聖闘士星矢 9年前から頑張って   作:ニラ

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アスガルド編
22話


 

 

 オーディンの治める北欧の地、アスガルド。

 この地はその主神を隻眼の賢神オーディンとし、長きに渡って軍神アテナを擁する聖域と争いを繰り返した歴史がある。しかし現在では過去のような争いはなく、聖域とアスガルドは良好な関係を築いていた。

 基本的には互いに不干渉。

 だが、それは詰まり聖域が何らかの危機に直面しても、アスガルドからの横槍は無いということだ。現在に教皇……要はサガのことだが、どうやらサガがシオンを抹殺して教皇に成り代わってからアスガルドとの不干渉主義が如実になったらしく、何かしらの密約がされたのは間違いないらしい。

 まぁ、それ自体は現在の俺にはさして関係はないのだが……。

 

 ムウの館を出てから数日。

 俺ことクライオスは、今や雪と氷の世界の真っ只中に居た。

 

 少し前までそれなりに過ごしやすい気候のなかに居たため、この温度差は流石に来るものがあるのだろう。息を吐く度に、白い吐息が宙を舞う。

 肌を刺すような寒さ――といった言葉があるが、その言葉は恐らくこういったものを言うのだと思う。

 

「まぁ、カミュの凍気は肌を刺すどころじゃなかったけど」

 

 ザックザックと雪に足を埋めながらも、俺は只管に前進をする。目指すはアスガルドの本拠であるワルハラ宮殿だ。

 北欧神話では主神オーディンの宮殿として描かれるワルハラ宮だが、当然現世においてはオーディンの居城ではない。

 現世においてのワルハラ宮はオーディンを信奉するアスガルドの民によって選ばれた教主と、そして神の啓示によって選ばれるオーディンの地上代行者の住まう場所らしい。

 まぁ、当然それ以外にも側仕えをする者達や、治安維持を行う兵、国の管理をするための文官などが居るので彼ら以外には居ない訳ではない。

 そこら辺は聖域と似ている。

 聖域十二宮も女神アテナとその代行者たる教皇が住む場所だが、先と同様に側仕えの人間、兵、文官などが普通に居る。

 こういった部分は人が動かす以上、どうしても似る所が多いのだろう。

 

 さて、話を今の俺へと戻すとしよう。

 俺がムウの館出てから既に数日、アスガルドに到着してからは2日程が過ぎている。その間にこの土地で見かけたものは何か? というと、ウサギとヘラジカと狼。……他にも銀色の髪をした狼少年と、薄い空色のような髪をした狩人の少年なども見かけたが、彼らは俺が道を尋ねようとする前に逃げ出してしまった。

 

「迷っている……訳じゃない。そうだ、元から場所を知らないんだから、迷ってるわけじゃない」

 

 自分に言い聞かせるように俺はそう口にすると、現在の状況を無理矢理明るくしようと試みる。まぁ、そうでもしないとやってられないと思っただけなのだが……。

 あぁしかし、アスガルドに来れば人づてに場所を聞けばいいと思っていたのに、こうも人に会わないとは……。この地には本当に、普通の一般人とか居るのだろうか?

 もうこなったら、只管に全力で走り回って運を天に任せるか?

 そんな場当たり的な考えが俺の頭の中で鎌首をもたげた時――

 

 アオーンッ!

 

 突然、木霊するような狼の遠吠えが耳に届いた。

 

 俺はその声に瞬間肩を震わせる。

 

「狼?」

 

 アスガルドに入ってからも狼は見たが、しかし今の遠吠えに違和感を感じたのだ。

 

 俺はシートンではないので定かではないが、遠吠えには縄張りの主張や仲間や群れへの合図といった意味が有るらしい。もっとも現代では、サイレンなどに反応をして鳴き出す犬科の動物も居るが、この場合にそれはないだろう。……そんな文明の利器が有るようには思えないからな。

 となると今のは縄張りの主張か、それとも……

 

「はぁ……本当に面倒だな」

 

 俺はそう愚痴を零すと、脚に力を込めて一気に駈け出していった。

 

 

 聖闘士星矢 9年前から頑張って 第22話

 

 

 side ???

