黒耀の頂きを目指して   作:リン@ハーメルン

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第3話

 日差しが肌を突き刺してくるようだった。

 夏真っ盛りのマサラタウンには、オーキド研究所のサマーキャンプを目当てに子供たちが集まっている。

 流石はポケモン学会の重鎮だ。子供だけでなく、保護者たちでさえオーキド博士へと尊敬の眼差しを向けていた。ポケモンに期待を膨らませている子供たちを口実に、大人たちもオーキド博士と会えると知ってやってきたのかもしれない。

 かくいう私も、それなりに名が知れているから握手やサインを求められることもあった。

 カントーのセキエイ高原よりポケモンリーグが発足してからというもの、各地方の距離感は縮まりつつある。私とて、ポケモンリーグの元関係者というのもあるが、幼い頃からシンオウ以外の有名なトレーナーは耳にしたことがある。

 それが巡り巡って、私自身に回ってきたと言うだけ。嬉しさ反面、気恥ずかしさもなんとか笑顔の裏に押し留める事ができた。

 

───本当に四天王をやめたんですか? どうして?

 

「少し、自分を見つめ直そうと思ったんです」

 

───復帰はなさるんですか?

 

「四天王杯のトーナメントを勝ち抜かなければいけませんし、簡単には復帰できません。姉とバトルするのなら、チャンピオンズリーグを目指すのも一つの選択肢かもしれませんね」

 

───実は、カントーのリーグを荒らしに来たとか……?

 

「まさか! カントーといえばポケモンリーグの聖地です。もちろん、負ける気はありませんが……そこまで楽観的ではありませんよ」

 

 有名税とは言い得て妙で、予想できるものから甚だ心外なものまで質問の嵐だった。私の目標はあくまで姉の打倒であり、失礼なのは承知だが、チャンピオンや四天王の玉座に未練はない。

 尤も、私の当たり障りのない回答を、人々は本意だとは思えなかったのだろう。彼らの反応は半信半疑だった。

 私自身も同じ立場なら、お行儀の良い受け答えをされても疑ってしまうし、無理はないと諦めている。

 殊に、セキセイ高原のポケモンリーグ本部は、カントー地方とジョウト地方の両方が統括範囲だ。カントーはセキエイ高原、ジョウトはシロガネ山の麓でリーグ戦が行われる。シンオウのみならず他の地方と比較しても、桁違いの規模と人数を誇っていた。

 これこそが聖地と言われる所以で、更に強者を求めて他の地方からトレーナーが集まってくるのだから、私がカントーに来たことを勘繰られても仕方なかった。

 

(まあ、当然の反応よね)

 

 キラキラした目で見つめてくるのは子供のみならず、現役トレーナーである保護者たちも変わらない。

 ただ我武者羅に姉を追いかけていた私自身も、彼等に何かしらの影響を与えることが出来たのだろうか。

 そうポジティブに考えてみれば、負け続けた過去の自分を少しだけ肯定できる気がした。

 

「それにしても、サトシのやつは一体何をしておるんじゃ」

「あと20分……まさか、寝坊とかでしょうか?」

「あ奴のことじゃから可能性としては考えられるが……いや、それ以外に考えられんか」

 

 感傷に浸っていた私を呼び戻したのは、オーキド博士の呆れたような声音だった。

 出発まで残り20分。受付を手伝っていた私は手元のリストに目を落とす。

 空欄となっているのはマサラタウンのサトシ君だけ。他の地方から来た子どもたちも、既に全員が揃っていた。

 

「クロエくん、すまんが───」

「サトシ君は私が。ジラーチと私ならテレポート出来ますから」

「おお、そうじゃったな」

 

 オーキド博士の二の句を察し、私は役目を終えた受付リストを博士に押し付けた。流石に主催者本人がいなくなっては元も子もない。

 移動まで残り20分。サトシくんの自宅からテレポートすることを考えても、多少の猶予はある。

 

「それじゃジラーチ、行きましょうか」

「ジラ!」

 

 隣に居たジラーチに声をかけると、元気よく返事をして腕の中に飛び込んでくる。そのままジラーチと額を合わせて目を閉じれば、一瞬にして景色が変わった。

 目測できるくらいの遠方には、先程まで居たオーキド研究所がある。テレポートしないで歩けば10分くらいでたどり着けるだろう。そして私達の目の前には、事前に場所を伺っていたサトシくんのお家がある。

