この話だけは本当に落としどころが大変でした。
ユウキがいることで変わることができたキリトの今を表すのに必要だったので。
上手く纏まっているといいなと思いながら、感想などをゆるりと待ちます。
今回かなり長めなので、慣れていない方は休憩を挟みながらを推奨します。
13000文字超えとか何を考えているんだわたしは。
キリトとユウキが借りている農家は、トールバーナ東に広がる小さな牧草地沿いにあった。
建物は大きく、厩舎と母屋の両方を合わせると、並みの一軒家を凌ぐほどだ。
敷地の脇には綺麗な小川が流れ、水車がごとんごとんと音を立てて回転している。
「ここだ。一階にNPCの人たちが住んでて、俺とユウキが借りてるのは母屋の二階だな」
「宿屋って【INN】の看板が出てるところだけだと思ってた」
「わたしもベータの時はフロア攻略だけしか考えてなかったから知らなかったわ」
「こっちが玄関だよ。さあさあ、二人とも入って入って。あ、挨拶はちゃんとするんだよー」
率先してユウキが玄関を跨ぐ。キリト、ミト、アスナの三人も続くと、中では陽気そうな雰囲気のおかみさんが満面の笑顔で出迎えてくれる。暖炉もあるのか、その近くでは揺り椅子に揺られ、こっくりこっくりと船を漕ぐお婆さんの姿があった。人の温もりを感じる家だ。
挨拶を済ませると、ユウキの後を追って、どっしりとした階段を上っていく。短い廊下の突き当たりにはドアがひとつだけあり、そこが彼らの泊っている部屋なのだと判る。
「ただいまー!」
部屋を解錠すると、ユウキが元気よく部屋へ飛び込む。次にキリトが部屋に入ると、彼女は「おかえりー!」とまるで家主であるかのように返してきた。いつものことなのか、彼は特に何かを言う訳でもなく、自然に「おう、ただいま」と返事をする。
そのやりとりに微笑ましさを覚えながら、ミトとアスナも部屋へと足を踏み入れた。
「いらっしゃーい、二人とも!」
「「お邪魔しま……広っ!?」」
部屋は予想していたよりも広かったらしい。二人は声を揃えて驚き、室内を見渡す。
「ね、ねえ……キリト君。この部屋、借りるのにいくらしたの……?」
「ん? 八十コルだな。宿屋よりは三十コルほど高いけど」
「それだけの差でここまで違うの……? いや、これ、安すぎるでしょ……」
「まあな。ベータ時代にこの部屋を見つけたんだが、正直俺も驚いたよ。
これでミルク飲み放題、ベッドが大きくて眺めも良し。さらに風呂までついてるんだからな」
「キリト、こういうところも詳しくてボクもびっくりだったよー。
こういうのをシステム外スキルって言うんだって」
ユウキが楽しそうに話す。アスナだけでなく、ミトも思わず感心してしまう。
「なるほど、これもこの世界の醍醐味」かと頷きながら、部屋の間取りを再度確認した。
部屋は最低でも二十畳は有ろうかという広さで、左右の壁にドアが設置されていた。
西の壁にはプレートが下がったドアがあり、【Bathroom】と記載されている。ちょっと変わったフォントのアルファベットだが、ひと目で見分けがつく。
「見ての通り、そっちが風呂場で、あっちが寝室だ。ミルクはそこに置いてあるから好きに飲んでくれていいぞ。飲み放題の割には結構良い味なんだよ」
「それなら一口頂くわ」
興味津々の様子でミトが早速グラスにミルクを注ぐ。そのまま一口飲むと、ぴたっと動きを止め、それから一気に中身を飲み干した。どうやら気に入ったらしい。
「意外とイケるだろ? 泊ってからずっと飲んでるんだよそれ。ちょっと工夫したあの黒パンと一緒に食べるのがオススメなんだ」
「へぇー」
ユウキの隣で話を聞いていたアスナが興味を示す。当たり前のように空腹を感じ、食欲だって湧くこの世界に置いて、食事というものは避け難いものだ。そこに、美味しい食べ方を提示されようものなら、試してみたくなるのも仕方のないことだった。
「それはそれとして、風呂には誰から入るんだ? 俺は最後で問題ないぞ」
「ボクも後で良いよー。二人が先に入っておいでー」
「それならアスナ、先に入ってきていいよ。わたしはその次で問題ないから」
「うん、それじゃあ先に失礼するね」
