艦隊これくしょんー啓開の鏑矢ー 作:オーバードライヴ/ドクタークレフ
それでは、抜錨!
彼は“彼”の元へと向かう、ハンチングを後ろ向きに被った彼は“彼”の姿を見て静かに笑った。“彼”の手元には黒の国連海軍の制帽があった。上級士官であることを示す鍔に入った金の桜花紋がどこかオレンジのきつい室内灯に照らされる。
「……言語能力を喪失したと聞いていたんだがな」
「スキュラのおかげさ。補助電脳のおかげで言語能力がある程度回復した。イメージから言語の変換に僅かにタイムラグがある。そこは許しておくれよ」
「それで?」
彼は“彼”の前まで来るとわずかに笑った。
「俺に聞いてほしいと言うことはなんだ?」
「君の妹たちをこうしたのは、私だ」
その告解に彼は静かに目を細めた。
「どういうことだ?」
彼のその問いに“彼”は小さく項垂れた。
「自律駆動兵装の開発計画……その計画のために私は尽力した。誰も死なない、もう誰も死ぬことのない世界を作る、その手助けができると信じていた」
要領を得ない答えに彼は静かに苛立つ。それでも“彼”の言葉の先を待った。
「……君たちの父親が亡くなったことで、軍の実権はほぼすべて月刀利郁のものとなった。軍人にして、持てる者の義務―――――ノブレスオブリージュを成す人格者であろうとした君たちの父親は、月刀家にとっては目の上のたんこぶでしかなかった。だから殺されてしまった。それが暗殺であることは暗黙の了解だった。そしてその後にクーデターがあることも、各軍の将クラスの人間は知っていただろう。私はその時は自衛海軍の二佐だったがうっすらとその空気を感じていたものさ。上官の海将補から身の振り方を考えておけとも言われたこともあった」
“彼”の目元には影が落ちその色を窺うことはできない。それでもそこには悔恨の匂いが混じっているように見える。
「その頃、私は30代後半、油が乗り切ったころで、出世のペースは中の上といったところだった。出世欲がなかったとは言わない。下心がなかったとも言わない。でも、私は私なりの正義を持ってこの職務についてきた。……いつか、日本を再び平和な社会へと引き戻す。そのための礎となり、血の川を渡る、その覚悟を持ってやってきたつもりだ。自らの部下を守り、その部下はまた、その部下を守るだろう。軍を守り、その軍が守るべき日本の社会を守るためにはその鼠講の頂点、できる限り上に就く必要があった。だから私は力を欲した。だから月刀家のクーデターを黙認した。防衛組織の地位を高め、より皆を守れる組織にするために」
そう言うと“彼”は自嘲するような笑みを口の端に浮かべた。噛み殺したような笑いが響く。
「部下が死ぬところを何度も見てきた。その度に上に立つ必要性を感じた。そう言うタイミングで、そのチャンスがやってきてしまったんだ。次世代型無人兵装の開発プロジェクト、それの立ち上げメンバーとして関与しないか。……プログラムの計画を読んで、それは戦場を変えると確信した。高性能AIと高火力武装を積んだアンドロイドによる戦線、陸軍の計画を元に海上用に転用できないかという構想……実に魅力的だった。もうこれで部下が死ぬところを見なくて済むと、本気で歓喜した。これは次世代の防衛構想の根幹を担うプログラムだと思った。これの運用士官第一期生、いや、その教官として関わることになれば、それで成り上がれる。それで得た権力でさらに仲間を守れる。……そう考えて私はライ麦計画のプロジェクトチームに入った」
あたりは地鳴りのような機械の駆動音がどこからともなく入り込んでいた。“彼”の言葉の余韻はそれの合間に消えてゆく。
「その時は、本気でその理想を信じていた。それを成せると信じていた。そのために予算獲得のための暗澹な会議に参加し、上がってくる報告を聞き、サインをし続けた。そのサインがどこでどういう使われ方をしてるか知らないままに。そして、私は……ただの傀儡と成り果てた」
“彼”の頭は完全に地面を向き、彼からはその口許すら見えなくなる。
