ソードアート・オンライン Youth in Aincrad   作:ユーカリの木

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こうして、二人はコンビになる 6

 日も落ちかかった夕暮れ時。ほのかに活気付いたトールバーナの噴水広場には、実に四十四人の命知らずの戦士達が集まっていた。残念ながらそこには俺の姿もある。働きたくねえし死にたくないよお。

 

 俺の隣にはキリトとサキ、そしてサキを挟んでアスナが横並びになって座っている。

 

 キリトが眉間に皺を寄せ、小さく「少ないな……」と呟いたのは印象的だった。

 

 俺は逆に、こうもアホが集まったことに若干の感心すら覚えているのだ。誰だって死ぬのは嫌だ。初めてのボス戦で、ガイドブックに情報はあれど、役に立つかはやはり分からない。きっと新規が多いこの状況の中、ボスという未知のMobと真正面から戦いを挑むことに恐怖のないものはいないだろう。

 

 だからこそ、俺はキリトとは逆に多いと感じた。

 

 しかし、こうも思うのだ。

 

 あるいは、これがネットゲーマーの業なのかと。誰よりも先に何よりも速く進みたい。追い抜かれたくない。追いつきたい。そうしたゲーマー特有の不安に駆り立てられているのではないのかとも感じてしまう。

 

 きっと、雪ノ下なら理由は違えど後者だろうな。あいつ負けず嫌いだし。胸の痛くなる名前を、こんなときに頭の中で出してしまう。それなのに、いくばくかの安心感と、続いてふんわりと香るあの紅茶の匂いに安らぎを感じさせられる。

 

 心の整理がついたわけではない。ただ、もう少し、あと少しと結論を先延ばしにする中で、確かな指針が僅かながらに生まれ始めているのだと思う。

 

 手を叩く音が大きく響き、よく通る声が広場に木霊する。

 

「はーい! それじゃ、そろそろ始めさせてもらいます!」

 

 長身を金属防具で固めた片手件使い。見栄えする青髪をひらめかせ、広場中央の噴水の淵にひらりと飛び乗ると、振り向いてイケメン面を晒す。

 

 俺はこの男を知っている。

 

「あれがディアベル?」

 

 サキが小声で聞いてくる。俺はそれに頷いて答えた。

 

「今日は、オレの呼びかけに応じてくれてありがとう! 知ってる人もいると思うけど、改めて自己紹介しとくな! 俺は《ディアベル》、職業は気持ち的に《ナイト》やってます!」

 

 どっかんどっかんだ。何が面白いのか、噴水近くの一団の連中が、口笛や拍手をしながらはやし立てている。まるでどこぞの地下アイドルグループのファンみたいじゃねえか。

 

 ハハハ、と快活に笑ったディアベルが演説を続ける。

 

「ここに集ってくれた最前線で活動しているみんなの時間をもらったのは、言わずもがなだと思うけど……」

 

 ディアベルが言葉を切る。さっと右手を街の彼方にそびえる巨塔――第一層迷宮区を指す。全員の視線がその塔へと向かう。ある者は憎しみを込めて、ある者はやる気に溢れ、またある者は

 

若干の恐れを滲ませながら、三者三様の感情でそれを見つめている。

 

 どうにも、なかなかに演説が上手いようだ。確実に俺ではできない芸当だ。柄じゃなさ過ぎるからやりはしないが。

 

「昨日、オレたちのパーティが、あの塔の最上階へ続く階段を発見した。つまり、明日か、遅くとも明後日には、ついに辿り着くってことだ。第一層のボス部屋に!」

 

 なるほど、とディアベルの演説を聞きながら俺は納得した。アルゴからの情報と比べ一日二日早いと思ったら、正確にはまだボス部屋は見つかってないということだったのだ。

 

 あぶね、アルゴの奴を沈めなくてよかった。ごめんねアルゴ、と心の中で謝っておく。

 