ぺこりとお辞儀をした後、機嫌良くバスルームへと入っていく。その背を見送ると、柔らかそうなソファにキリトは体を沈める。それ以外の調度品も素朴ながら雰囲気抜群のものばかりで、部屋の内装としてよく噛み合っていた。
他にもソファが置いてあり、ユウキも座っている。ミトも二人に倣い、ソファへ体を委ねた。
「あぁ……こんなに柔らかいソファに座ったの久しぶり……」
「悪くないだろ? 疲れた時に座るとなかなか抜け出せなくなるんだよ」
「そうね……立ち上がるの苦労しそう」
すっかりソファに骨抜きにされるミト。別の椅子ではユウキが既にふにゃふにゃに蕩けていた。
そんな二人に、キリトは苦笑しつつも、同じように体を預ける。
「そういえば」
ミトが口を開く。
「ねえ、キリト」
「ん?」
「ベータの時、最後にボス部屋に飛び込んでなかった?」
「え? なんでそれを」
「やっぱり。あのプレイヤーはキリトだったんだ。わたし、あの時いたのよ」
「いたって……うーん?」
ミトの顔をじーっと見る。当時のアバターと今の姿は恐らく違うものだ。顔を見ても判るはずがない。それでも、少しでも情報がないか見つめて、ひとつ気になった。
「なぁ、その時も大鎌を使ってたのか?」
「うん、ずっと大鎌使いよ」
「…………あっ」
そういえば、あの場にひとりだけ大鎌を奮っているプレイヤーがいたような……と思い出す。確かその人物は巨躯の男で、一見すると恐ろしい顔つきをしていて――
「おいおい、まさか……」
「ええ、そのまさかね」
「……あのアバター、ミトだったのか……」
度肝を抜かれたという顔でキリトがミトの顔をじろじろ見る。あまりにも似ても似つかない。男性プレイヤーが女性に成り切ろうとした例はよく見るが、その逆はほとんど見ない。まさか、ミトが男性アバターでベータ時代を謳歌していたとは思いもしなかった。
ぽかんと口を開き、数秒ほど
「そんなに驚くとは思わなかったわ……」
「いや、だってなぁ……」
硬直が解けたキリトが未だ信じ難そうな顔をする。それだけ衝撃的であったのだ。
ソファでふやけていたユウキもキリトのベータ時代の話を聞いていたが、当時のミトを知らない為にきょとんとしていた。どんな姿だったのだろうと考えているようにも見える。
「ところで、ベータの時って第一層のボスはどんな感じだったの?」
思考に耽っていたユウキが思い出したように当時のことを尋ねる。
「ああ、あの時は偵察戦とかあったからな。初見のボスが相手だったのもあって、何度かレイドが壊滅したぞ。斃すのに時間がかかる結構厄介な奴だった」
「《イルファング・ザ・コボルドロード》って名前のボスよ。取り巻きに《ルインコボルド・センチネル》っていう特殊なコボルドが四度に渡って三匹ずつ出てくるの」
「どのパーティーがセンチネルを抑えるのかっていうのがキモだったな」
「そうね。あとは曲刀カテゴリの長い
「ほへぇ……」
ベータ時代の知識を思い起こし、キリトとミトが説明する。聞いているユウキは、詳しく覚えている二人に感心しながら、内容を頭に叩き込んでいく。あとでアスナに話すだろうが、その時に自分が話せるくらい理解しておきたかったのだ。
「今回も相手が同じ相手かどうかは判らない。
でも、迷宮区の傾向から見て恐らく、あのコボルドロードで間違いないはずだ」
「そっちももう確認してるの……?」
「ああ、俺たちが探索してマップ情報を流した。他はこの町に辿り着いたプレイヤーが探索中だ」
「全体の……大体四割強くらいかな? それくらいはボクたちで探索を済ませておいたんだ」
「……結構潜ってたのね、二人とも」
「まあな。最前線を走る者なりにやれることはやってきたつもりだ」
「アスナ次第だけど、わたしたちもそろそろ迷宮区に潜っておくべきね……」
そうして話し込んでいるうちに、浴室のドアが開く。軽装に着替えたアスナが出てくる。
湯を堪能したのか、ほんのりと頬を赤く染め、ご機嫌な様子であった。
「お風呂どうだった、アスナ」
「最高だった……一ヵ月ぶりだったから、すごく癒された」
「それは良かった。やっぱり風呂は有難いよな。
さてと、次はミトの番だぞ」
「ええ、そうね。早速入ってくる。さっきの話、アスナにもしてあげて」
「はーい!」
