聖闘士星矢 9年前から頑張って   作:ニラ

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23話

 

 

 

 side:??

 

「ッチィ……あの小僧、よくもあんな距離から俺に手傷を」

 

 然程大きな傷ではないが、それでも出血をする程度に怪我をした腕。何処の誰かは知らないが、よもやあんな奴が現れるとは。

 

「万が一を考えて狼だけに任せていたのが裏目に出たか? ……いや、仮に正体がバレてしまった場合を考えるとそうとも言えないか」

 

 確かに初めから俺が直接に手を下していれば、こんな面倒なことは起きなかったかもしれない。だがあの小僧……

 

「クソっ、もし生きていたら八つ裂きにしてやる!」

「随分と荒れているな?」

「ルングか?」

 

 上から影を刺すような大男が、俺の背後から現れた。

 俺は苛立ちを隠そうともせずに声を荒げ、その大男――ルングに返事を返す。

 

「どうやら失敗をしたようだな? え?」

「煩いっ! そもそも俺は、こんなまだるっこしい事には反対だったんだ!」

「計画を立てたのは俺達ではない。そう文句を言うな」

 

 ルングの言い分は解っている。だが、俺からすればこんな取るに足らない内容の仕事を、あんな訳の解らない奴に邪魔された事が腹が立つ。

 ついでに――

 

「なんだ、ロキ?」

「貴様の濁声が癪に障ると思っただけだ」

「んな、なんだとロキッ!」

 

 ロキ……俺の名前をルングの奴は気安く呼んでくる。

 クソっ、何もかもが苛立たしい。

 こんな気分になったのは、やはり邪魔をしてくれたあの外套の小僧が原因だ。

 

「作戦は失敗だ、俺は戻ってその事を伝えるぞ」

「フンッ! 好きにしろ! ……俺は元々、もしもの場合の貴様の尻拭いだからな!」

 

 唾を撒き散らしながら声を荒げるルングに、俺は一瞬だけ眉をしかめたが、何も言わずにこの場を去ることにした。やはり、決して俺達の相性を良いとはいえないらしい。

 

 俺は性格の合わないこの同僚を無視するように、この場から『ワルハラ宮』へと戻ることにするのであった。

 

 

 

 聖闘士星矢 9年前から頑張って アスガルド編02話

 

 

 

 side:クライオス

 

「……ぅおりゃあッ!」

 

 ズガァオーンッ!!

 

 気合一声。

 自分たちの上にのしかかっていた大雪を、力一杯に拳で打ち上げることに成功した。流石にちょっとばかり重かったが、この程度のことは聖域での修行と比べればどうということはない。……どんどん人間離れをしていっているようで、少しばかり憂鬱だ。

 

「と、いかんいかん。物思いに耽っている場合じゃない。……おい、大丈夫か?」

 

 抱きかかえるようにして居る少女に、俺は声を掛けた。

 現在俺達がいる場所は崖の下。

 ほんの少し前まで居た場所を、首が痛くなるどに見上げる下の下だ。

 

 あの一瞬、迫ってくる雪崩に俺は少女を担ぎ上げ、一気に崖下に向って飛び込んでいった。本当は雪崩を吹き飛ばすなどのことが出来れば良かったのだが、もしものことを考えて避難をする事にしたのだ。

 それに崖下に落ちたといってもソレはソレ。上手く無傷で済む可能性が高いと判断し、結果としては上手くいったのだ。問題はないだろう。

 とは言えこっちの少女の方は、急なことだったために気を失ってしまったようである。

 

「オイ、オイってば」

 

 ペシ、ペシと、軽く頬を叩いて声をかける。一応何処もぶっては居ないし、呼吸もしているから生きているとは思うのだが。

 

「う、うぅん」

 

 若干心配事が頭をよぎったが、その瞬間に少女は身じろぎをし始めた。

 良かった。どうやら無事らしい。

 

