前
物事には始まりがあって、それはいつか終わる。終わらせたいことは早く終わらせて、終わらせたくないことは、先延ばしにしていくしかない。終わらない、終わらせないと意気込んでみても、自分の命と一緒で、いつかは終わってしまう。
だからきっと、ここにいることも、いつかは終わる。それが早いか遅いかだけが、俺の中で気がかりだった。
「…で、こいしにここに連れてこられたと」
少女が私の家だと紹介してきた屋敷に入るや否や、少女と同じくらいの背丈の、紫色の髪の毛をした女性にそんなことを言われた。俺は何が何だか分からなくて、ただ固まってしまう。
「あぁ、自己紹介が遅れましたね。私は古明地さとり。この屋敷の主です」
女性の容姿は、年齢的には少女と変わらないくらいに見える。しかしその立ち振る舞いや声の落ち着き方は、成人女性のそれのように感じた。
「その様子だと、私達のことも何も聞いていないようですね。全く、あの子はいつもいつも…」
女性は頭を抱え、深いため息をつく。…あの子、というのは、多分少女のことなんだろう。
「落ち着け…と言って、はぁそうですか、と聞き流せる話でもないかもしれませんが、とにかくここのことや私達のことについて説明しますので、まずはそこにかけてください」
指定された椅子に腰かけると、女性は話を始めた。それは俺にとって、半分も理解できないような話だったけれど。
ここは地霊殿という名前のお屋敷らしく、俺は今幻想郷という場所にいるらしい。俺の住んでいた街ではないどころか、俺の住んでいた世界ではないとのことだ。
「幻想郷は、少し異質な世界です。私達にしろ、私達以外の住民にしろ、様々な人や、人でないものが住んでいる。誰かさんの言葉を借りて言うなら、全てを受け入れる残酷な場所…と言えるのでしょうか」
この屋敷は幻想郷の中でも更に奥深くの、地底と呼ばれるエリアにあるらしい。ここは日の光が届かない為、いつでも夜のような雰囲気があるのだという。
「そして、私達のことですが…」
…先程から気になっていた、大きな目のようなものに触れて、女性は言う。
「これは『サードアイ』という、私達覚妖怪にしかついていない器官です。この目で人を見ることで、心の中を全て見透かすことができる。同じものが、妹であるこいしにもついています」
落ち着いた、それでいて圧迫感のある目。俺とずっと目線が合っていて、瞬きすらしない。…でも、少女にもついているというのに、俺はこの目を初めて見る。
「…こいしの目は、彼女が自分で閉じたんです。泣きながら瞼を縫い合わせて」
何故そんなことを?と聞く前に、答えが返ってくる。
「私達覚妖怪は、人の嘘や秘部までを暴いてしまう。それが故に、私たちは嫌われていました。だけどあの子は…こいしは、人から愛されることを諦められなかった」
ずっと平坦だった女性の声が、少し上擦る。
「あの子は、普通に生きたかった。妖怪としてでなく、ひとりの少女として。永久に近い時を生きる妖怪である彼女が、今も尚見た目相応の少女として振る舞うのは、まだその願いを諦めていないからなのでしょう」
…少女の目に光がない理由も、時折大人びた言動をとるのも、なんとなくは理解できた。
「…でも、あの子が目を閉じたところで、世界は何も変わってはくれなかった。だからあの子は貴方のように、全てを諦めてしまっている人に惹かれていく」
そして…こちらの世界に連れてくる。そう言うや否や、女性は俺に深々と頭を下げる。
「妹のわがままでこんな所まで連れてきてしまい、大変申し訳なく思っています。貴方はここから出たいと願っていないだけで、ここに来たいとも思っていなかったはずです」
俺は…実際、どうだったんだろう。確かに来たいと思っていたわけではない。だけど、あそこに留まっていたいと思っていただろうか。
確かに友達はいた。仕事もあったし、別に不幸だったわけじゃない。
だけど、幸せかと言われれば。俺はあそこで、幸せになれたんだろうか。
「…はぁ、お人好しなんですね」
女性は溜息をつきながら、俺にそう言った。そういえば、心を読めると言っていた。なんだかむず痒い感じだ。多分、人と関係を深めて、初めて自分の過去に触れる時のような。
知って欲しいけれど、それによって嫌われるのは怖い。そんな相反する感情のせめぎ合い。
慣れれば何とも思わなくなっていくのだろうか。…俺に、そんな時は来るのかな。
「とにかく、貴方に与えられた選択肢はここに留まることだけ…なのですが」
申し訳なさそうな態度を崩さないまま、女性は続ける。
「元はと言えばあの子のせいなのですし、貴方にとっては身寄りもないでしょうし…お詫びと言っては何ですが、貴方がここにいる間は、ここは自由にしていただいて構いません」
確かに、ここでこの提案を断る理由はない。この場所は知らないことだらけだし、女性の話す通りの場所なら、1人でフラフラするのは危ないだろう。俺はよろしくお願いします、と頭を下げた。
提案を了承され、女性はほっとしたような表情を浮かべる。…妹思いな姉だ。どんな世界でも、やはり繋がりというのは大事なものらしい。
「お話終わった?」
俺の背後から、少女がひょっこりと現れた。気配が全くしなかったので、飛び上がりそうなほど驚いた。何度体験しても慣れる気がしない。
「えぇ、終わったわ」
女性は何か注意しようとして、それが意味のないことだと諦めて、溜息混じりに少女に言った。
「こいしも、あまり羽目を外さないようにね。こういう人ばかりではないのだから…」
その台詞を聞いているのかいないのか、少女は部屋の外に出ていってしまう。俺も追って、部屋を後にした。…何だか、凄く疲れた。初めて見るものだらけの世界にも、人と話すことにも。
「客間はこっちだよ」
そんな俺とは正反対に、ほとんど走るようにして、少女はこの屋敷を案内してくれた。俺は客間を好きにしていいらしい。高そうな家具や、大きな本棚が目を引く部屋だ。
ソファに腰かけると、途端に眠気が襲ってきた。電池が切れたように、その場から動けなくなる。俺はその眠気の波に身を委ねて、目を瞑る。
これから何が起こるか。そんなことを気にするよりも。
今日まで起こったことの無価値さを思い知らされた気分だ。新しい環境に活かせる何かを、全くと言っていいほど会得してこなかった。
眠りに落ちる直前に思い浮かんだのは、そんな後悔だった。俺にとっては慣れた感覚だけど。