「……“それ”に気がついたのは、その結果が艦娘となって帰って来た時だった。気がつくのにはあまりに遅すぎた。疑うきっかけはいくつもあった。それでも私は見ないふりをしてきた。そのツケが返ってきたんだ。兵器に載せられたのは拡張型AIではなく、子どもの魂だった。……絶望したよ。私のサインはそれのゴーサインだったんだ。子どもに銃を持たせ、戦場に送り出したのは他でもない、私だった」
その声はわずかに揺れ、それはすぐに収まる。いつの間にか制帽は地面に落ちていた。
「私は予定調和のように水上用自律駆動兵装運用士官のテストオフィサーとなった。重巡洋艦のテスターでね、私の元に最初に来た少女は古鷹だった。……偽りの記憶も、出自も疑うことなく受け入れている彼女に私は最初は嫌悪すら抱いたもんだった。自らが生み出したものなのに……身勝手なものだよ」
“彼”はそう言うと首を振った。
「古鷹は、きっとそういう私を見抜いていたんだろうと思う。それでも私を信じて疑わない彼女は痛々しくもあった。次々くる子も同じような感じだ。当然だった。元々艦娘は指揮官に敵意を向けない様に調整されてくる。その歪さにすら慣れていく。どんどん水上用自律駆動兵装が実用化されていくにつれ、その歪にも慣れていく」
彼はただ言葉もなく聞いていた。
「そうして……君の妹たちもやってきた。それとほぼ期を同じにして君が国連海軍に入隊したとの連絡も入った」
“彼”は両手を組んで額に当てた。……まるで祈りでも捧げるかのようなポーズだ。
「やっと、やっとこれで罪滅ぼしができると思った。いくら言葉を尽くしても、いくら君を守ってもそれは私の罪を薄めようとする自己満足的な贖罪に過ぎないことはわかっている。だが事実として、君の妹たちをモルモットにしたのは紛れもなくこの私であり、少しでもこの罪を軽くしたかった。軽くはならないと知っていもいたがね」
彼はそれをただ静かに聞いていた。表情を忘れたような顔でただ“彼”を見下ろす。
「……航暉、頼む。私を殺してくれ」
“彼”はそう言うとわずかに肩を揺らす。
「……こんなことを君に頼むのは、傲慢なのだろうと思う。だが、私は殺されるなら君にと決めていた」
囁くような声がやけに響いた。
「君の人生をめちゃくちゃにした。家族も名前も奪い、その家族すらまともに弔えないまま君を戦場に追い立てた。その苦しみは私の貧弱な想像力をはるかに上回るだろうと思う。その罪は私の首一つで収まるものじゃないことは百も承知している。そして、私がこう話すことすら、もう傲慢であることも、把握してるつもりだ」
“彼”は顔を上げた。彼の知っている顔より幾分老けた顔だった。
「私が君と君の妹たちを知ったときには、もう君しか救えなかった。咎人の唯一の贖罪として、君を死なせないことをずっと……自らに課してきた。だが、もう私は君の力になれそうもない。だから……」
「中将」
彼が口を開く。
「もう、俺しか救えなかった? 違うな、全然違う。もう俺は“ゾンビー”なんですよ。あの日、砺波ジャンクションの事故で死に損なった、ただのゾンビーだ」
レッグホルスタに手を伸ばしながら彼はそう言った。
「死ぬことも、生きることもできないまま、16年間過ごしてきた。……ねぇ中将? あなたにとって守りたいものってなんでした?」
「……部下だった。その部下ももう、戻ってこない」
「……俺は、家族だったよ、中将。それももう、戻ってこない」
取り出したのはM93R、すでに薬室には9×19mmパラベラム弾が送り込まれていた。セレクタをセミオートにずらす。
「死ねないゾンビーの願いってわかりますか?」
「……死ぬこと、か」
「中将が死を望むように、俺もまた、死に場所を探してた。……死にたがり同士のよしみです」
エレベーターシャフト、地下三階。
そのドアの影で高峰はショットガンのシェルを薬室に叩き込んだ。手にはダブルオーバックの散弾が詰まったシェルがあり、それが一気に飛び出していく。
「こちとら生身できついんだよ」
金属製のドアはすでに弾痕でぼこぼこだった。
「電、跳弾とかで死んでないだろうな?」
