黒耀の頂きを目指して   作:リン@ハーメルン

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原作前
第1話


 歓声が空間を軋ませる。

 私のポーカーフェイスは崩れていないかな。そんな矮小な怯えを隠すために、片目を覆う前髪を()()()()()掻き上げた。

 

『さあさあ、前年に続き今年のシンオウリーグのラストマッチもこの二人! またもや四天王杯を征し、チャンピオンに最も近い四天王筆頭! 我らがチャレンジャーの星! クロエ!』

「……よし! いくわよ皆!」

 

 クロエ……そう、私こそがクロエなんだ。

 たとえ前世の記憶があろうが、先天的な異能の力があろうが、それはクロエという存在にとって何ら支障をきたすものではなかった。

 ポケットモンスター、縮めてポケモン。人間と共生し、争い、時には崇められて畏怖される不思議な生き物たち。

 そんなポケモン達と人間が目指す頂点の一つこそ、今この場で私が向かい合う存在だった。

 小さく深呼吸をし、眉間に僅かな力を入れて、見据える先にある漆黒の煌めきから───私は決して目を逸らさない。

 逸らせるはずがなかった。

 

『そしてそして! 対するは当然この御方! 常勝無敗! シンオウリーグ史上最年少チャンピオンでありながら、誰一人として未だ破ることの出来ない生ける伝説! そして───史上最年少で四天王筆頭となったチャレンジャー……その姉君であらせられます!』

 

 知っている。嫌というほど敗北を味わった私自身が誰よりも知っているのだ。

 姉と同じく最速でジムバッジを8個集めても、姉と同じく10歳で四天王を征しても。チャンピオンという一つ限りの玉座には、ずっと姉が居座り続けていた。

 身内であり、四天王の一人であるからこそ、俯瞰する視線がどれだけ遠いかを嫌でも理解してしまう。

 

『では登場していただきましょう。我らがチャンピオン───』

 

 未来に予知した大歓声に備えて大地を踏みしめる。フィールドの向こう側から悠然とやってくる彼女……姉に、今度こそ打ち克つと決意して。

 

『───シロナァァァァァァァ!!!』

 

 続く大歓声、客席、実況にも負けないくらい、私は魂を震わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・

・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ではクロエ君、よろしく頼む」

「はい。ナナカマド博士もお元気で」

「うむ。……しかし、シンオウリーグも寂しくなる。君とシロナ君のマッチアップが暫くお預けとは」

「申し訳ありません……」

「謝罪することはない。これは個人的な私のワガママだ。もっとも、同じ思いのファンはシンオウ中にいるみたいだがね」

「それは……恐縮です」

 

 真顔のナナカマド博士に面と向かって言われてしまうと、上手く言葉が紡げなかった。

 照れ隠しに研究所の窓から外を覗くと、年端も行かない子どもたちがポケモンと戯れている。その姿に懐かしさを感じずにはいられない。不思議と口角が上がり、舌が軽やかになってしまう。

 

「そういえば、今年のサマースクールも大盛況ですね」

(みな)、将来が楽しみな子どもたちばかりだよ。そういえばオーキドくんの所でもサマーキャンプをしているようだ。都合が良ければ参加してみたまえ」 

「マサラタウンの? ……そうですね。たまには羽を伸ばしてみます」

「今の君には過ぎた言葉かもしれんが、気をつけてな」

「はい、ありがとうございます」

 

 ナナカマド博士の頷きを確認し、私は踵を返した。

 懐かしい。祖母や姉の伝手でナナカマド博士のサマースクールに参加していた記憶が蘇る。

 思い返せば、旅に出てから1年も経っていた。 

 初めは憧憬だった。同じ歳でチャンピオンとなった姉への、純粋な憧れからだった。

 しかし憧れだけで至れるならば苦労はしない。純粋であり続けるほど私の心は強くないらしかった。

 サマースクールに来ている子供たちの無垢な姿へ絆されながら、不意に思う。

 

(この子達に、素晴らしい出会いがありますように)

 

 多くの挫折を見た。皮肉にも、私は持つべくして才能を持っているらしい。

 それとなく、言外に感情をぶつけられたこともある。

 ───勝利とは、相手の敗北を背負うことだ。

 