 一見すると、花壇がしっかりと手入れされた見事な一軒家だった。可愛らしい花々のアクセントが、マサラタウンの野趣に富んだ風景に馴染んでいる。

 

「……ジィ?」

「あらまあ、随分と賑やかそうなお家ね」

 

 しかしながら、牧歌的な風景とは対称的に、ドッタンバッタンと聞こえてくる物々しい音が、あまりに異質で際立っていた。お家の中で何が起こっているのか、サイコパワーを使わずとも容易に想像できる。

 

「……とりあえず、訪ねてみましょうか」

 

 元気いっぱいな姿から一転、ジラーチは神妙な面持ちでコクンと頷くと、振り袖のような小さな腕で恐る恐るインターホンを鳴らす。

 待つこと数秒。次第に慌ただしい物音が消えていくと、やがて静かに扉が開かれた。そこに現れたのは、栗色の髪を後ろで纏め上げた女性だった。

 年齢的には、私のお姉ちゃんよりも少し上だろうか? 人好きする笑顔を浮かべているものの、どこか呆れ切った様子が見て取れる。優しげな目元と、中性的なサトシくんに引き継がれたであろう整った顔立ちには、同性である私でも見惚れてしまい、無意識に息を漏らしてしまった。

 そんな私の内心まで読み取れなかったのか、目の前の女性は申し訳無さそうに言葉を紡いだ。

 

「おはようございます。……貴女がクロエちゃん? サトシがお世話になります」

「いえ、こちらこそ。サトシ君のお母様ですか?」

「えぇ、そうよ。ちょっと待ってて下さいね。すぐ準備しますから」

「あ、あの……」

「大丈夫、すぐに終わるわ。こら、サトシ! 準備が終わったなら早く降りてきなさい!」

 

 女性は一方的に捲し立てると、バタバタと忙しなく家の奥へと引っ込んでしまった。

 残された私達はポカンと口を開けながら、嵐のように過ぎ去った時間をただ見送るしかない。あの母親あってこそのサトシくんだろう。意思の強さは並大抵ではなさそうだった。

 程なくして玄関口から姿を現したのは、シャツと短パンに身を包んだサトシくんだった。慌てて飛び起きたのか、寝癖が可愛らしく残っていた。

 

「ご、ごめんクロエさん! ママー! どうして起こしてくれなかったんだよー!」

「何回も起こしたわよ。その度にサトシったら『今行くー!』だなんて言って二度寝しちゃうんだから」

「うぐ‥…そ、そうだっけ?」

 

 どうやらオーキド博士の予想通り寝坊だったのだろう。寝起き特有の気怠げな雰囲気を醸しながら、サトシくんは頭を掻いて苦笑いしていた。

 そんな彼と目が合うと、サトシくんの顔色が変わる。まさに世界の終わりと言わんばかりの大げさな表情だった。

 

「クロエさん!? そうだ、サマーキャンプは!?」

「残り5分……でも大丈夫よ。そのために私が来たからね。サトシくんのお母さん、少しお子さんをお借りします」

「お願いしますね。この子、本当にせっかちですから。サトシ、ちゃんとクロエさんとオーキド博士の言うことを聞くのよ?」

「分かってるって!」

 

 分かってない、と言わんばかりにやれやれと肩を竦めるママさんに、私も苦笑しか返せなかった。

 まだ十歳にも満たない子供の冒険心は、言葉で諌められるほど脆弱ではない。10歳で旅に出るまでは、私もカンナギタウンで憧れを募らせていたから痛いほど分かる。

 

「それでは行ってきますね。サトシくん、私とジラーチの手を握ってちょうだい」

「こう? こんな感じ?」

 

 サトシ君を挟むように、私とジラーチが左右に並んで手を握る。ジラーチがサトシ君の右手を、私が左手を握るようにして、最後に私とジラーチが手を握り合って円陣を組んだ。

 

「ええ、手を離さにようにしてちょうだいね。それじゃジラーチ、『テレポート』!」

 

 そうして、ハナコさんに見送られながら、私達はようやくオーキド研究所へとテレポートを果たした。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

 右手を握り返してくれる小さな手から、とても暖かい優しさが伝わってきた。そして左手を握り返してくれるキメ細やかで繊細な指先からは、表象の小綺麗さとは真逆に、想像しきれないほどの力強さを感じた。

