黒耀の頂きを目指して   作:リン@ハーメルン

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第7話

 夜の帳が降りた時分、オーキド研究所から光が漏れていた。

 モニターが映し出す情報の数々に、オーキド博士は険しい表情を浮かべてしまう。

 時空の揺らぎ。タイプエネルギーの暴走。そしてオーキド博士の()()()()()存在しない、未確認のモンスターボール。悩みの種はまだまだ幾つもある。

 けれど今日の出来事ではっきりした。

 かつての自分が交わした友情は、時を超えてなお強い絆で結ばれている。サトシたちが無事だったことも、クロエがバンギラスを救い出したことも、全て友情からなる必然だと信じていた。

 

「博士、いま戻りました」

 

 まだ就寝するには早い頃合い。ジラーチを伴ってクロエが帰ってきた。

 サトシやセレナを見送っていた時に何かあったのか、どこか陰鬱さが滲んでいた面影は綺麗さっぱり消えている。

 母親というのは偉大だ。オーキド博士でさえ拭いきれなったクロエの焦りを、こうして見事に無くしてみせたのだから。

 

「こんな時間まで済まんのう。それで、森に現れたのはバンギラスだったわけじゃな?」

「はい。どうやらポケモンハンターから逃げてきみたいで……」

「興奮状態に陥っていたのはそれが原因かね?」

「それがどうも、バンギラス自身もあまりよく覚えていないみたいなんです。幼い頃の記憶から故郷は分かりましたが、()()()()()()()()()()だけが抜け落ちてるようでして」

 

 クロエは困ったように眉尻を下げる。

 やはり、とオーキド博士は確信した。

 

「記憶だけが抜け落ちている……か」

「心当たりがあるのですか?」

「何から話すべきか、少し迷っておっての。まずはコレを見てくれ」

 

 オーキド博士が画面を遷移させ、新たに表示したウインドウにキャンプ場一帯の立体地図が展開される。

 クロエへと指し示すのは、磁場の乱れが激しく、空間に穴の開いた個所だった。

 

「これはっ……!」

「おおよそ自然発生したものとは考えられんじゃろう。シンオウ地方には空間や時間に関する伝承があると聞くが、心当たりがあるなら教えてくれんかね」

「そ、それは有り得ません! だって()()の動きを私が察知できないはずが────」

 

 慌てたように弁明するクロエの反応から、オーキド博士は信実が真実であることを確信した。

 

「おお、そんなに()くこともなかろうて。申し訳ない、少し意地悪な質問じゃったな」

「えっ。意地悪とは?」

「この穴については察しがついているんじゃよ。だが確証が欲しかった。()()()()()()()である君からのう」

 

 オーキド博士の言葉に、取り乱していたクロエは表情を凍らせる。

 しかし今回の件を釈明するにはこうするしかなかった。

 たとえ触れるに憚るべき内容だったとしても、オーキド博士がクロエの起源(ルーツ)を知る以上、先延ばしにしたとて、いつかは話す時が来る。それが今この時だったというだけのこと。

 

「……博士は、どこでそれを?」

()()()じゃよ。他の誰でもない、君から聞いたんじゃ」

「なにを可笑しな────」

 

 言いかけて、クロエは微かに瞠目してから口を噤んだ。

 まさか。ありえない。常識がそう警鐘を鳴らし、至った考えを否定したがる。

 しかしオーキド博士は言ったではないか、クロエから聞いたと。

 その言葉の意味は吟味するまでもない。文面通り、クロエなる人物から『カミナギの巫女』だと聞いたのだろう。それも、()()()()()()自身から。

 

「気付いたようじゃな」

「は、はい。ですがそんなこと、本当に?」

「疑う気持ちも分かるが……」

 

 オーキド博士が棚から取り出したのは、年季の入ったスケッチブックだった。

 大切に保管されていたらしい。多少の色落ちはあるものの、パラパラと捲る音が小気味よく響き渡る。紙質も殊更に劣化していなかった。

 オーキド博士がページを捲る手を止める。そこに描かれていた絵は、クロエに衝撃を覚えさせるに十分なものだった。

 

「これは、私……? こっちはサトシ君? それにジラーチと、ピカチュウ?」

「奇怪なことじゃが、縁とは時間にも空間にも囚われない不思議なものだと、改めて思い知らされた。あのバンギラスが救われたことも、因果の一つと言えるじゃろう」

 

 スケッチブックに描かれていたのは、今から数年後らしきクロエやサトシの姿だった。

 ジラーチもいる。今回の件に関わっていた、ピチューの進化後らしきピカチュウもいる。

 これを見せられてはクロエも信じるほかない。スケッチブックの色褪せ具合が信憑性を裏付けていた。

 サイコパワーがクロエ自身に告げる。スケッチブックに込められた想いが、時を超えて縁を結実させていることに、猜疑を挟む余地はなかった。

 時を超えた? 誰が? オーキド博士が? それとも未来の私達が? 様々な憶測が湧いてくるが、依然として予知は訪れない。まるで()()()()()()がクロエ自身の運命に介入しているのかと疑ってしまうほどに。

 ただ、一つだけ確固たる事実を知ることが出来た。今回の件にディアルガは関与していない。カミナギの巫女であるクロエが、ディアルガほどの強大なエネルギーを見逃すはずがない。

 であれば、ディアルガ以外に唯一、時の権能を許されている特異なポケモンは────

 

「まさか、『ときわたり』!」

 