「……ぅん、ここは?」

「起きたか?」

「貴方は……さっきの」

「どうやら記憶はシッカリしてるみたいだな。立てるか?」

「え? あ、スイマセン! す、すぐに自分で立ちます」

 

 目を覚ました少女は自身の状況に驚いたのか、少しばかり頬を赤くして俺から距離をとった。どうにも扱いが難しそうである。

 俺は少女が離れてから外套をバサッと翻すと、視線を上へと向けた。

 

「上を見てくれ。あそこが俺たちの落ちてきたところだが、戻るにはかなり登らないと駄目みたいだ」

「あんなに上から落ちてきたのですか?」

「あぁ。多分、高層ビルの屋上くらいはあるかな?」

「こうそう?」

「いや、解らなきゃいいけどね」

 

 どうやらアスガルドの人には、高層ビルといった言葉は通じないらしい。まぁ、こんな辺鄙な場所ではしかたが無いのかも知れない。

 何せ、まともな交通機関も存在しないようなところだ。グラード財団の城戸光政も鉄鋼聖闘士なんて馬鹿なものを造らないで、こういった所の開発でもすればいいのに。

 

「ところで……」

「はい?」

「……いや、君の名前は? 俺はクライオスっていうんだけど。いつまでも、お前とか君とかじゃお互いに言い難いだろ?」

「そう言えば、私たちはお互いの名前も知らなかったのでしたね」

「そうだぞ。名前も知らない相手に無茶をさせ過ぎだ、お前は」

「ふふ、すいませんでした」

 

 少女は顔を綻ばせて笑みを浮かべる。

 その表情に、俺はシャイナの素顔を見た時とは違う意味でドキッとした。

 随分と可愛らしい笑みを浮かべるものだ。

 

 すると少女は歳に不釣り合いな咳払いの仕草をすると、今度はニコッとした笑みを浮かべてきた。

 

「自己紹介が遅くなって申し訳ありませんでしたね、クライオスさん。私の名前はヒルダと申します」

「は?」

「あ、すいません、聞き取りにくかったかしら。名前は――」

「いや、そうじゃなくて。……ヒルダ?」

「はい」

「……むぅ」

 

 聞き間違いか? とも思って聞き直した俺だったが、当の少女――ヒルダから返ってきたのは元気の良い肯定の返事であった。

 この時の俺は、少しばかり頭の中が混乱していた。それは

 

(何故、ヒルダが居るんだ?)

 

 とのことからだ。

 確かに俺の任務は教皇からの親書を各地に届けることで、その最後の任地がアスガルドであった。ならばヒルダが居て然るべきなのかもしれないが、俺がこの手紙を渡す相手は『ドルバル教主』なのである。

 

 そう、劇場版の聖闘士星矢『神々の熱き戦い』に登場した敵の親玉だ。

 

 そのため、てっきりヒルダは存在しないと思っていたのだが……どうやらこうして目の前に居る以上、それは俺の勘違いだったようだ。

 しかしそうなると現在のアスガルドの統率者がドルバルで、神に選ばれたオーディンの地上代行者がヒルダ。現在はまだ小さなヒルダに代わって、ドルバルが全権を担っている……ということだろうか?

 

「えと、ヒルダ……様?」

「貴方も私をそう呼ぶのですか、クライオスさん?」

「だって、ヒルダ……様は、オーディンの地上代行者でしょ?」

「確かにそうですが、様などと付けなくて構いません。貴方は私の恩人ですし、何よりアスガルドの民ではないのでしょう? でしたらどうぞ、私のことはヒルダと呼んで下さい」

「それは強制?」

「……いえ。私の、お願いです」

 

 名前の呼び方に、何か拘りがあるのだろうか? 俯くような仕草をしながら、ヒルダは俺に呼び方の訂正をしてきた。……いや、もしかしたら気安く声をかけてくれる相手に飢えているのかもしれない。