 サトシは初めてのテレポートで夢見心地を味わっていた。感動もあった。ポケモンの技を直接、その身で味わった初めての体験というのも一つの理由ではある。

 だが、最もたる理由の一つは、サトシを先導してくれる少女にあった。 

 名はクロエ。ここから遠く離れたシンオウ地方の元四天王……らしい。カントー出身であるサトシにとって、四天王といえば、四天王のチャンピオンと呼ばれるまでに隔絶した戦績を誇るドラゴンつかいの『ワタル』だ。カントーどころか、世界で最も有名なトレーナーの一人だろう。

 比較すると、クロエが連れているのは、可愛らしい見た目のジラーチというポケモンだけ。シゲルを手玉にとる程の実力者であることは実際に目撃したが、テレビで見るカントー四天王のポケモンたちを知るサトシにとって、一匹のポケモンしか連れていないクロエは異質だった。

 とはいえ先程、テレポートで手を繋いだときに感じた並々ならぬ力の奔流に、サトシとてクロエのトレーナーとしての実力は疑うべくもない。元四天王であったことに何ら猜疑は抱いていなかった。

 サトシが懸念するのはクロエの実像だ。バトルが強く、理知的で冷静なトレーナー。それだけではない暗く、冷たい何か。そして、それらをかき消す力強い輝きを、サトシは鋭敏にクロエから感じ取っていた。

 

「おぉ、間に合ったようじゃな!」

「ただいま戻りました。サトシくん、よかったわね」

「う、うん。博士おはよう」

「おはようサトシ。相変わらず朝に弱いのお主は」

「ハハ……」

 

 オーキド博士の少し辛辣な言葉に、サトシは乾いた笑いで誤魔化した。

 チラリと横目でクロエを盗み見れば、手を繋いだときに感じた仄暗い冷たさは微塵も感じられない。やはり気の所為だったのだろうか、サトシは小首を傾げながら、繋いでいた左手を開閉して温度を確かめた。

 

(うーん、気のせいじゃないと思うんだけどな)

 

 定刻通り『出発!』と号令するオーキド博士に続いて、子どもたちが保護者に見送られながら後を追っていく。いつもなら一番前を目指すサトシだったが、この時ばかりはクロエから感じたものが気がかりでならなかった。

 

「ねぇクロエさん。さっきなんか、変な感じしたんだけどさ」

「えぇっ!? ごめんなさい、気持ち悪かったりする? もしかしたら酔わせちゃったかもしれないけど……」

「いや、そういうのじゃなくて───」

 

 サマーキャンプが始まり、最後尾のクロエと並んで歩きながら、サトシが言葉を続けようとした時だった。

 

「きゃっ!?」

「あら、大丈夫?」

「ぅ、うん……」

 

 クロエの前を歩いていた少女が、躓いて膝から崩れ落ちそうになる。けれどクロエは、()()()()()()()()()()()()、少女の体を支えて頭からこぼれ落ちた麦わら帽子をキャッチした。

 

「はいどうぞ。怪我はない?」

「あ……その……」

「ドジだなぁ。しっかり前を見て歩かなきゃ駄目じゃないか」

「だ、大丈夫だもん……!」

 

 クロエから差し出された麦わら帽子を受け取る最中、サトシのついつい口に出た本音に、少女はムッとして声を荒げると足早に離れていってしまった。

 さしものサトシも呆けたように口を半開きにしたまま、遠ざかっていく少女を眺めることしか出来なかった。悪意はない。クロエは苦笑しながら言う。

 

「駄目よサトシくん。あのくらいの女の子はとても繊細なのよ」

「うーん難しいなぁ……。確かにシゲルの奴にもよく言われるけど」

「あの子も不安なのかもしれないわね。カロス地方から来た子は、あの子だけだったもの。親御さんと離れてしまって心細いのよ」 

 

 苦笑するクロエから諭すように言われてしまうと、反論の余地がなかった。サトシとて見知らぬ土地で、一人だけ取り残されて寂しくないと言えば嘘になる。

 

「カロス地方?」

「ええ。ここから私の故郷シンオウ地方よりも遠い場所にある所よ」

「そっか。想像もつかないけど、すっごく遠いところから来た子もいるのか……」

「それだけ、オーキド博士が偉大ということね」

「ふーん。オーキド博士ってそんなにすごいんだ。全然想像できないや」

 

