聖闘士星矢 9年前から頑張って   作:ニラ

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駆け足2回め



36話

 

 そこは、周囲一帯が銀世界だった。

 雪が振り続け、風が舞い、何時止むことのない吹雪となっていた。

 

 周囲の山々、森、そしてワルハラ宮。

 

 此処は間違いなく、ヒルダの内面世界なのだろう。

 あの世に向かう黄泉平坂とは違い、内面世界と言うのはその人それぞれの形が在るようだ。

 

「デスマスクに彼の世送りを体験させられた時に行った、黄泉平坂よりはずっと平和的な風景だな」

 

 肉体的な状態ではないからだろうか、俺の喉からは普段通りの声が出る。美声だと言うつもりはないが、やはり声が出るというのは良いものだ。

 

「ワルハラ宮がコッチだが……さて。ヒルダは中にいるのか?」

 

 ワルハラ宮から抜けだした実績を持つヒルダのことを考えると、果たして中に居るのかどうか。

 とは言え、森の中を分け入っていくにも情報は何も無い。寧ろこの中で、捕らえられているような状況を考えたほうがソレらしいか?

 

「まぁ、良いや。この中じゃ、ヒルダの小宇宙を感じるとかも出来ないんだからな。手当たり次第に行くしか無い」

 

 自分に言い聞かせるようにしながら、俺は雪の中をワルハラ宮へと歩き出す。内面世界とはいえ、よくもまぁ、此処まで精巧に作られているものだ。

 

 ワルハラ宮の中は、実際に俺が見て廻った物と殆ど大差はない。あえて言うのならば、『明暗がはっきりしている』ということだろうか?

 生活の基本となる居住スペースの色合いは明るいのに対して、主にオーディンの地上代行者としての実務を行う政務スペースは全体的に暗い。

 

 これは、ヒルダが地上代行者としての責務に疲れているということなのだろう。

 

 念のため――と言うことで、居住スペースを一通り調べてみる。

 とは言え、表面的な部分、ヒルダが眼にしたことの有るような部分は綺麗に作られているのだが、ソレ以外の部分はポッカリと穴が開いていたり、違うものが詰まっていたりと色々だった。

 

 例を上げるのならば、タンスの中には衣類が入っていない――とかだ。

 

 自分が寝泊まりした部屋、その他の者達の部屋も含めて覗き込み、人の気配は何処にもない事を確認した。そうなるとやはり残るのは政務エリアと成るのだろうが、

 

「ドルバルの執務室……とかじゃないもんな」

 

 未だにワルハラ宮の内部構造を把握しきれていない俺には、手当たり次第といった言葉しか思い浮かばない。しかし、幾らなんでもコレ以上歩きまわったのでは疲れるだけだ。

 

「――ヒルダッ! 何処に居る!!」

 

 大きく息を吸い込み、あらん限りの声でヒルダを呼ぶ。声は宮内に虚しく響き、返事は何処からも聞こえない。だが

 

「あぁ、コッチか」

 

 俺は通路の奥へと視線を向けながら小さく呟いた。

 声を上げてヒルダを呼んだ瞬間、向こうが俺を認識したのだろう。通路の奥から、妙な違和感が強くなったのだ。

 

 嬉しさと、喜びと、拒否感?

 

 不思議な感覚だが、ヒルダ自身もどうして良いのかが解っていない――といった感情のようだ。

 

「今からそっちに行く。……逃げるなよ」

 

 違和感の増大した通路の奥を目指し、俺はユックリと歩を進めていった。通路の奥への道は暗いものであったが、しかし距離自体は大したものではなかった。歩き始めてモノの数分もしない内に、俺は木瀧の人物、ヒルダを見つけることに成る。

 

「クライオス……さん」

 

 か細いヒルダの声が、その口から漏れる。

 その場所はバルコニーである。通路からそのままなんてのは。構造上に有り得ないと思うのだが、それも全てが本物ではないから出来るのだろう。

 