ミトがお風呂場へ入っていくのを見届けると、彼女が座っていたソファに今度はアスナが座る。
柔らかなそれに驚いた顔をした様子だったが、すっかり安心したように脱力していた。
少しばかり満喫したのち、気になっていたことに対して口を開く。
「さっきの話って?」
「ああ、この層のボスの話をしてたんだ。ベータ時代の」
「そうなんだ。どんなボスなの?」
「それじゃあ、ボクが説明するよ。えっとねー」
先程の説明を思い出し、ユウキがアスナに伝える。
配下のセンチネルが合計十二体出現すること。
奥の手で曲刀カテゴリの武器を取り出して攻撃してくること。
解りやすく、端的にそれを伝えていく。アスナは聞き逃しがないよう、それをしっかり覚える。
「そういうボスなんだね」
「ああ、恐らく今回も同じボスだから、偵察戦は省かれるだろうと思ってる。
けど、武器の切り替えは最後のHPバーになるまで判らない以上、俺たち二人では確認が取れないからな。ベータの時と同じなのか確証が持てそうにない」
「武器が変わってたら、飛んでくる《剣技》も全然違うもんね。
「確かに。初めて見る技だったら対処の仕様もないわ……」
「本番は、盾を持った
「
きょとんとするアスナ。それを見て、キリトはすぐに理解する。
「もしかして、こういうゲームは初めてか?」
「うん、《POT》とか《スイッチ》はミトから教えてもらったんだけど」
「そうなのか。ならひとつずつ説明するよ。専門用語ばかりだから逐一質問してくれて構わない」
「ボクからはそれぞれの役割を教えるね」
「ありがとう、キリト君、ユウキ」
クラインよりも完全に初心者から始めたのだろうアスナに、キリトたちは知識を教えていく。
そうした会話を続けること十数分。
ミトがお風呂から上がるとユウキの番となり、そのまま順調に交代が進んでキリトの番となる。
全員が風呂上がりとなったところで、アスナが大事なことを思い出す。
「あ、わたしたち、お風呂を貸してもらった訳だけど、宿を借りてない」
「お風呂に入れることに浮かれてすっかり忘れてたわ……」
二人が現実を認識するが、外は既にかなり暗い。今から宿を探すのは大変だった。
その時、ユウキが不思議そうな顔をして訊ねる。
「あれ? 二人はここに泊まっていかないの?」
「「え?」」
「ん? ああ、俺も泊まっていくと思ってたから、俺の寝床をどうするか考えてたんだが。
ほら、寝室もかなり広くて、大きなベッドがふたつあるからさ。昨日まで俺が使ってた方で良ければ使ってくれ」
そう言われ、ミトとアスナはお互いの顔を見合わせる。
それから少し考えたのち、申し訳なさそうな声を出す。
「わたしたち、借りてる訳じゃないのに泊まっていいの……?」
「それに、キリトは何処で寝るの……? まさか床の上……?」
「いや、ソファがあるだろ。そこで寝るつもりだったんだが……」
「あ、二人とも気にしなくていいよ」
ユウキがニッコリと笑顔を浮かべる。
「キリトはボクと一緒のベッドで寝るから」
「「「……はい?」」」
1
ユウキの爆弾発言から数日後のこと。
すっかりミトとアスナの二人が一緒の部屋に泊まるようになった。
最初は遠慮がちだったりした彼女らも馴染み、いつものことになっていた。
本来なら居心地の悪さを覚えるはずのキリトも、現実世界で家族として過ごす間柄のユウキで慣れていたのか気にする素振りもない。気付くと誰も気にすることはなくなっていた。
仲を深めた四人は、キリトをパーティーリーダーに、四人パーティーを組み始めた。
現在のアインクラッドにおける迷宮区に慣れているキリトとユウキが先導と殿を努め、ミトがアスナとの連携を中心に動く形を取ることで、以前の狩りよりも安定感が強くなった。
本当の初心者だったアスナは、キリトとミトのレクチャーで知識を身に着けると、あっという間に強くなっていった。その成長速度は目を見張るもので、戦闘経験さえ補えば、元ベータテスターたちと遜色ないほどだ。
無論、ユウキもそうだった。最初こそ初心者だった彼女は、既にキリトと同格にまで育ち、咄嗟の瞬発力だけで言えば、キリトを上回るほどに成長していた。