 この少女が本当にヒルダだとしたら、恐らく回りにいるのは堅物のジークフリードと、ヒルダの妹であるフレア。そしてそのフレアしか見ていないハーゲンの3人しか居ないだろう。

 妹のフレアは其処まで畏まったことはないだろうが、恐らくジークフリードとハーゲンは『ヒルダ様』なんて呼んだりするはずだ。

 

 ヒルダの立場を自分に置き換えてみて、例えばカペラやアルゲティなんかが俺のことを『クライオス様』とか言ってきた場合を想像してみる。

 

(うあぁ……軽く鳥肌モノだ)

 

 恐らく自分が感じているものとは種類が違うのだろうが、ヒルダのソレは酷く窮屈で息の詰まるような状態だとは理解が出来た。

 

「解った。それじゃあ一先ず、ヒルダって呼ばせてもらう」

「――っありがとうございます!」

 

 呼び方一つでこの喜びよう。もしかしたら、思ったよりもずっと窮屈な生活をしているのかも知れない。

 俺はヒルダの反応にそんな考えを浮かべるが、即座に現在の状況を思い出して視線を上へと向けた。

 

「ヒルダ、さっきも言ったけど此処から出るには直接此処を登っていく必要がありそうだ。だけど……まぁ、無理だよな」

「はい。私の力では登れそうにありません」

「となると、他の方法か。俺が担いで登っていくってのも、一つの手だが……」

 

 俺はそう言って眼を細めて上空を見つめる。

 もし、先程の襲撃が『聖域から来た聖闘士』に対するものではなく、『オーディンの地上代行者である、ヒルダ』に向けて行われたものだとしたらどうだろうか?

 幾らなんでも友好関係にある聖域の聖闘士に、いきなり攻撃を加える――とは考えにくい。まぁ、それを言うのなら国の超VIPであるヒルダを襲撃すること自体が考えにくいのだが……

 

「俺が背負って登ってもいいけど、雪で足を滑らせる可能性もある。このまま渓谷沿いに進んで行こう」

「はい。……私も、そこまでクライオスさんのお世話に成る訳には行きませんし」

「まぁ、どの程度の距離を歩けばいいのか解らないが、行き止まりという事はないだろう。……多分」

「そうですね」

 

 俺は肩を竦めながらおどけてそう言うと、ヒルダは笑みを浮かべた。

 なんとも気恥ずかしい。

 その感情を悟られまいと、俺は踵を返して

 

「じゃあ、早く行こうか」

 

 と、口にしてその場から歩き出した。

 後ろからヒルダが「あ、待って下さい」なんて言って、パタパタと急ぎ足で付いてくる。

 ……何と言うか、久しぶりに普通の人間に接しているような気がするよ。

 

 単純な雪道とはいえない、ゴツゴツとした岩場を俺たちはひたすらに歩く。

 当然、その足場の悪さは通常の平地とは比べ物にならない。

 雪で足は埋まるし、岩場のために足場の本当の高さも解り難い。

 

「……」

「…はぁ……はぁ…」

 

 動き始めて30分程経っただろうか? 無言で前を見続け移動をする俺達だが、やはりというかヒルダの動きは芳しくはない。激しい運動など普段はしないだろうし、こんな状況下に落とされるなんてのは初めての経験だろう。

 チラッと視線を向けると、ヒルダは辛そうな表情を無理矢理に笑みへと変えて

 

「どうしました、クライオスさん?」

 

 なんて、小首を傾げて聞いてくる。

 俺はヒルダのその様子に頭をガシガシと掻いた。

 

 当然、ヒルダが辛そうだということに気が回らなかった訳ではない。今になってこうして気にし始めたわけではないのだ。

 だが俺が、『あまり無理をするな』なんて言葉をかけると、ヒルダは決まって『私のことなら気になさらないで下さい』と、そう返事を返してくる。

 そのため、俺には行軍速度を抑えながら歩く事以外に選択肢が無いのだ。

 

