艦隊これくしょんー啓開の鏑矢ー 作:オーバードライヴ/ドクタークレフ
長い、夢を見ていた。
解決したはずの景色だ。忘れたはずの景色だ。そんな記憶を覚えていたところで、後悔と呵責が膨らむだけだ。夢だと気がついているというのにそれをシャットダウンすることもできない。電脳化したというのにいまだ肉体の檻から脱出することはかなわないらしい。
記憶通りの姿の彼女。その彼女がこちらの手を駄々っ子のように引いて、泣く。珍しいことだ。バレッタの髪留めが揺れていた。彼女の言の葉が耳朶を打つ。聞こえているはずなのに、まるで水の中の様に音がくぐもって何を言っているのかはわからない。変な感じだ。頭がひどく痛む。間違い無くここは夢だ。無理に解決する必要もあるまい。目が覚めたらまた戦いが待っていることだけは確かなのだから。
『――――そう言って、彼女を切り捨てるのね?』
「……仮眠中に予告なく電脳通信繋ぐな馬鹿野郎。ノイズが気持ち悪い」
首の後ろのチリチリとした感覚に目を開く。ぼんやりとした視界がすぐにクリアになる、目の前の手が動いた。
『ごめんなさいね。でも結構緊急なのよ』
『スキュラの緊急は信じられねぇことが多いがな、何事だ』
電脳通信に切り替えてから身体を起こす、戦闘態勢時に着用する作業服は軽く汗を吸っていた。横着せずに着替えるべきだったかもしれない。もっとも着替えても代わり映えもしない同じ服だから一緒か。
『ガトーにしては珍しいわね。感情が透けてくるなんて、寝ぼけているのかしら?』
『俺は何事かと聞いたんだ。緊急と言ったのはそちらだろう。ビジネスライクにいこう』
『あら、そう。ならいいわ。結論から言うわ。AL/MI作戦、オペレーション・ウェヌス・リベルティナは成功してはならない』
『ほう、どういう意味だ?』
『文字通りよ。AL隊を守りたければ、ね』
その声を聞いて笑い声を響かせる。
『どういう風の吹き回しだ? 失敗させたところで極東方面隊になんのメリットがある?』
『極東方面隊にはないわ。ただ
『不手際で士官の一人を殺しかけた程度で国連海軍の根底が揺らぐか? その程度のお粗末さなら、とっくに世界は崩壊してる』
『そういう単純な問題じゃないのよ。オペレーション・ウォルシンガムは高峰大佐を中心に動いていた長期的な欺瞞作戦だった』
「……高峰が?」
肉声で返してしまう。そんなことが、起こりえるのだろうか。
『全部アンタを守るためよ。好かれてるじゃないか。上手いこと公私混同して高峰春斗は
耳を疑う情報だった。線の細い、軍服が似合わないあの姿を幻視する。
『特設調査部は名前からも分かるとおり、ナンバリング外の部隊。元来は非常設の部隊のはずだった。水上用自律駆動兵装が未だ秘密兵器だったころ、その情報の優位性を担保するため、そしてその優位性をもって、国連海軍が効率良く要港を押さえ、海運を回復させる政治力を保障するための部隊。そしてその役割は
歌うような声。スキュラの演説は止まらない。
『守るべき情報は艦娘の運用に必要な情報類。それはすなわち、中央戦略コンピューターを守ることと同義だった。中央戦略コンピューターは国連軍にとって救世主だった。水上用自律駆動兵装を多数管理し、記憶の乖離を防ぐためのバックアップサーバーの役割を果たした。これが無ければ人類はとっくに滅んでいた。しかし、既に役割を終えつつある。バックアップがバックアップの役割を果たさなくなった。その段階ですでに、中央戦略コンピューターの利用価値はなくなっている。もう、言いたいことは分かるだろう。ガトーはそこまでバカではない』
『国連海軍は、中央戦略コンピューターに見切りをつけた、か』
『その通り。問題は艦娘のバックアップが潰れるから『アイデンティティー・インフォメーション』の寿命が短くなることだけど、人間の寿命と端から大差ない。義体の乗り換えのリスクは私達ヘヴィ・サイボーグと大差ない。兵器としての寿命は長すぎるぐらいだ。その間に別のシステムにアップデートされる。それまで十分に役割は担えると、国連海軍は判断した』
『CSCがやたらと保身に走りそうなのは理解した。機械にも保身や焦りがあるのかどうかはこの際置いておくがね、それがなぜAL/MI作戦の成功を忌避する事態になる?』
ベッドに腰掛けたまま、彼女の言葉を待つ。