 

 『私』の住むこのアスガルドという地は、一年を通してそのほとんどが雪と氷に閉ざされている。昔は何故そのような土地に皆住んでいるのか? と疑問にも思っていた。けれども今ではその理由もよく分かる。皆この土地が好きなのだ。

 中にはこの土地から離れて行ってしまう者も居るが、それでもこの地に留まる者達の多くはアスガルドが好きで居てくれる。私は――

 

「ふぅ……ようやく撒いたかしら?」

 

 雪の積もる草木に紛れ、私は小さく声に出していった。

 法衣の袖から覗く指先が、寒さの影響で悴む。もっとも、流石に生まれた時から付き合っている寒さのため、それ程に影響はない。

 私は近くに人が居ないことを確認すると、躍り出るように隠れていた場所から飛び出した。

 

「全く、ジークも少しくらいは気を利かせてくれればいいのに」

 

 この場には居ない相手に文句を言いながら、私は雪道の上をゆっくりと歩いていく。ギュッギュッと、踏みしめる度に音が聞こえて、それがなんだか面白い。

 私はそうやって歩いている内に、少しづつ気分が良くなっていった。肌に冷たい空気も、木々の間から漏れる陽の光も、周りにあるもの全部が私にとって心を踊らせてくれる。

 

 実の所、私にはやらねばならない事がある。

 だが現在はそれを抜けだして、こうして外の散歩をしているのだ。

 抜けだした時、私を見失ったジークフリートが何か色々と言ってきたのだが、そんな言葉くらいで私は動きを止めたりはしなかった。

 

「毎日毎日、お勤めと習い事では気が滅入ってしまうわ……」

 

 そう零すように言うと私は気持ちが下向きになり、ほんの少しだけ俯いてしまう。

 『妹のフレアが少しだけ羨ましい』

 とも零してしまう。

 私には一人だけ妹が居る。その子は私とは違って自分のしたいように振る舞い、そしてそれを許される立場にあった。

 それが正直、私には少しだけうらやましい。

 

「ふぅ、駄目ね、こんな風に考えちゃうなんて」

 

 思わず頭の中で思ってしまったことを、私は頭を振って否定する。

 妹は妹、そして自分は自分。

 それぞれ為すべき事をもって産まれてきたのだけれど、それは同じではないのだから――と。

 一頻り散歩も堪能し、私は大きく背伸びをするように手を伸ばした。

 

「そろそろ帰ったほうが良いわね。恐らく、ジークも慌てているだ――」

 

 ガサっ

 

 不意に、私の耳に草木の触れるような音が耳に届いた。私は思わず、その音に驚いて一瞬肩を竦ませる。

 なんだろうか?

 恐る恐るといった風に、私は視線を音のした方向へと向けてみた。緊張しているからか、その方角には何か良くないモノが居るように感じてしまう。

 

 音がしたのはウサギのような小動物だろうか? それとも枝に積もった雪か? それともただ気のせいか?

 私は不安に思いながらも辺りを見渡してみた。そして思わず、「あっ」と声に出す。

 知らない内に、気が付かない内に私は立入を禁止されている森の奥にまで来てしまっていたのだ。

 

 ザッザッ――

 

 今度は雪を踏みしめる音が聞こえ、私は再度肩を震わせた。

 そうして目の前に現れたのは、四足で駆ける獣

 

「狼……!」

 

 だった。

 私は声を押し殺すようにして、目の前に現れた狼に眼を向ける。

 気づかない内に、狼の縄張りに入ってしまったのだろうか?

 

 狼は口元から涎を垂らし、今にも私に向って飛びかかろうと――

 

「ガァオ!」

「きゃっ!」

 

 思っている間に、狼短い鳴き声を上げて一気に飛びかかってきた。

 私は無意識に身体を捻るようにして何とかそれを躱したが、狼は着地後すぐにその視線を私に向けてくる。

 

「い、いや!」

 

 私は今までこんな直接的な害意に触れたことなど無かった。

 ドクドクと心臓が早鐘を打ち、私は狼の視線から逃れようと一目散に駈け出していった。

 無我夢中で、兎に角全力で駈け出したのだ。

 

「ハッ、ハッ、ハッ――」

 

 雪に脚を取られて上手く駆けることが出来ない。

 だが止まるわけにもいかない。

 私の後ろからは、見るまでもなく狼が走り寄ってきているのだから。

 

