粉砕された氷塊の表面をひとすじの水滴が伝っている。
大きくも小さくも、あるいは長くも短くもない、何の個性もない水滴だ。背景色も相まって少し紅に染まったそれは、自身が相対している世界に広がる一通りの様相を、空気と接する曲面に映し出している。例えば紙でできたスプーンの先端、例えば
ぐさり、
と器の中に盛られた、イチゴ味のかき氷に突き刺さった。水滴はにゅるりと自我を失い、他にもいくつかの紅い雫が、少しばかりふやけたスプーンの縁から滴り落ちた。それを気にすることもなく、楽郎は氷の塊を、空中でしばらく移動させ――口に、運んだ。
「なるほど」
舌の上で溶け落ちる冷たさを感じながら、楽郎は一言そう呟く。既にただの赤色の砂糖水と化しているかき氷をごくりと嚥下すると、丸形のテーブルを一つ挟んで、向かいに座る斎賀玲に言う。
「確かに、あまりイチゴ味って感じはしないね」
かき氷を口に含む瞬間だけ閉じられていたその両瞼が、いま開かれる。輝くようなその虹彩に少し気圧されつつ、斎賀玲は何とか小さく首肯した。
「やっぱり……そうなり、ますよね。えと、厳密には……香りもあるので、眼だけじゃなくて、鼻も塞いだら……もっと区別がつかなくなる……はずです」
この店はどうやら
現在、二人の
「……確かに。人間の脳って単純なもんだね」
『かき氷のシロップは色と香りが違うだけで、味としてはすべて同じらしい』。
少し高級なものに関していえば話は別だが、こういったチープな文脈で提供されるかき氷に使われるような、オーソドックスなシロップというのは……基本的に、同じ種類の砂糖水を、見た目や香りだけ帰ることで差異を生んでいるのだと。その見た目や香りの違いを見た人間の脳が、勝手に味の部分までもを、イチゴやメロンやレモンと取り違えているだけなのだと。
斎賀玲が話の流れで言及したそのトリビアは、そう知名度の低いものではない。しかし陽務楽郎は率先して器の中の氷に自賛したエナジードリンクを注ぎ込むような男だし、そもそもかき氷を食べる状況自体が少ない。こういうある程度外面を気にすべき状況でなければ、オーソドックスな――イチゴ味のかき氷を食べる機会も、訪れなかった。だから玲の予想と異なり、彼は首をかしげて説明を求めた。
「ええ……こういう錯覚って、面白い、ですよね」
それでこうなっているわけだ。
斎賀玲は内心、震えが止まらなかった。
先ほどまでの大きなヘルメットや謎の仮面すら取り除かれて、楽郎は今、完全に素顔だ。そのうえ玲も同様である。鎧と覆面、反転した性別――。そういった緩衝材を挟むことすらなく、面と向かって視線を合わせ、質問を受けている。
別に現実世界の交流で、質問をされることは何度もあった。通学路で勉強について聞かれたり――学校でもたまに。しかし改めて考えると、通学路は並び立って歩くもので、声も横から飛んでくる。学校で話すときにしたって、玲は基本的に俯いているし、身長は楽郎のほうが十センチほど高い。アイコンタクトは起きても、継続しなかった。
だからこれは以外にもはじめてだった。こんなに近い距離で、並び立つのではなく面と向かい合い、視線をそらすことも許されず、想い人に、質問される側に回るのは。
かき氷を滴る雫が自分の肌の汗と近似され、例の視界がぐるぐる回る。何か気の利いた言葉を発するべきかと、頭が混乱して止まらない。そうだ――ええと。
「考えて、みると……VRゲームも、錯覚……ですもんね」
「へぇ?」
――墓穴を掘った。
斎賀玲はそう確信した。筋金入りのゲーマーの想い人に、
「確かに――そうだね。だから、かき氷は美味いのか」
少し遠くを見ているような瞳の中に錯覚などではない確かなきらめきを見た。
瞬間、斎賀玲の背中を風が撫でた。空調設備が発した人工の風ではなく、確かに草原を駆けるような、促すような風が通り過ぎた。背中からということは南からだと、玲は同様に錯覚した。――南からの風。錯覚へといざなう、錯覚の風。をさらに受け続けている想い人に、「ですね」と小さく同意してから、玲は自分のスプーンを伸ばし、錯覚をもうひとかけら、口と自分の未来に含んだ。