ネクタイノオモテウラ   作:建月 創始

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第8話 もう解けない

『必ず連れてくるので、大船に乗ったつもりで居てください』

 

陽向が言ったその言葉を円香は頭の中で反芻する。

正直半信半疑だったけれど、一応事務所には来たし、翼に連絡を入れた。

ただ会ったところで、あんなこと(泥人間呼ばわり)をしてしまった以上、気まずくなるに決まっている。

だから彼は来ないし、来てほしくなかった。

それなのに。

 

「……本当に来るなんて思わなかった」

「ははっ、俺もまさか本当に居てくれるなんて思わなかった」

 

彼は来た。

今、目の前にバツの悪そうな顔をして立っている。

 

どこか胸の奥で高鳴る感情を押し殺すように左腕で右腕を体に寄せる。

 

矛盾している?

そんなの、知ってるし。

わかっている。

だから、嫌。

 

彼が口を開く。

 

「……こうしていてもなんだ……飲み物を入れよう、何が良い?」

 

同感だった。

第一、一度飲み物で流してしまわないと今は何を言い出すかわからない。

 

「コーヒー、ガムシロップ付きで」

「わかった、すぐに用意する」

 

そう言うと足早に給湯室へと彼は向かっていった。

 

そこで初めてふぅ……と全身の力を抜くことができた。

力が抜けたからか、ふとあの日のことを思い出す。

Project Originality.の企画書を渡されたあの日。

 

彼は酷い顔をしていた。

いや、一見彼の外見的には何も問題はなかった。

ただ円香にはわかる。

自分以外にわかってたまるものか。

彼が心の底から笑えては居なかったことなど。

 

そして、わかってしまった。

原因を作ったのは間違いなく自分であることが。

私のワガママが彼にとって重荷となっていることが。

そのことがわかったというのに。

私はどこまでも自分勝手で。

彼の心情を顧みずに酷いことを言ってしまった。

 

ただ彼は。

表情を歪ませた私に向けて笑ったのだ。

ステージ袖で向けてきた笑顔で。

私の拒絶を持って。

心の底から笑ったのだ。

 

その瞬間、円香は自分の行動の幼稚さに気が付き、思わずその場から逃げ出した。

遠くへ、行ってしまわなければいけないと思った。

彼の笑顔の障害となってしまうのならば、と。

彼が私に縛られないように。

 

雨の降る中、駆けた。

走りづらいパンプスは早々に脱ぎ捨て、何処かへ投げ捨て、駆けた。

どこでも良いと、駆けた。

スーツに跳ね返った泥はクリーニングに出してしまえば消える、気にせず駆けた。

アスファルトの表面はザラザラとしていた、初めて感じるそれは足の皮膚を確実に傷つけているのがわかった、それも知らないふりをして駆けた。

駆けて。

とにかく駆けて。

どこか、私が居て許される場所。

それを求めて。

辿り着いたのは。

一色陽向の勤める病院だった。

 

なんだ。

 

『助けを求めに来た』

 

結局。

 

『一縷の想いを賭けて』

 

彼のことが好きだ、ということか。

 

『たすけて』

 

抑えていた涙が溢れ出した。

視界はぼやけて、涙と雨が混じり合い、頬を川となって流れる。

 

『私は一色翼を諦められない』

 

それを思い知らされてしまった。

この行き場のない感情は静かに胸を締め付けた。

誰か受け取ってはくれないか、とも思う程に。

しかし、それは出来なかった。

自分自身が許してはくれなかったから。

相変わらず円香の恋心は一度覚えた甘美を忘れられず、永遠に求める貪欲さに塗れていて、今も心の底でそれを欲している。

他の誰(理性)よりもワガママだった。

 

ならば、と思った。

ならば諦めてたまるものか。

その欲に支配されることも厭わないこととしよう。

これは私のワガママが原因で始まったことなのだから。

 

恋はワガママを押し通した者勝ちだ。

もう、完璧を求めたりなどしない。

5割でも、3割の達成度でも良い。

とにかく彼を、好きな人(一色翼)を離さないことを目的とする。

 

だからまずは邪魔なしがらみを取り払わなければならない。

Project originality.