「だ、大丈夫なのです……」
エレベーターシャフトは1メートルほど床面レベルよりも低いところに最下面があり、電はそこにしゃがみ込んでいた。その頭上を機関銃の乱射の射線が飛び抜ける。
「……熱源に向って銃弾を送り込むだけとなると、ゴーストダビングした後アフターケアを入れてないな?……っと!」
高峰はそう言うと扉の影で体を回す。ドアの強度がそろそろ限界らしい。高峰のヘルメットの脇に弾痕を空けた。ゆっくりとドアから下がるように距離を取ると少しずつ視界が開けてくる。射線の影いっぱいまで下がると相手の影が僅かに見える。
「電、今は動くなよ!」
その影の大体の位置に狙いをつけ、引き金を引く。同時に反対側のドアの影に向けて走る。そうしながら引き金を引きっぱなしにしたままポンピング、ワンストローク終わるときにはもう次弾が飛び出していた。――――スラムファイア、そうして飛び出した散弾はある程度の面を持って相手に食い込んだ。
「防弾チョッキサマサマだなくそっ」
反対側のドアの影で高峰は毒づいた。まだ銃撃は続く。目視した限りでは2体のガイノイドに数発は確実にヒットしていた。エイミングがおろそかだったとはいえ、普通の人間やアンドロイドなら動きを止める。
「完全に痛覚切って、警報も全部解除してるのか?……イカれてるぜ、まったく。文字通り電脳止めるまで相手は止まらんか」
「高峰さん……足……」
「問題ねぇよ、高々22口径の跳弾が一発掠っただけだ。当たっても鉛筆の芯みたいなもんさ」
電の視線の先に僅かに血が垂れる。血の筋を遡れば、左の太ももから黒いズボンの色が僅かに変わっているのがかろうじて分かった。高峰は毒づきながらもスラッグ弾をローディングゲートから弾倉に突っ込んでいく。相手の銃撃の角度が僅かに変わる。
「……移動してんな」
薬室に直接スラッグ弾が詰まったシェルを放り込み、フォールデングストックを肩に当てる。高峰は小さく溜息をついた。
「そろそろ決めたいが、いけるか」
高峰はもう一度扉の影でライフルを構える。そのタイミングで重い“砲撃音”が響いた。
「……!?」
銃撃がほぼ同時に止む。高峰はゆっくりとエレベーターホールを覗きこむ。
「……大丈夫か?」
「それはこっちのセリフだよ」
煙を上げる単装砲を担ぐようにした少女の金色の髪が揺れる。その足元には小さく火花を上げる義体が二つ転がっていた。
「皐月ちゃん……だね?」
「うん、ちゃんとそっくりさんじゃなくて、DD-MT05の皐月だよ」
「……君がいると言うことは、浜地中佐は」
「ここですよ」
苦りきった声がする。その方向を見ると黒い服を着た浜地中佐が見えた。
「皐月、先行しすぎだ」
「ごめんごめん司令官、でもちゃんとやったでしょ?」
「ちゃんとやったのはいいが置いてくなよ」
それを聞きながら高峰は小さく溜息をついた。
「俺たちを助けたってことは月刀航暉の確保に協力してくれるってことでいいのかな?」
高峰はショットガンのストックを肩から外しつつそう言った。電は彼がまだセーフティを駆けていないのを見て息をひそめていた。
「まぁ、そういうことで。……俺にとってはここを止める理由が薄くなっちゃったんで」
「……そうかい」
高峰は皐月と彼を見比べて、大体何があったか察したようだった。
「上がれます? 中佐」
「……俺の階級は月刀大佐から聞いたのか?」
「“俺がいなくなっても部下のことは高峰がなんとかするだろう”って言ってましたからね」
その声にビクッと肩を震わせたのは電である。
「電ちゃんは久しぶりかな」
「お、お久しぶりなのです。あの、さっき言ってた、“俺がいなくなっても”って本当ですか?」
「俺はそう聞いたけど?」
「……生きて帰る気なしってか」
高峰は浜地の手を借りながらエレベーターホールに上がる。
「……止血帯ありますけど、使います?」
「頼むよ」
浜地から受け取った止血帯を足に巻きながら高峰は改めて地下三階のマップを確認する。
「青葉、まだ通信残ってるか?」
《こちら、青葉。ノイズ結構走ってますけど》
