聖闘士星矢 9年前から頑張って   作:ニラ

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18話

 

 

 中国、江西省九江市の南部にある廬山五老峰。

 清々しい空気と青々と茂る草花。

 深い山々に囲まれた、正に秘境と呼ぶに相応しい――

 

「――田舎だね~」

 

 俺は誰に言うでもなくそう呟いた。

 現在の俺のいる場所は中国の山奥、正確な場所もよく解らない山奥なのだ。

 

 前回スニオン岬の岩牢に入れられていた俺は、牢から出る条件として一つの任を教皇から言い渡された。

 それは特に難しい内容ではなく、単に『手紙を渡してこい』といった程度のことだった。

 だったのだが――大方の予想通りそれは渡す相手が厄介、または渡すまでが面倒といった内容で、

 現在俺が向かっている場所である廬山五老峰も多分に漏れず、正確な地図は存在しないといった不思議ぶり。

 

 黄金聖闘士の連中は場所を知っているようだから一応聞いてきたのだが、それも参考程度にしか役には立たない。

 まぁ、誰だって他所の国の滝の場所を、事細かに説明しろって言われても困るだろうけどさ。

 

 とは言え、世界地図に適当に丸を描いたものを渡されて、『行って来い』は無いのではないだろうか?

 

 何処の特殊工作員だって、こんなのは音を上げると思う。

 まぁとは言え、工作員なんてやったこと無いから知らないがね。

 

「――にしてもだ……。見事に迷ったよな」

 

 鬱葱と茂る森を見渡しながら、俺はそう呟いた。

 ギリシアは聖域から、大体の方角を定めて出発したのだが……どうやら俺は海外と言うものを完全に舐めていたらしい。

 先日にニューギニアに行ったときは、ただシャカの後を付いて行くだけだったからな。

 

 進んできた距離を考えれば既に中国には入っており、最悪でも周辺の省……良くて近くの市、

 奇跡が起きれば九江市の五老峰近くに居ると思うのだが……。

 

「奇跡はそうそう起きないと思う」

 

 そもそもそんなに簡単に奇跡が起きるのなら、俺は聖闘士なんてやってないだろうしな。

 

 一応は一番聖闘士らしい方法として、相手の小宇宙を感じて移動する……という方法が有る。

 天秤座の童虎は、見た目はアレでも中身は18歳。しかもれっきとした黄金聖闘士だ。

 喩え小宇宙を燃やしていなくとも、それなりに身体の外に漏れ出しているのでは? ……なんて事も考えられる。

 

 俺だって一応は聖闘士の端くれ、当然小宇宙を感じることくらいは容易に出来る。

 だから近くに居さえすれば、一度会ったことのある相手ならば直ぐに特定できるのだ。

 

 ……そう、一度会った事のある相手ならだ。

 

 詰まり、会ったこともない相手を特定して探すなんてのは不可能。

 

「まぁ、老師がいきなり小宇宙を最大まで燃やす――って言うのなら話は別なんだがね」

 

 少なくとも243年間、雨の日も風の日も雪の日も嵐の日も、基本的に何があろうともその場から動こうとはしなかったという人物だ。

 いきなり意味もなく小宇宙を燃やすことなど有りはしないだろう。

 

 となると……

 

「あれ? 俺って遭難したのか?」

 

 不意に、現在の俺の状況が理解でき始めた。

 まさかこの歳(見た目は10歳、中身は30以上)になって迷子とは……。

 

 俺は慌てて懐から方位磁石を取り出し、一緒に地図を――

 

「地図は良いか、出さなくても。どうせ世界地図だし」

 

 そもそも、今現在の場所がよく解らない俺では、正確な行き道を決めることは出来ない。

 ならばせめて、只管に東へ向かおうと言うことだ。

 

 そうすれば少なくとも海に出るだろうし、最悪海沿いに移動をすれば人里に出られるだろうと思ったからだ。

 

「しかしアレだよ……こういう時こそアテナの導きが欲しいというのに」

 

 スニオン岬は日本の反対側と言っても良いくらいに離れてたから仕方が無いけど、

 今は中国に居るんだし、日本のアテナが何かを感じて小宇宙を飛ばしてくれても――無理か?