「いや、日が落ちて辺りが暗くなってしまった。これ以上進むのは逆に危ないだろ」

「あ、……でも、それなら一刻も早く移動し切ったほうが――」

「ゴールがちゃんと見えている訳でもないのに、無理はできないよ」

 

 空を見上げると、既に空の色は夕焼けのそれになっている。

 このままでは谷間で有るこの場所は、ほんの20分もしない内に暗闇へと変わってしまうだろう。そうなれば、俺は兎も角としてヒルダには移動することも出来なくなる。

 

 苦笑を浮かべながら嗜めるようにヒルダに言うと、何故かヒルダは申し訳なさそうな表情を浮かべて

 

「すいません、クライオスさん」

 

 そう小さな声で謝罪を述べてきた。

 正直、その言葉が何についての謝罪なのかは理解が出来なかったが、しかし俺はその言葉にニコッと笑みを返していた。

 

「謝らなくてもいいよ。……兎に角、先ずは今晩のねぐらを何とかしないと」

 

 俺はそう言って、ヒルダに待っているように手でジェスチャーをすると、ねぐらを作れそうな場所を探す。

 確か、ビバークだったか?

 雪に穴を掘って、一時しのぎの空間を造るアレである。

 

「この辺なら良いかな?」

 

 手頃な広さの場所を見つけた俺は、そこをザクザクと掘り始めた。

 当然スコップやツルハシなんて言う高尚な物は持ちあわせては居ないので、その作業は本当の意味での手作業になる。

 

 手を使ってザクザクと掘り進めている最中に、

 

「あの、クライオスさん。一体何を?」

 

 俺の行動が理解できないのか、ヒルダが聞きづらそうにそう問いかけてきた。

 

「何って、寝床を造るんだよ。こんな場所で野ざらしじゃ、流石に風邪を引くだろ?」

「寝床? それで穴を掘るんですか?」

「まぁ、雪だから心配かもしれないけど、所々凍らせれば多分大丈夫だろう」

 

 実際雪穴に入って一夜を過ごすなんてしたことはないが、要はカマクラみたいなものだと思えば問題はない。

 掘り出した雪を丁寧に盛り付け、それを只管に固めたり凍らせたりしながら形成作業を進めていく。

 

「まさか保冷用の凍結拳が、こんな形で役に立つとは思わなかったな」

 

 聖域に帰ったら、カミュに礼を言うとしよう。

 ペタペタと雪を盛るような作業をすること十数分、一応はそれなりのモノが出来上がった。人間二人が入るくらいなら問題なさそうなサイズだ。もっとも、流石に雪国の人に見せるには自信のない出来だが。

 

「出来たぞ、ヒルダ。多分これで、外で寝るよりは幾ぶんマシに成るはずだ」

「クライオスさん。何ですか、コレ? 丸くて穴が空いてる」

「うん? お前、雪国の人間なのにカマクラを知らないのか?」

「……あぅ。すいません。私は普段からあまり外には出ないものですから」

「ふーん……そういう意味じゃ、地上代行者ってのも大変だな? 教皇も思いのほか気苦労が多そうだし――っと、まぁ話は後だ。先ずはさっさと中に入ろう」

 

 話を途中で遮って、俺はヒルダを促しながらカマクラへと入る。成る程、吹きつけられる風が無くなるだけでもかなり楽になるな。

 

「ここなら大丈夫だろ?」

「……えぇ」

 

 横並びに座りながら、俺はヒルダにそう問いかけた。

 床も雪で出来ているため少しばかり冷たいが、我慢するしかあるまい。

 

「なぁ、ヒルダ。聞きたいんだけど、普段から外に出ないっていうなら、なんだって今日は外にいたんだ?」

「それは……」

「言いたくはないけど。外にでさえしなければ、今日みたいなことは起きなかったんじゃないのか?」

「すいません」

「いや、怒ってるわけじゃないんだ。ただどうしてなのか? って、そう思ったからね。言いたくなければ別にいいよ」

 