 石作のバルコニー。

 しかし其処から広がる景色は黒い幕がかかったような状態で、周囲一体にはアスガルドの風景が映像の様に幾つも映しだされている。言ってしまえば、中途半端な映画館といった具合だ。

 

「ヒルダ」

「――ッ!?」

 

 名前を呼んだ瞬間、ヒルダは怯えるように肩を震わせる。……はて? 今の俺は精神体だ。血塗れとか、そんな事もない筈なのだが。

 

 何に怯えているのだろうか? ソレを確かめる必要もあるのかもしれないが、先ずは伝えるべきことを伝えよう。

 

「――取り敢えず一段落した。帰るぞ、ヒルダ」

「帰る。帰って、どうするのですか?」

「どうする? ……何言ってるんだ?」

 

 不意に返された質問に、俺は首を傾げて問い返す。

 ヒルダは一体、何を言っているのであろうか? ヒルダはアスガルドの神、オーディンの地上代行者だ。俺の様な一般聖闘士とは違い、やらなければならないことは山程あるだろう。

 

 聖域にしてみれば、アテナのような存在だからな。

 

「私は、今までドルバル叔父様に全てを投げ出してきていました。自分のしたい事、やりたい事の要求だけを口にして、このアスガルドの事を二の次に考えていたんです」

「……だから?」

「――だから! ……私は、オーディンの地上代行者には相応しく有りません。私なんて、居なくても、ドルバル叔父様ならきっと」

「ドルバルならきっと、アスガルドを平和に導いてくれる?」

「…………」

 

 聞き返すように尋ねた俺の問に、ヒルダは無言であった。流石に、子供だった自分のしてきた事と、大人としてアスガルドの運営をして来たドルバルとを対比すると、自分の不甲斐なさでも痛烈に感じてしまうのであろう。

 

 まぁ、余計なことを考え過ぎだと俺は思うのだが、ね。

 

「それで、お前はこのまま此処に閉じこもり、ドルバルはアスガルドを良いように作り変える。――それでも、お前は良いって言うのか?」

「叔父様は、私などよりもずっと優秀な方です。……きっと、アスガルドの平和を第一に考えて……」

 

 俯きながら、徐々に小さな声になっていくヒルダ。

 それに比例するように、徐々に眉間の皺が深くなっていく俺。――正直、ヒルダがそんな風に思ってしまうのも解らないでもないのだが……仮にそれを肯定すると、俺の命は風前の灯と成る。

 

 説得、するしかあるまい。

 

「ヒルダ、お前……そう思い込もうとしてないか?」

「……」

「お前がドルバルの事を肯定しようとしているのは、アイツの行ってきた一部を美化して、これから先の事を目隠しで覆っているのと同じことだぞ」

 

 ドルバルが、アスガルドの平和のために貢献してきたのは確かなことだろう。子供でしか無い今のヒルダでは、アスガルドという国を纏めるには無理がある。ドルバルという人間が居たからこそ、今のアスガルドがあると言っても過言ではないのだろう。

 

 しかし、だからと言ってヒルダが死なねばならない理由は何処にないだろう。……いや、勿論ドルバルとしては、ヒルダに生きていられると邪魔なのかもしれないが。

 

「でも、私ではアスガルドを平和には……」

「出来ないなら助けてもらえ。何でも自分だけで出来る奴の方が、世の中では圧倒的に少ないんだからな」

 

 何でも自分で出来そうな知り合いは、今のところサガくらいだろうか? 尤も、サガは現在教皇に扮装しているため、好き放題に振る舞うことが出来ない状態では有るが。

 

 え? シャカ? あの人は駄目だ。

 家事能力が皆無に近い。

 

「助けてもらう? でも、私はアスガルドの導き手として、皆の先頭に立ち――」

「何を難しいこと言ってるんだよ、ヒルダ。お前はオーディンの地上代行者かも知れないけど、まだ子供だろ。子供が変に気負ったようなこと言うんじゃないよ」

「こ、子供!?」

 