キリトやミトも負けじとレベリングに励み、迷宮区を少しでも攻略する度に情報屋を介して新たなフロアマップや情報を提供した。それがどれだけ役に立ったのかは定かではないが、全体の攻略速度が上がっていたことは間違いない。
そうして少しばかりの時間が経った十二月の始め、二日のことだ。
とうとう迷宮区最上階にて、ボス部屋が発見されることとなった。
その栄誉を掴んだのはキリトたちではなかったが、四人にとっては喜ばしい出来事であった。
そして、その日の夕方、《第一層フロアボス攻略会議》が開かれることとなる。
今後のキリトたちが進む道を決定する、波乱の幕開けだった。
会議に集まったのは四十八人。そこにクラインたちの姿はなかった。
どうやら間に合わないそうだ。メッセージからは残念そうな雰囲気が伝わってきた。
仕方のないことだと慰め、キリトたちはトールバーナの噴水広場へと足を運んだ。
キリトとミトの予想よりも、僅かに多かった。
デスゲームとなったこの世界に置いて、最初のボス攻略でひとつのレイドが組めるほどに人数が集まると思っていなかった。ギリギリ組めない。そのくらいを想定していたのだ。
きっとこの中には、自分たちが流した情報でやってきてくれた人もいるだろう。ミトを始め、ユウキとアスナは、情報を提供してきた毎日が無駄ではなかったのだと喜んでいた。
「やったね、キリト」
「ああ、無駄じゃなかった」
ユウキの言葉にキリトは頷く。彼らは死を覚悟してまでやってきてくれた。例えそれが《自己犠牲精神の発露》でなかろうと、その事実は揺らがない。不安そうな顔こそしているが、いざ攻略会議が始まれば、それも次第に薄れていくことだろう。
「さて、何処かに座って開始を待とう。あの辺りでいいか?」
「ええ、そこで問題ない」
「賛成!」
「わたしもそこでいいよ、キリト君」
座ることにしたのは、中央の噴水が程よく見える場所。他のプレイヤーたちは思い思いの場所に座っていた為、偶然そこが開いていたのだ。三人を連れ、腰を据えようとした時、周囲に人が集まってきた。
「なあ、あんたたち! もしかしなくても、あの時助けてくれた人たちだよな!」
訊ねてきた人物に、キリトとユウキは覚えがあった。知っている顔だ。名前こそ聞いていなかったが、何処で助けたのかも鮮明に思い出せる。
「確か《はじまりの街》近くの荒野で会った……」
「そう、そうだよ! あの時は本当に助かった! 回復ポーションまで奢ってもらって申し訳ねえと思ってたんだよ! 今度借りを返させてくれ! あれから強くなったんだ! ボス戦では俺頑張るからさ、よろしくな!」
「ああ、ボス戦一緒に頑張ろうぜ」
「うん! 一緒に頑張ろう!」
お礼を口にした人物は覚えてもらえていたことに嬉しそうだった。頬を緩め、笑顔を作り、握手を求めてくる。キリトとユウキはそれぞれ握手に応じると、二人に次から救われたプレイヤーたちが次から次へ感謝を告げに来る。
彼らが自分たちの席へ戻るまで、二人はしっかりと応対した。途中、ミトとアスナに感謝する者もいた。最近助けたばかりの顔ぶれだった。命を落とさずに済んだと口々に言う彼らに、二人は――特にミトは泣きそうになっていた。
彼女もまた、キリトと同じ元ベータテスター。糾弾されることはあれど、感謝されることはないと思っていたのだ。それが今こうして喜ばれている。僅かばかりの人助けであろうと、こうして謝意を表されたことに、彼女はまるで自分が救われたかのような顔をした。
「よかったね、ミト。わたしたちも誰かを助けられたんだよ」
「……うん」
感極まって泣きそうな顔になったミトをアスナが慰める。涙脆くなったかもしれないと呟く彼女に、思わずキリトとユウキは破顔した。
それから少しして、ミトがいつもの通りの落ち着いた状態に戻った頃のことだ。
「はーい! 五分遅れだけど、始めさせてもらいます! そこ、あと三歩こっちに来てくれ!」
パン、パンと手を叩く音と共に、よく通る叫び声が広場に響いた。皆がそちらを振り返る。
実に堂々たる喋りをしたその人物は、体の各所に金属防具を煌めかせた
広場中央、噴水の縁に、助走なしでひらりと飛び乗る。その姿に、集まったプレイヤーの一部が驚嘆した。あの装備でそこまで簡単に辿り着けるということは、筋力と敏捷力が非常に高いことを示しているからだ。最前線を征くだけのことはあると言えよう。
