黒耀の頂きを目指して   作:リン@ハーメルン

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無印編
第8話


 緊張と、それを上回る熱狂の渦がバトルスタジアムに横溢する。

 チャンピオンリーグの張り詰めたこの空気が懐かしかった。

 数年ぶりに私が挑むチャンピオン奪還戦へ、観客たちもバトル前だというのに平静を保てない。

 様々な地方を廻って世界を知った私は、ようやく姉と同じ地平に立つことが出来たのだと確信している。

 負けることだってあった。見たことのないポケモンと出会うこともあった。色々な伝統や風土に触れて、人とポケモンの営みが尊いものだと再認識する機会があった。

 長いようで短い脳裏に過る思い出のキャンパスは、今なお色褪せてはいない。試合を前にして、私の情緒は自覚できるほど穏やかだった。

 

「ねえジラーチ」

「ジラ?」

「気が早いかもしれないけど、お姉ちゃんに勝てちゃったらどうしよっか」

「ジィ……」

「ふふっ。そうよね、私だってな~んにも決められない。やりたいこと、行きたい場所が多すぎるもの」

 

 10歳、11歳で連敗した頃と打って変わり、バトルの直前でありながら吞気な私の言葉へと、ジラーチも花が咲いたような笑みを浮かべてくれた。

 かつては歓声で軋む大地を踏みしめて、立ち塞がる頂点に負けじと、身体を強張らせていたのをよく覚えている。

 今はどうだろうか。

 気を抜き過ぎだと、いつも眠たげな妹分には叱られるだろう。

 だらしがないと、今や立派にジムリーダーと女優の兼業をこなしている、癇癪持ち()()()学友からはお小言が飛んでくるかも。

 今の私よりも吞気な親友なら、変わらず微笑みを湛えるだけなのが容易に想像できた。

 

「それじゃ、行きましょうか」

 

 バトルステージへのゲートが開き、入場口の両脇から勢いよく吹き上がるスモークが落ち着くと、その先でチャレンジャーたる私を待つ人影が現れる。

 一歩、宙に浮かぶジラーチとステージに足を踏み入れた。たった一歩だけでも、そこから先は勝者と敗者が選別される残酷な世界が広がっている。

 ある者は、チャンピオンである私の姉が勝利することを信じている。またある者は、長らく独占されていた王座へ下剋上が成就することを望んでいる。

 そして一部のトレーナーやポケモンたちは、私と姉のバトルすらも自らの糧にしようと、一挙一動を見逃さない貪欲な眼差しで観戦に臨んでいた。

 

「お姉ちゃん……」

 

 脱力して心を落ち着かせようとしたが限界だった。

 二度目の敗北から四年。各地方での旅を経て、それなりに公式戦への耐性が備わっていても、いざ姉を前にすると不意に言葉が零れてしまう。

 今の私は、お姉ちゃんの妹として相応しいのかな。ジラーチやポケモンたちの能力を最大限に活かせているのかな。

 私より強いままでいて欲しいと、お姉ちゃんへ身勝手で矛盾に満ちた幻想を抱くことが、どれだけ罪深く傲慢なのだろうと自嘲すら胸中にこみ上げてしまう。

 けれど姉は変わらず、私に無償の微笑みを与えてくれるだけ。

 言葉のみならずバトルで語るのがトレーナーだ。

 呟きに込めた旧懐の情は、もう私の中にはない。

 モンスターボールを構えて、姉とチャンピオンリーグで相対することが出来たこの瞬間こそ、世界の誰よりも幸せだと噛み締める。今この時に浮かべている私の笑顔には、欺瞞なんてあるはずもなかった。

 宙に浮かぶジラーチだってバトルの準備は出来ている。普段は愛らしい笑顔を浮かべるこの子も、姉に向かって挑戦的な視線を送っていた。

 

「行って、リーフィア!」

「天空に舞え、ガブリアス!」

 