 でも

 

「あ、そんな……」

 

 何処をどう走ったのか、私はついに逃げ道を失ってしまった。

 底深い渓谷に行き当たってしまったのである。

 目の前に広がる、底の見えないほどに深い谷底に私は呻き声を上げた。

 背後へと振り返ると、其処には最初の一匹だけではなく数を増やした狼の集団がいる。

 どうすれば良いの? なんて、考えることも出来ない。今の私には、ただただ恐怖だけしか感じることができないでいた。

 

 ジリジリと近づいてくる狼。

 その恐怖のあまり、私の目元からは涙が溢れだした。

 そこへ

 

「ちょーっと待った!」

 

 まるでタイミングを計ったかのように、飛び込んでくる人影があった。

 狼の集団を一足で飛び越え、私の目の前に勢いよく着地をする黒い影。

 全身を包むような外套を身に纏い、フードのように顔全体を覆い隠した男の子だった。

 

 誰? 少なくとも私は見たことのない人物だった。

 

 

 クライオスside

 

 森の中で狼の集団に追われている少女を発見した俺は、そのまま一目散に駆け出してその後を追っていった。

 途中飛び乗った枝が折れたり、雪に埋まって見えなかった穴に落ちたりと散々な目にあったが、どうやら件の少女(と言っても、現在の自分と年齢は大差ない)のピンチには間に合ったようである。

 きっと今日の俺の運勢は、12星座中10位くらいに違いない。

 

「あ、あの……」

 

 突然振って湧いてきた俺に、少女は喉を震わせて声を掛けてきた。

 年齢は10歳前後位だろうか? 金糸を使った白い法衣を着ていて、淡く紫がかった銀色の髪と蒼色の瞳が特徴的な少女である。

 はて? この娘のこと……どこかで見たことはないだろうか?

 

 俺はほんの少しだけ目の前の少女に視線を向けて、その顔を覗きこむように見つめていたが、直ぐ様に周囲の状況を思い出して自身の後ろへと向き直った。

 

「さてさて、野生の狼が大挙して……20くらいか?」

 

 指を動かしながら大雑把に数を数えるた俺は、『やれやれ』と思いながらも鼻を鳴らす。

 そして軽く腕を振るってみせると

 

 ズンッ!

 

 と音を鳴らして地面(雪)に一筋の線が走る。

 ……存外に普通の人間ではなくなってきたようだな、なんてシミジミ思う。

 

「野生の生き物なら俺の実力も解っただろ? 痛い目に合いたくなければ、早々に立ち去ったほうがいい」

 

 俺は睨みを効かせるように、強めの口調で狼に言う。人の言葉を理解出来るとは思わないが、しかし小宇宙を伴って告げられた言葉の意味は本能で解るだろう。

 

 だが――おや? と思う。

 

 一瞬俺の言葉に臆したように見えた狼たちであったが、だがその場所から立ち去る素振りは見せない。

 もしかして雪面が割れたことに驚いただけで、実際は全く伝わっていなかったのだろうか?

 

「さっさと退けっ!」

 

 今度は先程とは違い、小宇宙を僅かとはいえ燃やしながら声を上げてみる。

 するとそれが効いたのだろうか、狼たちは道を開けるように横に外れていった。どうやら小宇宙の込め方が甘かっただけらしい。しかし動物を退かせることも満足に出来無いとは……俺は本当に白銀聖闘士なのだろうか?

 これくらいの事は、並の青銅でも簡単にやってしまうイメージがあるのだが……

 

「まぁ、良いか」

 

 あまり深く考えても仕方がないだろう。

 そういうのもきっと、得手不得手が有るに違いない。

 俺はそういい方向へと解釈をして、後ろに控える少女へと向き直った。

 

 少女はビクッと身体を震わせる。

 俺はその様子に最初は「なんだ?」と首を傾げたが、直ぐ様に「あぁ、そうか」と理解した。主にそれは、俺の格好の問題だろう。顔を出しているとはいえ、全身を外套にスッポリと包、フードを被っているため顔も見えない怪しい人物。俺が聖域に居る間に何処の誰だが解らないそんな格好の人物がいれば、間違いなく通報するか攻撃を加える。

 

「あー……あはは」

 