 隣で膝を抱えるようにしているヒルダに、俺はやんわりと訪ねてみる。もしかしたらヒルダからしてみれば、この質問は責められているようにも感じるのかもしれない。

 まぁ、ちょっとだけ確認したかったと言うのは確かではあるが、別にどうしても知りたいと言うわけではない。

 

「クライオスさんは、どちらからいらしたんですか?」

「俺? ギリシア、聖域から」

「さんくちゅあり? では、あのアテナの?」

「そう」

「そうでしたか。では、クライオスさんは聖闘士なのですか?」

「よく聖闘士なんて知ってるね? アスガルドでは有名なのか?」

「いえ、有名というより、この地にも神闘士(ゴッドウォーリアー)と言うものが居りますから」

 

 『成る程』と、ヒルダの言葉に俺は頷いてみせた。

 とは言え、アスガルドが存在してドルバルやヒルダが居るのなら、神闘士が存在しても何ら不思議ではない。

 

「やっぱり、神闘士になるには修行なんかをしなくちゃいけないのか?」

「私は詳しくは知りませんが、ジークやハーゲンが言うには――あっ、ジークやハーゲンと言うのは、私や妹の警護を任されている者達で……私は彼らの眼を盗んで、外に出てきてしまったのです」

 

 パッと明るい表情を浮かべたかと思えば、今度は一転して気落ちしてしまった。しかも幾分、顔色も悪く感じられる。

 

「私はオーディン様の地上代行者として選ばれた巫女です。そのため、それに相応しい生き方をしなければいけません。勿論、それが嫌だとは言いません。私自身も名誉なことだとも思います。ですが……」

「時折、窮屈に感じてしまう?」

「えぇ」

 

 そう相槌を打ったヒルダは、心なしか物悲しい顔をしていた。

 

「ほんのちょっと息抜きをしたい……そう思っていたのですけど、普段はジーク達が一緒ですから」

「それならなんで、今日に限って」

「偶々、ジークにウルが声を掛けていて、その隙に。あ、ウルと言うのは神闘士の一人なのですが」

「神闘士……」

 

 やはりというか、神闘士は居るようだ。もっともドルバルがいる時点でその可能性も考えていたが。しかし、なんとも不可思議な状況ではないか。

 

「前々からロキと言う神闘士から外の世界の話も聞いていましたし、それで偶々今日は外に出てみようと思ったのですが」

「色々な偶々が続くね?」

「えぇ」

 

 俺たちは互いに苦笑を浮かべながら言ったが、幾らなんでも偶々が続きすぎだ。

 ロキの言っていた言葉に触発されて、偶々警護の眼が離れてその隙に外へ行くと、偶々何者かに操られた狼に襲われる? ……幾らなんでもないだろう、それは。

 

「やっぱり、厄介事かな」

 

 零すように俺はそう口にした。

 正直巻き込まれたくはないのだが、もう既に手遅れのような気がしないでもない。

 今日の運勢は10位くらいかと思っていたが、どうやら今日も含めて暫くの間は最下位のようである。

 

 兎も角、自分は聖域から親書を持ってきただけの人間だ。

 出来る限り面倒事から遠ざかって、安全と無事に帰還することを第一に――

 

 コテッ……

 

 考え事をしていると、不意に横川から重量を感じた。チラッと視線を向けると、どうやらヒルダが倒れこんできたらしい。

 疲れて眠ったのだろう……と、瞬間俺は思ったのだが

 

「うん? ヒルダ?」

「……はぁ、はぁ、はぁ」

 

 顔が赤く、息が荒い。

 疲れ? いや違う。

 

 即座に手をヒルダの額に当てると、ジワッと熱が感じられる。

 

「熱を出してる!? 動きまわって汗をかいて、それで冷えたからか?」

 

 しまった。

 正直本当にしまった。

 一般人と自分の違いを失念していた。

 なんだってこんな大ポカをしてしまうのか。

 体力面のことは眼が行っていたのに、よりにもよって初歩的なミスをするなんて。

 