 私と姉は、殆ど同時にモンスターボールをバトルフィールドへ投げ入れる。

 姉が口にしたお決まりの口上に、会場の興奮が一気に爆発した。会場だけじゃない。チャレンジャーである私ですらドキリと心臓が硬直したような気がした。

 初手だ。姉は初手でエースであるガブリアスを繰り出した。

 かつて二度、フルバトルで私が敗北した時にも、ガブリアスが先鋒を務めたことはなかったから、流石の私だって虚を突かれてしまう。

 けれど思い通りにならないことこそサイキッカーの常。

 予想を超えて、常識を凌駕した先に勝利を手にすることが出来る。

 トレーナーである私がすべきことは、リーフィアの能力を最大限に発揮させることだけだ。

 

「行くわよリーフィア────」

 

 一瞬を噛み締め、刹那を享受していたからこそ、文字通りこの瞬間まで私は何も()()()()()()

 世界を廻って色々な出会いを経験したのは、何も私だけじゃない。姉だってチャンピオンとして鍛錬を欠かさないはずだから、そう簡単に下剋上を完遂できると甘い考えをしていたわけでもない。

 けれど、それでも、私は自分自身の成長に自負があった。5年前、そして4年前の敗北から3度のチャンピオンリーグへの参加を見送って今回のバトルに臨んだのは、それだけ今回の挑戦に自信があったから。

 だから、そう。

 きっと4年前のネガティブだった過去の私自身でさえも、この先の展開を予想しなかったのかと責めることは出来ない。そう言い切れる。

 

「───『にほんばれ』!」

 

 いち早くわざを成功させたのは私のリーフィアである。

 放出されたタイプエネルギーがバトルフィールドの遥か天空まで登っていき、人口の太陽を生み出した。するとリーフィアの整った毛並みが、より一層に強い輝きを放って特性の『ようりょくそ』が適用される。

 『ようりょくそ』は天気が晴れの時に素早さをアップさせる特性だ。どれだけ姉のガブリアスが化け物染みた強さをしていても、最高速度と反応速度において、リーフィアがアドバンテージを得ることが出来る。

 必然、『にほんばれ』をする際はどうしても隙ができてしまう。だから駆け引きがあった。

 バトル開始の直後、互いの間合いを図る僅かな膠着状態を狙って、見事に私のリーフィアは無傷で『にほんばれ』を成功させたのだが……当然、姉がその隙を見逃すはずがない。

 

「ガブリアスは……!?」

 

 私も、ジラーチも、沙汰のないガブリアスへと視線を戻す。

 沈黙を保っていたガブリアスは、泰然と構えながらリーフィアへ闘気を滲ませていた。

 その足元にはステップのような、踏み込みのような、まるで舞踊のごとき流麗な動作の形跡があった。

 『つるぎのまい』ではないことなど、挑戦者である私のみならず会場のファンだって理解しているだろう。その事実に戦慄する。

 サイコパワーが不吉を告げ、怖気のような悪寒が私の全身を駆け巡った。

 嗚呼、聞いては駄目だ。本能が、直感が、トレーナーとしての経験の全てがサイレンを鳴らして聴覚を閉ざそうとする。自己防衛の如く、全身の産毛が逆立って、姉が紡ぐ絶望の言の葉へと虚しく抗おうとするも、現実は酷薄に続く言葉を齎した。

 

「ガブリアス、『りゅうのまい』!」

 

 世界の広さを知ることで、過去の敗北から立ち直ることの出来た今さえも。

 私は────竜舞ガブリアスを知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・

・・・

 

 

 

 

 

「いや無理でしょ!」

 