 サトシがよく見るオーキド博士の姿は、ポケモンに懐かれて色々なワザをその身に食らう、お茶目でドジな姿ばかり。クロエの言葉に込められた重みを理解するには、まだ時間が足りていなかった。

 だが、先の少女については、サトシも徐々に罪悪感が湧いてきた。

 自分が同じ状況に置かれたとき、果たしていつも通り振る舞えるだろうか。競い合うシゲルもいなければ、見守ってくれる母親も傍にはいない。そんな経験をしたことがないサトシは、漸く少女の心境を少し理解することができた。

 

「俺、謝ってくるよ。クロエさん、ちょっと待っててくれない?」

 

 バツの悪い表情をしながらも、決意を秘めた瞳でサトシは言った。

 事前に約束していた機会を失ってでも、サトシは少女を追いかけることを選択したのだろう。クロエはかすかに目を見開くと、すぐに優しく微笑んだ。

 

「……ええ、このあたりのポケモンは大人しいけど、刺激しないように気をつけてね」

「そういえばクロエさん、さっきの女の子の名前ってわかる?」

「そうね……確か────」

 

 カロスからやってきた唯一の子供……というだけでなく、ブロンドにも引けを取らない亜麻色の髪が印象深い子だ。受付をしていたクロエは、オドオドとしながら母親に連れられてやってきた時から少女に目をかけていた。虫の知らせのような直感で助けたのも、その一環である。

 それに、少女の母親はクロエでも知っている有名人だ。時折、テレビで特集が組まれるくらいには世間に名のしれた人物でもあるから、少女のことも自然と思い出すことができた。

 

「────セレナ。そう、セレナちゃんだったはず」

「セレナ……」

 

 サトシは自分に言い聞かせるように小さく呟き、その名前を反芻する。謝ろう。そして名前を呼んで、ポケモンたちと同じように友達になれるだろうか。

 そんな不安さえも、サトシは確固たる決意で塗りつぶし、少女が消えていったキャンプ場の奥地へと駆けていった。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

────どうしてこうなっちゃったんだろう。

 

 セレナはこみ上げてくる涙を懸命に押し留めながら、ジンジンと痛む膝を抱えてうつむいた。

 始まりは、母親との何気ない衝突からだ。

 母親のサキは凄腕のサイホーンレーサーで、娘であるセレナに後を継いでもらいたいと考えている。セレナとてサイホーンレースが嫌いではないし、自惚れではないが、それなりに才能があることを自覚していた。

 けれど、セレナは幼かった。

 ただ母親の言うことを聞くだけの毎日に、セレナは鬱屈とした日々を過ごしていた。無論、母親がセレナ自身を想って指導をしているのは理解している。強要されているわけでもない。

 未だ幼いセレナにはサイホーンレーサーになるだけの道のりが、あまりに退屈で仕方がなかったのだ。母親が自分を想っていたとしても、衝動的な反抗心を制御できるほどセレナは大人ではなかった。

 

 ────キレイな人だったなぁ……。

 

 鈍感そうな少年に煽られて逃げ出したものの、セレナの脳裏にはクロエが焼き付いて離れなかった。

 今回のサマーキャンプに参加したのも、セレナの慎ましい反抗心からだ。

 例えば、ポケモンコンテストのようにキラキラと輝かしい世界がある。あるいは、ポケモンリーグという険しくも栄誉ある世界。そのどちらも、幼いセレナには魅力的でならなかった。

 しかし母親であるサキから現実を突きつけられると、セレナは何も言えなかった。

 本気でコーディネーターやトレーナーを目指すのか。そしてポケモンたちと、その夢を共にしていく覚悟があるのか。大人気ないが、サイホーンレーサーとして数多の実績を誇るサキだからこそ、誰よりも説得力があった。

 だから、逃げるようにしてサマーキャンプにやってきたのだ。選択肢を広げたいという建前の裏に、母の望むままサイホーンレーサーになるものかと。

 幼いながらも、ここまでしては流石のセレナも癇癪だと自覚している。母も自分を慮っているからこそ大人気(おとなげ)ないのであって、事実、セレナは何一つとして夢と言い張れるものを持ち合わせていなかったのだから。

 

 ────きっと、あの人みたいにはなれないのかな……。

 