「おいヒルダ! おい!」

「あ、はい……クライオスさん…」

「どんな具合だ? なんだってこんな風に成ってるのを黙ってた?」

「だって、そんなご迷惑を掛けるわけには……結局ご迷惑を掛けちゃいましたけど」

 

 無理に笑みを浮かべてそんな事を言うヒルダ。

 ……この子は、一体何だというのだろうか? 迷惑を掛けたくない? それで辛いのを黙ってた? コレは本当に子供か? 辛いなら辛いと言えば良いのに。嫌なら嫌だと言えば良いのに。

 ヒルダは普段から、それが許されないような生活をしてるということなのか?

 正直俺には、あまりに不憫に思えてしかたが無い。

 

「この際だ、迷惑云々は於いておく。具合は? 気持ち悪いとかは無いか?」

「…はい。でも身体が寒くて、頭がボーッとします」

「風邪を引いたか……何かのウイルスとかじゃないと良いけど」

 

 もし何らかのウイルス性のモノだったら、病院に運ぶ必要があるが。そうでないのならば、先ずは体力を回復させる必要がある。

 

「汗が酷い……このままじゃカマクラの中に居ても体が冷えて、体力が減らされてしまう」

 

 荒い呼吸を繰り返すヒルダ見ながら、俺はどうするべきかを真剣に悩んでいた。

 もしこの場でヒルダが死にでもすれば、それは聖域とアスガルドの間に大きな溝を作ることに成る。下手をすれば、両者による聖戦のようなことさえ起きるかもしれない。

 ……それだけは避けなければならないだろう。

 

 いや、それだけじゃない。目の前で苦しんでいるヒルダを助けてやりたいという気持ちが、俺の中では非常に大きくなっているのだ。

 

「コレしか無いか」

 

 俺は眉根を寄せて、苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。

 どうにも、他にいい方法が思い浮かばないのだ。

 

「ちょっと恥ずかしいかもしれないけど、我慢してくれよ」

「え?」

 

 俺はそう言うと、ヒルダの返事も待たずに額に指拳を当てた。

 

 ピシィッ!

 

 何かが走るような音が聞こえると、ヒルダは力を無くしたようにガクッと倒れこんでしまう。俺は倒れてきたヒルダを抱きとめ、そして

 

「本当にスマン」

 

 そう言って、ヒルダの着ている法衣に手を掛けた。

 今みたいな状況で、濡れている服を着ていて良い訳がない。

 急いだほうが良いと判断してヒルダには眠ってもらい、俺は不慣れな手つきで服を脱がせていく。

 

「脱がせた服はどうにか乾かすとして、ヒルダを裸のままにしておく訳にはいかないよな……」

 

 脱がせた服の上に横たわるようになっているヒルダは、まっ裸――とは言わないまでも、肌着だけのそれに近い状態である。このまま放置しておけば、まず間違いなく凍死してしまうだろう。

 

「それじゃ、よっと」

 

 俺は狭いカマクラの中で胡座を掻くようにすると、ヒルダの身体を持ち上げて自身の足の上に載せた。羽織っている外套を防寒具にして、更には

 

「これで俺が小宇宙を燃やせば、ヒルダの身体も治るだろう」

 

 ユックリと小宇宙を燃焼させて、膝の上のヒルダに活力を与えていく。

 

「今思い出したが、確かアンドロメダ瞬が、天秤宮で氷河に似たようなことをしていたな」

 

 あの時はカミュに凍りつかされた氷河を救うためにそのようなことをしていたが、まぁやっていることとしては同じだろう。

 どうにか回復してくれるといいのだが……

 

「っと、少し呼吸が落ち着いてきたか?」

 

 腕の中に居るヒルダは現在顔だけを外套から出している状態だが、先ほどど比べると僅かに呼吸が落ち着いているように思える。

 