 元四天王クロエによるチャンピオン奪還戦のリプレイを見て、マコトは年頃の少女として似つかわしくない頓狂な声を漏らしてしまった。

 あっ、やばい。慌てたようにハッとしたのも束の間、周囲から向けられる奇異の目に縮こまりながら、マコトは恨めしそうにクロエへとジト目を向ける。

 閑散とした1番道路でもトレーナーがいないわけではない。

 周りのトレーナー達に見下されているような気がして、駆け出しトレーナーと侮っているのかとマコトは憤りを覚えたが、肝心のパートナーであるポッチャマはクロエのジラーチと戯れているから、目と目が合ってもバトルすら始まらない有様だ。

 マコトは微妙な面持ちで挑発的なトレーナーから視線を切った。ポッチャマは変わらず浮かれ気分で宙を泳いでおり、バトルなんて二の次のようである。次第に恥ずかしさすら込み上げてしまった。

 

「ふふっ。まあ、そうよね。私だって今も夢かもしれないって思ってるし」

 

 そんなマコトとポッチャマの様子に、苦笑しつつもクロエは言う。

 マコトから見て、含蓄のある言葉ではなかった。ガブリアスが『りゅうのまい』を繰り出したことへ、わざの修得までにどれだけの特訓を重ねたのか、想い馳せているようだった。

 

「しかも()()()()のリーフィアに『どくづき』でクロスカウンターって……」

「完全に読み負けたみたい。リーフィアの動きを完全に把握されていたし……私もまだまだってことね」

「いやいやいや! まだまだとかそういう次元じゃなくて────」

「私なんかと比べてマコトは本当に凄いと思ってるの。まさかいきなりシンオウリーグじゃなくてセキエイ大会を目指すなんて。そういえばマコトは、カンナさんのラプラスが気になったり───」

(駄目だ。シロナさんといいクロエ姉といい、どうして私の周りはこんなに天然なのかな……()()()()()()も似たようなものだし、兄弟姉妹ってこれが普通だったりする?)

 

 自分を卑下したような物言いに加えて、クロエは事あるごとに褒めちぎるから、マコトは形容しがたい掻痒に苛まれてしまう。キラキラとしたクロエの瞳に射抜かれると、マコトは甘んじてクロエのトークを受け入れることしか出来なくなってしまうのだ。

 再生され続けていた動画では、シロナのガブリアスが3タテを決めてから後続へと託し、圧倒的と言える立ち回りを演じていた。クロエの可愛がりを搔い潜って動画へと視線を移してみれば、鬼気迫る迫力でバトルに臨むクロエがいる。

 目の前で嬉々として語るクロエと、動画でシロナに挑むクロエ。この二面性に、物心ついた時から甘やかされていたマコトは未だに慣れていなかった。

 マコトにとっては母親が、クロエにとっては実姉がそれぞれにとっての目標であり、身内に偉大なトレーナーがいることからコンプレックスを抱く者同士でシンパシーを感じていた。

 しかし、しかしだ。

 

「そりゃカンナさんは気になるけど……クロエ姉だって四天王だったじゃん」

「元、だけどね。今はフリーのライターだもの。トラベル、レビュー、ポケビジョンにポケキャンなんでもござれがモットーで……」

「そーおーじゃーなーくーてー!  ママだって元四天王*1だし、シロナさんはチャンピオンだし、クロエ姉なんて最年少で四天王筆頭じゃん! 私の周りはいったいどうなってるの!? ヒカリになんて言えば……」

「あ~……そういえば出発する前、ヒカリちゃんと喋ってたみたいだけど」

「その、ヒカリがグランドフェスティバルへ出場するまでに、カントーでバッジを8つ集めてくるって……」

「マコトなら大丈夫よ。カントーのジム巡りなら1か月も掛からないし」

「それはクロエ姉が異常なの! 今になってプレッシャーになってきたし、大見得なんか切るんじゃなかったよ」

「だいじょーぶ、だいじょーぶ」

「それヒカリのセリフ!」

 

 クロエはクスクスと悪戯めいた微笑みを浮かべた。

 シロナにも言えることだが、普段の彼女ら姉妹は揃って天然気質な人柄だ。果たしてクロエ本人が自覚しているか定かではないが、マコトからすればクロエの強さだって同じくらい底知れない。