私と彼を分かつ理由となったそれを少しでも良いから、とにかく一度軌道に乗せきってみせる。

彼が安心できるように。

私の価値を彼に知らしめるために。

 

そう決めてから数ヶ月、死ぬ気でやって、遂に1つのユニットを実際に軌道に乗せ切ることに成功した。

社長が先んじて選別してくれていた、ユニットのメンバーには少し無理を掛けたが、その結果としては上々、といった売上も上げている。

 

しかし、翼から祝いの言葉はなかった。

やっぱり見てくれてはいないのか、と思うと悔しかった。

ただ今回のブレイクはプロジェクトとしては目を見張る程の成長。

きっと彼の視界の端には映ったはずなのだ。

私の、私とメンバーの頑張りが。

 

そう自負することができたから今日、初めて陽向に相談した。

どうすればいいだろうか、と。

少しやさぐれたような様子となっていた彼からは、直接対面で話すのが一番、だと返された。

その場も用意してやるとも言ってくれた。

とても頼もしかった。

 

……ただそれが今日だとは思わなかったが。

 

「おまたせ」

「ありがとうございます」

 

そうこうしているうちに、翼がコーヒーを持ってきた。

そのコーヒーをみて円香は首を傾げた。

 

「ガムシロップは?」

「ん?入れたけど……」

 

何を突然、と言いたげな表情を翼は浮かべコーヒーを口に含んだ。

それに同調するように若干怪訝な表情を浮かべながら円香も飲む。

 

「……え……?」

 

どこか弱々しくそう呟いた円香に翼は視線を向けた瞬間にギョッとする。

 

彼女の瞳から涙の雫が一つ二つと落ちる。

円香が、泣いていた。

 

予想外の自体に頭が混乱する。

 

なにかしてしまっただろうか?

苦すぎてしまっただろうか?

 

頭の中でグルグルと思考を回すうちに円香の涙は粒から一本の線へと変化していく。

その様子に翼は慌てながら口を開く。

 

「えっと、ごめん、ガムシロップ1.5個じゃなかったか……?」

「ちが、ちがう…、ちがわないけど……」

 

若干の嗚咽を漏らしながらそう言う円香に翼は更に焦る。

焦って落ち着かなくなっていく翼とは対照的に少し息を落ち着かせた円香が言う。

 

「私が…ッ、好きなガムシロップの量を教えたことなんて、あった?」

 

そう言われ、翼はハッとする。

 

「教えてもらってない……」

「私が教えたのは、あなたと付き合ってから、だから」

「“俺”は知らないはず」

「そう」

 

それはつまり、と恐る恐る翼は言う。

 

「記憶が断片的に、戻り始めて……る?」

 

その言葉を聞いて円香は微笑んだ。

その表情は安心と慈愛に満ちていて。

 

すきだ。

 

気がつくと、翼は円香のことを抱き締めていた。

そして、口を開く。

 

「今までごめん、たくさん迷惑をかけた、ありがとう」

「今聞きたいのは、懺悔の言葉じゃない」

 

わかってる、と呟き、再度告げる。

 

「円香、愛してる」

「私も愛してます」

 

幸せに鼓動が高鳴る。

 

「記憶はさっきの分しか、多分戻ってない」

「それは私が観測できてないだけ、きっと、もっと戻っています」

 

一人では手にできなかったこの感情。

 

「もう離したくない」

「こちらとしても離れるつもりは毛頭ありません」

 

好きだ。

 

「好きだ」

「好きです」

 

何者にも変え難い、変えさせない。

 

「暑苦しいか?」

「心地良い」

 

瞳が潤む。

 

「泣きそう」

「泣いていい、私はもう泣かない」

 

