「おい」
左肩をつつかれた。あのタムリア人だ。
「地球人はあまり長く入っていると躰に毒じゃないか?」
どうやら、サウナに長時間入っていることを心配して起こしてくれたらしい。
時計を見ると、二十分ほど経過していた。
「ありがとう。平気なんだが、最近の疲れが出てきたみたいだ」
「地球人にしては頑丈なんだな」
「仕事柄、躰を酷使するんだ。そういうあんた…タムリア人の事は詳しくないが、暑さには強いのかい?」
「平均気温も湿度も高いね。行ったことはないが、この星では熱帯雨林気候が近いと思う」
「日本は寒いくらいかな」
「この季節はそうでもない。冬は苦手かもしれないが、色々な星を回るので、私自身は寒い地域にも慣れているよ」
「そうか。この国は四季毎に見所が変わる。余裕があれば楽しんでいってくれ」
お互い、向き合って微笑を浮かべた。
一通り汗を流してから脱衣所へ向かった時、数人の人だかりができていた。店主のおばあちゃんが腰を押さえて倒れていたのだ。
急いで駆け寄る。
「おばあさん。大丈夫ですか」
「いやぁ、持病でねぇ…。ちょっとすれば良くなると思うんだけど」
「病院に…」
「無駄さ。何度行っても、全然良くならないんだ」
店主は弱りきった顔で俯いていた。
「ちょっと見せてもらえますか」
あのタムリア人だ。
「あんた…」
「腰ですね。良ければ治しますが?」
「ええ?」
「この店には世話になっていますから」
「…まぁ、ダメ元さね。やれるものなら、お願いしようか」
男は、店主の腰に手を当て、持っていた容器から針を取り出した。針先は何か赤い液体に浸かっている。
指で肌を数回押さえ、真っ直ぐに針を落とした。
「――んんっ」
たちまち、店主が目を見開いた。
「ぬはぁッ」
信じられない勢いで飛び起きる。逆エビに背骨を反り、ブリッヂでもしそうなくらいだった。
「凄いよっ。まるで羽のように腰が軽くなったわ」
「それは良かった」
男は針と容器を鞄にしまった。
「あんた、医者か?」
「そんなようなものだよ」
「凄い効き目だったな。針治療っていうのは、あんなにも効果があるものなのか?」
男は答えず、着替えを始めた。
「この広い宇宙のどこかに、どんな怪我も、病も、生きてさえいればたちまち治すことができる血肉をもった生物がいる」
「え?」
「私が持っている針の先には、そいつの血をつけているんだ」
「おいおい、からかうなよ」
「企業秘密ってことさ。しかし…」
「うん?」
「もし、そんな夢のような生物が本当にいたとしたら、君はどう思う?」
頭を振った。
「そんなのは、悪夢にしかならないだろう」
錆び付いた鍵でロッカーの鍵を開けた。
「人と名のつく全員が、誰もが幸せになる手段を選べる程利口じゃない。上の階級にいる奴らほど、そういう万能な力を独占したがるものだ。…人は、多少不便な位が丁度良いと思う。苦しみや痛みを知っている方が、他人に優しくなれる」
男は笑った。「君はリアリストだな」
「職業柄、そういう考えになるものでね」
「そうかい」
男は群青色のボトムスに、コルセットのような鈍色の腰巻きを付け、山吹色を基調とした、太陽が描かれたアロハシャツを羽織った。
「洒落たものを着ているな」
「うん?」
「そのアロハさ」
「アロハ?」
「その上着、アロハシャツじゃないのか?」
「こいつは故郷の知り合いから貰ったものだ」
「そうか、偶然にしちゃできすぎなぐらい似ているけどな」
「そうかい? この国でこれに似たものを着ている人には会ったことないけどね」
「ハワイの民族衣装だからな」