 

「今のアテナは『お嬢様』だからな……」

 

 ボソッと呟くように俺は言った。

 

 前にも言ったことだが、今現在のアテナは良くも悪くも『沙織お嬢さん』なのである。

 我侭一杯に育てられた典型的なお嬢様。

 それが今代のアテナ城戸沙織だ。

 

 養父である城戸光政の教育は間違っていると言えなくもないが、それも後々に人間らしい生活を捨てることになるアテナの為に、

 せめてもの安らぎを……と考えてのことならば否定することも出来ない。

 事実アテナはこれから僅か数年後には数々の闘いに巻き込まれ、

 城戸沙織としてではなく戦の女神アテナとして振舞わなければならないのだから。

 

 もっとも、それでも一つだけ気になることがある。

 

「アテナに何が有ったのか……ってことだよな」

 

 星矢達が修行に出された時は、少なくともお嬢様状態だったはずだ。

 だが6年後に出会った時は随分と様変わりをしていたことに成る。

 時間が経ってそうなったか、それとも城戸光政が死ぬ前に何かをしたか……。

 

 まぁ、そんな事は俺が気にしても仕方のないことなんだがな。

 

「それよりも問題は、今の状況をどうするのか――ん?」

 

 何だろうか?

 俺は何か、変な喧騒のような音が聞こえた気がした。

 

 ――いよ。

 ―――けて。

 

「間違いじゃない。人の声だ」

 

 かなりの距離が離れているのかその言語の内容は良く解らないが、だが少なくとも人の声だというのは間違いなさそうだ。

 それも随分と切羽詰ったような、只事ではないような雰囲気。

 

「こういうの……首を突っ込まないって選択肢は無いものかな、本当に」

 

 有ってもきっと、今の俺は突っ込む方を選択するのだろうが、

 ボヤくように言うと同時に俺はその場を駈け出していた。

 

 

 

 

 第018話 大方の予想通り……大滝です。

 

 

 

 

「フンッ!」

 

 ビシッ!!

 

「ぐ、ガぁ……」

 

 後頭部に一撃を加えられ、最後の男がその場に倒れ伏した。

 周りには男同様に倒れているのが数人ほど居る。

 

 現在この場で意識のあるのは俺――クライオスと、数人の男達に拐われそうになっていた少女の二人だけだ。

 先程俺が聞いた声はこの少女が無理矢理に連れて行かれそうになった際の問答であったらしい。

 

 現場に駆けつけた俺は、颯爽とこの悪人の方々を懲らしめた訳だ。

 一応手加減をしているので生きているが、暫くは頭痛や嘔吐感、目眩などの症状に悩まされる事だろう。

 まぁ知った事ではないがね。

 

 それよりも

 

「どうしたものかな?」

 

 問題はコッチの方だ。

 俺は未だ泣きグズっていおる少女に視線を向けながらそう言った。

 

 此処は俺にとっては未開の地。

 そしてそんな所で泣いている少女が一人。

 

 警察に任せるにしても、何処にその警察が居るのかも解らない状態だ。

 

「ヒック……ヒック……」

「あー……その、大丈夫だったか?」

「うぅ、ヒック」

「あの……」

「うぅぅ……うぅ」

 

 駄目だ、意思の疎通が出来ない。

 言葉が通じない。

 せめて泣き止んでくれないと、どう仕様も無いではないか。

 

「あのね」

「うぅっう」

「あの――」

「ううううう」

 

 …………ちょっとだけイラッと来たぞ。

 なんだってこんな幼女に怯えられなくちゃならないんだ?

 

 そもそも今の俺は、何方かと言えばヒーローだろ?