 ショックを受けたように目を見開くヒルダ。何がショックだったのかは解りかねるが、このまま一気に押し切らせてもらおう。

 

「子供だ。俺だって、年齢的にみれば子供だしな。出来る事なんてたかが知れてるよ。だからお前も、出来る事からやって行けばいいんだよ。解らないことが有ったら、知ってる人間に尋ねれば良い。出来ないことが有るのなら、出来る人間に助けを求めれば良い」

「クライオスさん……」

「そうやって、少しづつ出来る事を増やしていけば良いだろ」

 

 言いながら一歩づつ近づいて行き、俺はヒルダの頭に手を置いた。そして軽く撫で擦るようにして腕を動かす。

 

「ちょ、あの……! クライオスさん」

「どうもこの世界、子供の内から妙に張り切ろうとする奴等が多くて駄目だ。俺の居た聖域でも、上は黄金聖闘士から下は候補生までな。どいつもこいつも妙に気負って、歳相応には全然見えないし」

 

 最初は子供をあやすようにしていたのだが、途中から興が乗ってグリグリと力を込めていく。最初は何やらビックリして目を細めたりもしていたヒルダであるが、俺の力の込め方に比例して徐々に髪の毛がボサボサに変わってくる。

 

 ちょっと、愚痴っぽくなってきたか?

 

「あ、あの……ク、クライオスさん? そんなに強くされると、私の髪の毛が凄いことに成るんですが!?」

「うん? まぁ、そうだよな、ボサボサだもんな。でもな、お前がさっさと戻ってこない俺が凄いことに成るんだよ」

「クライオスさんが、凄い?」

「何でもない――兎に角! 戻るぞ! 良いな!!」

「は、はい!」

 

 気圧された結果でしか無いのかもしれないが、ヒルダがそう返事を返した瞬間世界が大きく変わり始める。

 黒い幕が掛かっていたようバルコニーからの景色に罅が入り、其処から徐々に光が漏れだしてきたのだ。

 

「取り敢えずは一段落、か。――あ、ヒルダ」

「な、何でしょうか、クライオスさん?」

 

 精神体だというのに、自身の髪の毛を直しながらヒルダが首を傾げている。俺はそんなヒルダに半眼を向けながら、バツの悪そうな顔を作った。

 

「まぁ、なんだ。目を覚ましたら、風邪引かないようにな?」

「え? それは、どういう――」

 

 俺の台詞に疑問で返そうとした瞬間、視界全体が真っ白く染め上げられていく。また、オーディン神像の前に戻る時が来たようである。

 

 

 

 ※

 

 

「――イオスさん! クライオスさん!!」

 

 正面から揺さぶられる感覚と、耳に入る名前を呼ぶ声に意識がハッキリとしていく。視線を前へと向けると、徐々に合っていく焦点の先には涙でくしゃくしゃになったヒルダの顔があった。

 

 どうやら俺よりも先にこちら側に戻ったようであるが、その様子ではとても健康とはいえないようだ。真っ青な顔、極寒のアスガルドで長時間外に居た所為だろうか、肌のあちこちで霜焼けのような状態になって血が滲んでしまっている。

 

 もう少し、自分の体を労るべきではなかろうか、ヒルダの奴は。

 解った、解ったから人の体を揺らすな。

 

「……(おはよう)」

「――ッ!?」

 

 しまった!? と思うが、もう遅い。ザラザラの奇妙な声で、思わず挨拶をしてしまった。瞬間、ヒルダは目を見開いて人の顔を覗きこんでくる。

 

 仕方がない。コレは俺も知らないうちに起きてしまった不幸な事故でしか無いのだから。

 

『あまり、思いつめるなヒルダ。その内に治る』

「――! クライオスさんの声!?」

『まぁ、幸い、俺は聖域で簡単なテレパスを扱えるようになってるからな。ちょっと痛いだけで、それ程には困らないよ』

「ですが! そんな、そんなにボロボロに成って! 血だらけではないですか! 傷だらけではないですか! どうして、そんなにボロボロになってまで、私のことなんて……!」