 自分で達した結論に軽く落ち込み乾いた笑いが口から漏れるが、取り敢えずはこの少女を安心をさせてやらねばなるまい。そうでなければ、俺はこの少女に道を聞くことさえも出来ないのだから。

 

 ……助けた理由? 道を聞くためだよ。

 

 前にも説明したけど、見かけた人間は皆が何処ぞに逃げ出していったので。

 もしかしてアスガルドと言う土地は、閉塞的な風習が色濃く残っていて他所の人間には冷たいのだろうか? なんて考えもしたが、なんてことはない。

 要は俺の格好が怪しかっただけだと今しがた判明した。

 

 なのでこうして道案内を頼めそうな人物を、わざわざ怯えさせて要件を済ませられないなどといった愚は犯さない。

 

 俺は自身の被っているフードに手をかけると、それをパサッと後ろへとやった。

 ……首元が若干冷えるが、許容範囲だ。

 

「取り敢えず、此処から離れようか?」

 

 可能な限りの笑顔を向けて、俺は少女に向ってそう言った。

 少女は再びビクッと身体を震わせたが、暫く俺の事をジッと見つめてくるとオズオズとした動作で手を伸ばしてきた。

 

 ……正直、顔出してビクッと震えられるとか、かなり凹んだ。

 

 とは言えアフロディーテのもとで所作振る舞いを習わされた(誤字にあらず)俺は、そう簡単に表情に出すようなことはしない。

 

「え、えと……はい」

 

 なんて蚊の泣くような声で言って伸ばしてくる少女の手を、俺はスッと握りしめて引き寄せた。

 手が冷たい……かなり冷えている。

 俺は少女の手を挟みこむようにしながら、自身の小宇宙を燃やしてその手を暖めようとする。

 

「大丈夫だったか? どこか怪我したりは」

「だ、大丈夫です。どこも怪我をしたりは」

「んー……本当みたいだね。いや、怪我をしてないようで本当に良かったよ」

 

 少女の言葉を聞きながら、俺は一応とばかり上から下まで眺めてみる。

 どうやらその言葉に偽りはなさそうで、怪我らしい怪我は特にしていないようだ。

 俺は内心で大きな安堵の息を吐いた。

 

「いや、なんだか今日の俺は運勢が悪いらしいからさ。もしかしたら間に合わずに怪我を――なんて思って。でもまぁ、折角の綺麗な肌が傷物にならなくて良かったね」

「え、あ……ありがとう、ございます」

「ん? なにが?」

 

 少女が何故に感謝を述べたのか解らず、俺は首を傾げた。

 あぁ、そうか。普通に助けたことに対してか。

 教育が行き届いているようで結構、結構。聖域も初等教育にバシバシ力を入れるべきだよな?

 

 だがそうやって、俺が勝手にアスガルドの基礎教育に感心をしていると、

 

「――っ後ろ!」

「ッ!?」

 

 少女の声にはっとした俺は、自身の背後に向って蹴り足を上げた。

 

 ドンッ!

 

 といった鈍い音と同時に、狼の鳴き声が「キャン!」と響く。

 背後から襲いかかった狼がはじき飛ばされて、雪の上を滑るように転がっていった。

 何があったのだろうか? 先程まで服従ムード満載だった狼達は、揃いも揃って牙を剥き出しにして闘志がムンムンとなっている。

 

「聖衣の能力が役に立ったな。しかし何なんだ、いったい。……この辺の狼ってのは、こんなに凶暴極まる生き物なのか?」

「い、いえ……普段なら決して、こんな事はないはずなんですけど」

「普段なら……か。それじゃ――危ない!」

「きゃっ!」

 

 俺は言葉の途中で慌てたように声を出すと、少女の腕を引いて抱き寄せた。そして同時に庇うようにして、少女の体を腕で覆い尽くす

 

 ザクッ!