「一ヶ月、ここまで一ヶ月掛かったけど、それでもオレたちは示さなきゃならない。このデスゲームはいつかきっとクリアできるんだって!」

 

 ディアベルの言葉に熱が篭る。集った者達の視線も熱を帯びていく。まるで心がひとつにでもなったかのように、ある共通意識がはっきりと浮かんでいるように見えた。

 

 必ずクリアをするんだ、と――

 

「待っているみんなに伝えなきゃならない! それが俺たち、トッププレイヤーの義務なんだ! そうだろ!」

 

 喝采。素直に今度は賞賛を覚えた。隣のサキも、頬杖をつきながら「へぇー、やるじゃん」と言いながらどこか愉しそうだ。キリトもアスナも、控えめだが拍手をしていた。

 

 考えすぎだったか。やはり俺は物事を悪く考えすぎだったんだろう。

 

 そんな風に考えていたときだった。

 

「ちょお待ってんか、ナイトはん」

 

 場の一体感を崩したのは、やはり予想通りのモヤットボールだった。

 

 モーゼの十戒よろしく、人垣がまっぷたつに割れたその間隙をオッスオッスと進むのは、がっちりとした体格のキバオウだ。片手剣を背負った姿でのっしのっしと歩いてディアベルと対峙するように立つと、濁流のような声で続ける。

 

「そん前に、こいつだけは言わせてもらわんと、仲間ごっこはできへんな」

 

 異議あり! と俺がもう少し正義感たっぷりな葉山あたりだったのなら、こう言っただだろう。

 

やっぱなし。異議ありとかあいつ絶対に言わない。

 

 マズイ。予想がばっちし的中しやがった。なんなの。悪い勘はあたるんだ、とかよく漫画とかアニメであるけど、リアルに遭遇するとは思わなかった……。

 

 いや、よくあるよね。俺なんか予想の殆どが悪いことばかりし、よく当たるし、こんな人生もうやだ……!

 

「どういうことかな? 何にせよ、意見は大歓迎さ」

 

 余裕あふれるディアベルの言葉にキバオウがふん、と鼻を鳴らした。

 

 ――やはりか。

 

 一見してディアベルがよく出来たやつに見えるが。こいつら、確実に繋がっている。

 

 いきなりこんなことを言われてディアベルのように軽く流せる奴が、一体どれだけいる。普通は大小かならず表情が変わるはずだ。それを、ディアベルの奴は顔色ひとつ変えず、むしろ喜んでさえいるかのようだ。それも意見は歓迎という言葉を隠れ蓑にしてしまえば、聴衆は勝手に納得する。

 

 つまり、嘘臭いのだ。芝居臭い、とも言える。

 

「まったく……大した役者だな」

 

「だね」

 

 思わず呟いた言葉に、サキから同意が返ってきた。どうやらサキも同様の結論に至ったようだ。

 

 続く流れはもう分かっている。

 

 どうせベータテスターへの理不尽な要求だろう。

 

「わいは《キバオウ》ってもんや。こん中に、ワビぃ入れなあかん奴らがおるはずや」

 

 おい、頼むから予想のひとつでも裏切ってくれよ。あまりにも予想通りであくびがでそうなんだけど。

 

「詫び? 誰にだい?」

 

 ディアベルが、両手を大きく広げる。キバオウはそれを一瞬見やって、続ける。

 

「はっ、決まっとるやろ。いままでに死んでった二千人に、や。奴らが、ベータテスターが何もかんも独り占めしたから、一ヶ月で二千人も死んでももうたんや! せやろが!」

 

 場が水を打ったように静寂に支配される。そして、空気が質量でも持ったように、この場にいる者たちの身体に重く圧し掛かる。

 

「ベータ上がりの連中は、こんクソゲームが始まった日にダッシュで消えよった。ビギナーみんな見捨ててな。奴らはウマい狩場やらボロいクエストやらぎょーさん独り占めして、ジブンらだけ強うなりおった」

 