「この場合は、確か相手を思う心が必要だと聞いたことがあるな」

 

 相手を思う……か。

 チッポケな身体をして、無理をしているであろうヒルダ。ほんの数時間前に会ったばかりだが、どうやら俺はヒルダの事が気になっているらしい。

 

「ペットの心配をする飼い主か、もしくは妹を心配する兄か、はたまた娘の心配をする父親か」

 

 まぁ、感覚としては恐らくはそんな所だろう。

 とは言え、心配に思っていることに変わりはない。

 このまま朝までに回復をしてくれれば、取り敢えずは俺がおぶって移動をすることも出来るようになる。

 

「問題は、やっぱり無事にワルハラ宮に着いてしまった場合だな」

 

 どうするべきか? またどうなってしまうのか?

 少なくとも相手の出方次第でしか行動を起こせない今の状態は、非常に拙いとしか言いようが無い。

 

「……すぅ…すぅ…」

「本当に……なんとも厄介な状況だよな」

 

 場合によっては戦争に成るか? それだけは考えたくはないが、可能性としてはそれも視野に入れるべきだろう。

 やることをやって逃げる……というのも選択肢としては有りだが――

 

「俺って、もしかして気が多いのかな?」

 

 今もギリシアに居るだろう同期の仲間、黄金聖闘士、そしてテア。

 守りたいと思う相手は、既にこれだけの数が居る。

 だというのに、今度はこうして弱っているヒルダもその中に入れようとしている。

 

 どうやら俺は、自分で思っているよりもお人好しの分類に入るのかもしれない。

 

「なんだか自分の分を弁えないな、俺は」

 

 誰に言うでもなく口にした言葉だったが、俺はその呟きに苦笑を浮かべていた。

 

 

 

 

 side:フレア

 

「お姉さまが行方不明っ!?」

 

 日が傾いて夕暮れになろうかとしていた頃、私はお姉さまの警護にあたっているジークフリードからその事を聞いた。

 まるで冗談か何かだと思いたいけれど、このジークフリードがそんな冗談を言うとは思えない。……アルベリッヒならば違うかもしれないが。

 

「はい。私がウル様と警護のことで話をしている隙に外へと出ていかれてしまったらしく、その後に行方を眩ませてしまったのです」

「そんな……でも、直ぐに見つかるのでしょう?」

「……ヒルダ様が居られないことに気づいて直ぐに、禁忌の地で雪崩が発生しました。考えたくはありませんが、最悪の場合――」

「お姉さまっ!?」

「フレア様っ! お気を確かに」

 

 私は思わず倒れてしまいそうになるが、それを横から伸びてきた手が支えてくれる。アスガルドの民としては珍しい、褐色の肌をした人物……ハーゲンだ。

 ハーゲンは私を支えるようにしながら、倒れないように椅子へと促してくれる。

 するとハーゲンはキッと視線をジークフリードへと向ける。

 

「ジークフリード、貴様……それが解っていながら何故このような場所にいるっ!」

「私とて、今直ぐにでも飛び出していきたい! だが……ドルバル様が」

「ドルバル叔父さまが?」

 

 辛そうに表情を歪めたジークフリードが、私達にとって叔父にあたる人の名前を口にした。

 

「捜索はするそうですが……二次遭難の危険があるため、俺たちには出るなと」

「何だと! それではヒルダ様が――」

「何を騒いでおる」

 

 思わず大きな声を貼り上げたハーゲンだったけれど、その声を遮るように割って入ってくる人が居た。大柄な身体、色素の抜けたような白い髪の毛、そして柔和そうな顔をした人物――

 

「ドルバル教主……」

「……」

 

 叔父さまが其処には立っていた。

 ドルバル叔父さまは、ジークフリードやハーゲンに視線を向けると小さく息を漏らしている。

 

