明けない夜を希う。   作:write0108

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目が覚めても、これといって変化はない。カーテンから漏れる光も、ざわめき出す街の声もない。…地底というのは、こういう場所なのか。太陽が昇らないという言葉の意味を知った気分だ。伸びをして立ち上がる。

 

とても寝心地のいいベッドだった。ただ一つ、少女が入り込んできて暑苦しかった以外は。俺が注意する度に嬉しそうな顔をするので、途中からはされるがままだった。

 

まだ少女はすやすやと眠っているので、起こさないように慎重に動かなければならない。こちらの気分も知らずに世界を照らす太陽のない朝というのは、なかなかに気分のいいものかもしれない。…が、無理にでも立ち上がらないと、際限なく眠ってしまいそうだ。

 

「…おはよう」

 

そんなことを考えていると、少女はようやくのそのそと目を覚ました。

 

「おはよう。寝癖、大変そうだな」

 

少女は若干…いや、かなりの癖毛のようで、髪の毛はそれぞれが意志を持っているかのようにバラバラな方向に流れている。

 

「手伝って」

 

少女は寝起きがいいようで、ベッドからぴょんと跳ねて、タンスから櫛を取り出した。…そんなことを言われても、髪の梳き方なんて分からない。俺はとりあえず、上から下へまっすぐに櫛を下ろして行く。

 

「…なかなか上手くいかないもんだな」

 

どんどんおかしくなっていく髪型を見て、俺はため息をつく。そんな俺とは対照的に、少女は楽しそうに笑う。

 

「なんでもいいよ、髪型なんて」

 

少女が笑えば笑うだけ、それに嘘臭さを感じてしまう。なぜそうまでして笑うのかは分からないし、理由を聞きたいと思ったこともない。…いや、聞きたくないのかもしれない。少女のことをこれ以上知ってしまうことを、怖いと思っている。

 

昨日聞いた話のせいで、俺は少女に同情的になっている。あれだけ異質な能力を見せられたのにも関わらず。それがどれだけの怪異なのかも分からないのに、いい奴なのかもしれないと思い始めるのは早計だという気がしていた。

 

「髪はもういいや。ばいばーい」

 

そう言って、少女はどこかへと駆けていく。何を考えているのか、一つも分からない。何がもうよかったのかも、これからどこへ行くのかも。

 

もう少し、少女についての情報が欲しい。…というよりも、この世界について。昨日の説明で、はいそうですかと納得できるような紙一重な思考は、俺は持ち合わせていなかった。

 

「ちょっと出掛けます」

 

女性に声をかけると、お気をつけて、と返ってきた。やはり危険であることは間違いないようだ。

 

外に出てみても、やはり太陽も月も出てはいなかった。代わりに灯篭のようなものが、誘蛾灯の如く至る所に設置されていた。…妖しげな光だ。ゆらゆらと灯るそれを見ていると、なんだか気分がざわついた。

 

まるでずっと、救いを求めているかのような。静かに灯り続ける火に、そんな心情を見出してしまう。…そんなわけはないのに。不思議な心の動きだ。

 

ただぶらぶらと歩いているだけでも、気分転換にはなる。何かを考え直すきっかけになるし、それが知らない場所であればあるほど、体も心も充足感で満たされていく。

 

昨日時点で説明に対して何も質問をしなかったのは、全てに納得したからではない。ただ、人を疑うことも信じることも、どちらも面倒だと感じ続けていた今までの人生が、取り敢えず飲み下すことを選んだだけ。それを分かっているから、女性も俺が外に出るのを止めなかったのだろう。

 

そんなことを考えていると、橋の向こう側に少女を発見した。向こうは俺に気付いていないようだ。…何をしているんだろう。俺は好奇心でその橋を渡る。

 

橋の真ん中ほどで、人がいるのを見つけた。金髪で、目は緑色。遠くを見詰めて、何かを思い悩んでいるように見えた。

…人生、色々あるんだろう。俺はなるべくじろじろ見ないように、その人の横を通り過ぎる。

 

「何してるの?」

 

ついさっきまで橋の向こうにいた少女が、後ろから話しかけてくる。俺は凝りもせず、飛び上がりそうな程に驚く。それを見て、少女はけらけらと笑う。…ある種、これがお決まりになりつつある。俺は平静を装い、注意をすることなく話しかける。

 

「橋の向こう側にいるのを見つけたから、何をしてるのかなと思って」

 

俺の言葉に、少女はにやりと笑う。

 

「そんなに私とお話したいの?」

 