 瞠目するクロエが零した結論に、オーキド博士は重々しく頷いた。

 時空の揺らぎ、そして穴。あまりにも都合の()()()()バンギラスの記憶の欠落。ピチューとサトシ君の出会い。遡れば、傷心した私がマサラタウンへやって来て、オーキド博士やシゲル君、そしてサトシ君と知己になったことすら運命の悪戯なのだろうか。

 クロエは否定も肯定も出来ず、あるがままの現実を受け入れるしかなかった。

 

「先日、ワシが若い頃に遭難した話を覚えておるかの?」

「はい。つまり、遭難というのは」

「そういうことじゃ」

 

 スケッチブックを閉じて、オーキド博士は追憶する。

 懐かしい気持ちと相反して、つい昨日のことのようでもあった。

 森のさざめき。焚火で暖を取った温もり。腕の中で尊い命を失いかけた絶望と、それを掻き消してくれた奇跡。

 その全てが、やっと報われた気がする。今まで抱え込んでいながら言い出せずにいたもどかしさも、クロエに吐き出せたことで溜飲が下がった。

 

「人生長生きしてみるものじゃよ。未来は現在(いま)の積み重ね、現在(いま)を歩んだ足跡を過去と呼ぶなら、泰然と構えてこの瞬間を嚙み締めればよい。そうすることで、より善き明日へと繋がっていくじゃろう」

「瞬間を、噛み締める……」

「『すべての命は、別の命と出会い、何かを生み出す』。この言葉を贈ってくれたトレーナーに、やっとお返しが出来た。ここから先は()()()()じゃな」

 

 実感が籠ったオーキド博士の言葉へ、クロエは静かに耳を傾ける。

 過去も今も、そしてサイキッカーでさえ見通すことの出来ない未来さえも、総ては繋がっている。

 因果、縁、宿命、運命……遍く命は、異なる命と出会い、影響され合うことで何かが生まれる。自分一人だけで悩み、鬱屈とした感情で塞ぎ込んでいたクロエ自身が前に進めなかったのは、自然の道理に他ならない。

 人やポケモンの繋がりとは、時空にすら囚われないほど自由で、広大で、無限の可能性に満ちたものだった。

 

「……はい!」

 

 ずっと、すぐ傍にはジラーチがいてくれる。そしてオーキド博士やナナカマド博士をはじめ、ナナミやカトレア、サトシやシゲル、そしてセレナやピチューとの出会いだって、クロエにとって掛け替えのない過去であり現在(いま)だった。

 なにより、超える壁として君臨し続ける姉も、クロエが再び立ち上がる時をずっと待っている。シンオウのチャンピオンである()()()()()として生まれたことにだって、意味があるに違いないとクロエは信じることが出来た。

 そう思いたい願望だと後ろ指をさされてもいい。夢想家と笑われたって構わない。

 今まで積み上げてきた繋がりも、これから紡ぐ繋がりも、等しくクロエというトレーナーの糧になると思えばこそ、もう過去に囚われて足踏みをする気にはなれなかった。

 

「では博士、行ってきますね!」

「ジラジーラ!」

「うむ。夜更けは近いが、それも旅の醍醐味じゃ。()()()()が、素晴らしいものであることを祈っておる。気をつけていってくるのじゃぞ」

 

 博士の激励を受けて、クロエとジラーチは一緒に頭を下げてから、オーキド研究所を飛び出した。

 夜風が気持ちいい。靡く前髪を抑えながら、マサラタウンを見渡せる丘陵へとクロエは小走りでやってきた。そこから先は、トキワシティへ続く1番道路だ。

 一息ついてから、クロエは背後へ振り返る。数週間しか滞在しなかったのに、点々と散らばる(あかり)がひどく恋しかった。

 サトシやシゲルへ、面と向かって別れを告げることができないのは心残りだ。

 けれどジム戦を()()申し込んでいる都合上、日程を遅らせることはできない。

 

「トキワシティは……日を跨ぐまでには着きそうね」

「ジィラ!」

「そういえば、初めての旅立ちも一日中起きてたっけ」

 

 センチな気分になっていたクロエを、ジラーチが変わらない純真な笑顔で励ました。

 今はもう、ジラーチが無理をして作り笑いをしているのかなって、不安がることもない。

 マサラタウンでの出会いが自分を変えてくれたから、クロエはジラーチの笑顔を色眼鏡で見ずにいれた。

 初めて旅立った日と同じように、ジラーチもこれから出会う景色に期待を膨らませているのを、今のクロエは悪感情に陥ることなく理解することが出来る。

 胸中は凪のように穏やかでありながら、冒険心に焦がれた幼子(おさなご)のようにワクワクに溢れていた。

 そんな二つの相克した情動も、なんら矛盾するところではなくて。

 初めてカンナギタウンから旅立った頃と同じように、悲喜交々とした感情が綯交ぜになっていても、進む先で何かを掴めるとクロエは信じることが出来た。

 

「次会う時までに、もうちょっとしっかりしないとね」

 

 自己嫌悪に陥っていた情けない姿は、もう後輩には見せたくない。

 サトシとシゲル。二人の先達として、彼らに与えられてばかりのトレーナーではいられないだろう。

 踵を返したクロエが、マサラタウンへ振り返ることはなかった。

 トキワシティへ続く1番道路の夜陰に目を凝らし、いつか彼ら二人が歩むであろう小さな轍を刻んでみせる。

 一人のトレーナーとしてのクロエは、この時ようやく、本当の意味で再スタートの第一歩を踏み出すことができた。




次回、無印編
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