ウェーブしながら流れる長髪を鮮やかな青に染めたその男は、かなりのイケメンだった。髪色こそ染めたものであるだろうが、現在のアインクラッドは、誰もが現実世界の顔と体躯である。つまり、向こうでも長身の上にその顔であることを示していた。爽やかな笑顔を浮かべるところなど、人受けも良い事だろう。
彼は噴水の縁に立ち、皆の注目を集めると話を始めた。
「今日は、オレの呼びかけに応じてくれてありがとう! 知ってる人もいると思うけど、改めて自己紹介しとくな! オレは《ディアベル》。職業は、気持ち的に《ナイト》やってます!」
その言葉に、噴水近くの一団がどっと沸く。口笛や拍手が起きる。茶化す声もあれど、それは決して悪いものではない。むしろ好意的なもので、場を和ませることに一役買っていた。
「さて、こうして最前線で活動している、言わばトッププレイヤーのみんなに集まってもらった理由は、もう言わずもがなだろうけど」
ディアベルの右腕が振り上げられ、その指先が、町並みの彼方にうっすらと見える巨塔、この第一層の迷宮区がある場所へと向けられる。
「今日、オレたちのパーティーが、あの塔の最上階にあるボス部屋を発見した!」
その言葉に周囲がどよめく。とうとうボス部屋が見つかったのだ。まだ最上階に続く階段が見つかったくらいだと思っていた者が少なからずいたということだろう。
「一か月。ここまで一か月もかかったけど、それでも、オレたちはここまで辿り着いた。だったら、示さなければならない。この階のボスを斃し、第二層に到着して、このデスゲームそのものをいつか! いつかきっとクリアできるんだってことを、はじまりの街で待ってるみんなに伝えなきゃいけない! それが、今この場に集まったオレたちトッププレイヤーの義務なんだ! そうだろ、みんな!」
喝采が巻き起こる。先程よりも多くのプレイヤーが拍手している。非常に立派で、非の打ちどころがない演説だ。気持ち的にナイトをしていると言ったが、今の言葉は、本当にナイトをしている者のようにさえ聞こえた。間違いない。彼は人を率いる才能があるのだ。
キリトも拍手に参加する。特にユウキに関してはノリノリだった。こういうノリが好きなのだ。
しかし、その拍手を切り裂くように、誰かの声が上がった。
「ちょお待ってんか、ナイトはん」
その場に低い声が流れ、歓声がぴたりと止む。声の主――小柄ながらがっちりとした体格の男に周囲の目が集まる。サボテンのように尖ったヘアスタイルをした男は、大型の片手剣を背負っていた。
「そん前に、こいつだけは言わいてもらわんと、仲間ごっこはでけへんな!」
男はそう言うと、前へ一歩、二歩と進み出る。ディアベルはそれに対し、顔色をほとんど変えることはなかった。やってくるその人物の好きにさせるようだ。
「わいは《キバオウ》ってもんや!」
その片手剣使いは、周囲を見渡しながら、そう名乗った。
キバオウはドスの効いた声で言葉を続ける。
「こん中に、五人か十人、詫びィ入れなあかん奴がおるはずやで」
「詫び? 誰にだい?」
ディアベルが尋ねる。キバオウはそちらを見ることなく、憎々しげに吐き捨てる。
「はっ、決まっとるやろ! 今までに死んでいった二千人弱に、や! 奴らが何もかんも独り占めしたから、一か月でそれだけの数が死んでもうたんや! せやろが!」
ざわついていた周囲が押し黙る。この男が言おうとしていることを理解したからだ。
隣にいるミトが不安そうな顔をするのが見え、アスナがそれを心配する様子が窺えた。
「――キバオウさん。君のいう《奴ら》とはつまり……元ベータテスターの人たちのこと、かな?」
確認を取るようにディアベルがそう尋ねる。キバオウがそれに対し、頷き、言葉を続ける。
「決まっとるやろ。
ベータ上がりどもは、こんクソゲームが始まったその日に、ダッシュではじまりの街から消えよった。右も左も判らん九千何百人のビギナーを見捨てて、な。
奴らはウマい狩場やボロいクエストを独り占めして、ジブンらだけぽんぽん強うなって、その後も――んや、多少の例外こそあれど、知らんぷりや!