 キバオウの言葉に憎しみが滲んでいく。集まった者達の中にも、キバオウに同調するように拳を硬く握る者が多くいた。

 

 そして、隣に座るキリトは、震える右手を左手で抑えて項垂れている。

 

 胸糞悪い。

 

「どーせこん中にもおるはずや。ベータ上がりを隠して、ボス攻略に入れてもらおう考えとる小狡い奴らが!」

 

「で、土下座でもさせて金品すべて吐き出させる……。それがお前の要求か?」

 

 突如キバオウの発言を遮ったド低い声。その主に広場から視線が集中する。

 

 誰だと思った? 残念、俺でした!

 

 いきなり横合いから殴りつけられた形になったキバオウが、顔を真っ赤にして憤慨する。

 

「いきなりなんやジブン?」

 

 めんどくさいなあ。目立ちたくないなあ。でも仕方が無い、と立ち上がる。

 

 すると、サキも一緒に立ち上がった。横目で見ると、ん、とウインクを返された。やばい惚れちゃいそう。告白して玉砕して自殺するまである。自殺しちゃうのかよ……。

 

「ハチマンだ」

 

「あたしはサキだよ。こいつのツレ」

 

 サキが発言した途端、周囲の色が急に変わる。そういえば、こいつ有名だったんだっけ。こういう風に利用するのは正直なところ嫌なのだが、本人が出てくれるのならば本音はありがたい。だって視線が分散どころかサキに釘付けになってくれるし。だからサキ、ちょっと身をよじるのはやめて下さい。

 

「で、どうなんだ? 図星か?」

 

 場の空気は半々か、もしくはこちらが上回る。仕掛けるなら今だ。

 

「そ、そうや! 当たり前のことやないか!」

 

「ほお、そうか。当たり前か。じゃあこっちも当たり前のことを言わせてくれ」

 

 一度言葉を切る。次の言葉を明確に発するために。

 

「お前、アホだろ」

 

 あン?

 

 おお、超怖ええ。でもサキサキの眼力をいつも受けている俺にとってはそよ風みたいなもんだぜ。

 

 ほれ、サキ、お前の力を見せてやれ。

 

「あン! あんた、あたしのツレに文句あるわけ?」

 

 ちょっと! サキサキ! 余計な言葉つけちゃだめだから! それだとなんか誤解されちゃうから!

 

 だが、予想以上にサキのガン飛ばしが聞いたのか、ざわついていた聴衆も、キバオウも、ディアベルですら恐怖に顔を引きつらせていた。

 

 ひとつ咳払いをする。

 

 ちょっと行き過ぎた場を修正だ。

 

「つまりだ。ここでそんなことをするメリットははっきりいって欠片もない。ベータテスターは新規の連中よりはるかに情報や技術を持っている。ここで金品剥いでボス戦攻略から弾いてみろ。残りの連中でボスを倒せるか? お前にその保障ができるのか? それで人が死んで、お前はその全責任を負えるのか? 戻った後、家族に釈明できるのか? できねえだろ。そんなもん」

 

 反論を許さぬように言葉の弾丸を発射していく。

 

 まだだ、まだ続ける。今度はサキを見る。殆ど打ち合わせなどできていなかったが、サキならば悟ってくれるはずだ。

 

 サキが力強く頷く。そして、今度は先とは違って、柔らかい声で、訴えかけるように話の続きを引き取る。

 

「それとね。ベータテスターにあたしらを助ける義理も義務もないよ。あんな状況で誰かを助けるなんて、そんな崇高なことができるやつが一体何人いる? 勝手も分からないここで、一歩でも外に出れば死ぬかもしれない。ヘマをして格下の敵にやられちゃうかもしれない。怖いことだらけだ。

 

 だったら、持ちうる情報を駆使して保身に走ったっていいじゃないか。あんたはそれを責めるのかい?