『わからない? オペレーション・ウォルシンガムという欺瞞作戦は成功した。そのカバーの下にあったオペレーション・グロリアーナは合田少佐を刈り取ろうとした部隊のあぶり出しなんてそんな陳腐なもので終わるものではない。グラウコスのあぶり出しはそのおまけに過ぎない。本来の目的は――――中央戦略コンピューターの完全停止の為の作戦だ。彼は――――そこで、全てを終わらせる気だ』
その言葉に奥歯を噛みしめる。
そんな筋書きが、動いていていいものか。
『筋書き通りいけば、デンちゃんとヒメ……今はほっぽと呼んでと本人は言ってたかな、まあいい。その二人と高峰春斗は中枢部に入った後、CSCから反応が消える。深海棲艦との交渉条件として高峰春斗が持ち出した条件。オペレーション・グロリアーナの終着点。その答えがそこにあるのさ。そしてそれを破裂させた後は、おそらく居場所はないだろう。高峰遙人はおそらく消え去る』
どこか楽しそうなスキュラの声にすら腹を立てながら、彼は続きを待ち続けた。
『彼を喪うのは忍びない。また、デンちゃんの安全については南北アメリカ方面隊がきっと計らってくれるだろうが、確証はないだろう。係わるなといいたかったが、致し方ない。――――出番だ、ガトー。ALを堕とせ。高峰春斗が全てを消し去る前に』
『スキュラ、教えろ』
彼は虚空を睨んだまま、口を開いた。
『お前は一体、誰の味方だ』
『面白いことを聞くね、ガトー』
艦橋からの呼び出しのベルが鳴る。ベッドから立ち上がる。
『世界の味方さ』
扉が開いた。
「どういう状況だ? そして思いっきり笹原が寝落ちしてるのは起こさなくていいのか」
「深々度同調の真っ最中だ。よくやるぜホント」
杉田勝也はそう言って肩をすくめた。
「呼び出しておいて悪いが、こちらにやることはない。だが月刀、お前は聞きたいかなと思って呼び出させてもらった。問題発生は前からだが、今回は異質なんでな」
スクリーンモニターに映った顔と目が合った。クツクツと笑って杉田は低く声を出した。
「寝起き最悪、そう言いたげな顔だな」
「やたらと長い悪夢をみていたような気分だ。それで、状況は?」
不機嫌そうな顔を隠すことなく月刀航暉が問いかける。
「結論から言えば、MIは唐突に戦闘が終わった」
「……冗談は寝て言え」
「冗談だと思うなら電探の情報見てみろ。
そう言って杉田は目の前のコンソールを親指で乱暴に示した。指揮官席を半分回して航暉の方を見る。
「いきなり敵の反応が消えたのは8分前、最前線に出していた川内曰く『何もしてないのにいきなり敵が爆ぜた』そうだ」
「自爆……いや、だとするならクラッターノイズもなく海面が落ち着くはずもないか」
ご名答、と答えて杉田が肩をすくめる。
「んで、その時に川内に潜っていた笹原がこの有様だ。脳波は安定してる。気絶というよりは、身体のリソースを全部川内に回してる感じだな。マジで反応がないんだよ。渡井、水中ソナーの様子は?」
「クリーン過ぎて寒気がするよ」
離れた席から声がする、椅子の背もたれの影からひらひらと手を振るのが見えた。
「ボクたちが戦ってたのは一体なんだったんだ。これだと無駄に弾を撃っていたようにしか見えないぐらい、海中に不穏なノイズがないんだ。初めておっかなびっくりソナー触ってた頃を思い出すね」
「明鏡の渡井に見えないなら、そうか。確度は高いか」
航暉はそう言って顎に手を当て考える。
「誘引されていたのは俺たちだったみたいなオチじゃないだろうな」
杉田の目が航暉を睨む。
「……その可能性を、今、考えていた」
航暉が杉田の肩を叩く。交代の合図だ。
「大丈夫なのか?」
「休憩時間の問題か?」
「顔色が悪いぞ、月刀」
「他人に任せて良い状況じゃなさそうなんでな。杉田、鷹の目の用意を。海域を離脱する」
「了解」
杉田がそう言ってガンナーシートに向かう。ソレを目の端で追いながら、航暉は背もたれからケーブルを引き出す。
「死なせなんてしねぇぞ、高峰」
ログオン。電子世界に月刀航暉が飛びだしていく。
「電ちゃん!」
高峰春斗がとっさに彼女を引き寄せ物陰に伏せる。天井からパラパラと降ってくる埃を見て、天井が崩れないことを祈った。
「まったく、勘弁してくださいよ井矢崎少将……」
苦しげな笑いを浮かべ、高峰はチカチカと揺れる灯りを見た。
「ほっぽちゃん、電ちゃん、生きてるね?」
「は、はいなのです……!」