「……さっ、行きましょうジラーチ」

「ジラ!」

 

 私の言葉に愛想よく返事をしてくれたジラーチを胸に抱え、私は今度こそマサゴタウンを後にした。

 ジラーチ。世界中でおとぎ話のような伝承が語り継がれる伝説のポケモン。

 1000年に7日間しか目覚めず、出会った者の願いを叶えてくれるという。悠久に等しい眠りの時間は、願い成就のエネルギーを貯めるためとも考察されている。

 そんなジラーチが、こうして私の友達としてごく普通に生活している理由は至極簡単。その眠りによって龍脈から吸収するエネルギーを、私のサイコパワーで代替しているからだ。

 

「じゃあジラーチ、テレポートするわよ」

 

 小さく頷くジラーチと一緒に、私は自宅へとテレポートをした。

 見慣れた自室だ。よく言えば質素、率直に言えば生活感がない。

 月に数度、寝る為にしか帰宅しない我が家には最低限の家具家電しか置いてなかった。おいしい水をストックする為だけの冷蔵庫、壁掛けのテレビとベッドソファ。長ければ数ヶ月も留守にする自宅だが、不思議とホコリは被っていなかった。

 ジラーチも慣れたもので、ぐで~とソファに身を預けた。この子の順応性には助かってばかりだ。

 私はといえば、鞄から取り出した雑誌とにらめっこをしている。

 

『四天王クロエ惜敗! チャンピオン・シロナの伝説崩せず引退か───』

 

 雑誌には、無様に負けた私の試合がありありと載せられていた。

 戦術も、戦略も、ポケモンの選出やコーチングも何もかもを引き出したチャンピオン奪還戦。それでも姉には届かず、前年に続いて連敗を記録した。

 

(引退、かあ。この後どうしようかな)

 

 引退。読んで字の如く、引いて退く。つまりは四天王を辞するということ。

 私がチャンピオンの妹ということもあり、歴代興収に連ねるほどの衆目を浴びた今年のシンオウリーグで私は持てる全てを出し切った。そして……勝てなかった。

 だからこその引退宣言だった。十歳で旅立ってから一年、二度のシンオウリーグを経験し、未練こそあっても後悔はなかった。

 今でも姉と公式戦で戦えるのならすぐに戦いたい。けれど今のままでは駄目だ。姉にあって私にないもの、それが截然としているからこそ、退嬰に苛まれた自分を変えなければならない。

 

「ジラーチ、カントー地方はポケモンリーグの総本山なのよ。もしかしたら、お姉ちゃんと同じくらい強い人がいるかもしれないわね」

「ジラ? ジラジラ!」

「う〜ん確かに皆を連れていきたいけれど……あの子達はしばらくお休みよ。万が一、バトルでの疲労があるかもしれないから」

 

 ナナカマド博士に預けているポケモンたちは、自然に近い環境で伸び伸びと過ごしているはずだ。バトル後の自覚しない怪我や疲れも懸念点だから、今回はジラーチと私だけの旅行となる。

 思えば、ジラーチとの出会いから今日に至るまで、あっという間に思えた。

 多く語ることはない。旅に出る前、実家のカンナギタウンで代々受け継いできた巨大な水晶が、ジラーチのタマゴであり、それを孵化させたのが私だったというだけのこと。

 眠りについていたのではなく、未だ産まれたことのないジラーチの育て親となり、姉となり、親友になったというだけの話だ。

 当然、旅に出た最初のポケモンもこの子だった。そして8つのバッジを集め、四天王杯を征し───チャンピオンを目指すポケモンたちの中でも一番の相棒と断言できる。公平に振る舞うことを心がけていても、ジラーチは私にとって一番のパートナーであることだけは確かだった。

 それでも、勝てなかった。私にとってのジラーチのように、姉にとってのガブリアスは絶対的なエースだ。いつもあと一歩のところで姉とガブリアスが立ち塞がってくる。

 ジラーチが負けているわけではない。私の実力も、自惚れ抜きでも姉に届きうると確信している。では姉と比べて私に何が足りないのかと自問すれば───私はまだ『世界』を知らなかった。

 

「ほら、これが新しいポケモン図鑑のプロトタイプよ。あの日、旅立ったときのことを思い出さない?」

 

