ブルーシートの向こう側では警官たちが集まり、被害者と現場の写真を撮る。
その中で青いトレンチコートを身にまとった鋭い目つきの男が現場に入ってきて、捜査中の警察官たちが彼に敬礼する。
「警部、こちらです」
「身元は判明したか」
「仏さんの持っていた財布を確認したところ、茶川タイチ34歳。品川区役所総務課の職員です。職場に問い合わせたところ、朝から出勤しておらず、いくら電話しても応答がなかったうえ、家にもいなかったとのことです」
「そうか…」
万が一入ってきた誰かが見ることでパニックになることを防ぐべく、犠牲者の遺体はブルーシートで覆われていた。
「警部、これも…」
「ああ…この不自然さ、例のものかもしれんな」
犠牲者の近くまで歩いた彼は膝をついて視線をおろすと、手を合わせることなくブルーシートに手を伸ばす。
近くにいる警官が制止しようと声をかけるのを気にすることなくそれをどかすと、犠牲者茶川タイチの無残な姿が警部の目に飛び込む。
「皮膚が裏返しか…だが、ここで殺されたわけではないということか」
「ええ…目撃者の証言によれば、30分前に真上から落ちてきたとのことです。うう…」
何度も殺人現場で経験を積んできた警官でさえ、今回のこのありえないような状態な上に血みどろな犠牲者はそうそう見ることがなく、経験が浅いものの中には嘔吐する、ショックで現場から離れる者が続出する始末だ。
そのような死体だが、警部はもう見慣れたようにそれを見た後でシートを戻した。
「しかし…なんなんでしょうか?犯人は殺したことを隠したいのか世間に知らしめたいのかわからない!!」
「それに、30分前というのも妙な話です。詳しい状態を調べなければはっきりとは言えませんが、死亡推定時刻が午後3時から午後4時の間。発見が4時半。品川駅の様子を防犯カメラで確認しましたが…」
「不審なものはまるでなし…か…。そして、短時間でこのようなことを、ふん」
犠牲者に背を向けた警部は搬送用の救急車からやってきた医師たちと入れ替わるように現場をあとにする。
何も言わずに現場をあとにした彼の後姿を見た警察官の一人が怪訝な表情を見せる。
「なんなんだ…もう帰るのか、あの警部…」
「どうだろうな。あの人、かなり偏屈だけど、検挙率がかなりのものだぞ」
「知ってるよ、だから警部になれてるんだろ?八雲ショウヘイさんは」
外で待つパトカーに乗ることなく、一人路地裏まで歩いた警部、八雲は足を止める。
目を閉じ、耳に伝わる情報にだけ神経を集中させていく。
(八雲よ…来ておるぞ。じゃが、これはまだただの兆候にすぎぬ」
脳裏に響く若い女性のなまめかしい声。
幼少のころから聞き続けたその声に子供のことはおびえていたのを覚えている。
何も知らない男なら、その声に惹かれていき、その魔性に取り込まれていくだろう。
「わかっている…。奴らの好きにはさせん。行くぞ…」
(そうこなくてはな…ふふふ)
女性の笑い声が響くと同時に空気が鳴るような音が響き、同時にその場にいた八雲の姿が一瞬で消えてしまった。
「…離れよう。嫌な感じがする」
ブルーシート越しに嫌な光景が存在することを感じたキョウタロウは鳥肌が立っているのを感じながら、3人に促す。
ミヤズがうなずくが、その中でユヅルはスマホの画面を見る。
「…すまない。連絡をしなければならないから少し離れる。天原はミヤズと磯野上さんと一緒に待っていてくれ」
「敦田…いったいどうしたんだ?」
「野暮用だ!」
そう言い残すとユヅルは大急ぎで品川駅を飛び出していく。
そんな兄の後姿を見たミヤズは不安げな表情を浮かべていた。
(あいつ…たまに早退したり欠席したりしてたことが…)
ユヅルの不審な行動は同級生の頃に何度か見かけたことがある。