 

 内面世界で、『俺が凄いことに成る』とか言ってしまったのが良くなかったのか? それとも、もっと単純に俺の格好が良くないのだろうか? ……まぁ、少なくとも、お姫様を迎える格好良い王子様には程遠い。

 

 風鳥座の聖衣はボロボロで、所々に穴が空き、露出している肌には青痣や裂傷、擦り傷が目立って血塗れ状態なのだから。……成る程、こんな刺激的な装いでは、ヒルダがこうなってしまうのも頷ける。

 

 なにせヒルダは、聖域には居ないタイプの女の子だからな。

 あそこに居るのは、基本的には字面通りに血気盛んな連中ばかりだ。シャイナとか、マリンとかな。

 

『……ヒルダ、あまり自分のとこを下に見るような事言うなよ。お前の位置からじゃ見えないかもしれないけど、向こうの岩壁にはジークフリードとハーゲンが埋まってるんだぞ?』

「ジ、ジークと、ハーゲンの、グス、二人?」

『あ、あぁ。お前を助けるために、結構な無茶をしたんだよ、彼奴等も』

 

 涙をボロボロに流したままに顔を向けてくるヒルダに、俺は少しだけ台詞を詰まらせる。……鼻水が出始めているのを言うべきだろうか?

 

『お前を助けたいって事で、少なくとも俺以外にも何人もが体を張ってるんだから、全員に先ずは《有難う》って言ってやれよ』

「……はい! はい!」

 

 勢い良く、何度も首を縦に振るヒルダ。

 思わず、

 

(そんなに、強く首を振ってるとモゲルぞ……)

 

 と、苦笑を浮かべてしまう。

 しかし、コレで取り敢えず俺の首の皮は繋がった――

 

 ガラ……ッ!

 

 安堵の息を吐こうとした時、それに合わせるように物音がする。俺とヒルダは揃って音の方へと視線を向けると、其処には俺と同等に満身創痍なドルバルが立っていた。

 

「ドルバル……叔父様!」

『やっぱり、生きてたか』

 

 ドルバルが生きているだろうことは、半ば予想通りである。とは言え、まさか今の状態から続きをやろう等とは言わないと思うのだが。

 

「……目覚めたか、ヒルダ。それに聖域の小僧――いや、クライオスだったな。よもや、よもやこのような結果に成ろうとは」

 

 空を仰ぎ、何やら住んだような表情をしているドルバル。しかし、何を考えているのか判らない以上、俺としては気を抜く訳にはいかない。ヒルダを背中に庇うように立つと、俺はドルバルの動きを見逃さないようにジッと睨んでいた。

 

「――これで、本当に何もかもが終わりか。余の夢も、野望も、その全てが消え失せるとは……」

 

 遠い目をしながら、ブツブツと呟き続けているドルバル。なんだ? 自害でもしようと言うんじゃないだろうな?

 

「……ドルバル叔父様。今回、叔父様の野望のために何人の人が巻き込まれたのですか?」

『ヒルダ?』

 

 ふと、泣き腫らしたままの顔のままで、ヒルダはドルバルを問い詰めるような質問をする。上の空に近かったドルバルは、ヒルダの言葉に反応して顔を向けてくる。

 

「今更、それが何だというのだ」

「答えて下さい……いいえ、答えなさい! ドルバル!」

 

 途端に、場の空気が変わった。

 ヒルダが、ドルバルのことを『叔父様』ではなく、『ドルバル』と呼びつけたのだ。睨むように、叱責するように。

 

 あまり気負うな……と、そう言ったばかりだというのに。ヒルダはコレが、自分のしなければならないことだと判断したのだろう。

 

 ならば俺は、それを助けるとしようではないか。

 

「巻き込まれた人間の数……か。そうさな、ワルハラ宮に詰めていた人間全てと、国内の貴族連中は直接には何も無いだろうが、今回のことで多少なりとも面倒を掛けたと言えるだろう。……直接の被害は神闘士か? ジークフリードやハーゲン、それに其処に居る聖闘士の小僧に全滅させられてしまったのだからな」