 先程、ナナカマド博士から受け取った研究用のポケモン図鑑をジラーチに見せてあげる。ポケモン図鑑は一緒に旅立つポケモンと同じように、トレーナーの門出を象徴するものだ。

 なんという奇縁だろうか。四天王を辞して再スタートする私が、研究用ではあっても新しいポケモン図鑑を持って未知なる地方に足を踏み入れることになるとは。まだまだ探究心がくすぶり続けている自分がいることに、私自身も驚かされてしまう。

 そんな私の胸中を見透かしているのか、ジラーチは笑顔で頷いてくれた。サイコパワーが無くても分かる。この子もまた、再出発に思いを馳せていると。

 

「さっ! 明日は朝イチで空港に行きましょう。おやすみ、ジラーチ」

 

 そういえば、マサラタウンは()()の実家だったはず。せっかくだからサプライズでもしてみようかしら?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マサラタウン。マサラは真っ白、始まりの色。

 豊かな自然はポケモンたちにとって暮らしやすい環境であり、極端な熱暑や零下もない。

 言い方を変えれば田舎とも言える。風光明媚な街並みを目当てに観光客が僅かにいるかも知れないが、殆どの場合はオーキド研究所が目的だ。

 ポケモンセンターもフレンドリィショップもない。コンテスト会場などもってのほか。

 そんな田舎街が、今日は一段と騒々しかった。

 マサラタウンで生まれ育ったシゲルはなんとなくわかる。住民たちは浮かれていた。いや、住民だけではない。マサラタウンで見かけない人々が、民宿やビジネスホテルから続々とオーキド研究所の前に集まってくる。

 

「あら~、シゲルどうしたの?」

「姉さんか。いや、今日はいつもより研究所への観光客が多いなと思ってね」

 

 シゲルは不自然な人だかりに首を捻った。そしてなんとなく……そう、なんとなく人混みのなかで小さな人影を探してみる。あの生意気で、意地っ張りで、負けず嫌いの幼馴染を。

 シゲルの様子に得心の行ったナナミは、これ幸いにニヤリと笑った。

 

「そうね〜見た感じ、子供はそう多くないみたいよ。サトシ君はいないんじゃないかしら~」

「べ、別にサトシの奴なんか……それより! 姉さんは人が集まる理由を知ってるのかい?」

「ええ、勿論。それは───実際に見たほうが早いわね~」

「見たほうが早い?」

 

 ナナミが指差すと同時に、人混みが一段と騒がしくなった。

 彼らの視線の先には、見たこともないポケモンを連れたポケモントレーナーがいる。年齢は若い。旅立ったばかりのトレーナー達と比較的変わらない年頃に見えた。

 けれど人がこうまでして集まる理由が分からなかった。珍しいポケモンを連れていることには違いない。しかし、それだけだ。旅立つまで後五年も待たなければならないシゲルにとって、珍しかろうがなんだろうが、ポケモンであれば何でも羨ましかった。

 

「本当にカントーまでやってくるとは……」

「引退の噂は本当だったのか」

「いや、もしかしたらセキエイ大会に出るのか? まさかカントー四天王を狙ってるんじゃ……」

 

 シゲルは首を傾げる。色めき立つ群衆の不穏な言葉は、想像していたスケールを遥かに超えていたからだ。

 

「姉さんは知ってるのかい? あの人のこと」

「勉強不足ね〜。彼女は『今もっともホットなポケモントレーナー』で2年連続1位なのよ?」

「それゴシップ誌のやつじゃないか……もったいぶらず教えてよ」

「シゲルもまだまだね〜。彼女はクロエ、シンオウリーグの四天王よ。側にいるジラーチは彼女のエースね」

「四天王!?」

 

 流石のシゲルも、ナナミの言葉に驚きを隠せなかった。

 ポケモンリーグにおいて、四天王はチャンピオンに準ずる実力者たちだ。生涯を費やしても四天王にすら挑めないトレーナーが大多数である。当然、四天王杯を勝ち抜きその座を掴んだとなれば、地方のみならず世界でも有数のトレーナーである証左だった。

 そんなトレーナーの憧れの星に、年端もいかない少女が至っている。ましてや、旅に出たばかりの少年少女と変わらない子供が。その事実にシゲルは愕然とした。

 