俺は大きく身振り手振りをして否定する。実際、知らない世界に飛ばされて、偶然知り合いに会ったら声を掛けたい。少女の言葉が図星であるが故に、わざとらしい否定になる。

 

「あはは、そんなに否定しないでよ」

 

すぐに進み出してしまった少女の後を追いかける。…気分転換だ、と言いながら、結局少女と行動を共にしてしまっている。何だか釈然としない気持ちだ。

 

「どこ行くのか、聞かないの?」

 

少女は俺の方を振り向いて言う。

 

「別に、そんなに危険な場所には行かないだろうし」

 

俺がそう言うと、少女はけらけらと笑った。それが何故だか、俺には分からなかった。

 

少女は遠くまで行くのだろうか。…どこまで行きたいのだろう。ぼんやりと考える。俺の知らない場所から、俺のよく知る場所まで来た少女は、本当はどこまで行けるのだろう。もしかしたら、誰の想像をも超えた場所まで行けるのかもしれない。

 

…それでもなお、歩き慣れているはずのこの世界を歩くのは、何故なんだろう。疑問に思うものの、それを口にすることはなく、少女の目的地に辿り着いた。

 

「…ここは?」

 

俺でも知っているような、有名な場所のように思えた。思ったよりも狭い川だ。

 

「三途の川だよ」

 

俺の思い描いた場所の名前と、少女が口に出したここの名前は同じだった。背筋が凍るような感覚だ。少女の言うことが本当なら、俺は生と死の境にいるようなものだということになる。

 

「そんなに身構えなくても、渡らなくちゃいけない時はもっとちゃんとした道順があるから」

 

少女は俺の肩をポンポンと叩き、励ましの言葉のようなものを掛けてくれた。

 

「こんな時間じゃ、もう誰もいないね」

 

ありふれた、見たことのある川のように、自然に囲まれているわけではない。かと言って、血の池地獄のような、見るからにおどろおどろしいわけでもない。言葉にできないような、荘厳とも言える雰囲気が、この場所が間違いなくその川であるという証明になっていた。

 

「…死ぬのが、怖いんだね」

 

俺を見て、少女は初めて、情緒を感じる表情を浮かべた。慈愛のような、同情のような表情。

そりゃ、死ぬのは誰だって怖い。俺の生きる理由なんて、その大部分が死への恐怖だ。生への執着というよりは、死への恐怖。死んだらどうなるかなんて、誰にもわからないからこその、不安や怯え。

 

「いつか終わりは来るって分かってても、それが今じゃないって思いたい?」

 

見透かしたように、少女は言う。俺は頷いて答える。

 

「…そっか。私も」

 

それだけ言って、少女は川に視線を戻す。俺も同じように眺めてみる。

やはり、思っていたほど川幅が広いわけではなかった。

 

「意外に狭いんだな、この川」

 

俺が呟くと、少女はまたけらけらと笑った。

 

「やっぱりそう思うよね、お兄さんも」

 

少女は俺の方を向き直して言う。

 

「この川はね、見る人によって広さが違って見えるんだって。振り返る過去が多ければ多いほど、広く見えるんだよ」

 

…俺の人生の幅なのか、これが。

 

「…でも、それが普通なんだよ。思ったより濃い人生だったなんて人はいないんだから」

 

何かを頑張って、何かを成そうとして。結果としてそうなっていく人はいても、緩慢に日々を生きて、振り返れば濃い人生だったなんて人は、確かにいないだろうと思う。

 

「この先、どうにでもなるよ。私達ほどじゃないけど、先は長いんだし」

 

少女にも人を元気づけようとか、そういう気持ちがあるようだ。それがおかしくて、俺はついつい笑ってしまう。

 

「なんで笑うの!」

 

少女は少しムッとして言う。俺は笑いながら謝って、また川を眺める。

…こんな風に、少しでも楽しい日々を送れたら。また、そうなる努力を怠らなかったら。この川の幅は、あとどれくらい広がるんだろう。そんなことを考えられただけでも、ここに来てよかったと素直に思えた。

 

少女に連れられて屋敷に帰ると、初日も足を運んだ応接間のような部屋に呼ばれた。

 

「…さて、突然ではあるのですが」

 

女性はこほんと咳払いをして、それから言った。

 

「貴方が現世に帰る準備を始めてもらえることになりました。ちょうど巫女も暇だったようで、思ったより早く帰れそうですよ」

 

それは朗報とも思えたし、現にそうであるはずなのに。

俺の心には、何となくもやもやとしたものが、確かに存在していた。


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