 

 あんた、背格好から見るにいい大人なんだろ? ベータテスターがもし年端もいかない子どもだったとして、あんたはその子どもから恫喝して金や装備を巻き上げるのかい? そんなの、よしてくれよ。

 

 あたしはそんな世界を見たくない」

 

 空気が柔らかくなる。誰もがサキの言葉を全身で聞き、少なくない者たちは頷いて同意を示していた。

 

「発言いいか」

 

 会話の継ぎ目を縫うように、張りのある豊かなバリトンが、夕暮れの噴水広場に響き渡る。

 

 人垣の中からぬっ、っと現れたのは、身長百九十はある長身の大男だった。両手用戦斧を背につるした男の頭は、みるも爽やかなツルッツルのスキンヘッドで、肌はおいしそうなチョコレート色だった。

 

「オレの名前はエギル。まずは、サキさんと言ったか。ブラボーと言わせて頂きたい。そしてキバオウさん、オレからもあんたに言わせてもらいたい。金やアイテムはともかくとして、情報はあったと思うぞ」

 

 エギルが腰につけたポーチから、洋紙皮を綴じた簡易の本アイテムを取り出す。あれは、俺も大分お世話になったアルゴ特製のガイドブックだ。

 

「このガイドブック、あんただって貰っただろう。道具屋で無料配布してるんだからな。

 

「……む、無料配布だと?」

 

 隣のキリトが小さな声を漏らした。どうせベータテスターだから、とかそういうオチだろうな。アルゴならやりかねん。

 

「……もろうたで。それが何や」

 

 もはや負け犬に近い立場に追い込まれたキバオウが、それでも必死に噛み付くように言う。対するエギルは、大人の落ち着きでガイドブックをポーチに戻すと、大きく腕を組んだ。

 

「このガイドブックは、オレが新しい村や町に着くと必ず置いてあった。情報が早すぎると思わないか? つまり、ここに載っている情報を提供したのは、元ベータテスターだ」

 

 民衆がざわめく。当然だ。てめえらが嫌っていた連中に助けられていた事実にようやく気づいたのだから。ていうか今更気付くなんて、バカなの? 死ぬの?

 

 本当ならひとりひとりベータテスターに土下座でもすればいいのにとすら思う。

 

 なんだか思考が物騒になってきたな。落ち着こう。どうにもベータテスターに入れ込んでる節がある。知り合いに多いからだろうと思うことにした。

 

「いいか、情報はあった。なのにたくさんのプレイヤーが死んだ理由は、彼らがベテランのMMORPGプレイヤーだったからだとオレは考える。その経験ゆえに過信し、引き際を間違えた。だが今は、その責任を追及している場合じゃない。俺たち自身がこれからどうするか、どうしたいか、それがこの会議で論じられると思っていたんだがな」

 

 エギルの追撃に、ついにキバオウが折れた。いや、本音はまだ怒りが燻り続けているのだろう。大方、いま発言した連中はベータテスターだったんだとでも思っているのか。

 

 だが状況が許さない。多くの人間が、サキとエギルの声を支持した。俺はまあ、どうでもいい。がんばったんだけどなあ……。

 

 そこでようやくディアベルが動いた。

 

「キバオウさん。君の言うことも理解はできる。だけどサキさんやエギルさんの言うとおり、今は前を見るべきだろう。ベータテスターの人たちの戦力は絶対に必要だ。彼らを排除して失敗なんてしたら、なんの意味も無いじゃないか」

 

 な、そうだろう。とディアベルが聴衆に向かう。あちこちから同意の声が上がり、キバオウも大人しく下がっていった。

 

 というか、ディアベル。ナチュラルに俺をハブるのやめてね……。確かに俺がやったのは殆ど罵倒だけど。

 

「みんな、それぞれ思うところはあるだろうけど、今だけはこの第一層を突破するために力を合わせて欲しい!」

 

 喝采が上がり、こうして攻略会議はひとまず終わることとなった。

 