 脳裏に過るのは、クロエの自信に満ち溢れた相好と、屈託なく笑うジラーチというポケモンだった。

 カロス地方では女性チャンピオンという共通点もあって、シンオウ地方のチャンピオンであるシロナと、カロス地方のチャンピオンであるカルネがよく比較される。両者の名前は、まだトレーナーではないセレナでさえ聞いたことがあった。

 そして、シロナの妹であるクロエについても、何度か記事やインタビューを見たことがある。

 華々しい世界だった。サイホーンレースに華がないわけではないが、隣の芝生が青くみえるというよりも、クロエがチャンピオン打倒を掲げる姿に形容し難い敗北感を覚えたのだ。

 

 ────私には夢なんて無いから……。

 

 さきほど、無遠慮な少年に「ドジ」などと(からか)われたが、今こうして蹲っているだけの自分にはピッタリの言葉かもしれない。そう思うと、余計に涙が溢れ出てくる。

 

「ママー! どこー!」

 

 堪らずセレナは叫んだ。限界だった。遮二無二に抜け出したものの、結局、自分だけでは迷子になって泣き叫ぶしか出来ない。

 キャンプ場一帯にいるポケモンたちが、人間に害意を持つ個体はほとんどいないと理解していても、セレナは歩みだす勇気が出ず、膝の痛みで自分を誤魔化した。そうしなければ、今の自分があまりに惨めで心が持たなかったから。

 

(だから、サマーキャンプになんて本当は行きたくなかったのに)

 

 (しま)いには、止めてくれなかった母親に恨み節さえ浮かんでしまう。

 心のどこかでセレナは期待していた。サイホーンレーサーになるのだから、サマーキャンプへの参加を母親が止めてくれると。

 その結果が現状だ。起因も自分、原因も自分。立ち上がるための勇気すら湧かず、何もかもを他者に委ねてしまい、それらを自覚して卑下する悪循環だった。

 

「うぅ……ぐすっ……」

 

 嗚咽が止まらない。心細さや恐怖よりも、自己嫌悪がセレナを苛んでいた。

 このまま、誰にも見つけてもらえず朽ちていくのだろうか。そんな末路さえ、頭の中で朧げに浮かんできた時だった。

 

「おーい! 居ないのかー!」

(この声って……)

 

 草木を踏みしめる音と一緒に、どこか聞き覚えのある声が茂みの奥から聞こえてきた。

 セレナはハッと俯いていた顔を上げて、赤く腫れた目元の涙を拭う。

 

「うわっ!? なんだニョロモか。水辺から遠いのに元気なやつだなー……おっ、いたいた」

「あなた、さっきの……」

 

 茂みから飛び出してきたニョロモに続いて、ついさっき揶揄(からか)ってきた少年が姿を表した。

 

 炎天下の中、随分と走り回っていたのだろう。快活な笑顔を浮かべてはいるが、僅かに滲んだ汗が少年の疲労を物語っていた。

 

「なんで……」

「なんでって、そんなの────あー……その、さっきはゴメン! 俺、キミのこと全然わかってなかった」

 

 戸惑うセレナに対して、少年は頭を掻きながら謝罪を口にした。

 軽薄さは微塵も感じられず、先ほどの一件について謝られるとは思ってもいなかったため、セレナは困惑したまま返す言葉に窮してしまう。

 

「クロエさんから聞いたんだ。カロス地方ってところから来たんだろ? 俺、このマサラタウンの出身だからさ。遠い場所で一人だけだなんて、そんなこと考えもしなかったんだ」

「それは、そうだけど……」

「だから何というか……ほんとにゴメン! 上手く言えないけど、俺がセレナに酷いことを言っちゃったのは分かってる」

 

 眉尻を下げて、心底申し訳無さそうにする少年に対し、当惑していたセレナも徐々に落ち着きを取り戻してきた。

 次第に、胸の内に湧いてきたのは、やはり自分の惨めさだった。

 目の前の少年は、非を認めてセレナへと謝罪する為に炎天下を駆け回っていたはずだ。だというのに自分は、八つ当たり気味に止めてくれなかった母を恨んで、迷子になった挙げ句へたり込んでいるだけ。

 情けなくて、恥ずかしくて、泣くことさえ億劫で呆然自失とする他なかった。

 

「わ、私は────!」

 