医大を目指して猛勉強しているというのに、なぜか欠席や早退を時折しているこの不安定さ。
彼のことだから不良のようなことはしていないだろうが、それでも真実がわからないと不安になるのは明白だ。
だが、これはユヅルに限った話ではない。
「ごめんなさい!2人とも、ここで待っていてくれる?すぐに戻るから!」
急にそういったタオもユヅルと同じように品川駅から出てしまう。
2人きりになったキョウタロウはひとまず気持ちを落ち着かせようと、近くにあるベンチに腰掛ける。
「あの…大丈夫ですか?先輩…」
「ああ、大丈夫…。ちょっと、気持ちが悪くなっただけだから」
安心させようと笑顔を返し、それを見たミヤズが顔を下に向ける。
「怖い、ですね…。こんなことが身近で起こるなんて…」
「うん…。自分たちだけは心配ない、関係ないって思っても、結局は…」
こうしてこの世界にいる以上、世間と無関係ではいられない。
最近起こったコロナウイルスにテロ、戦争。
メディア越しに伝わるそれは確かに現実で起こっていることであり、そうなっている以上は自分たちも遅かれ早かれその関係者とならざるを得ない。
無関心を装い、そんなことはないと決めつけて過ごそうとするなら、苦痛とともにその代償を支払うことになる。
「あ、あの…天原先輩」
「ん…?」
「お兄ちゃんの様子、見に行ってくれませんか…。タオ先輩には私から伝えますから…」
「いいのかい?そうしたら君が…」
「私なら、大丈夫です…。それに、お兄ちゃんっていつも私のことを心配してくれていますけど、私だって、お兄ちゃんのことが…」
「…そうか、わかったよ。念のために番号を交換しよう。彼のこと、わかったら電話するから」
「はい…お兄ちゃんのこと、お願いします」
お互いにスマホを出して、番号の交換を終えたキョウタロウは立ち上がり、走って品川駅をあとにする。
一人になり、スマホに映っている『天原キョウタロウ』の名前と電話番号を見つめるミヤズ。
「…はあ、もっと違う感じで先輩の番号、知りたかったのに…」
「敦田…いったいどうしたんだ?」
何度も電話を掛けるが応じる気配がなく、ショートメールを送っても既読されない。
一度学校へ戻るが、今日は原則として部活を行わない日となっており、残っているのは教職員だけ。
職員室へ行き、先生に聞いたものの、学校に戻ったという話はないらしい。
学校以外なら、どこへ敦田は行くのか考えるが、一向に答えがない。
(友達でありながら、僕は彼のこと…ほとんど何も知らないんだ…)
ため息をつき、歩くキョウタロウの目に留まったのは高輪トンネルだ。
非常に天井の低いトンネルとして知られ、時には眉唾物の怪談話の舞台ともなっている場所。
だが、車体の低い車ならかろうじて通ることができ、通行人もかがめば通れるということで現在も使用されている。
そのトンネルの歩道のところで、アフロヘアーの生徒がスマホで撮影をしている。
その向こう側には黄色い帽子をかぶった男子生徒の姿があった。
どちらもキョウタロウと同じ制服を着ていて、撮られている生徒はかなり陽気だ。
(確か、彼は…)
「えー、このトンネルのあたりで、化け物を見たという噂があります!」
大げさな手ぶりでリポートする男子生徒、太宰イチロウはこの縄印学園で一番どうして入学できたのかわからない生徒として知られている。
成績は大したことがなく、だからといって運動ができるというわけでもなく、やっていることはYOUTUBE配信だが、そこでの評価もいいものではない。
コメント数も視聴回数も少なく、ありきたりなユーチューバーといってもいい。
うきうきとした様子でトンネルをくぐろうとするが、うっかり背を屈めることを忘れてしまい、頭をぶつけてしまう。