……こん中にもおるはずやで。ベータ上がりっちゅうことを隠して、ボス攻略の仲間に入れてもらお考えてる小狡い輩が! そいつらに土下座さして、貯め込んだ金やアイテムを、こん作戦の為に軒並み吐き出してもらわな、パーティーメンバーとして命は預けられんし預かれんと、わいはそう言うとるんや!」
名前の如く、牙の一咬みにも似た糾弾が途切れる。それに対し、周囲は黙り込む。
これは言わば《処刑》だ。晒し上げ、咎めることで、悪者にしようとしているのだ。
確かにベータテスターが街から消えたことによる、のちの事態は大きかった。外へ出ることを決意したビギナーにとって、あのチュートリアルの後に戦いを行なうことは命に大きく関わることだ。どうすれば戦えるのか、それすらも把握していない。そんな者たちが外に出たところで、死を回避する術はほとんど残されていないからだ。
クラインのようにレクチャーを早々に求めた者でなければ、かなり厳しい話である。
誰かが糾弾するという、この事態はキリトが予期していた通りだった。誰もが気にはしていたことなのだ。ボス戦という最初の、最も大事なタイミングでこそ問われるだろうと確信していた。
ちらりとキリトはミトを見た。彼女は震えていた。仕方のないことだ。彼女は言っていた。アスナを生かす為に、罠にかかったプレイヤーを一度見殺しにしたのだと。
確かに犠牲になった人たちがベータテスターたちと共に行動していれば、避けられた事態かもしれない。そう、彼らの知識さえあれば。
だからこそ、キリトはそこにこの状況を打破し、ビギナーと元テスターとの間に亀裂が広がる未来をある程度回避する道があると見出していた。
ユウキを見る。彼女もまた、こちらを見ていた。心配そうな顔が見える。当然のことだ。これからキリトがやろうとしていることは下手すれば致命的なものになりかねない。家族の命が危ぶまれるものなのだから。
「少し良いか」
キリトは立ち上がった。
「なんやジブン」
キバオウの鋭い視線が、周囲の視線が全て、黒髪の剣士へ集まる。
それに対し、恐怖心が込み上げてくる。もう引き下がれない。退路は自ら断った。
キリトは深呼吸をひとつ挟み、口を開いた。
「俺はキリト。元ベータテスターだ」
その一言に広場がどよめく。まさか自分から現れると思わなかったのだ。
これにはキバオウも面食らっていた。表情をほとんど変えなかったディアベルでさえも。
「キバオウさん、あんたの言いたいことはよく解った。実際ベータテスターは、あの日街を飛び出した。俺もそのひとりだ。そのせいで、多くのビギナーが死んだことを否定することは出来ない」
「そ、そうや! ジブンらテスターどもが見捨てたから一か月でこんだけ死んだんや! 解ってんのなら、さっさと詫び入れんか!」
不意討ちを受けたような顔をしていたキバオウが我に返り、そう責め立てる。
「ああ、詫びを入れることに俺は反対しない」
「だったら――」
「――だけど」
キバオウの言葉を遮りながら、キリトは言う。
「金もアイテムも差し出すことは出来ない」
「なっ!?」
その言葉にキバオウは絶句する。そんな言葉が飛び出すとは思わなかったからだろう。目を白黒させ、固まり、それから少しして怒りの表情を浮かべた。
「何を言っとるんやジブン! ふざけとるんか!」
「ふざけてなんかいないさ。
俺の持ってるコルとアイテムは、家族と仲間を守る為に一緒に集めたものだ。
大事なものを守る為に捧げたものを、俺ひとりの判断で勝手に渡すことは出来ない」
家族と仲間。キバオウはそれを耳にすると、今にも振るいそうになった片手剣を止めた。
キリトの目は真っ直ぐだった。その目には、覚悟と家族、仲間の姿が映っている。キバオウを捉えていながら、見ているものはもっと多くのものだ。
「俺の肩にはそいつらの命がかかっている。他のベータテスターも多くは同じだろう。