「残念だけれど、四天王の前に『元』が付くの。ナナミ久しぶりね」

 

 気付けば、クロエと呼ばれた少女が人を割ってすぐそばに佇んでいる。ドキリとして後ずさるシゲルとは対照的に、ナナミは呑気に惚けていたが。

 

「えぇ〜もったいなーい! 本当に辞めちゃうのね〜。ほーらシゲル、挨拶なさい」

「あ、あぁ。その……シゲルです」

「初めましてシゲルくん。紹介してもらった通り、元四天王のクロエです。そしてそこの呑気なお姉さんの……多分、友達よ」

「あっ、ひどーい」

 

 右目を前髪で隠したミステリアスな容姿とは裏腹に、口調はどこか軽快な人物だった。姉であるナナミよりも冷静、けれど真面目すぎずユーモアもある。

 クロエのポケモンらしき、三つの短冊が頭に垂れた謎のポケモンはシゲルの周囲をクルリと回ると、ナナミへと嬉しそうに飛び込んでいった。察するに、クロエとそのポケモンはナナミとは知己であるらしい。

 

「ジラジー!」

「あ~ら久しぶりねジラーチ。この前は惜しかったわねぇ、試合はちゃんと見てたわよ〜」

「まあ負けちゃったのだけれどね。人目もあるし、そろそろ行きましょうか。()()も早くお披露目したいもの」

「それは……!」

 

 シゲルは驚いた。茶目っ気のあるウインクとともにクロエが取り出したものは、おいそれと手に入る代物ではなかったからだ。

 

「あら、本当に()()()なかったのね〜」

「ポケモンの、タマゴ……」

「噂に違わずシゲルくんは勤勉ね。その通り、これはポケモンのタマゴです。それもとっておきのね。さっ、とにかく研究所へ入りましょうか」

 

 クロエのバックパックから取り出された孵化装置の中には、未だ孵っていないポケモンのタマゴが鎮座していた。オーキド博士という偉大な祖父を持つシゲルでさえ、滅多にお目にかかれないポケモンのタマゴが、だ。

 人間に知られることなく、どこからともなくポケモンたちはタマゴを持ってくる。その謎を専門に研究している者も多いと聞く。

 シゲルは瞠目した。生まれて初めて、ポケモンのタマゴを肉眼で捉えたことに感動さえ覚えていた。

 

「お久しぶりです、オーキド博士」

「ジラ!」

「おぉ〜クロエくん、そしてジラーチ。待っておったぞ。例の図鑑は?」

「こちらです。パスワードは……」

 

 祖父とクロエが込み入った会話をしていたが、シゲルは上の空だった。時折、孵化装置の中で揺れるタマゴに一喜一憂する。

 クロエから孵化装置を預かったナナミは、ニコニコと微笑ましく弟を見守っていた。

 年不相応に聡明で、幼馴染の男の子以外には子供らしく振る舞っていても、どこか達観している弟だった。それがこうして、幼さ特有の好奇心からタマゴを観察していることに安堵を覚えたのだ。

 

「シゲル、そんなに気になるなら触ってみる?」

「えっ、でも……」

「大丈夫よ。ほら、優しく抱いて上げなさい」

 

 孵化装置からタマゴを取り出したナナミに諭され、シゲルはタマゴを受け取った。

 普段は脳天気な姉だが、これでもポケモンコーディーネーターとしてそれなりに有名らしく、タマゴの扱い方は様になっている。危うげなく受け取れたシゲルは、ほんのり姉を見直した。

 

「ほら、不思議でしょう? タマゴなのに元気良さそうよね~」

「うん。まだ生まれてないのに、まるで生きてるみたいだ」

「あら、随分と哲学的ね~」

「茶化さないでくれよ」

 

 温めているはずのシゲル自身が、タマゴによって温もりを与えられるという不思議な感覚だった。

 時折、なにかの意思表示をするかのように揺れる。自分はここにいると叫んでいるのか、はたまた遊ぼうと誘っているのか。どちらでも構わない。ただ、これから生まれる命に祝福があればと祈るだけだった。

 

