろう。でも、それでもダメだ。

 

「オレっちもつい最近取ったばっかで、熟練度はゼロだよ」

 

「なら、サキさんに作ってもらえばいいんじゃないか? サキさん、料理スキル取ってるだろ?」

 

 キリトが何気なく発した言葉で方針が一気に固まる。

 

「ンじゃま、サキさんを説得だな。いまどうしてンだ?」

 

 クラインが私を見る。私は当時のことを思い出し、奥歯を強く噛んだ。

 

「たぶん、まだ家にいると思う。当分出てこなそうなくらい、落ち込んでたから」

 

 そうか、とクラインが頭を掻く。

 

 ディアベルが手を叩いた。

 

「とにもかくにも行動だ。サキさんのところへ行こう」

 

 

 

 時刻は正午を過ぎていた。誰もが疲労を表情の奥底に隠して、サキが住む部屋の前に並ぶ。私の後ろに、キリト、クライン、ディアベルが並んでいる。アスナはユキノとアイシアを匿うよう、キリトが依頼した。

 

 私が強張った手を解いて、玄関の扉をノックする。返事はない。もう一度ノックしても、返答はなかった。

 

 キリトが一歩踏み出す。

 

「サキさん。俺だ、キリトだ。ちょっと昼飯食いたくてさ。料理作ってくれないか?」

 

 おい、とクラインが呆れたように言うが、キリトが口許に指を一本立てた。

 

 キリトがノックする。

 

「サキさん、俺腹減ったよ。このままじゃ死んじゃうって。頼むよサキさん、この通りだ」

 

 依然として応えはない。だが、部屋の中で気配が動いたような気がした。キリトが最後とばかりにダメ押しする。

 

「サキさんが飯作ってくれないと、一層のときのこと口走っちゃうぞ。迷宮区前でサキさんがハチに膝枕を――」

 

 バン、っと壊すような力強さで扉が開いた。悪鬼の形相をしたサキが、キリトを殺すような視線でにらみつける。

 

「キリト……あんた殺されたいんだね?」

 

「やあ!」

 

 視界に入るように私たちがサキに片手を上げて挨拶する。瞬間、サキが無言で扉を閉めようと手を引いた。が、当然そこは攻略組、全員が全力で隙間に手と足を滑り込ませる。力と力が拮抗する。というか、一対四なのに、どうして扉が開かないのか納得いかない。どんだけ力が強いんだサキちゃん……。

 

「なんなんだい? いまのあたしは機嫌が最高に悪くてね。五秒以内に手をどかさないと圏外で殺すよ?」

 

 全員が、こくん、と喉を鳴らす。あまりにも迫力がありすぎて、本気で殺されると思ったからだ。ただし、ディアベルを除いて。

 

「その機嫌が良くなる方法があるんだ。入れてくれないかな?」

 

 ディアベルが爽やかイケメンスマイルをサキへ向けた。彼女の表情に怪訝。ちらりと私に目をやって、彼女がため息した。

 

「全部吐いたのかい……?」

 

 私は無言で頷く。サキが脱力したようにその場に崩れた。扉が開く。私が彼女の身体を抱く。

 

「なんなんだい? ハチマンを無理やり捨てて泣いてるあたしを馬鹿にしに来たのかい? それとも嘲笑いに来た? 罵倒したい? なんでもいいから、ほっといてよ……」

 

 怒りの表情が一転、涙を流したサキが蚊の鳴くような声で言う。キリトがばつが悪そうな顔をして彼女の前で膝を付く。

 

「入り方が酷かったのは謝るさ。でもハチに会いたいんだ。協力してくれないか?」

 

 サキがさめざめと泣く。

 

「もう会えない……来てくれない」

 

「会えるさ。俺たち、いいことを思いついたんだぜ? まるでハチみたいな奇策さ」

 

「一体なにを……」

 

 キリトがにんまりと笑う。まるでそれがすべてを覆す魔法の言葉だというように、彼は言った。

 

「マッ缶さ」

 

 サキが真顔になる。いや、訊こえた言葉があまりにも突拍子もないから、悲しみすら吹き飛んだのかもしれない。

 

「はあ?」

 

「だから、マッ缶。作ってくれよ。で、それでハチを誘き出すんだ。絶対来るぜ?」

 

 サキが顔を覆う。馬鹿馬鹿しいとでもいうように首を振った。

 

「ハチマンは蟻か何かかい……。そんな単純な男じゃ……」

 

 だというのに、サキが言葉をとめる。彼女の頭の中で、きっとこのSAOに囚われて彼と過ごした期間、そして現実で見てきた彼の姿が思い描かれている。やがて、彼女はぽつりと結論を出した。

 

「……あるかも」

 

 だろ? とキリトが笑う。

 

「だからさ、作ってみようぜ。で、ハチにメッセージを送るんだ。マッ缶があるから飲みに来ないかってさ。どうせこのままじゃ会えなくなるんだ。だったら、少しくらい足掻いたっていいんじゃないか?」

 

 ああ、とサキが笑う。泣き笑いだ。

 

「もし、もう一度会えるなら……。もし、もう一度声を訊けるなら……。やってみても、いいかなあ」

 

 

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