 子供のピンチに颯爽と現れたヒーロー。仮面を付けては居ないが。

 

 俺はチラッと少女を見ると、その子はあいも変わらず瞳に涙を貯めてグズっている。

 

 駄目だ、深呼吸しよう深呼吸。

 

 スーハースーハー……よし。

 

「……ちょっとコッチを見なさい」

 

 俺は少女の顔を両手で挟み、グイっと無理矢理に顔を上げさせた。

 少女は一瞬『ビクリッ』と身体を震わせたが、俺はそれでも頬に添えた手を離すことなくジッと正面から見つめ続ける。

 

「良いかい? もう大丈夫なんだ。……もう一回言うぞ、もう大丈夫だ」

「……」

「俺は何もしないし、迷惑を掛けたりもしない。だからもう大丈夫なんだ。良いね?」

「……」

「………」

「…………(コクリ)」

 

 ゆっくりじっくり話すことで、どうやら少女は納得してくれたらしい。

 少女がグズるのを止めたのを確認してから、俺は頬を挟んでいた手を離して大きく息を吐いた。 

 

「あー良かった。……このままだったらどうしようかと思ったよ。俺って保父機能って無いんだな」

 

 まぁまともに考えたら、保父機能に優れた子供ってのもそうそう居ないか。

 

「あり……」

「ん?」

 

 不意に少女が上目使いで声を掛けてきた。

 何だろうか? と俺は首を傾げて正面から見つめ返した。

 

「……ありがとうございました」

 

 未だ完全に元気なったと言うわけではないだろうが、少女は律儀にも俺にお礼を言ってきた。

 どうやら、ちゃんと教育が行き届いているらしい。

 

 俺は少女の事を見つめながら

 

(聖域も教育に力を入れれば良いのに……)

 

 と、無駄なことを考えていた。

 多分、教皇に上申しても無意味だろうからな。

 

 さて――と、俺はグルリと当たりを見回した。

 このまま、この少女を放っておく訳には行かないからな。なんとか人里まで連れて行かねばならない。

 

「家に送ってあげたいけど、でもこんな山の中じゃな……家は何処にあるんだ? 名前は?」

 

 俺は最悪、先刻考えた『只管に東へ――』作戦の決行も視野に入れながら、少女に声をかけた。

 まぁなんだ、何時までも呼び名が『少女』って言うんじゃ言いづらいからな。

 

 俺の問いかけに対し、少女は「えっと……」と可愛らしく口ごもりながら答える。

 

「家はもっと山の中で……名前は春麗(しゅんれい)、です」

 

 成程、この子の名前は春麗と言うらしい……。

 春麗……?

 

「春麗?」

「はい」

 

 確認するように聞く俺の言葉に、彼女……春麗はコクっと頷いて答えた。

 俺は眉間に皺を寄せると「春麗?」と再度名前を呼んでいた。

 春麗は律儀に「はい」なんて返事を返すが、俺の耳は左から右である。

 

「奇跡か?」

 

 天を仰ぐようにして呟く俺だったが、何だが未だ見ぬアテナが「オホホホ」と笑っているような感じがした。

 何だろう? アテナに何か思う所でもあるのかな、俺は。

 

 しかし春麗か……。

 将来の紫龍のお嫁さんが、まさかこんな所に居るとは――って、

 

「じゃあ、此処は廬山の大滝の近く?」

「あ、はい。そうです」

 

 やっぱり奇跡か?

 なんだか、より一層アテナの高笑いが強く耳に響く……。

 俺が表情を崩しているとそれを心配したのか、春麗は「あの、大丈夫ですか?」とか声を掛けてくる。

 ……癒されるなぁ。

 

 俺は将来の紫龍を少しばかり羨ましく思いながら、

 

「いや、何でもないよ。出来ればそこまで案内してくれないか? 俺は老師に用があって、遠くから来たんだ」

 

 とお願いをするのだった。

 

 そして――

 

「でっかいなぁ……」

 

 あっという間に廬山の大滝。

 

 俺が昔居た日本には勿論、聖域にもこんなに大きな滝は無かった。

 一体、秒間何リットルの水が流れ落ちているのだろうか? 滝から落ちる水が霧になって、周囲にモヤを作っている。

 中国滝百選とかってあるのかな?