「痛て…天井すごい低いわ…。奥は…暗いです。なんだか、すごくやばそう」
手招きしたイチロウは少しずつ先へ進んでいき、撮影している生徒もそれについていく。
このトンネルについて、最近クラスメートの女子が言っていたことを思い出す。
ここを通っていた時に黒い影とすれ違い、そこでスカートを切られたとか。
「…そんなわけ、ないよね」
こんなところにユヅルがいるとは思えないが、だからといって手掛かりになるものは何一つない。
イチロウ達の邪魔にならないように、離れて進んでいく。
「うわあ…暗いなぁ。けど、奥まであと少し!そこへ行けば、噂のものが…」
「ギャアアアアアア!!!」
「うわあああ!!な、何の声!?」
人の物とも獣の物とも思えない悲鳴がトンネルに響き、イチロウは思わず腰を抜かす。
撮影している生徒もその場に座り込み、スマホを持つ手がガタガタ震える。
「イ…イチロウ、あれ…!!」
「あれ…?」
生徒が指さす方向を見たイチロウの頭の中が真っ白になる。
暗がりのトンネルの中、慰め程度に灯る明かりで照らされるおびただしい血痕。
それが歩道だけでなく、車道にもつながっている。
ガタガタ震える生徒のスマホが血痕を追跡していく。
その中で、ちょうど正面から誰かの走ってくる足音が聞こえてくる。
「ひ、ひい!!ま、まさか…噂の黒い奴が!?」
「お前たち!ここで何をしている!!」
「敦田…?」
鬼気迫る表情でイチロウ達に向けて声をかけるユヅル。
撮影している2人に注意が向き、まだキョウタロウには気づいていない。
「敦田…お前、どうしたんだ?敦田さんを…妹を心配させ…!?」
言い終わらぬうちに発生する激しい地震。
その揺れに立っていられず、キョウタロウはその場に座り込み、イチロウは転倒する。
「うわあああああ!!!」
「く、崩れる!!」
「頭を…頭を守るんだ!!」
「その声…まさか、天原か!?うわああ!!」
崩れるトンネルの中、視界も揺れてイチロウやユヅルを目視することが難しくなる。
頭を守ろうとカバンで頭を隠し、背を屈めるキョウタロウの頭上の天井に大きなひびが入る。
壊れた天井はガラガラとキョウタロウを襲い、覆い隠していった。
「ミヤズちゃん、どう…?
「ダメ、です…。繋がりません」
品川駅の外、タオのそばでスマホを鳴らすミヤズ。
キョウタロウの番号にかけるが、なぜかつながらない。
何度かけても、音声で電波の届かないところにいるか、電源が入っていないからつながらないという案内があるだけ。
「どうしよう…お兄ちゃんにもつながらない。もし、私が先輩にお願いしたからこうなったんだったら、私…」
「ミヤズちゃんのせいじゃない。キョウタロウ君だって、そういうにきまってる。いったん、寮まで送ってあげる」
「は、はい…お兄ちゃん、天原先輩…」
2人の身を案じながら、タオとともに寮を目指す。
まだ規制が解除されていない以上、線路を超えた先にある学生寮へ向かうとなると南側の交差点から線路向かいへ行くことができる。
遠回りにはなるが、ここでいつまでかかるかわからない捜査を待つよりはいい。
「あの…タオ先輩。タオ先輩は天原先輩って…」
「もしかして、ミヤズちゃんも気になったの?」
「は、はい…」
キョウタロウにとっては面識が少なく、今年クラスメートになったという程度の認識でしかないタオ。
だが、こうして短い時間ではあるが一緒に下校したミヤズにはタオがそれ以上の感情を抱いているように見えた。
「実はね、キョウタロウ君とは小さいころに会ったことがあるの。きっと、キョウタロウ君は覚えていないかもしれないけど。それでね…」
嬉しそうに語るタオはジャージのポケットに手を入れ、その中に入っているものをミヤズに見せる。
「これを、天原先輩が…?」
「うん、キョウタロウ君がくれたの」