「叔父さま……ジークフリードからお姉さまの事を聞きました」

「……そうか。よもやこの様な事になってしまうとはな。現在は捜索隊を組織して、ヒルダの事を探させている最中だ。彼らの報告を待つしか無い」

「失礼ですがドルバル様、捜索隊の指揮は誰が?」

「ジークフリード? ……まぁ、良かろう。捜索隊の指揮はルングが執っている」

 

 叔父さまの言葉にジークフリードが小さく「ルング様が……」と呟くように言った。

 ルングという人のことは私も知っている。

 身体の大きな、それこそドルバル叔父さまよりもずっと大きな身体をした神闘士の一人。前に会った時は、ちょっとだけ怖いと感じた人。

 

「あ奴もアレで、れっきとした神闘士の一人だ。手ぶらで帰るということはなかろう」

「ドルバル様! どうか、どうかこのジークフリードめも捜索隊にお加え下さい!」

「ならぬ」

「何故でございますかっ! このジークフリード、確かに未だ修行中の身ではありますが、決して邪魔になるような真似は致しませぬ! 何卒、何卒ヒルダ様の捜索にお加え頂きたい!」

 

 床に両方の膝を付き、頭を強く下げてジークフリードは叔父さまに願いをしていた。私も、気持ちはジークフリードと同じだった。叶うのであれば、今直ぐにでも飛び出していきたい。でも私はジークフリードやハーゲンとは違って、何の力も持っては居ない唯の子供だ。それがとても辛く、そして歯がゆく感じる。

 

 叔父さまはジークフリードの願いを聞いてくださるのだろうか? 優しい叔父さまなら、お姉さまを思っているジークの願いを聞き届けてくれるとは思うけど――と、そう思ったのも束の間、叔父さまはユックリと首を左右に振った。

 

「ジークよ、お主が今回のことに責任を感じているのは良く解っておる。だが、だからと言ってお前を捜索隊に入れてもしもの事があればどうする? 仮にそれでヒルダが戻り、お前が居なくなったとなれば……あの優しいヒルダはその事をどう思う?」

「――っ!? そ、それは」

「恐らくあの娘の事だ、その様なことになれば自らを一生涯責め続けてしまうことだろう。もしそうなれば、それはアスガルド全体の危機とも言える」

「……ですが、ドルバル様。私は」

「祈れ、ジークよ。我等が神、オーディンにヒルダの無事を。あの娘はオーディンに選ばれた巫女だ。お前の願いが届きさえすれば、必ずやオーディンはその言葉に答えてくださるだろう」

 

 そう言うと、叔父さまはクルッと向きを変えて私たちの前から去っていった。私たちはその後ろ姿見つめながら、ただ自分達の力のなさを嘆き、そしてお姉さまの無事を祈ることしか出来ない自分達に哀しみを感じていた。

 

「フレア様、今はルング様を信じて待ちましょう。雪崩の報告が有ったからといって、何もヒルダ様がその場所に居たとは限らないのですから」

「えぇ……」

 

 ハーゲンが心配そうな表情を浮かべながら、私をなんとか落ち着けようとしてくれる。

 優しい気遣い。

 でも、ハーゲンの言葉は解るけれど、それで楽観視なんて出来るわけがない。

 重い返事を返した私を他所に、ジークフリードはスッと立ち上がる。

 

「フレア様、私も失礼させて頂きます」

「ジークフリード、何処に行くの?」

「歩哨に立とうかと思います。せめてヒルダ様が戻られた時に、直ぐに御迎えが出来るよう」

「ジークフリード……よろしくお願いしますね?」

「はい……」

 

 顔を俯かせたままに返事をしたジークフリードは、そのまま足早に去っていった。

 何故こんな事になったのだろう? これもオーディンの課した試練の一つだというの? だとしたら

 

「……私は、オーディンを恨みます」

 

 小さく囁くように言った私の言葉に、返事を返す者は居なかった。横に控えるハーゲンも、私の言葉に否定も肯定もせず、唯其処でジッと立っているだけだった。

 

 

 

 


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