あなたの一挙手一投足を見逃さない為に。

 

「ありがとうございます」

「礼は、いらないよ」

 

いいえ。

 

「私のワガママなので押し付けます」

 

キスした。

初めて私から。

彼は私からが初めてだと気づいてくれるのだろうか。

どうでもいいけれど。

彼のファーストキスを飾れたのなら、それで。

 

キスをされた。

初めて円香から。

それが直感的にわかった。

正確な記憶はないけれど。

これが俺の円香とのファーストキスだ。

 

長い沈黙を経て、二人の唇は離れる。

 

互いに顔は紅潮し、少し息を切らしている。

 

そして、もう一度。

ネクタイを結ぶように唇を重ねる。

結び方は正しく、簡単に解けないように。

しかし、ネクタイの表裏なんて、些細なことはもう気にはしない。

歪な模様でも良いのだ。

少し個性的なだけなのだから。

___________________________________

 

「するんだ、ケッコン」

「ん」

「やは〜円香先輩照れてる〜?」

「照れてない」

「円香ちゃん!おめでとう!」

「ありがとう、小糸」

 

彼と最近見つけたカフェの海辺の景色が一望できるカウンター席に座って他愛もない話する。

他愛もない話、と言ったが結婚という点においてはかなり大きな話になる。

あの夜から実に3年間の交際を経て、遂に先日プロポーズを受けた。

 

正直一日丸々オフにして出掛けようと言われた時に勘付いていたため、どれほど暑苦しい情熱的なプロポーズをしてくれるのだろうか、と若干期待していたのだが、実際のところはシンプルにディナーの席で。

 

「結婚してください」

 

という言葉と共に、指輪をプレゼントされた。

そして私は断るわけもなく、了承して、上品に宝石で装飾された指輪は美しく今も薬指で光り輝いている。

 

「円香先輩ニヤついてる〜〜」

 

ニヤついてないし。

 

「おー樋口……いや一色円香、今しあわせー?」

 

乗るな。

 

「ぴぇっ、そういえばもうすぐ樋口は旧姓になるんだもんね……!」

 

それはそう。

 

この人生で何度聞いたかわからない、この会話。

でも今日私が返す言葉は違う。

 

「幸せ〜」

 

キャラじゃないことだって言ってしまいたくなるほど幸せだから。

___________________________________

 

翼は兄の元を訪れていた。

 

「本当にありがとう、兄さん、何度もお世話になりました!」

「良いんだよ、兄としての勤めを果たした、それだけだから」

「兄さん……」

 

それに協力したのも3年前じゃねぇか、と笑うと、わざとらしくネクタイを締めるような所作をしながら陽向は言う。

 

「……それにしても親戚に推しが入るってのは、こう……なんとも背筋が伸びるな……」

「ははっ、常に伸ばしてればすぐに兄さんなら買い手がつくさ」

「お〜?言ったな?……でも残念、背筋を伸ばさなくても、もう買い手はついてま〜す」

「え?!」

「え?!とはなんだ、え?!とは兄は高学歴高収入の女子の求める2Kを持つ人間だぞ〜?」

「ははっ、それは違うな」

「ほう、どう違うか言ってみろ」

「高学歴高収入で格好良い、3K揃ってる」

「こいつめ」

 

小さな診察室に笑い声と団欒の空気が満ちた。

これも一つの幸せの形だ、と翼は思った。

___________________________________

 

「よし、行くか」

 

ネクタイをしっかりと締め、翼は円香へ語りかける。

 

「はい」

 

それに円香は応え、彼の顔を見据える。

 

そして二人は玄関から外へと踏み出す。

 

これから二人は一つだ。

何者も解くことはできない。

もしもいつか解けてしまうとしても、それはまた結ぶための予備動作に過ぎないのだから。




ネクタイノオモテウラ、完結です。
拙い文章ではありましたが、本当にここまで読んでいただきましてありがとうございました。
良ければご感想をいただけると嬉しいです。

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