 実際中身のない内容ではあったが、士気だけは高まったのだろう。ただ、いちいちサキに言い寄ろうとするのはやめて欲しい。さっきから男どもが、これを好機と見てサキへ殺到しているのだ。あからさまに嫌な顔をしたサキだったが、五人ほど手酷くあしらったあたりから疲れたのか、俺の袖口を掴んで背中に隠れやがった。服のびちゃうだろうが。

 

 ひとりならステルスヒッキーで逃げられるのだが、残念ながらサキはステルスサキサキができないのだ。今度教える必要があるな。

 

 ああもうめんどくさい。

 

 サキの手を掴んで全力疾走。必死の覚悟で宿屋に逃げ込む。なぜかついて来たキリトとアスナも一緒に、ひとつのひとり部屋に四人が集まる結果となった。

 

「あはは、サキさん大人気だね」

 

 あれからサキに懐いたアスナは、サキとの距離が大分縮んだようだ。対するサキはいまだにグロッキーの様子で、俺のベッドに背を預けてぜえはあ言っている。

 

「勘弁して欲しいね。リアルじゃあんなことなかったんだけど、なんでなわけ……」

 

 おいおい、こっちが勘弁して欲しいぜ。と俺とキリトは顔を見合わせる。キリトは苦笑いしていた。

 

「お前、もちっと自覚しろ」

 

「なにをさ」

 

 サキが睨む。随分とご機嫌斜めですねえ……。

 

「サキさん美人だしね。ね、ハチ君」

 

 おおう、アスナさん。その話題を俺に振らないで。リア充じゃないからうまく返せないよ。

 

「お、おう。まあ……美人なんじゃね?」

 

「え?」

 

 ボンッと音がしたような錯覚と共に、サキの顔が熟れた苺みたいになる。

 

 その様を見たキリトが、納得したようにポンと手を叩いた。

 

「アルゴが言ってた通りだな。サキさんがハチの前だと可愛くなるっていうの」

 

「え、ちょ、やだ、顔、見ないで……!」

 

 もはや涙目になったサキが両手で顔を覆い、明後日の方向を向く。

 

 お願い、火に油を注がないで! 勘違いしちゃうから!

 

 

 

 四人で賑やかな夕食を終えた後、俺はひとり街から離れ、迷宮区へ向かっていた。目的はディアベルに遭遇できればラッキーかな、といったところだ。本来ならあの攻略会議で話したかったのだが、サキに群がる虫がうるさすぎて叶わなかったのだ。

 

 抜けるとき、サキが少し寂しそうにしてたのはちょっと意外だった。さすがに三日連続で対人訓練をやらないのはまずかっただろうか。きっとうずうずしているに違いない。今度相手するときボッコボコにされそうだなあ……。

 

 森の小道をひとり歩きながら、たびたび現れるMobを軽くあしらう。迷宮区で出現するMobでさえなければ、この程度の敵は欠伸をしていてでも倒せる程度に俺は強くなった。

 

 対人戦の技術もそうだ。サキとほぼ毎日繰り返すお陰で、もちろん俺の実力も高水準を保っていると自負している。

 

 それでも、ふと思うのだ。

 

 本当の強さとはなんだと。

 

 ステータスか? 装備の強さか? それとも敵を前にしても怯まない胆力か? 未知へと向かう勇気か? それとも、根本の心の強さなのか?

 

 そうだとしたら、俺は、最後のひとつが決定的に掛けている。

 

 小町に会いたい。戸塚に会いたい。本当は、雪ノ下や由比ヶ浜と再会して和解したい。あの尊い部屋に戻りたい。心の深層では渇望しているのはわかっている。

 

 それでも、表層が言うことを聞かないのだ。サキの物言わぬ優しさに寄りかかり、理由を預けたままのうのうと請負人面をして横に立っている。

 

 一ヶ月経っても、なにも変わらない。変わったのはサキとの表向きの関係と、ステータスや技術といったゲーム上のものだけだ。それ以外は、ゲーム開始前からなにも変わっていない。やりかたも変えられない。