北方棲姫は白い顔を更に白くしてコクコクと頷いていた。
「どうやら相当に俺たちの都合が悪いらしいな」
そう言いながら高峰は両腕をあげて降参の意味を示す。両脇にいた案内役の重巡リ級から向けられた砲門をちらりと見てからため息をつく。
「あー、うん。ほっぽちゃん、翻訳お願い。“少なくとも私たちに敵意はない。私達が中にいる限り完全に潰すことはないだろう”」
北方棲姫が必死に高峰の声を翻訳して伝える。どうせまともに逃げられない状況であることは向こうも分かっていると信じたい。実際相手はこちらを砲で小突くようにしながら前に進めていく。高峰はため息をついた。
「まったく、状況をややこしくしてくれる。何を考えているんだか本当に……」
砲撃の衝撃はこちら側の艦娘の威力を超えていた。おそらくは南北アメリカ方面群の艦艇からの長距離砲撃。一回だけで済んでいるのを考えればとりあえずは『誤射』か。そんなことを考えながら高峰は横の壁を見る。
白い壁は明らかな人工物、経年劣化は見られるが、塗布されていただろうUV皮膜が残っていた。足下の床も黒ずみが目立つものの、しっかりと整備されている。
(もとは医療施設か。なるほど『人型』が暮らすには過ごしやすい場所だ)
頭の中で島の地図を見る。深海棲艦との争いが発生する前、ここは人が住んでいた島だったはずだ。その施設をそのまま利用しているのだとしたら説明はつく。地図上では帝政アメリカが持っていた土地で軍施設を作っていたと把握しているが、それが転用されているとなるとコトである。
高峰は自分の目の前を進む二人の少女を見る。茶髪の髪を揺らす彼女は後ろ姿だけみると、至極落ち着いて見えた。
(相変わらず、とんでもないな、二人とも)
苦笑いを飲み込んで、平静を装う。この世界の重責を、この世界の歪を背負ってこの異形の腸に潜り込んでもなお、まっすぐと歩める。その精神力に驚嘆する。そんな重圧に耐えられるのは豪胆なのか、認識が甘いのか。高峰には判別が着かなかった。
「まぁ、かくいう私も、か」
「なにがです?」
小声で返ってきた返事に高峰はなんでもない、とだけ返し、その先に目線を向けた。敵の中枢、異形の腸、深海棲艦の本拠地に乗り込んでいるはずなのに、見えるのは人間がかつて使っていたであろう廃病院だ。ここが本当に敵施設なのか疑いたくなるが、後ろからピタリとついてくる重巡リ級がその疑問を抑え込む。
この世界は、
海を切り拓くためにつくられた水上用自律駆動兵装、艦娘。少女を象ってはいるものの、兵器として扱われるそれを使役し戦線を押し上げ、海を奪還せんとする水上用自律駆動兵装運用士官。
そして海を奪った張本人であるはずの、深海棲艦。
(その本拠地の一つが病を治す病院というのは、皮肉が効きすぎだな)
笑っていると、目の前でピタリと足が止まった。古ぼけている看板にあるのはOPERATING ROOM 1の文字。それを見て本当に笑ってしまった。
「高峰さん?」
「大丈夫、案内されたのが『オペ室』なんて本当におあつらえ向きだなって思っただけさ。さぁ……いこうか、歴史的瞬間だ。どんなオペレーションになるやら、楽しもうじゃないか」
高峰春斗はそう言って、制帽を正した。頭の中でカチリとスイッチが切り替わる。
電脳をオフラインに移行させる。その直前、短いメッセージが飛び込んでくる。
再会を必ず。
送り人のアドレスはない。もう一度繋げばすぐに特定できるだろうが、しなくてもなんとなく送り人に予想はついた。
――――すまんな青葉、さよならだ。
扉が開いた。
もう戻れない。
「……ばか」
……2年ぶりの更新です。いかがでしたでしょうか。
2年間もお待たせしてしまい、大変申し訳ありませんでした。
この間、うつ病じみた症状に悩まされたり、社会人になって激務に忙殺されていたりといろいろ大問題な感じになっていました。また、本作の時系列上、どうしても矛盾が生じてしまうため、その回避のためのシナリオづくりが難航してしまったことが原因にあります。
それでも、なんとか戻ってきました。
スロー更新になりますが、完結まで歩いていきたいと思います。
感想への返信が遅れてしまうかもしれませんが、そのときは何卒ご容赦ください。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
オーバードライヴ