彼らは、俺たちは万能じゃない。あんたと同じひとりの人間だ。守れるものには限度がある。
全てを守ろうとして、肝心の大切なものを取りこぼすことは絶対に出来ない」
「なっ……なぁっ……!」
キリトの言い分に、キバオウは言葉を詰まらせる。我ながら酷い言葉だと思いながら、それでも、守りたいものの為に必死で紡ぐ。
「それはきっと彼らも一緒だ。そのことを責められても文句なんて言えない。
けど、彼らが本当に何もしなかったかどうかはあんたも、みんなも理解しているはずだ」
ストレージから一冊の本を取り出す。それはこの場にいる全員が見覚えのあるものだ。
「あんたはさっき言ったよな。多少の例外はあるって」
「……言うたで、それがなんや」
「この本は、俺たちベータテスターがベータ時代に――いや、このアインクラッドで、もう一度確かめたもので出来ている。このフロアに湧く敵の詳細からドロップアイテム。そして、どうやって戦えば少しでも生き残ることが出来るかについてまでも、だ。
このアイテムは、様々な場所にあった。はじまりの街やホルンカ村、その他の村、このトールバーナにも」
一呼吸挟んで、キリトは続ける。
「みんなが辿り着いた頃には必ずあったはずだ。それは俺たちが誰よりも最前線を征くことへの償いに残したもの。顔も知らない誰かに少しでも生き残ってほしくて、自分たちの命を賭して作り上げたものだ。情報は、何処にだって確かにあったんだ!」
「そうだ、確かに情報はあった」
豊かな張りのあるバリトンが響き、ひとりの男が立ち上がる。
大きい。身長は百九十はあろうかという巨躯だ。頭を完全なスキンヘッドにした、チョコ色の日本人離れした男は、軽く全員に向け頭を下げると、話を再開する。
「オレの名前はエギルだ。
キバオウさん、確かにオレたちは彼らに、そこの彼にも置いて行かれた身だ。
だが、ひとつ忘れていることがあるだろう」
「忘れてること、やと……?」
「はじまりの街で、ある男が――クラインと名乗る男がいたのを覚えているか」
その名前に、キリトは驚かされた。まさかここでその名前を聞くとは思わなかったのだ。隣に座っているユウキも驚いたのか目を見開いている。
「彼はベータテスターにレクチャーしてもらったと言っていた。
その知識と経験を、知っている限り伝えようと声を張り上げていたんだ。
それがどれだけ届いたかは判らない。けど、その時点ですら情報はあったんだ」
「……クラインのやつ……そんなことまでやってたのか……」
本当に人が良い奴なんだと改めてキリトとユウキは再確認する。
その言葉が聞こえていたのか、エギルとキバオウはひとつ理解した。
クラインという男を育てたのは、このベータテスターなのだと。
「良いかみんな。オレたちビギナーは、例え一部の元ベータテスターだったとしても、ずっと彼らに支えられ、守られてきたんだ。情報はその証拠だ。
死んだ者たちは、その情報を手にできたはずなのにしなかった。或いは、他のMMOタイトルと同じ物差しでこのデスゲームを侮り、引くべきポイントを見誤ったと思っている。
これまでのこの本には、何が危険なのかさえ書いてあった。《リトルネペント》は、その代表的なものだった。つまり、彼らが何もしなかった訳ではないんだ」
そこまで続け、エギルはキリトを見た。
そこには、恐怖に屈さず立ち上がった覚悟を認める強い意志が感じ取れる。
「ここで、彼や他の元ベータテスターから戦う力を奪えば、そのしっぺ返しを受けるのはオレたちだ。その結果、この先の情報が不足し、不測の事態に備えられなくなる。
責任を取れ、と言ったが、彼らから力を奪ったせいで命を落とせば、今度はオレたちが彼らの家族や仲間の命を奪った責任を取る番になる。
そのことを、今こうして最前線に立つオレたちが忘れてはいけないんだ」