 

 熱い感覚が頬を伝う。遅れてヒリヒリとした感覚が広がってきた。見えはしないが、どうやら頬を裂かれてしまったらしい。

 まさか、狼の攻撃で傷を負うとは思わなかった。

 いや、何も肉食動物を舐めているのではなく、単に普通の牙や爪で傷を負うとは思いもしなかったのだ。

 

「どうやら、普通の狼じゃなさそうだな」

 

 俺はそう呟くように言うと、腕の中に居る少女に視線を向けた。少女は今の状況が恐ろしいのか、胸元をギュッと握りしめながら沈んだような表情で俺の顔を見つめてくる。

 何とかしてやらければならない……だろうな。

 

「ったく!」

「え、ちょ……待って、キャ!」

 

 小さく言葉を漏らした俺は、少女の身体を抱きかかえたままに動きまわった。

 狼達の攻撃を回避する。十分に動くためにも、先ずは開けた場所に出る必要があるだろう。

 動きまわる度に腕の中から「キャー、キャー」声がしたが、一先ずは無視をする。

 だが、たかが獣――と思っていたコイツらは、思いのほかに統制がとれていた。左右からの挟撃だけでなく、上下同時の攻撃、時間差などを駆使して襲いかかってくるのだ。恐らくアスガルドに住む狼特有の動き……という事はないだろう。

 

「なんで、宮の近くにいる子達がこんな」

 

 ボソッと、俺に抱きかかえられたままの少女がそんな事を口にした。

 その言葉に、俺は一瞬「なんだって?」と聞き返す。

 

「宮? 宮っておまえ――って、またかぁ!」

 

 落ち着いて話を聞く訳にはいかないようである。

 

 飛びかかってきた狼を再度弾くように払った俺は、抱き上げていた少女を下ろして後ろに下がらせる。そしてキッと視線を正面に向けると、目の前でうなり声を上げている狼達を負けじと睨み返した。

 背後は未だ崖だが、しかし狼達と向かい合うようになったためコレは好機と言える。

 

 俺は小宇宙を高め、腕を勢い良く振り上げた。

 こうなっては仕方がない――

 

「恨むんじゃないぞ、ディバイン――」

「駄目っ!」

 

 不意に、俺が腕を振り抜こうとした矢先に少女が飛びかかってきた。

 ガシッと力強く、腕にしがみつくようにしてきたのだ。

 思わずバランスを崩す俺だったが、とは言え其れ処ではない。小宇宙を込めた腕にしがみつくなんて、一体何を考えているのか!?

 

「な、何考えてるんだよ! 危ないだろうが!」

「だって! 今何をしようとしたのですか!」

「なにって、それは」

「可哀想ではないですか!」

「かわ……っ! 何を言ってるんだお前は!」

 

 さっきまでの雰囲気とは違い力一杯に声を出して、叱ってくる少女。

 何なのだろうか? と言うよりも、今しがた俺が何をしようとしたのか何故解ったのだろうか? ……兎も角!

 

「このままじゃ危ないと言ってるんだ! 離せ!」

「駄目です! 絶対に駄目です!」

 

 あまりのことにギリッと歯噛みをしてしまう。

 そんな事を言っている場合か?

 

(暫く眠っていてもらうしか無い)

 

 俺は少女の顔を覗き込むように見ると、開いている手で少女の意識を断つべく指拳を放とうとした。だが――

 

 ゾワ――っ

 

「――っなんだ!?」

 

 ハッとしたように急に声をあげた。

 意識を少女の方へと向けた瞬間、今までに感じたことのないような気色の悪い小宇宙を感じたのだ。

 ネットリとした、纏わりつくようなイヤラシい小宇宙だ。

 

(なんだ今のは? 此処には俺達しか居ないはずなのに、それ以外の強大な小宇宙を感じた)

 

 それは好意的に考えれば、この少女を救助に来た人間である可能性も有るだろうが。……その可能性は低いだろう。

 もしもそんな奴が放つ小宇宙ならば、こんな攻撃的――とまではいかないまでも、まるでこの様子を見定めるような……悪く言えば見物でもしているかのような感覚を撒き散らしたりはしないはずだ。

 

(何処に――!)

 

 狼の猛攻を避けながら周囲へと忙しなく視線を巡らせた俺は、此処から遥か遠くに離れた山肌に違和感の元をを見つけた。

 

「あそこか!?」

 

 小宇宙を抑えて鳴りを潜めたのだろうが、間違いない。

 恐らく今の俺の視線の先に、『狼達を操っている奴』が居るはずだ。

 

「何処の誰だかは知らない……けど、余計な真似は止めて貰うッ!」

 

 声を張り上げ、睨むような視線を向けた俺は『本気』で小宇宙を爆発させる。

 

 ゴゥバッ!!