 一般トレーナーの感覚ではないのだろう。

 チャンピオンと四天王。その狭間に存在する格の違いは、駆け出しトレーナーであるマコトには想像すら及ばないスケールの話だった。

 4年前のクロエがナナカマド博士以外の誰にも告げずに、ジラーチを連れてシンオウを飛び出たことが証左となっている。フタバタウンに住むマコトたち家族にさえ連絡が届き、カンナギタウンの実家がクロエの消息を掴めず大騒ぎだったのをマコトは憶えていた。

 あの時、クロエが飛び出した理由を察していたのはマコトの母親と、原因たるシロナ本人くらいのものだろう。当時はトレーナーですらないマコトが何となく察せたのは、偏にクロエと同じく家族へとコンプレックスを抱いていたからに他ならない。

 しかし察することは出来ても、クロエの感じていたであろう姉との『差』というものを、トレーナーとして歩み始めた今のマコトでも全く想像が出来ないでいる。

 

(うーん……私からすれば、クロエ姉だってシロナさんと同じくらい天上人なんだよね)

 

 美味しそうに和菓子を頬張るクロエ。携帯端末の動画内で、敗北により茫然自失する姿から考えられないほど、舌鼓を打つ表情は至福と言わんばかりに蕩けていた。こんな姿も、実の姉であるシロナと瓜二つだった。

 そんなクロエが、4年前にシロナとのバトルに敗れて四天王を電撃引退し、カントーからジム巡りを始めたのはシロナとの差を埋めるため。マコトはそう結論付けている。

 実のところ、感傷に浸ってウジウジと思い悩んでいたとか、マコトと同じくらいの年頃の子供たちと交流してホッコリしていたとか、そんなことは何も聞かされていないマコトが知る由も無かったりする。

 ネガティブな感情に支配されて、武者修行は二の次だったという事実をマコトが知らなかったのは、クロエにとって不幸中の幸いだった。従姉としての尊厳を失う一歩手前であったことを、元四天王の天然サイキッカーは気付いていない。

 

「それで、あそこがオーキド博士のいるマサラタウン?」

「ええ。ほら、あの一番大きい建物がオーキド研究所よ」

 

 クロエが頷いて肯定するのは、マコトの出身地であるフタバタウンと同じくらい牧歌的な町だった。

 ド田舎である。強いて比較するなら、オーキド研究所のあるマサラタウンの方が一歩リードしているだろうか。フタバタウンには名所と言えるものが何一つない。マコト本人もその点は擁護しきれなった。

 普段は天然ながらも落ち着きのあるクロエが、珍しく浮かれているような気がする。

 マコトは驚いた。

 マサラタウンにジムやコンテスト会場があるわけでもない。シロナに敗れて強くなりたいから旅立ったのだと推測していたマコトからすれば、そもそもクロエが自発的にマサラタウンへ訪れていたことすら半信半疑だったからだ。

 もちろん、クロエの当初の目的はナナカマド博士の使いでしかなかった。

 ナナミとの縁からプレゼントとしてイーブイのタマゴを持参し、シゲルと邂逅したことで新たな縁が生まれ、その縁を発端としてサトシやセレナ、ピチューと続いていき、クロエの世界は繋がりを帯びていった。

 だからマコトの認識と齟齬があるのは道理なのだが、本人たちがそのズレを知る術はない。

 マサラタウンと言えば、クロエの親友であるナナミとはマコトも面識がある。ほんわかと掴みどころがなくて、クロエ以上に自分を可愛がるから少し苦手意識すら抱いていた。初対面は確か、クロエがまだシロナに敗北する前の頃だったはず。ヒカリの母親であるアヤコさんを訪ねて、クロエと揃ってフタバタウンにやってきた時の────

 