「くっ……」
エギルが諭す。思わぬ助太刀にキリトは感謝しながら、閉じていた口を開いた。
「死んでいったビギナーたちへの謝罪は、この世界を終わらせることでさせてもらう。
だから、みんなの力を貸してほしい。俺たちが信用ならないのは解っている。背中を預けるのに抵抗があるのも承知の上だ。どうしても出来ないなら、それでも構わない。
だけど、ここで俺たちが二つに分かれた時、誰が最も微笑むかは一目瞭然だ」
その意味を誰もが理解する。この場を代表するかのように、キバオウはその名を口にする。
「茅場昌彦……」
「そうだ。俺たちの対立だってあいつの思い通りになる。いや、もしかすると、それすら考慮した上でのベータテストだったのかもしれない。仮にもそうだとしたら、非テスターと、元テスターに二分した瞬間、俺たちは負けたも同然だ。
俺は元ベータテスター全員と仲良くしろ、なんて言わないよ。
けど、彼らが残したものも含めてよく考えてほしい。最後に信じられるのは、噂や偏見なんかじゃない。俺たち全員が目にしてきたものなんだ」
そうしてキリトは締め括る。ざわついていた周囲はすっかり静かになっていた。
重たい沈黙が続く、はずだった。突如として、ひとつの声が上がる。
「お、俺はあんたを、あんたたちを信じる!」
その声を上げたのは、キリトたちへ最初に感謝を口にした男だった。
彼は一生懸命に声を張り上げる。その眼には周囲から責められることへの恐れこそあったが、それでも、勇気が見て取れた。
「俺たちは彼らに命を救われた! わざわざ前の村まで戻ってきてまで様子を見に来てくれたんだ! 回復ポーションを無償で分けてくれたりもした! 安全な場所まで連れていってくれた! 情報だってたくさんもらった! 俺はその恩を仇で返すなんて出来ない!」
「そうだ! 何から何まで全部のベータテスターが悪い訳じゃない!」
「俺は知ってる! この人は大事な情報を溜め込まずにばら撒いてくれてたんだ! あの迷宮区のマッピングが早く進んだのは、この人たちが流してくれてたからなんだ!」
次々と上がる声にキバオウは気圧される。彼を、ベータテスターを擁護する者が増えていく。
その中にはキバオウとパーティーを組んでいた者の姿まであった。仲間でさえ敵へと回る。
その事実に、自らの糾弾が呑み込まれ、全員が協力する為の踏み台にされたことを痛感する。
恨めしげにキリトを睨むが、当のキリトは周囲の声に対し頭を下げていた。
決着はついた。そのことを把握したエギルは席に戻り、ディアベルが口を開いた。
「キバオウさん、君の言うことも理解できるよ。オレだって、最初は右も左も判らないフィールドを死にそうになりながら進んださ。
でも、彼らベータテスターが残してくれたものがオレの命を救ってくれた。あの迷宮区のボス部屋だって、キリトさんたちのマップデータが役に立った結果なんだ。
彼の言う通り、今は全員で協力する時だ。元テスターだからこそ持っている知識と力を必要とする時なんだ。彼らを排除したせいで、攻略が失敗したら、はじまりの街にいるみんなは今度こそ絶望してしまう」
最前線を征く者としての責務をディアベルは再度掲げる。その言葉に、周囲が深く頷く。
皆の反応にキバオウはここまでと悟ったのか、悔しそうな顔をしたのち、一言だけ添える。
「……ええわ、ここはあんさんに
でもな、ボス戦が終わったら、同じ話をまたさせてもらうで」
最後にもう一度キリトの方を睨むと、元の席へと戻っていく。
それを確認し、渦中の人だった当人も席へと座る。
隣では、今にもユウキが文句を言いたげな顔をしていた。
申し訳なさそうに頬を掻きながら、キリトはディアベルの方へと集中する。
キバオウの糾弾から荒れた会議は漸く次のステップへ進もうとしていた。
次回、星なき夜のアリアⅢ