さぁ!!大変遅れましたが第3話よろしくお願いします!
医者より少し話がしたい、という旨の要望を受け、円香は別室へ移動した。
「現在一色翼さんは事故のショックにより、危険を感じた脳が自分にとって特に大切な記憶を閉ざした状態にあるものと思われます」
「大切な記憶」
「はい」
「事故の衝撃で無くさぬようにと、固く鍵をかけて」
「…ッ」
忘れないために、思い出せなくなるなど、なんと皮肉なことだろうか。
「彼にとって、それだけの価値のある記憶だった、ということを忘れないでください」
「……」
じわじわと円香の視界が歪み、ピントが合わなくなる。
そうして遂に瞳から、一滴、二滴と涙の粒が川のように頬を伝う。
そんなの、私が覚えていたって。
彼と過ごしたこの数ヶ月は私にとって、かけがえのない時間だったのに。
それを事故のショックなんかに奪われて。
そして、記憶喪失の原因が彼自身の防衛本能だなんて。
この憤りを私はどうしたら……。
拳を強く握りしめ過ぎたせいで爪が食い込む、その痛みも今はどうだって良くなっていた。
彼はもっと痛かったのだから。
そんな様子の円香に、医者は深く深呼吸をしてこう言う。
「樋口円香さん、私はノクチルの、あなたのファンでした」
突拍子のない言葉。
それがどうしたの?
「……」
沈黙という返答に医者は臆することなく語り続ける。
「色々、ありましたよね、例えばデビューした年、なんかの歌番組で口パクを指摘されたり」
「ッ……」
思い出したくもない、本当に苦い記憶だ、なんだってそんなことを今。
そんな円香の心情など露知らず、医者の口から次々と語られる、それはそれは酷く苦い記憶達。
浅はかで稚拙な反抗、けれどもあの頃の自分達にとっては間違いようのない“正解”の一つだった反抗。
聞けば聞くたびに、その
そして、その輝きの側には必ず彼が居た。
暑苦しくて、頑固な彼が必ず近くに居てくれた。
そして、締めと言わんばかりに彼はこう言う。
「僕は、あの反骨精神ばかりの貴方達に救われたからこそ、今こうして医者を続けられています、これはちょっとした恩返しなんです」
そして、医者は急に破顔し、茶化すように若干声色を変えて円香に語りかける。
「あらあら、そんな顔、僕がファンだったときは見たことなかったんですがね」
気づけば涙を流しながらも頬が緩んでいたようだった。
「ッ……すみません、つい」
「良いんです、人は笑ってる時が一番良い時間ですから、それに、今見れたので僕に思い残すことはありません」
さて、と医者が手を合わせて、話を続ける。
「……何が言いたいかと言いますとですね、彼の記憶を取り戻してみませんか」
「何か方法があるんですか」
つい食い気味になってしまい、少し恥ずかしかった。
しかし、記憶を取り戻せるならば、それ以上に良いことはない。
とにかく今はその少しの希望に縋っていたい。
興味を示した円香に医者が良い顔になった、と呟き、話を続ける。
「えぇ、勿論です、それに樋口さんのあんな良い笑顔を引き出せる思い出を忘れるなんて、あまりにも傲慢っていうやつです、ファンが聞いたら間違いなく怒りますね、判断基準は主に私ですが」
「優しいんですね」
「えぇ、ファン……もといオタクですもの、応援している人の力になりたいと思うのは当然です」
胸を張り、その胸をトントンと叩いてみせると彼は自信満々といった表情のまま笑ってみせた。
そんな彼に円香は微笑み、本題からまた少しズレてしまった話の軌道修正を行う。
「それで、私が彼の為に出来ることは?」
「それはですね」
ニヤニヤと彼は言い放った。
「一緒に居ること、です」
「は?」
なんだか久しぶりに言ったような気がしたその言葉の切れ味は未だ健在だったようで、医者は少したじろぎながら返事をする。
「おぉっとふざけてなんかいませんよ、というかそれ聞くのも久々ですね、ファンの一部でとっても人気でしたよ」
「話、それてます」
「これは失敬」
若干わざとらしく咳払いをして見せ、再度彼は話し出す。
「先程、一色翼さんは脳が記憶を守っている状態にある、と言いましたよね、その理由がこちらです」
ペラ、と薄いフィルムのようなものをトレース板に貼り付ける。
「これは、脳のCTスキャン画像ですか」
「よくご存知で」
「まぁ、健康番組とかで見たことありますので…」
「さて、説明に戻りますと、なんと今回の事故で奇跡的に脳の損傷は見られないんです、神にでも愛されているのでしょうね、だから」
「その守っている記憶の中に居る私と一緒にいれば記憶が戻るかもしれない」
「流石ですね、その通りです、それに彼もわかっているはずなんです、スッポリと抜けた時間があることを」
「ふっ……なんだか、ドラマみたい」
「えぇ、これはドラマチックですよね、しかし、今現在僕達が居るのは現実です、脚本も監督も居ないんです」
「えぇ、だから結果がどうなるかは……」
「えぇ、わかりません……が、どうとでもなりますよ、全ては私達の行動の中にあるんです、どうです?」
医者は手を差し出し、決め台詞っぽくこう言った。
「僕に翼さんとあなたの幸せを賭けてみませんか」
「……ふっ、なにそれ」
その反応に、やっぱりクサかったですかね、と彼は照れくさそうに笑った。
その様子はよそに、円香はデビューしたての頃のことを思い出し、ポツリと呟く。
「昔、勝算のない賭けに興じていたんです」
「……えぇ」
「勝てるわけがない、きっとディーラーの裁量次第ですぐに負けてしまうような、そんな賭けに人生を……命を賭けていました、そして彼にこう言ったのを覚えています」
「勝算のない賭けに興じるなんて、って」
本当にそう思ってたんです、と。
そこまで言って円香は微笑み、顔を上げた。
「でも、彼と共に歩いて、WINGの出場が近づいて……怖かったけど、悪くないって思えた」
だから。
今度は。
「だから今度はきっと私の番なんです」
「樋口さん…」
「私はどれだけ小さな可能性でも必死に掴もうとする彼に憧れたんです、だから今度は私が同じことをする」
らしくなく、少しぐっ、と拳を握り呟く。
「それだけです」
「〜〜〜〜〜ッ!!樋口さん!!」
医者の瞳からはとんでもない量の涙が滝のように流れていた。
そして彼はそのままのテンションで告げる。
「全くもって幸せですね!僕の“弟”は!!」
「は?」
涙と鼻水をティッシュで拭きながら、医者は続ける。
「やっぱり、あの時名乗ったのに聞いてなかったんですね、ならばもう一度名乗らせていただきますね」
少し落ち着いた様子で向き直り、彼は言う。
「改めて一色陽向と申します、弟がご迷惑をおかけしております、これからもどうか見捨てないであげてください」
そう言うと彼とよく似た笑顔で笑ってみせた。
事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもので、目の前で起きていることに目眩さえ感じてしまった。
しかし、事態が好転しているのには間違いがない、その事実を素直に喜ぼう。
そう考え、ふぅ…とひと呼吸を置き口を開く。
「……まぁ、しょうがない人なので、あの人は」
そして、笑った。