「マコト?」

「───えっ!? どうしたの!? もしかして水ポケモンがいた!?」

「マサラタウンの水辺ならいると思うけど、この辺にはいなそうね。それよりも、ナナミのこと考えてたでしょ」

「ちょっ、テレパシーしないでよ! プレイバシーの侵害だよ侵害! 別に苦手ってわけじゃないけど、少し圧があるというかなんというか……」

「あ~……言われてみるとそうね。というかテレパシーしなくても顔に出てるわ」

「へ? ま、まあナナミさんがマイペースなのは今に始まったことじゃないけどさ。前に会った時から結構長いし、ちょっと怖いなーって……ねっ、ポッチャマ?」

「ポチャ……」

 

 物思いに耽っていたマコトは、作り笑いをして相棒のポッチャマへと話題を振った。

 クロエのジラーチによるサイコキネシスで楽しそうに宙を漂っていたポッチャマは、みるみるゲッソリと項垂れてしまう。

 マコトは苦笑した。

 前にフタバタウンへナナミがやってきたのは、ポッチャマがパートナーになったばかりの頃。種族特有のプライドの高さと、可愛らしい見た目のギャップがナナミの琴線に触れたのだろう。マコトのポッチャマは、一日中ナナミに引っ付かれて世話を焼かれていた。

 クロエのジラーチのように純真無垢なら話は別だが、お調子者で見栄っ張りなポッチャマのことだ。自分以上にナナミの奔放さには慣れていないのかもしれないと、これからポッチャマへ降りかかる災難を気の毒に思いながら、マコトは人の往来が少なくなった1番道路を振り返った。

 

「ここからがマサラタウンかー」

「最初の一歩を思い出す?」

「うん。この町から旅立つトレーナーたちも、皆がこの道を通ってるんだって不思議な気持ちになるよね」

「……トレーナーならきっと、誰もがマコトと同じことを思うはずよ」

「クロエ姉も?」

「当然。()()()()から思ってるわ」

 

 哀愁のような、郷愁のような。

 どこか名残惜しさが込められたクロエのセリフに、マコトは目をぱちくりとさせた。

 けれど考えても答えは出ない。マサラタウンでクロエがどんな出会いをしたのか、どんなことがあったのか。

 端折りでしか聞かされていないマコトには、優し気に町を俯瞰するクロエの心情を完全に理解することは叶わなかった。

 

「……最初の一歩と言えばさ。この町の新人さんは、今日が旅立ちの日なんでしょ? クロエ姉が言ってたあの───」

「シゲル君とサトシ君のこと?」

「そうそう。その二人はまだ街に居るのかなって思ってさ。私とポッチャマなんて朝イチでフタバタウンを出ちゃったし」

 

 マコトに限らず、新人トレーナーの大半はすぐ旅に出てしまう傾向にある。

 以前からクロエは、マコトと同年代の少年少女についてよく話をしていた。

 マコトがわざわざカントーのジム巡りを後にしてクロエに同行しているのも、新人の旅立ちを見送るなんて滅多にない機会だったし、何度か名前を聞いていたマサラタウンの少年二人が気になっていたからだ。

 特に前者のシゲル少年は、あのナナミの弟と聞いている。オーキド博士の孫として、ポケモン取り扱い免許*2が交付される前から、ポケモンリーグやポケモン学会などあらゆる界隈で注目されている有望株である。

 カントーでジム巡りをする以上、マコトにとって、避けることのできないライバルだった。

 

「時間的には旅に出ていても不思議じゃないけど……ああ、大丈夫。二人ともまだこの町にいるみたい」

「どうして分かるの?」

「あれ見える?」

「研究所の人だかりのこと? って、なんでチアガールが」

「多分だけどシゲル君の見送りでしょうね」

「え? 何事もないかのようにオープンカーが待機してるけど」

「パフォーマンスよパフォーマンス。マコトも旅に出る前、スポンサーの打診があったでしょ?」

「……七光りは無理。私、あの子のこと嫌いかも」

(まあ、シゲル君のパフォーマンスは()()()()()()()いるのか知らないと無理もないわね)