 

「老師はあそこに居ますよ」

 

 廬山の大瀑布に見入っていた俺の頭の上で、春麗がそう言ってきた。

 現在の春麗立ち位置、それは俺に肩車をされた状態である。……立ち位置ってのも変だが。

 まぁ、一緒に歩いて行くよりもこうして移動したほうが早いからな、俺の場合は。

 

 春麗の言葉に倣って、俺は視線を大滝の前へとスライドさせていく。すると――

 

「…………」

 

 居た。

 確かに居た。

 編笠のような物を被った小男。血色の悪い老人が、確かに一人座っている。

 

 俺はゴクリと息を呑むと、ゆっくりと老師――童虎に近づいていった。

 春麗を肩に乗せたまま。

 

「――誰じゃ?」

 

 滝の方を見つめたままの童虎がそう口にして言ってくる。

 水が落ちる音がしているのに、それでも耳に入る不思議な声だ。

 

 俺は目の前に居る人物に、少なからず緊張を覚えてしまう。

 

「聖域から来ました。クライオスと言います」

「聖域じゃと?」

 

 あ、肌で感じるくらいに童虎雰囲気が変わった。

 どうやら『聖域』と言う言葉に反応をしたらしい。

 

「それで? そのお主が儂に何のようじゃ?」

「はい。実は教皇から手紙を預かってまして――」

「帰るがいい」

 

 反応早いなぁ。

 俺、まだ手紙も出してないのに。

 やっぱり童虎は、教皇が偽物だってこと知ってるんだろうな。

 だからこうして聖域に対して疑念を抱いているのだろう。

 

「ですがね老師。俺も一応は任務で此処に来てる訳でして、『駄目でした』って言って帰るわけには行かないんですよ」

 

 そうなったらまた投獄だからね。

 俺の言葉に童虎は何も答えない、だが少し間を置くと

 

「此処に任務で来たと言うたな? お主は聖闘士か?」

 

 と、質問をしてきた。

 俺は「へ?」と目を丸くして言ったが、直ぐに表情を正して

 

「そうですよ、確かに俺は聖闘士です。白銀聖闘士」

 

 そう胸を張って言った。

 原作キャラの星矢達よりも、ずっと早く聖闘士になったのは実はちょっと自慢だったりする。

 まぁ、それを言える相手は居ないけどな。

 俺は笑顔で童虎に言ったのだが、だが童虎の反応はというと

 

「……やれやれ、若いの」

 

 なんて言ってきた。

 そりゃ、貴方と比べればこの地球上の生き物は皆が若いでしょうよ。

 

「儂の言っておるのは年齢のことではないぞ。その在り方のことよ。それだけの力を持っておきながら、モノを見る目が養われておらぬ。目の前の物事

 

がどんな意味を持つのか? その事を知ろうともせぬのではな」

 

 ……要約すると、その年で白銀聖闘士なんてたいしたモノだ。

 だが教皇(サガ)の使いっ走りをしてるなんて、なんと言う愚かなことか。

 

 ――と、言っているのか? もしかして。

 

 とは言ってもな。

 今現在の状態で、サガが何か悪いことをした訳ではないし――いや、教皇の殺害とかアテナ殺害未遂、それとアイオロスの抹殺とかはあるけど、

 それ以外の事では基本的に『善い事』をしてるんだよな、サガって。

 

 『万物には、絶対的なものなど存在しない』

 

 この世の中には、完全なる悪も、そして完全なる善も有りはしないのだ……とはシャカの言葉だが、俺もそれは同感だと思う。

 皆が皆で幸せになれる、誰も泣くことのない世界なんてのは不可能だろう。

 そんな物があるのなら、そもそも聖戦なんて起きないからな。

 

 だからこそ、俺はサガのやっている事はある程度許容しているんだが……

 

「老師は、現在の聖域に不満があるのですか?」

「不満? そんなモノは有りはせんよ。儂にあるのは、ただただ許せんと言う思いだけじゃ」

 

 童虎はただ、キッパリとそう言ってきた。

 詰まり、今の教皇――サガを許すことは出来ない……と。

 でもまぁ、きっと今の教皇を必要だと思っているのかもしれないな。

 もしくはこの先に起きる聖戦に向けて、聖域の力が削がれるような――内乱のような事は避けるべきだと。

 

「まァいいや。では老師、教皇からの親書を預かってますので受け取ってください」

「そんなモノは要らん。持って帰るがいい」

「……だから、そういう訳にも行かないんですよ」

「大方聖域に来いだの、頭を下げろだのといった内容なのじゃろう?」

「さぁ? でもまぁ、多分そうだと思いますよ」

「…………」

 

 この反応からすると、きっと聖域からの親書ってのは今回が初めてではないんだろうな。

 サガも、童虎に嫌われてるのを理解すれば良いのに。

 あーいや、解っていても対外的な理由で出さざるを得ないのかな?