「…あの太平洋の小さい島国か。たしかに、日本語とは違う響きだなとは思ったよ」
「アロハっていうのは、たしか現地の言葉で『好意』とか『愛情』、『思いやり』といった意味だったはずだ。けど、この国と関係がないわけじゃないんだ。アロハシャツの起源は日本の着物らしいから」
「そうか」
黄金色の双眸がこちらに向く。吸い込まれそうな輝きを放っていた。言葉は簡潔だが、確かな興味を感じる。
揃って外へ出た。雨は、いくらか弱まっているように感じた。
タムリア人が腰に手を添えると、腰巻きが蛇のようにうねり、液体のように広がったかと思えば、瞬く間に傘の形に変化した。
「凄い腰巻きだな」
「流体多結晶合金の携帯ツールだよ。別に腰巻きが通常っていうわけではないんだ」
「いや、実に便利そうだ。どこの星で売っているものなんだ?」
「あいにくと、非売品でね。私は職人の知人から試作品を譲って貰ったんだ」
「あんたと話していると、面白そうな話が聞けそうだな。俺は柳沼翔。名前を聞かせてもらえるか?」
「…私は……」
双眸に戸惑いの色が混じる。
その時、通りの先から怒号が聞こえてきた。
駆けつけると、やや大柄な体躯に鼠頭の異星人が中学生くらいの子供を盾にして警官と向き合っている。ポルトという、現在は日本と国交を結んでいない惑星の住人だ。
比較的治安が悪いエリアの惑星であり、犯罪者も多い。そして、目の前の男は柳沼が先ほどまで追っていた不法入国業者の最後の一人だった。
柳沼が前に立つ。
「その子を離せ」
「お前…柳沼とかいうデカだなッ。てめぇだけは許せねぇ。捕まった仲間に代わって、ぶちのめしてやる!」
制服警官に目を配る。
「どういう状況なんだ?」
「聞き込みを続けていたところ、庭に大きな足跡が見つかったと通報を受けました。急行して調べた瞬間に飛び出してきまして…」
「通りがかりの子供を盾に取ったか」
「はい」
「この雨がなければ、事件の解決はもう少し長引いたかもしれんな」
「余裕ぶっこいてんじゃねぇッ」
ポルト人は、腰から棒状のものを取り出し、遠心力で伸ばした。警棒のような武器らしい。
「脳みそぶちまけやがれっ。糞野郎ッ」
「糞はお前だ。卑怯者」
「なに?」
突然聞こえてきた声の方に目を向けた瞬間、傘を向けたタムリア人が腕を振る。鞭のように長く撓った鈍色のツールが、ポルト人の左腕に巻き付く。
「はぁっ!」腕を振り上げると、一瞬ポルト人の躰が宙に浮いた。
「ぬわぁッ」
柳沼はすかさず駆け抜け、人質の子を救い出す。
「てめぇッ」
宙から落ちてきた男は、軽い身のこなしで着地し、こちらに細身のメイスを打ち付けてきた。
「莫迦め」
構えた傘でメイスを受け流すと同時に大きく踏み込み、奴の死角へと滑り込む。
「…え?」
「――伊崎一刀流 木蓮ッ」
こちらの姿を見失った無防備な背中へと、傘を撃ち込んだ。
「ぐわぁッ」
悶絶するポルト人に制服警官が飛びつき、すかさず手錠をかけた。
一人の警官が敬礼した。
「ご協力感謝致します。柳沼巡査部長」
「いや、全員逮捕まで見届けられて安心したよ」
盾にされていた子供に向き合う。
「大丈夫だったか?」
「はいっ。ありがとうございます!」
キラキラと輝く眼を向けてくる。
「覚えてやがれ! 柳沼!」
ポルト人が引っ張られていく。
代わりにタムリア人の方が近づいてきた。
「刑事だったとはね」
「騙すつもりじゃなかったんだが」
「素晴らしい技を見せてもらったよ」
「代わりに、あんたの星の技術についても、教えてもらいたいな」
フッと笑った。
「名前」
「ん?」
「聞かせてもらえるかい?」
右手を差し出す。