「警備室のデータ掌握してるな? 侵入者のトラッキング、カズらしいものはどこで途切れた?」
《えっと……最後は地下二階ですが、最後に警備ドローンの通信途絶の跡をたどると地下三階B-5通路、その先には合金骨格の保管庫だけなので、そこに向かったかと》
「わかった、杉田は? 死んでないだろうな?」
《もうすぐ地下三階に到着します》
青葉の声を聞きながら高峰はショットガンからFN FiveseveN拳銃に持ち替えた。痛みを気にしながらも立ち上がる。
「浜地中佐、悪いがこちらの指示に従ってもらう。いいね?」
「……わかりました」
高峰は拳銃を低く保持したまま廊下を歩く。
「……っ!」
「ひでぇな……こりゃ」
正確に電脳を吹っ飛ばされた義体が1つ、近くの廊下の角には2つ転がっていた。壁にはいくつもの弾痕が散らばっていた。空薬莢と白濁したナノマシン溶液に塗れた義体を見て電は足を竦めた。
「10番ゲージのブリネッキスラッグか……物騒なもん使ってやがる」
高峰は感情を殺してそう言った。
「向こうからきて、ここで二発。この子を壊して前進、その角でガリルの掃射にあうが、重みを減らしたうえで飛び込んだ。短機関銃に……マチェットかなにかを振り下ろしてるな。どちらも電脳をスラッグで吹っ飛ばされてるか」
「そんなところだな」
後方で野太い声がする、杉田陣営が合流した。
「なんだ、お前被弾したのか」
「跳弾だ」
「不用心だな」
振り返った高峰はどこか皮肉げな笑みを浮かべた杉田に向って肩を竦める。
「これは……司令官がやったのか?」
「だろうな。10番ゲージなんて軍じゃ使わないからな」
天龍の声に杉田が答えれば杉田も銃を拳銃に持ち替えた。
「で? この先だな?」
「あぁ」
高峰が先導するように歩き出す。その背中を追うように雷電姉妹が小走りについていった。
「今のって、いまの義体って……」
「わかっているのです。お姉ちゃん……言わなくても、わかっているのです」
電はそう言って前に向かう。高峰が第三保管室と書かれた部屋に拳銃を構えながら入っていくところだった。
「誰もいない、か……」
「司令官さんは……」
「そもそもここに来なかったか、ここから忽然と姿を消したか」
天龍のその声に応えず高峰は迷うことなく進んでいく。
「お、おい」
その後ろを慌てて艦娘たちが追いかける。
「―――――ここだ」
「何が?」
高峰は一つの柱の前で立ち止まる。
「ヒミツの入り口」
高峰は柱に向けてそっとショットガンを向けた。そのまま柱にゆっくりと近づいて……その銃口が柱に突き刺さる。
「……ホログラムか」
「そうだ。杉田、地下三階のマップを参照してみろ、地下二階に重量物が置いてあるわけじゃないのに、地下三階にしかない柱を置くなんておかしいと思わないか?」
「構造上必要のない柱って訳か」
「そう言うことだ。で、この奥には……」
高峰の姿が半分ホロに潜りこむ。すぐに、ズズッとなにかがこすれる重い音がした。
「……地下に続くハッチ、すでにロックが外されていることから見ても」
「この下か」
杉田がホロを潜る。
「お前は殿でたのむよ、杉田。下りたところで奇襲を受けても、お前のでかい図体越しにどう支援を送るんだよ」
「……それもそうか」
高峰がハッチの奥に消える。急なラッタルを下っていく。その後ろを電が後ろ向きでゆっくりと確実にステップを踏んで下りていく。奥が仄明るく光っている。
高峰が一気にそこへと飛び出した。
「動くな! 銃を置け、……カズ」
電が下りた先では拳銃を構えた高峰春斗と、
M93Rを構える、司令官の姿があった。
――――――あぁ、やっと追いついた。
こちらを向く彼の顔をみて、電はただそう思った。
次回は気合いれていきます。
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次回 『00010011 Si Vis Pacem, Para Bellum PHASE4』
嘘は薬か、誠は毒か、相待つて世は悠久に健かなるを得るなり。
それでは次回お会いしましょう。