 まとまらない思考のまま、セレナは声を振り絞って立ち上がろうとするが、忘れかけていた膝の痛みでバランスを崩してしまった。

 悲鳴を上げる間もなく、さきほど揶揄われた時のように、セレナの身体は前のめりに倒れていく。これでは逃げ出して来た時の焼き増しだった。極限にまで圧縮される時間の中で、セレナは深い喪失感に見舞われる。

 

 ────嗚呼、やっぱり私は、あの人やこの子みたいにはなれないんだ。

 

 そんな空虚な思いを抱いたのも束の間。いつまで経っても地面にぶつかる衝撃が訪れない。代わりに、背中にはセレナを支えてくれる腕の感触があった。

 反射的に閉ざしてしまった瞼を恐る恐る開ける。すると眼前には、心配そうに覗き込む少年の相好があった。

 

「どうしたの? ……って、怪我してるじゃないか!」

「ぐすっ……だって、さっき転んで……」

「わ、分かったから泣くなって! こういうときはっと。ここをこうして……ほら!」

 

 上手く立てないセレナを座らせ、少年はズボンのポケットからハンカチを取り出した。手慣れているのか、流れるような動作でセレナの膝にハンカチを巻きつける。

 

「俺が怪我すると、ママにこうやっておーきゅーしょち? しろって言われててさ。でもって、最後に『痛いの痛いの飛んでけー!』っておまじないするんだ」

「……いたっ! 無理だよ……」

「最後まで諦めちゃ駄目だ。キャンプ場に戻らなきゃ」

 

 痛みに呻くセレナへと少年は手を差し伸べる。一瞬、セレナはその手を取るか戸惑ってしまった。

 果たして、自分に少年の手を取る資格があるのだろうか。今こうして、手を借りなければ立ち上がることさえできない自分に。不安に揺れるセレナは、おずおずと伸ばした腕を引っ込めてしまった。

 だが、目の前の少年は決してセレナを見捨てなかった。先の一件からの罪悪感からではない。遠ざかっていくセレナの腕を、少年は迷うことなく掴み取った。

 

「ほら、立てたじゃないか。一人なら無理でも、誰かと一緒なら出来る」

「どう、して……? どうして助けてくれるの?」

 

 嗚咽のようにか細い声で、セレナは少年に問いかける。謝罪は受け取った。これ以上、付き合ってもらう義理は無いはずだった。だのにこうして、少年はセレナの手を取って先導してくれる。

 そんな疑問に対して、少年は不思議そうに首を傾げた。不思議なのは寧ろセレナの方だ。お荷物でしかない自分を、こうまで気にかけてくれる理由が全くわからない。

 

「俺がセレナと、友だちになりたいから」

「ともだち?」

「ああ! セレナだけじゃないぜ。このキャンプ場のポケモンたちも、知らない子とも、皆と友達になりたいんだ! そうすれば、もっともっと楽しくて、ワクワクしてくるんだ。世界には色んなトレーナーやポケモンがいるって」

 

 その時の少年の表情を、セレナは忘れることができないだろう。

 夢を語って想いを馳せる少年の姿は、あまりに眩しすぎるから目を瞑ってしまいそうになる。そんなセレナを引っ張り上げてくれるのも、握り合う少年の掌から伝わってくる暖かさだった。

 

「俺はマサラタウンのサトシ。俺と友だちになってくれないか?」

 

 その言葉に、救われたような気がした。

 サトシの友だちとして、自分に価値があるからなどと、ネガティブな自己肯定ではない。一人で悩むことの難しさと、誰かの手を取ることの大切さを思い知った。

 そして、憧れた。

 セレナには、夢を語るサトシが世界の誰よりも色鮮やかに映った。自分もいつか、こんな風に誰かを照らせる人間になりたいと願い、誰よりも近くで、サトシの隣で、彼が夢を叶える瞬間を見てみたいと思った。

 

「────うん」

 

 迷いはある。不安もある。きっとずっと、これから先も永遠に抱いたままかもしれない。

 それでも、不安や迷いを背負ってでも、サトシの隣に並び立てるようになりたい。繋ぎ合う手に力を込めて、セレナは引っ張ってくれるサトシに並ぶよう歩みを速める。

 今はまだ、痛む膝と明確な夢を持たないがために、並び歩くだけで必死だった。サトシが夢を叶える瞬間を見届ける余裕もないだろう。

 けれど、いつかきっと。自分の足で歩き出して、彼の隣に立ってみせる。

 夏空の下、セレナは生まれて初めて、自分の意思で決意した。

 

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