 

 身体から溢れだした小宇宙が空気と地面を激しく叩き、辺りを衝撃波のように吹き飛ばした。狼の群れはそれだけで弾き飛ばされてしまったが、今の俺にはそれらはどうでもいい事に思えている。

 

「あなた……また!?」

「離れていてくれ」

「キャっ!」

 

 再び何かを言いかけた少女を無視するように、俺は無理矢理に腕から引き剥がした。尻もちを突きながらも少女は何かを言いたげに見上げてくるが、目を向ける暇も惜しい。

 

 狙うは正面の遥か向こう――

 

「吹き飛べっ!」

 

 握りしめた拳を一気に振りぬき、目標へと向って拳撃を飛ばした。

 ギュンッ! と空気を裂くような音を鳴らし、俺の放った一撃は音速を超えて目標地点に着弾する。

 雪が一瞬煙のように舞い上がるが、上手くいったのか向こう側からの反応はない。

 

「……やったか?」

 

 問いかけるように俺は口にしたが、だが周囲の狼達から敵意が激減しているの感じる。どうやら、何らかの操作から放たれたようだ。

 

「グ、グゥ……」

「行け、本当に蹴散らすぞ」

 

 小さく唸るようにしている狼に、俺は再度強く命令口調で言った。

 その言葉が決定的だったのだろう。

 狼達は蜘蛛の子を散らすように逃げ去って行った。

 

 中には先ほどまでのやり取りでヒョコヒョコとしながら去っていく狼もいたが、とは言えソレのことまでは面倒を見きれない。

 

「しかし、何処の何奴だ! こんな巫山戯た真似をするのは!」

 

 思わず声を荒げて言ってしまったが、しかしそれも勘弁してほしい。

 ちょっとした人助けと、そして案内役の獲得程度のつもりで首を突っ込んだわけだが、なんとも面倒な事に巻き込まれた感が激しくするのだ。

 

 拳撃を打ち込んだ場所を調べてみるか? ……いや、恐らくは既に姿を消しているだろう。

 

「クソッ!」

「あ、あの……」

「うん? なんだ?」

 

 口汚く文句を口にした俺に対して、少女は声を掛けてきた。そう言えば、無理に振りほどいてそのままだったな。……忘れていた。所々に払い切れていない雪を被ったままになっている。

 俺は首を傾げるようにして少女に視線を向けると、少女はジッと俺を見つめた後

 

「その、有難うざいました。お陰で助かることができました」

 

 と、頭を下げてきた。

 俺はその少女の言葉に、ホンノちょっとだけポカンとした。いや、感謝をされるのは良い。ただ何というか、釈然としないだけだ。

 

「まぁ……『ありがとう』と言われて悪い気はしないけどね、アンタが余計なことをしなければ、もっと簡単にことは終わってたんだぞ」

「邪魔? 邪魔とは何のことですか?」

「俺が狼を追い払おうとした時に、無理矢理に邪魔をしたじゃないか?」

 

 指を突きつけて少女に言う俺だが、別に言うほど頭に来てるわけじゃない。ただ面倒な真似をしてくれたのは確かだし、相手が少しでも『悪かった』と思ってくれればそれで良い――と、思っていたのだが

 

「その事なら私は謝りません」

 

 少女は困った顔の一つもせずにそう言い放った。

 思わず「は?」と声を漏らした俺は、きっと悪くはない。

 

「確かに貴方は、私を救おうと尽力してくれたのでしょう。ですが先程の狼達は、明らかに普通の状態とは言えませんでした。私を襲ったことも、きっと何かしらの理由があったはずです」

「へぇ……何かしらって?」

「それは、私にも解りませんが……」

 

 強目の口調で問いかける俺に、少女は口籠るように言葉を小さくした。

 まぁ、解るわけがないだろう。

 可能性としては……聖域から来た俺の所為か、それともこのアスガルドで何かが起きようとしているのかだろう。

 もっとも。そう思っていながら聞いた俺は、ちょっとばかり意地悪だったかもしれない。

 しかし、この少女は随分と博愛主義だな。……この頃のアテナ(城戸沙織)にも見習わせたいものだ。

 

「だけど、良く狼達が『普通じゃない』って気が付いたな?」

「いえ、何処がどう……とは言えないんですが。ただあの子達から感じる雰囲気が、なんだか禍々しく感じたものですから」

「雰囲気?」

「先程の貴方からも感じましたよ? 禍々しいとは感じませんでしたけど」

 

 その言葉に俺は衝撃を覚えた。

 なにせこの少女は、聖域で修行を積んだ俺よりも先に狼達からの異常な小宇宙を察知し、そのうえ俺の小宇宙の高まりを感じた上で邪魔をしてきたというのだから。

 時折、一般人の中にも小宇宙を感じ取れる者が居ると聞くが、この少女はその類なのだろうか?