タムリア人は指を顔に当てて少し考える仕草をした後、右手を握り返した。
「ザフィだ」
☆ ☆ ☆
蒸し暑い夜だ。
石塚弘人は、ネクタイを緩めた。雨の夜だというのに、湿度も温度も高すぎる。
…走って帰るか
元外務次官である岩永議員の事務所から自分の住んでいるマンションまで、徒歩で三十分程だ。
多少服が濡れるが、早く帰って岩永から貰ったサイード製のビールを妻と飲みたかった。
お茶くみから始まり、残業・休日出勤は当たり前の、労基法無視の生活だったが、ようやく実を結ぶ。
一流と呼ばれる大学を卒業して滑り込んだ外務省の出世レースから脱落したが、運良く交流があった岩永議員の秘書として雇ってもらえた。官僚時代に培った銀河連邦加盟国の各種パイプは、秘書業で存分に活かすことができた。
岩永が宇宙放射線病で倒れた時は流石に肝を潰したが、治療が上手く行ったのは、間違いなく自分の功績が大きい。
今後の振る舞い次第では、大きな後ろ盾を得て出馬することもできるだろう。
無理のないペースで走っていたが、雨が異様に強くなってきた。雨の威力だけで傘が壊れそうな勢いだ。
先ほどまで蒸し暑かったのに、若干の肌寒さすら覚える。
近道をしようか…
誰も居ない公園を突き抜け、チカチカと点滅する街灯の路地に入った。
その時、塀の隙間から比較的大柄な異星人が顔を覗かせた。鈍色の傘の隙間から、黄金色の眼がこちらを見ている。
雨音は、更に強まっていった。
☆ ☆ ☆
「では、特に何かおかしい様子はなく帰宅したのですね?」
柳沼は、最後に念を押した。
「はい。今は比較的残業も少ないですし、石塚さんは結婚されて以降は、誘われない限り夜に遊びに行くことはありませんでした」
「わかりました。ご協力ありがとうございます」
礼を言ってから、外へ出た。
岩永の事務所に勤めている石塚の同僚と、石塚の妻の証言に矛盾は無い。
事務所と石塚のマンションは、徒歩で移動できる距離だ。周囲に立ち寄る店はほとんどなく、聞き込みからも情報はゼロ。タクシーに乗った形跡も無し。駅の防犯カメラや、自動改札機の情報からも、昨日の夜石塚が利用した形跡は皆無だった。
石塚は事務所と自宅の間で、行方知れずとなった。それは、昨日根米課長から聞いた連続失踪事件と類似しているように思える。
何故、地球で同じ事が起きたのか、何故石塚がその一人になったのか。
事件を解く鍵は、そこにある。
現場鑑識は難航しているように見えた。
「何かわかりましたか?」
「この雨ですからねぇ。色々と流されちゃっているみたいで」
「ほら、ここなんか土がきちゃってるんですよ」
見ると、アスファルト一面に泥状になった土が広がっている。
「さっき私も足をとられてころんじゃいましてね」
「そこの公園の物でしょうか?」
「恐らくは。或いはトラックで運ばれたものが落ちたか、近所の民家のものか、調べないことにはわかりませんがね」
初期の事件性が薄いせいで、大規模な捜査ができていない。
可能な限りの手段は尽くしたが、現場から得られる情報がなさ過ぎる。
今回に限った話で言えば、石塚は間違いなく真っ直ぐに帰宅していた。
何故その行動を変えたのか。或いは、変えられたのか。
自分自身の意思ではなく、例えば拉致されたのだとすれば、争いの声があってもおかしくない。しかし、聞き込みによる証言では何もない。
昨日の豪雨でかき消されたか。それとも、何か別の要因か。
「柳沼さん」
鑑識班の一人から呼ばれた。
「どうかしましたか?」
「これ…」
布の上にあったのは、指輪だった。
そっと、内側を見てみる。
「…“Hiroto Ishiduka”」