「神闘士達が……」

「この国を護るべき神闘士が、よもや白銀聖闘士の一人に壊滅させられるとはな。最早この国に未来は有るまい。聖域から兵が派遣されれば、アスガルドは瞬く間に聖域に呑み込まれよう」

『ドルバル、そうは成らないだろう?』

「……ヌ?」

 

 不安を煽るように次々と口にしていくドルバルの言葉を、俺は横から口を挟んでぶった斬った。――まぁ、正確には精神感応(テレパス)に依る言葉なので、口を挟むとはいえないかも知れん。

 

『現在の聖域には、聖闘士の数がまだまだ足りない。そもそも聖域は、聖戦に備えて力を蓄える必要があるんだ。そんな準備期間中に、アスガルドと事を構えるのは得策じゃあない。教皇からの親書には、相互不可侵に関しての内容とか書いてあったんじゃないのか?』

「小僧……貴様」

『教皇は、恐らくはアンタの内面を理解してたはずだ。あの人は、色々な意味で普通じゃないからな』

 

 コレは俺の勝手な予想だが、教皇――サガは、アスガルドの内情と、其処に居る人間の関係性を見抜いていたのではないか? と思う。

 

 俺が持ってきた親書。

 内容は封蝋がしてあったため当然知らないが、しかしそれを読んだ際のドルバルの反応。一通り読み終えた後に口にした、《フフフ……教皇め》といったあの台詞。

 

 アレは、単純に教皇がアスガルドやドルバルをヨイショする内容が書かれていた訳ではないだろう。もっと別の、例えば

 

 アスガルドで謀反を起こしたとしても、聖域はなんのアクションも起こさない――

 

 等といった、密約めいたことが書いてあったのではないだろうか? そう考えれば、ヒルダが戻ってから直ぐ様に行動を起こしたことにも説明が付く。まぁ、そうすると聖域側の人間である俺にちょっかいを掛けた理由が希薄になるのだが、コレも粗方の予測はついている。

 

「ドルバル……。貴方の野望に便乗し、神闘士としての責務を忘れて私欲に走ったロキ達には何も言いません。ですが、これからのアスガルドを導くには、今の私には足り無い物が多すぎます」

「……何を言っている、ヒルダ?」

 

 怪訝そうな表情を浮かべるドルバルに対して、ヒルダは決心したような強い眼差しをしている。足りない部分があるのなら、助けて貰えば良い……か。

 

「貴方が、今回の出来事に対して少しでも後悔しているのなら、その贖罪として貴方の能力をアスガルドのために使ってください」

 

 ドルバルに手を伸ばしながら、ヒルダは説得をする。アテナもそうであったが、罪を赦すということが如何に大切かということだろう。

 

 もっとも、罪を赦すという愛だけでは、この世界は変わらない。

 だからこそ、俺の様な聖闘士等といった職業が存在するのだ。

 

「ヒルダ……余が、それを受け入れると思うか?」

「解りません。ですが、私には貴方の力が必要です」

「……」

 

 ドルバルは困惑しているのだろう。

 目の前に居る、ヒルダの変わり様に。確かにまだまだヒルダは子供で、考え方も幼く、また理想を実現させるだけの能力も持ちあわせては居ない。

 

 しかし、今こうして、自分に課せられた使命に正面から向きあおうとしている。その為に、自分の命を狙ったドルバルを許そうとしているのだ。

 

 二人の間に流れ静寂。

 とは言え、それが何時迄も続くことはない。

 

「フ、フフフフ、フハハハハハ! 甘い! 甘いな! ヒルダよ!」

 

 声を上げ、ボロボロの身体で小宇宙を高めだすドルバル。

 俺はヒルダに視線を向けるが、ヒルダは只々ドルバルの行動を見詰めているだけだ。

 

「言ったはずだぞヒルダよ! 余の望みは、このアスガルドを我が物とし! 地上界の全てを手に入れることだとな!」

「…………」

「今更、再びお前の下になどっ!」

 

 声を荒らげて駈け出したドルバル。

 向かうのは勿論、一直線にヒルダに向かってだ。

 ソレがどれ程の量であろうとも、小宇宙を伴った一撃だ。ヒルダがその身に受けでもすれば唯では済まないだろう。

 

 だから、俺は

 

『ドルバルッ!』

 

 奴に向かって踏み込み、

 

 ズォン!!