「───ですからOSはいずれ統一していく必要が……」

「ふむ、図鑑の多機能化か。もはや図鑑としての範疇には留まらないのかもしれんの」

「はい。いずれはシルフやデボン以外の新規参入が見込めるかもしれません……あら? 博士、あれを」

「ん? おぉ、アレが君の言っていたポケモンのタマゴじゃな?」

「ええ。少し様子を見てみませんか?」

「そうだの。おーいシゲル、ナナミ」

「は~い」

 

 オーキド博士に呼ばれ、ナナミは気の抜けた返事をして席を立つ。シゲルも卵を抱えたままナナミの後を追った。

 

「ナナミ、どうかしら」

「楽しみよ〜。ほら、シゲルったらあんなに真剣になっちゃって」

 

 ナナミが指差す先には、子供らしからぬ真剣な眼差しでタマゴを見つめるシゲルがいる。

 クロエは感心した。自分がシゲルくらいの年頃は無邪気に遊んでいた記憶しかない。いや、クロエに限らず大体の子供は夢と希望に満ち溢れているものだ。掌中で揺れる命の重みを尊いものだと、シゲルは理解しているのだろう。

 

「お祖父様、このタマゴからはどんなポケモンが生まれるんですか?」

 

 いつになく真剣なシゲルの問いかけに、祖父であるオーキド博士は逡巡した。数瞬の間を置いてから、おどけたように言う。

 

「おぉそうじゃったな。クロエくん、このタマゴはどんなポケモンから齎されたのかな?」

「『しんかポケモン』のイーブイです。一向に孵化する兆しがないので、ナナミへの誕生日プレゼントにと持ってきたのですが……」

「そうなのよ〜。でもほら、シゲルにとってもいい経験じゃない? だから私だけじゃなくて、家族として育てていけたらなって思ってるの」

「……とまあ、そんなところです」

 

 相変わらずマイペースなナナミに、クロエもオーキド博士も苦笑した。言葉に見え隠れした優しさが如何にもナナミらしい。

 

「うーむ、イーブイとはまた珍しいポケモンじゃな」

「『しんかポケモン』……確か様々なタイプの進化先があるポケモンだったような」

「うむ。シゲルよ、しっかり学んでおるようで感心感心」

「もちろんです。お祖父様、どうしてまだ孵らないんでしょうか?」

「まだ仮説の域を出んが、どうやらポケモンはタマゴの段階で自意識を持つ個体もおるようじゃ。もしかしたらこのタマゴも、自分が産まれるときを見定めているのかもしれんの」

「産まれるときを、見定める……?」

 

 オーキド博士の言葉に、シゲルは小首を傾げた。

 元はと言えば、元四天王のクロエが手に入れたタマゴだ。ポケモンが持つ生来の闘争心から、強くなりたいのならクロエの下で孵ればいい。ポケモントレーナーとして間違いなく世界トップの実力者である。

 あるいは、コンテストに出たいのならばナナミの下で孵れば良かった。普段は脳天気な姉だが、ああ見えて名のしれたコーディネーターであることをシゲルは知っていた。

 そんな二人を退けてまで見定めるものがあるのだろうか。ましてや、そんな二人ですらポケモンに認められないことがあるのだろうかと、シゲルは少し不安になった。

 

「───ジラ!」

「うわぁ!?」

 

 そんな矢先のことだった。耳元に訪れた可愛らしい鳴き声に、シゲルはなんとかタマゴをキープすることに成功した。

 恐る恐る声の方角を見やると、クロエが連れていた珍しいポケモンが愛想よく笑っていた。カントー図鑑を暗記しているシゲルでさえ知らない、星のような頭に短冊を付けたポケモンだ。

 

「あら、ジラーチがどうしたの?って。シゲルくん、なにか悩みでもあるの?」

「悩みというほどでは……ポケモンの言っていることが分かるんですか?」

「なんとなくよ、なんとなく。それで、悩み事はこのタマゴのこと?」

 

 ふよふよと宙を揺蕩っていたジラーチというポケモンを抱き寄せながら、クロエが目線を合わせるように覗き込んで訊ねてくる。

 シゲルは吃った。クロエの銀色をした右眼と前髪で隠された左目、それらに心の内を見透かされている気がした。けれど不快感はない。銀の眼光が、胸によぎる不安をかき分けてくれるようだった。