 

「じゃあこうしましょう、『渡したけどそれ以外は特に……』って事にしましょう。いや、しちゃいましょう」

 

 俺は童虎に手紙を手渡すのを早々に諦め、そう提案をした。

 そもそも俺の任務は手紙を届けることであって、手紙を読ませることでも、内容の通りにすることでもないのだから。

 

「老師も滝の前に座るので忙しそうだし、余計な事に関わりたくないですもんね?」

 

 うん。

 そうと決まればさっさと――

 

「待て」

 

 クルッと反転した俺に、まさか童虎が声を掛けてきた。

 何でだ? と俺は首を傾げる。

 

 チラリと視線を向けると、何故か童虎は俺の方へと向き直りジッと視線を向けてきていた。

 

「あ、老師が初めて滝以外の方を見た」

 

 とは俺の頭の上に居る、春麗の言葉である。

 ? ……先程のやりとりの最中も、ずっと春麗を肩車していましたが、それが何か?

 

 しかし、何でコッチ見てるんだ童虎は?

 スペクターの監視をしてれば良いのにそんな怖い顔を――ん? スペクターの監視?

 

「クライオスとか言うたな? 何やら面白いことを言っておったが……『滝の前に座るので忙しい』? それはまた、変わった表現じゃの?」

 

 確かに変な表現だと言われればそうかも知れないが、そんなのは小さな事だ流してほしい。

 俺は目をパチクリしながら、内心『そんな言葉の揚げ足を取るような反応をするなよな』と思っていた。

 

「いやぁ……その、そう――デスマスクが」

「デスマスク? 蟹座・キャンサーのデスマスクか?」

 

 俺は咄嗟にデスマスクの名前を出してしまい、「すまん」と思いつつもその侭に言葉を続けて言った。

 

「デスマスクが『あの爺さんは、年がら年中滝ばっかり見てる変人なんだよ。滝を眺めるのを日課にでもしてるんじゃねーか?』って」

「……ほう」

 

 瞬間、童虎の瞳が『ギラッ』と光った気がしたのだが……きっと気のせいだよな?

 

「……」

「…………」

 

 無言で見つめ合う俺と童虎。

 何だろう、何だか凄く居た堪れない感じがする。

 

 俺は無言の状態に耐えかねて、肩の上に居た春麗を下ろした。

 

「それじゃあ、俺はこの辺で――」

 

 そう言って五老峰から立ち去ろうとしたのだが、

 

「待てと言うておる」

 

 再び童虎から声が掛かった。

 俺はもう何というか、一秒でも早くここから逃げ出したいのに、何だって呼び止めてくるのか?

 

「まぁ落ち着け。遠く聖域から来たんじゃ、何もそう直ぐに帰ることもなかろう? のう春麗」

 

 ニコッと微笑んで言う童虎の言葉に、春麗は「はい」なんて元気に言ってくる。

 俺としてご勘弁願いたいですが……

 

「いやいやいや、そんな春麗。急なことだし迷惑だろ?」

「いいえそんな、迷惑だなんて有りませんよ。――老師、クライオスさんは、私の事を助けてくれたんですよ」

「そうか、そうか。ならば尚の事、せめて夕飯ぐらいはご馳走せねばなるまいな?」

 

 老師が言うと、春麗は「それじゃあ早速、ご飯の準備をしてきますね」と言って、近くに立っている小屋へと走って行ってしまった。

 嫌だなぁ……本気で嫌だなぁ……と、俺は思っている。

 

「そういう訳じゃ、暫くゆっくりして行くが良い」

 

 そんな風に言ってくる童虎の言葉に、俺は「は、はぁい……」と微妙な顔で返事をするしか出来なかった。

 出来ることなら、余計なことを言って未来が変わる――なんて事にならなければ良いのだが。

 

 春麗の向かった小屋を見つめ、……童虎って歯とか有るのかな? と、ちょっとだけ思ったのは内緒である。

 

 


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