 

「うーん」

「?」

 

 マジマジと見つめる俺の視線を感じてか、少女は不思議そうに首を傾げている。

 ほんのちょっとだけ、もしかしたら強大な小宇宙を秘めているのでは? と考えたのだが、少なくとも今の俺にはそんな様子は解らない。

 

 本当に小宇宙を感じるだけの一般人? 

 

 しかし……やはり何処かで見たことがあるようにも思える。

 

「ちょっと良いか?」

「はい?」

「いや、何処かで会ったことって無いか?」

「え? ……多分初めてだと思いますけど」

「そうか」

 

 やはり気の所為なのだろうか?

 まぁ、世の中には似た顔の人がゴマンといるだろうし、俺もかつて町中で全く見も知らない人に親しげに声を掛けられて困ったこともある。何処かで見たことがありそう――なんてのも、きっと気の所為か何かなのだろう。

 

「ところで、君ってアスガルドの人だよね?」

「え、えぇ、そうですけど。あの、私のことを知らないんですか?」

「……会ったことは無いって、さっき自分で言わなかった?」

「それは、確かにそうなのですが」

 

 元々の救出理由である、ワルハラ宮までの道を聞こうすると、少女は何故か奇妙な言い回しをしてきた。

 会ったことはないと自分で言っておいて、自分のことを知らないの? とはどういうことか。

 

「自分を知らないの? とか、どれだけ有名人なつもりか、お前は」

「イタッ!?」

 

 眼の前の少女の額に向って、俺はズビシッ! とチョップを振り下ろした。

 小気味良い音が耳に届き、少女は「うぅ」と額を抑えている。

 

「しかし、此処はいったいアスガルドのどの辺なんだろうか? 随分と奥まった場所な気がするけど」

「此処はワルハラ宮の近くにある、立入を禁止されている森の奥です」

「ワルハラ宮の近く? ……またか」

「また?」

「こっちの話」

 

 一瞬、五老峰での出来事を思い出した俺だった、しかし立ち入り禁止区域に入り込むとかどんな運勢だ? ……やっぱり今日の運勢は悪い気がする。

 

「ワルハラ宮の近くだって解るなら、そこに戻ることもできるんだろ? 出来れば道案内をして貰いたいんだけ――」

「待って下さい」

「へ?」

「……何か聞こえませんか?」

「何か?」

 

 喋っていた言葉抑え、俺は少女の言葉に首を傾げた。そして耳を澄ますようにしながら眼を閉じる。

 

 ゴゴゴ……

 

 成る程、確かに何か妙な音が聞こえる。

 空気が揺れるような、地面が揺れるような……、土砂崩れみたいな

 

「土砂崩れって、何考えてんだろうな――雪崩ぇえっ!」

「な、雪崩!?」

 

 眼を開けると、山肌から大量の雪が白い煙のように吹き上がって迫ってくる。

 それが徐々に大きな音となって

 

 ゴゴゴゴゴッ!!

 

 一気に俺たちに迫ってきた。

 

「こ、コレって、まさかさっきの一撃が原因じゃないだろうなっ!」

「さっきの? あ! 山に一回何かをした。そ、その可能性もあるのでは――」

「って、そんな場合じゃ――あ」

 

 慌てた声でやり取りをしていた俺と少女。

 だが無常にも、そんな俺達の視界いっぱいに広がった大量の雪は、そのまま俺達を飲み込むように降り注いできた。

 正面には雪崩、後方には底の見えない崖。こういうのを前門の狼、後門の虎と言うのだったか?

 まぁ少なくとも、この時の俺はこんな風に余裕など無かったことは確実である。

 

 

 

 


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