「その指輪は、石塚氏の物で間違いないの?」
根米課長が聞いた。
パリッとした制服の肩から、一つ結びの黒髪ロングを覗かせ、胸には警視正の階級章が光っていた。
キャリア組らしい頭脳労働を得意とする一方で、引き締まった肢体と鍛えられた体幹は一線で活躍する女刑事のようも見える。
「シンプルなデザインの結婚指輪ですが、石塚の妻の物と形状は一致しました」
「歯切れの悪い言い方ね?」
「形が同じ。名前が同じという以外に、言いようがないもので…」
「…どういうこと?」
「あの指輪…普段指にはめている物ならば、必ずあるはずのものが全く無いんです。垢とか、脂とか、微量な体毛の欠片とか。多少の傷が付いている以外は、今日買ってきたばかりの新品同様なんですよ」
根米課長は椅子に腰掛け、結んだ髪の毛の先をいじり始めた。
「柳沼さん。今から、ある人物の護衛に付いて貰いたいのだけれど」
「護衛…誰ですか?」
「今回の被害者と一緒に、銀河連邦加盟国へ外遊に行った人物。…実は、先日の行方不明事件の該当者の何人かとも、秘密の交流があったことがわかっている」
「――まさか」
根米課長が頷く。
「前外務大臣。岩永岳氏」
☆ ☆ ☆
ホテル『ガイア』の室内プールは多種多様な人々で賑わっていた。
柳沼はプールサイドに設置された木製の椅子に腰掛け、周囲を見渡した。
室内といっても、この高級ホテルのは特別製で、ドーム状の屋根の内側は全てスクリーンになっており、登録されている様々な星の光景を映し出すことができる。
今日は惑星サイードの観光地である岩山のオアシスを設定し、湖畔に見立てたプールの周囲も岩と砂で構成されている。おそらく、現地の物だろう。
本当の空である豪雨を隠して映し出した、仮初めの眩い太陽の下、金色の小ぶりな花を付けた羽状複葉の木が鏡のように輝く水面を縁取っていた。
「あー、柳沼君と言ったかな? 私はちょっと知人と話をしてくるよ」
岩永岳氏が言った。
四角い顔に二重顎。口角を上げたスマイルの中で、どこか悪巧みを考えていそうな小さい三日月型の眼が爛々と輝いている。
「あまり動き回らないでもらいたいのですが」
三日月が困ったように傾き、頭を振ると二重顎がブルブルと震えた。
「そうもいかんよ。星々を渡り歩いて滅多に会えない人もいるのだからね」
「先日、先生の秘書が行方不明になったのをお忘れですか? 目的などは不明ですが、先生と関係が無いとは…いや、あると考えて行動された方が良いかと存じますが」
「おいおい。まるで私が何か悪事を働いて、誰かに命を狙われているみたいな言い方じゃあないか」
実際そうなのだろう
知った顔のSPは、このプールに何人もいる。本当にそれほど豪胆ならば、こんな護衛は付けないだろう。
「実際、石塚が個人的な恨みから連れ去られたという線で捜査はしないのかね?」
「ほう、何か彼が恨まれるような事に心当たりがあるのですか?」
「彼は優秀な秘書だったよ。ただ、私の為に粉骨砕身…というわけではない。全ては私が引退した後、地盤を引き継いで出馬したいが為だ。そんな彼が、将来を見据えて異星とのパイプを独自に作り、某かの人物と揉め事になるというのは、あるのではないかな」
「石塚氏が聞いたら悲しむかもしれませんよ。まだ生きていれば、ですが。しかし、傾聴に値するお話ですな。まるで実体験を語っているようでした」
「いやいや、私は清廉潔白な政治家だよ。ただ、政治の世界の中では、色々な話が飛び回るものだ」
わかるだろう? とでも言いたげな眼差しを向けてくる。
「岩永先生。先方がお待ちですが」
初老の小柄な男が近づいてきた。右手に大きな炎症が見える。
「この方は?」
「砂川という、私の主治医だよ。今回の治療で色々と異星の医学を勉強してくれたんだ」
知人との話し合いは医療関係か…
「できる限り、早く戻ってきて下さい」
岩永は、ニコリと不気味に笑って異星人の一団に近づいていった。
石塚は殺されている。それは直感だがわかる。そして、岩永も狙われている。