 

 自身の右の手刀を、

 

「――う、ぐぅお……!」

 

 ドルバルの胸へと突き立てたのだった。

 

「ドルバル……叔父さ」

 

 突き刺した手刀を胸から抜くと、傷口から周囲に血飛沫が舞う。雪の舞う石床に、真っ赤な斑点を撒き散らしていった。

 

 崩れるように、後ろ向きに倒れるドルバル。ソレを尻目に、俺は腕を振るって血を払っていた。

 

「――ガハッ! ゲホ! ガホ!! は……見事だ、聖域の聖闘士よ」

 

 口から血を吐きながら、ドルバルこんな時にまで偉そうな口調を崩そうとはしない。とは言え、どうして《態々こうされる事を望んだのか》? ドルバルの持っているプライドが原因なのか、引くに引けない訳でも有ったのかは知らないが、余計なことをさせる。

 

 ――あぁ、いや。ケジメの意味もあるのかな、コレは。

 

 これだけの騒ぎだ。

 例え何が有ったとしても、ドルバルが犯人だったということを公表せずに収めることは出来ないだろう。しかし、もしヒルダの提案にのって元の鞘にドルバルが収まれば、それは下の連中に対する示しがつかなくなる。

 

 ドルバルの存在は、そういう意味では毒としての作用が強すぎるのだ。……まぁ、だからと言ってその止めを俺にやらせるのは、やはり勘弁して貰いたかったが。

 

「これで終わりだ。余はアスガルドを我が手にせんと謀反を起こした、大罪人としてこのまま死んで逝く」

「ドルバル……貴方は、どうして?」

「……何時からだったか。今となっては解らぬが、余は自らの内側にドス黒い感情が有ることに気がついた。それは日増しに大きくなり、お前の補佐をすればする程に歯止めが効かなくなっていったのだ」

 

 アスガルド治め続ける毎日、そうして自らの力を確信して行く日々の中で、ドルバルは人間らしい選択をしてしまったのだろうか?

 

「一度壊れてしまっては、二度と同じようには出来ぬ。仮にお前の言う通りに手を貸したとしても、余は必ず、再びお前を裏切るだろうよ」

「私は、それでも……」

「今度は、聖闘士が何人現れようとも盤石な最強の布陣を敷いてな」

 

 ドルバルは弱々しい笑みを浮かべて、軽口を言う。

 聖闘士が何人来手も――と言うのは、あの黄金の連中が攻めてきても、と言うことだろうか?

 

 少なくとも俺は、アレを止めるのは人間のカテゴリーから外れた連中を用意しない限り、不可能だと思う。

 

「しかし……何か、切っ掛けが有ったようにも思えるのだが、な。今となっては、余りにも意味のないことか。フフフ――ゴホッ! ゲフ!」

 

 自笑するように小さく笑うが、直ぐに苦しそうな咳をする。

 段々に力が入らなくなってきたのだろう、瞼を開くのも辛そうになってきていた。

 

『ドルバル、アンタに聞きたいことがある。アンタを其処までボロボロに傷めつけたのは、俺なのか?』

「……なに?」

『誰かが出てきて、お前を倒したとかじゃないのか?』

「何を言っておるのだ?」

 

 俺の質問に、ドルバルは本当に意味が分からないといった雰囲気で聞き返してくる。どうやら誰かの乱入が有ったとかいう訳ではなく、本当に俺が知らないうちに倒したらしい。

 

 ……聖衣が暴走でもしたのだろうか?