 

 知らず、道を逸れて立ち止まっていた。梢の隙間から漏れ入る月の光を浴びながら、空を見上げる。生い茂る木々からは、月明かりの眩しさと木が邪魔をして星が見えない。何も見えないのだ。

 

 かさり、と葉擦れの音が届く。条件反射でステルヒッキーと《隠蔽》、そして《索敵》を走らせる。Mobが出現する場所でなにを呆けていたのだと、自身の迂闊さを呪う。

 

 短剣を抜いて構えたとき、背後から風を切断するかすかな音を耳が拾った。足を踏み出し反転気味に、勘と経験をもとに短剣を滑りこませる。重なったのは片手剣。受け流すように攻撃をパリィし、バックステップで距離を取る。

 

 殆ど影しか見えないが、どちらにせよ顔を拝むことは無理だっただろう。中肉中背のその影は、アスナと同じように全身をフードで覆っていたからだ。

 

 まさか闇討ちか? 攻略会議でちょっと調子に乗りすぎたからか? やだなあ、最近の若者は沸点低すぎだろ。

 

 再び影が迫る。俺はその様をじっくりと見据え、そのまま後ろへ飛んだ。フードの中で影がかすかに笑った気がした。愚策だと思ったのだろう。なにせ後ろには大きな樹木がそびえたっていたからだ。

 

 残念、知ってるよ。

 

 状況把握は戦闘の基本だろうが。

 

 俺は樹木を蹴って影の頭上高く飛び上がる。すぐさま背後に下りた俺は、振り向きざまに、人体の急所である腎臓を狙った。だが空を斬るのみ。軸線をずらしてかわされたのだ。

 

 ちっ、と舌打ちしてすぐさま構え直すが、距離を取った影は何もしない。

 

 てか、あっぶねえ。

 

 俺が先に攻撃したらオレンジになっちゃうじゃねえか。そしたら街に入れないし。マジ危なかった。戦闘狂になりつつあるサキサキに影響されつつあるんじゃねえの俺。

 

 影が俺を見たままゆっくりと後ずさる。俺も追うことはしない。正直いまになって心臓がバクバク言っているのだ。こんなにも早くPKと遭遇するなんて考えてもいなかった。

 

 殆ど姿が見えなくなる寸前、影がぎりぎり俺に届く声で言った。

 

「余計なことはするな。さもなくば、次は女を狙う」

 

 えらく低い声だ。まるで、声で正体がバレたくないかのような、作った声。

 

 一瞬で血がのぼる。

 

「サキに手を出すな、殺すぞ」

 

 返事はない。気配もなくなり、普段の森の装いが戻る。力を抜いて、近くの木の幹に寄りかかった。

 

 ヤバかった。あのまま再び攻撃を仕掛けられてたら、動揺してろくに何もできなかっただろう。

 

 何が技術は高くなっただ。アホか俺は。こんなんじゃ、また襲われたとき何もできない。しかも、下手をすればサキが狙われる。サキが殺されると思うとゾッとする。

 

 目的を設定しなければ動けなかったんだろう?

 

 だからサキを現実へ帰すと決めたんだろう?

 

 なのに、この体たらくはなんだ。

 

 強くならなければならない。強く、なにより強く、ステータスも技術も心も何もかも。

 

 俺には、サキ以外に縋るものが無いのだ。小町も、戸塚も、雪ノ下も由比ヶ浜も、動くだけの理由にはできない。拒絶されるのが怖くて恐ろしくて、羅針盤に据えることができない。

 

 本当に、サキしかいないのだ。なんて歪で身勝手で、心底嫌になるくらい気持ち悪い感情だ。

 

 俺は自分が好きだ。それだけは貫いてきたつもりだ。なのに、それなのに、いま、それが揺らごうとしている。

 

 俺は、自分のことが嫌いになりそうだ。

 

 

 

 しばらく惚けていた俺だったが、急にサキの安否が気になった。奴の言葉通りならいますぐ何かがあることは無いだろうが、俺を襲ってきた男の言葉を信じるほど人を信用していない。

 

 そも、すぐに動くべきだったのだ。

 

 身体の内から炎のように焦燥感が溢れ出す。

 

 バカか俺は。なに放心してやがったんだ……! 