 

 前言撤回、ライバル以前に人として相容れないとマコトは確信した。

 声高々に群衆へと演説するシゲルに対して、マコトの目は次第に冷めていく。

 ポケモン学会の重鎮であるオーキド博士の孫ともあろう者が、祖父の名声をひけらかして品のない行いをしていることに、マコトは軽蔑さえ抱いていた。

 マサラタウンをシゲルタウンに改名してみせる……なんて下らないものから、ポケモンマスターになって帰ってくるという大言壮語まで。どこまで本気なのか、或いは見栄を張りたいだけなのかマコトには分からなかった。分かりたくもなかった。

 母親が偉大すぎて重圧に耐えることすら必至だというのに、このシゲルという少年はトレーナーと言う肩書をただの勲章だと考えているに違いない。表層でしかシゲルを知らないマコトの怒りへ、クロエは困ったように見守ることしか出来なかった。

 

「時間の無駄、クロエ姉も年下に甘すぎだよ。だいたい、オーキド博士の孫だからって本人がすごいわけじゃ────」

「へえ。なら君は、さぞかし強いトレーナーなのかな?」

「……少なくともアンタよりはね。そっちみたいに身内自慢で箔をつけようだなんて思ったことは、一回もないんだから」

 

 群衆に紛れていたマコトが、呆れと怒りを滲ませて踵を返そうとした瞬間のこと。

 揚々と将来について説いていたシゲルは、急に冷淡な声音を発してマコトの足を釘付けにした。

 聴衆もシーンと静まり返ってしまう。

 得意げに語っていたシゲルの姿が遠い昔のようで、瞳には理知的な光が宿り、整った相好も好戦的な笑みを(えが)いていた。

 静寂が行き渡る。シゲルの応援に駆け付けた人々は、海を割るかのようにマコトから離れて、シゲルとマコトの間に空間が出来上がった。

 マコトも一切動じていない。相棒のポッチャマが進み出て、マコトは一緒にシゲルを睨みつける。だが、その眼差しに僅かな喜色が含まれていたことを察せたのは、この場にいるクロエと()()()だけだった。

 

「……あれ? ナナミさん?」

「久しぶりね~マコトちゃん。ポッチャマも元気そうで良かったわ~」

「ポチャ!?」

 

 途端に、軋んだ空気が弛緩した。

 

「姉さん……今いい所だったじゃないか。普通ここは、目があったらバトルのシーンだろう?」

「でもホラ、シゲルにはまだ()()を渡してなかったから」

「そりゃどうも」

 

 ナナミから手渡されたボールをそのままホルダーに仕舞い、シゲルはマコトへと向き直った。

 

「では早速、僕のパートナーを呼ばせてもらおうか。来い! イーブイ!」

「ブイッ!」

 

 シゲルの掛け声に答えたのは、まさかのオープンカーからだった。

 小さな影が車から飛び出し、シゲルの目の前へと着地する。

 クリっとした眼。モフモフな毛並み。表情は自信に溢れていて、パートナーであるシゲルとそっくりである。着地までの身のこなしだって、マコトがバトルしてきたどのポケモンよりも優雅だった。

 思った以上に()()()。マコトは初見で、シゲルのイーブイが秘めたポテンシャルを見抜いていた。

 

「ふーん。アンタもパートナーはボールに入れてないんだ」

「イーブイは特別だからね。それじゃあ仕切り直しと行こうか。ああ、諸君は少し離れていてくれたまえ。不肖シゲル、浅学菲才ではありますが、お祖父様の名に恥じぬバトルを皆様へご覧にいれましょう」

「な~にが浅学菲才よ! トレーナーズスクールの全国模試一位のくせしてさ。行くわよポッチャ……マ…………あれ?」

 