 しかし、仮に自己防衛が働いたとしても、元々の俺の実力に変化はない筈である。やはり、火事場のクソ力的な――あぁ、そうか。

 喉か。

 

 五感の一つである声。いわゆる喉を潰されて使えなくなったことで、俺の小宇宙が一時的に増大したのではないだろうか?だからこそ、圧倒的な強さを持っていたドルバルを、こうも一方的に叩くことが出来た……。

 

 これは、聖域に帰ったらシャカを見返すチャンスでは!?

 

 どこまで信じて良いのか解らないが、星矢はドルバルの実力を《黄金聖闘士並》――みたいなことを言っていたはずだ。

 

 ヤバイ……急に聖域帰ることがワクワクし始めたぞ!

 

『…………』

「クライオスさん?」

『――あ、すまん。ちょっと考え事をしてた』

 

 急に無口になった――まぁ、実際は声が出ないのでずっと無口な侭なのだが――俺の様子を心配してかヒルダが声を掛けてきた。

 とは言え、何かあった訳ではないので気にしないように伝える以外はない。

 

 ヒルダは俺の返事に少しだけ首を傾げそうになるが、しかし直ぐに視線毎ドルバルへと向けてしまう。

 

「ドルバル、私はアスガルドの神であるオーディンの地上代行者として、これからは自らの為すべき事に全力を注いでゆきます」

「……そうか」

「今の私には足りない部分が数多く存在しますが、誰かに助けを乞うてでも前に進んでいきます」

「……あぁ」

 

 何かに耐えるように唇を噛みしめるヒルダは、何度か言葉を口にしようとするが中々それが出来に出いる。俺はヒルダの肩にそっと手を置くと、――頑張れ――と念じる。

 

 ヒルダは身体を震わせながら、

 

「……ドルバル……叔父様、今まで、ありがと……う、ございました」

 

 声までも震わせて、ドルバルに別れの言葉を口にした。

 ドルバルからの返事はなかったが、しかし、これで今回の事件は一段落だろう。

 

『ヒルダ』

「ぅライオス、さん」

『取り敢えず、今は泣いておけ。誰も、咎めたりはしないから』

「うぅ、う、……ぅあああああああああ!!」

 

 泣きじゃくるヒルダを抱きしめて、優しく頭を撫でていく。

 小宇宙を燃やして、少しでもヒルダに暖を取れるように、僅かにでも安らげるようにするとしよう。

 

 自身の命を狙った相手だとはいえ、ヒルダが肉親の死を初めて体験した出来事だったに違いない。小さな子どもに背負わせるには、余りに辛い。願わくば、この土地に住む者達がヒルダの心を癒してくれるように……

 

 うん? この土地に住む者?

 

 自分で思ったことに対して、不意に疑問が頭をよぎる。

 何か忘れていないか?

 

 忘れてしまっている何かに対して思考を巡らせると、困ったことに直ぐにその何かに思い当たってしまった。

 

 自身の胸でヒルダが泣いている状態で、俺は口元を《ヒクリ……》と動かす。その視線の先は崩れ去った岩壁、その更に奥である。

 

 瓦礫の中からフツフツと燃えている、怒り……だろうか? 兎に角そういった類の小宇宙を感じる。――ジークフリードとハーゲンのことを、少しばかり忘れてしまっていたようだ。

 

 何故に、この状況でそんな小宇宙を燃やすのかが理解に苦しむが、しかしあの二人は思いの外に良く頑張ってくれた。実際、俺だけでは間違いなくドルバルに負けて死んでいただろう。

 

 俺は、恐らくはジークフリードが埋まっているであろう瓦礫に向かって、

 

 ニコッと

 

 良くやってくれた、ありがとう――といった意味を込めて、笑みを浮かべる。だがどういう訳か? ジークフリードから返って来たのは更に怨念めいた、ドス黒い小宇宙であった。

 

 ……何故だ?

 




次くらいで、やっと長かったアスガルド編も終わりに出来そう。
アスガルドが終わったら、ギリシアでの話を暫く書きたいですなぁ。

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