 

 思い切り頬を叩いて走り出す。俊敏を生かした全力疾走で森を抜け町へ入る。馴染みの宿屋に飛び入り、宿になっている二階へ駆け上がった。サキの部屋の前で一度立ち止まり、猛る息を無理やり整える。

 

 頼むから居てくれよと、願うようにノックもせず扉を開けた。

 

 扉を開けると、ベッドに腰掛けていたサキが跳ね起きて攻撃的な視線を向けた。それも俺の姿に気づくと眼力を和らげ、驚いたように目を瞬かせた。

 

「ハチマン? いきなりどうしたのさ? ノックもしないなんて珍しいね」

 

 サキの言葉は聞こえなかった。

 

 サキがいる。生きている。良かった。本当に良かった。

 

 張り裂けそうなほど脈動していた心臓がキュッと縮んだように痛くなって、途端に安心したように力が抜けた。

 

 倒れそうになった俺を、慌ててサキが駆け寄って抱きとめる。

 

 普段なら、こんなときでも俺はサキを抱き返したりしない。いつも、おうおうと言葉を濁してサキが離れるのを待つのだ。

 

「……ハチマン?」

 

 今日はいつもと違った。俺の腕が勝手に動き、サキの背に回る。殆ど無意識に力を込めてサキの豊満な身体を抱きしめた。

 

 やましい気持ちはない。

 

 ただ、安堵したのだ。

 

 こうでもしないと身体を支えられないくらい、ほっとして力が抜けて、サキに寄りかかるようにして、まわした手に力を入れる。

 

 サキは何も言わず、そのまま俺を抱きしめてくれた。触れ合ったサキの体温が暖かくて、これが本当にポリゴンにテクスチャを張っただけのアバターなのかと疑うくらい、心地よかった。

 

 泣きそうになって歯を食いしばった。男が女の前で泣くわけにはいかない。親父から言われた言葉のひとつだ。いまも律儀に守っているそれを――いや、学校で泣いたこと一度だけあるがノーカンだ――いまも必死で堰き止め続ける。

 

 ふわりと、頭に気持ちい感触。サキが頭を撫でているのだ。かつて、俺がサキにしたように。サキがアスナにしたように。相手を安心させる温もりが頭にじんわりと灯る。

 

「なにか、あったの?」

 

 サキが、静かに言った。

 

 俺は何も言えず、ただ首を振る。言えない。言えるわけがない。お前が狙われそうになるなど、口が裂けても言えやしない。かつて放った言葉が現実となり、俺が怖気づいてしまったなどと。呆れられるのが怖い。お前なんかいらないと突き放されるのが恐ろしい。

 

 どうしてこんなに弱くなってしまったのだ。

 

 孤高のぼっちで、集団に属することを、人との触れあいをあそこまで拒絶し、信頼など辞書から消したこの俺が、一体どうして……。

 

 答えはある。

 

 たったひとつの、間違いのない解は、胸の奥で蓋をして眠っている。

 

 それは起こせない。起こしてはいけない。

 

 気づいてしまえば動けなくなるから。ずっと昔から感じているそれを表に出してしまえば、すべてをかなぐり捨てて縋ってしまうに違いないから。

 

 だから俺は――

 

「すまん、なんでもない……迷惑かけた」

 

 そう言って、サキから離れた。

 

 一瞬だけ瞳があって、見ていられなくてすぐに逸らす。僅かに視界に入ったサキは、心配に溢れた顔で俺をまっすぐと見つめていた。

 

 俺は、窓の外に見える月明かりを、何も考えないように息を止めて、ただ眺めていた。

 

 

 

 

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