 役者は揃った。オーキド研究所の前でバトルと、舞台だってお誂え向き。

 ここでシゲルを打ち負かしたら痛快だろう。

 もうマコトの中では、シゲルへの嫌悪よりも期待が上回っていた。

 けれど、勢いのままバトルを始めようとしたマコトの前に、ポッチャマはいつまで経ってもやってこない。

 キョロキョロと見回しても見つからず、対面のシゲルとイーブイすら揃って同時に小首を傾げていた。そこまでトレーナーとポケモンが息ピッタリなのは、敵愾心を抱いていたマコトだって絆を認めざるを得ない。

 

「マコト、その、言いにくいんだけど……ポッチャマが」

 

 群衆をかき分けて現れたクロエの背中に、どういうわけかポッチャマが張り付いていた。

 怪訝そうにするシゲルはともかく、マコトは全てを悟ってしまった。

 

「も~ポッチャマ! 今からバトルが始まるんだよ!?」

「ポチャ! ポチャチャチャチャ、ポチャ!」

「あらあら~。なら私がポッチャマを預かって────」

「あー……姉さんストップ、それは逆効果だ。マコトって言ったか? 他にポケモンはいないのかい?」

「いるにはいるけど……ポッチャマったら臆病なんだから」

「ポチャポチャ、ポッチャマ!」

「『怖いものは怖い!』って言ってるわね」

「怖がりさんで可愛いわね~」

「姉さんは少し自覚してくれ……。なら、もう一体のポケモンでも構わない。一対一でやろう」

「仕方ないか。出てきて、ラプラス!」

 

 ぐずってしまったポッチャマは、そのままクロエの肩にしがみついて首を横にブンブンと振る。ここまで拒否されては、マコトも無理強いする気になれなかった。

 残りの手持ちは一匹だけ。ポッチャマが一番のパートナーなら、このラプラスはトレーナーとして初めて自分の力でゲットしたとっておきだ。

 最初に貰うポケモンと、独り立ちしてゲットした初めてのポケモン。どちらもトレーナーにとっては特別な存在だから、優劣なんてあるはずもない。

 事実、マコトはラプラスへと全幅の信頼を寄せていた。

 

「行くよラプラス! 気取ったあのイーブイを氷漬けにしちゃいなさい!」

「初戦の役者には十分以上だな。イーブイ、準備はいいか?」

 

 互いに、バトルへの気概は十分。

 ひりついた威圧感の中、シゲルの見送りで来ていた人々も、ゴクリと固唾を飲んで唐突に始まったバトルを見守った。

 数秒、シゲルのイーブイがジリジリと間合いを測って、数センチずつラプラスとの距離を縮めていく。

 ラプラスもまた、得意なフィールドではない地上ということもあり、射程圏内であっても無闇に攻撃せずマコトの指示を待っていた。

 新人トレーナー同士とは思えないほど成熟したバトルに、クロエとナナミは瞠目する。一触即発、されど互いの領域に触れるか触れないかのところで、シゲルのイーブイは足を止めてから後退を繰り返すのだ。

 焦らすイーブイと、自然体のまま挑発に乗らないラプラス。

 2体に共通して言えるのは、新人トレーナーの鬼門であるポケモンとトレーナーの信頼関係がしっかりと結ばれているということ。

 そして戦況を動かそうとしたのは、ラプラスのトレーナーであるマコトだった。

 

「ラプラス今よ────」

「イーブイ────」

 

 遅れてシゲルも指示を始める。

 マコトのラプラスが流れを掴むのか、はたまたシゲルのイーブイが隙を生み出して勝機を掴むのか。

 マコトとシゲルが冷や汗を一滴だけ浮かべたちょうどその時、

 

「うわあああどいてくれー!」

 

 情けない叫び声と共に、シゲルやマコトと変わらないくらいの少年が、ラプラスとイーブイの間へとパジャマ姿で転がり込んできたのだった。

*1
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*2
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