 

「えっと……このタマゴは何を見定めているのかなって」

「見定める、か。もしかしたら、誰かを待っているのかもしれないわ」

「待っている?」

「言うなれば運命みたいのものをね。トレーナーとしての資質だけじゃなくて、直感や本能というのも人間やポケモンにとって大切なものなのよ」

「直感や本能ですか……」

 

 シゲルの脳裏に浮かんだのは、負けず嫌いで喧しい幼馴染だった。

 我武者羅で、おっちょこちょいで、調子に乗ってはヘマをする不器用な男の子である。誰もがオーキド博士の孫であるシゲルをチヤホヤする中、畦道を歩くかのように食らいついてくる。

 そして並び立つ子供がいなくなってシゲルが振り返ってみると、ただ一人だけ自分の背中を追い続けているのがその少年だった。

 だから運命という喩えを自然に受け止めることができた。このタマゴにとってのトレーナーは、シゲルにとっての()と同じくらい重要なことなのだと。

 

「せっかくだからお願いしてみる? この子、ジラーチは『ねがいごとポケモン』と呼ばれているの。願掛けくらいにはなるかもしれないわ」

「ジラーチは1000年に7日しか目覚めない大変珍しいポケモンじゃからのう」

「あ~ん、私もお願いしたーい! いいでしょジラーチ〜!」

「ナナミは前にしたでしょう? なんだっけ、懸賞が当たったとかナントカ……」

「だってだって! 当選したと思ったらお祖父ちゃんの本が景品だったのよ! ウチには同じ本が山程あるのに〜」

「何を言うとるかナナミよ。お主は古本屋に売りさばいておったではないか!」

 

 喧騒が横溢する。溜まっていた不安が取り除かれたような気がした。

 シゲルは苦笑を溢し、ときたま揺れるタマゴを優しく撫でる。胸中はもう晴れていた。自分の将来がどうあれ、タマゴから産まれるポケモンが幸せであってほしいと願うことに、何ら億劫さを抱くことはなかった。

 すぐ側で一緒にタマゴを観察しているジラーチに、シゲルは相好を綻ばせて言う。

 

「そうだね。あえて君にお願いするなら、『イーブイ』が元気で産まれてくることかな。きっと僕の夢は、僕自身で叶えるべきものだろうから───」

 

 想起するシゲルの脳裏には、いくつもの未来が浮かんでいた。

 研究者となった自分。リーグチャンピオンに上り詰めた自分。はたまた、コーディネーターやブリーダー。どんな道を歩もうとも苦難はあるだろうが、きっとポケモンとなら乗り越えられる気がした。膝の上で揺れるタマゴの暖かさが、シゲルに勇気を与えてくれるのだ。

 ジラーチとクロエは満足気に頷き、目配せをする。

 

「シゲルくん、しっかり持っていてちょうだいね」

「えっ?」

「ジラーチ、お願いできる?」

 

 任せて!と小さな胸を自慢気に叩くと、ジラーチは振袖のような右手をタマゴに翳して目を閉じた。

 するとどうしたことか、タマゴが淡く光り始める。同時に、ジラーチの短冊が、なにかに呼応するかのように揺れ始めた。

 オーキド博士やシゲルが目を見開くのも無理はない。風が吹いているのでもなく、エスパータイプエネルギーによるサイコパワーでもない。ジラーチがジラーチたる所以、『ねがいごとポケモン』としての本来の在り方をここに顕現しているのだから。

 

「これは、ポケモンのわざではないのかね?」

「ええ、まあ()()みたいなものですが……」

 

 オーキド博士の疑問に、クロエは言葉を濁しながら事態を見守る。

 もともと、こうなる可能性は()()()()()()()()。同時に、シゲルという少年にとって、他の未来よりも苦難が待ち構える事になることも知っている。

 果たしてこの選択が正しいものであるかどうかは、クロエにも分からなかった。未来すべてを見通したとて、可能性を掴むのは本人でしかない。未来予知は傍観者にしかなれないのだ。

 だが、しかし、それでも───

 

「イブイ!」

「……おめでとう、イーブイ」

 

 ───今、目の前で涙をこぼす少年が、素晴らしいトレーナーになることだけは確信していた。

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