しかし、実際このオヤジの命を狙う輩はどんな奴なのだろう。ついこの間まで風前の灯火だった命を。
誰が、何のために…
「よう」
後ろから声をかけられた。振り返ると、見覚えのある頭が見えた。
「ザフィか」
「また会ったね」隣に腰掛けた。
プールらしく水着を着ているが、トレードマークのアロハっぽいシャツは健在だ。
照りつける人工太陽光と、山吹色の色合いがマッチしている。
「ここに泊まっているのか?」
「いや、商談で寄っただけだよ。君は?」
「詳しくは話せないが、仕事だ。まぁ、役所の経費でなければ、こんなホテルとは一生縁がないだろう」
ザフィがフッと笑った。
「私も似たようなものさ。しかし、そうでなくても、こんな高級なプールなんかより、新宿のサウナの方が個人的には性に合っていると思うよ」
「それは同感だ」
この奇妙な友人が纏う空気は、不思議と穏やかだと思った。
無論、任務も忘れてはいない。岩永を眼にとめつつ、周囲を観察した。
特に怪しい気配の人物は居ないように思える。大人は皆上流階級なのか、それを気取っているだけなのか、優雅に佇んでいるだけだ。 その子供達は元気に泳いだりしている。中には、翻訳機で異星の子供とコミュニケーションをとる子もいた。
「あんな風に、無邪気に友情を育めるのは良いことだな」
「そうだね。環境のせいもあるかもしれない。自然の中というのは、開放的になるものだ。例えそれが人工的なものであってもね」
「空気が綺麗なのも、人工的に作っていたりするのかな」
「いや、植えられているサイードの樹木のせいだろう。あの星の木は、特に空気の浄化作用が強いから」
「そうなのか。地球でも植林が進むかもしれないな」
ザフィは頭を振った。
「慎重になった方がいい。あの星の人間と同じで、特に繁殖力が強い種ばかりだ。下手をするとこの星の生態系が取り返しのつかないレベルで狂ってしまう」
「詳しいな。色々な星に行くのか?」
「仕事でね」
「その躰を見ると、武術の出稽古もやっていそうに見えるぞ」
目算で190cmm、85kg。それも、格闘技をやっているような体付きだ。古い傷も多く見える。
「それもある。文字通り異種格闘技戦だ」
「地球人との対戦経験はあるのか?」
「いや。まだない」
「今度お手合わせ願いたいな。かなり使いそうだ」
「受けて立とう。君の躰も、かなり鍛え込まれている。もしかすると、今までで一番の強敵かもしれない」
互いの握った拳を合わせた。力強さが伝わってくる。
「それが終わったら飲みにも行かないか? この国伝統の料理と酒が味わえる店があるんだ」
「それは良いね。この国は食べ物が美味い。私の故郷の料理も食べてもらいたいが、まだこっちには専門店がなくてね」
「いつか、こっちで罪を犯した犯人が飛んだ時に他の星に行くかもしれないな。その時に案内してくれるか?」
「約束しよう」
突然、悲鳴が聞こえた。岩永が若い女性に言い寄っているのが見えた。
すぐに駆け寄る。
「どうかしましたか?」
「いやぁ、それがねぇ…」
「このオヤジがいきなり腕を掴んできたのよ! お尻だって触ったんだからッ」
なるだけ押さえたが、軽蔑の眼を向けるしかなかった。
「何をしているんですか?」
「地球人の女性を紹介したかっただけだよ」
岩永が女性に向き直る。
「ほら、怪しい者じゃないよ。この顔に見覚えないかい?」
「知ってるから余計ムカつくのよ! わたしは△△党の支持者なの!」
岩永が所属する与党に対抗する野党の筆頭だった。
口をパクパクする岩永の腕をとった。
「とにかく、立派な痴漢行為です。詳しく話を…」
その時、また別方向から悲鳴があがった。 ――今度は何だ
岩永がいた場所から五十メートル程離れた場所に人だかりができていた。
その中心に、異様な物が転がっている。
「何…あれ……」
動揺が波のように広がる。
近寄って確認する。鑑識に見せるまでもなく、本体から切り離された人間の右手首だ。
そして、見覚えがある。岩永の主治医と言っていた砂川と同じ、大きな炎症があった。